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第2話 隣の席
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美術部の正式な活動日は火曜と木曜の放課後だったが、西條先輩はほぼ毎日準備室にいた。一年生の私が毎日のように顔を出すようになったのは、それを知ってからではなく、ただその部屋の空気が好きだったからだ。静かで、木と絵の具のにおいがして、外の騒がしさがどこか遠くなる気がした。
入部して一週間が経った頃、他の部員に会った。
二年生の女子が三人と、一年生の男子が二人。みんな気さくで、すぐに打ち解けた。二年の先輩たちは「瑛くん怖くなかった?」と笑いながら聞いてきた。
「怖くはなかったです。ただ、ちょっと……静かで」
「そうそう、あの人しゃべらないよね。でも怒ってるわけじゃないんだよ」
「わかります、なんか」
二年の先輩が「あれで実は気にかけてるんだよ」と教えてくれた。「あなたが毎日来てるの、ちゃんと気づいてるよ。昨日あたし来たとき、橘ちゃんまだ来てないって珍しそうにしてたもん」
それを聞いて、私は少しだけ嬉しくなった。
その日の放課後、準備室に行くと先輩は珍しく二冊のスケッチブックを広げていた。一冊は自分のもので、もう一冊は新品だった。
「はい」
差し出された新品のスケッチブックを、私は受け取った。
「部費で買ったやつ。新入部員分」
「ありがとうございます」
先輩は頷いて、また自分の絵に戻った。私はそのスケッチブックを膝の上に置いて、表紙をしばらく眺めた。白くて、まだ何も描かれていなかった。
「何描けばいいですか」
思い切って聞くと、先輩は少し考えてから言った。
「好きなもの」
「好きなもの」
「そう。技術は後でいい。最初は、何が好きかを知るほうが大事」
私はその言葉が気に入った。技術より先に、好きなものを知る。そういうことを言う人だとは思っていなかった。もっと寡黙で、絵だけに向き合っているような人だと思っていたから。
「先輩は、何が好きですか」
聞いてから、踏み込みすぎたかと思った。でも先輩は嫌そうにしなかった。少し間を置いてから、窓の外を見た。
「光の変わり方」
「光の?」
「同じ場所でも、朝と昼と夕方で全部違う。人間も、光の当たり方で全然違う顔になる。それを紙に閉じ込めたい」
私は先輩の横顔を見た。窓からの光が、眼鏡のレンズにぼんやりと反射していた。
「じゃあ、今の私も違う顔ですか」
先輩はこちらを向いた。短い間、私の顔を見た。眼鏡の奥の目が、静かにこちらを見ていた。
「……うん、ちょっと違う」
それだけ言って、また手を動かし始めた。
私はスケッチブックを開いた。一ページ目の白さが眩しかった。何を描こうかと思って、ふと先輩の横顔を見た。鉛筆を動かす手を、細い指を、窓の光の中にいるその人を。
描きたい、と思った。でもまだ、それを描く勇気はなかった。
私は窓の外の銀杏の木を描いた。まだ青くて、葉がたくさんついていた。下手な絵だったけれど、描き終わったとき、先輩が覗き込んできた。
「悪くない」
それだけだった。でも私は、その一言がとても嬉しかった。
入部して一週間が経った頃、他の部員に会った。
二年生の女子が三人と、一年生の男子が二人。みんな気さくで、すぐに打ち解けた。二年の先輩たちは「瑛くん怖くなかった?」と笑いながら聞いてきた。
「怖くはなかったです。ただ、ちょっと……静かで」
「そうそう、あの人しゃべらないよね。でも怒ってるわけじゃないんだよ」
「わかります、なんか」
二年の先輩が「あれで実は気にかけてるんだよ」と教えてくれた。「あなたが毎日来てるの、ちゃんと気づいてるよ。昨日あたし来たとき、橘ちゃんまだ来てないって珍しそうにしてたもん」
それを聞いて、私は少しだけ嬉しくなった。
その日の放課後、準備室に行くと先輩は珍しく二冊のスケッチブックを広げていた。一冊は自分のもので、もう一冊は新品だった。
「はい」
差し出された新品のスケッチブックを、私は受け取った。
「部費で買ったやつ。新入部員分」
「ありがとうございます」
先輩は頷いて、また自分の絵に戻った。私はそのスケッチブックを膝の上に置いて、表紙をしばらく眺めた。白くて、まだ何も描かれていなかった。
「何描けばいいですか」
思い切って聞くと、先輩は少し考えてから言った。
「好きなもの」
「好きなもの」
「そう。技術は後でいい。最初は、何が好きかを知るほうが大事」
私はその言葉が気に入った。技術より先に、好きなものを知る。そういうことを言う人だとは思っていなかった。もっと寡黙で、絵だけに向き合っているような人だと思っていたから。
「先輩は、何が好きですか」
聞いてから、踏み込みすぎたかと思った。でも先輩は嫌そうにしなかった。少し間を置いてから、窓の外を見た。
「光の変わり方」
「光の?」
「同じ場所でも、朝と昼と夕方で全部違う。人間も、光の当たり方で全然違う顔になる。それを紙に閉じ込めたい」
私は先輩の横顔を見た。窓からの光が、眼鏡のレンズにぼんやりと反射していた。
「じゃあ、今の私も違う顔ですか」
先輩はこちらを向いた。短い間、私の顔を見た。眼鏡の奥の目が、静かにこちらを見ていた。
「……うん、ちょっと違う」
それだけ言って、また手を動かし始めた。
私はスケッチブックを開いた。一ページ目の白さが眩しかった。何を描こうかと思って、ふと先輩の横顔を見た。鉛筆を動かす手を、細い指を、窓の光の中にいるその人を。
描きたい、と思った。でもまだ、それを描く勇気はなかった。
私は窓の外の銀杏の木を描いた。まだ青くて、葉がたくさんついていた。下手な絵だったけれど、描き終わったとき、先輩が覗き込んできた。
「悪くない」
それだけだった。でも私は、その一言がとても嬉しかった。
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