君の色で塗りつぶして

月夜

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第4話 夏の前

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 七月、一学期の終わりが近づいた頃、美術部では夏の合評会の準備が始まった。合評会といっても部内だけの小さなものだったが、それぞれが一作品を仕上げて、みんなで話し合うのが恒例だった。

 私は何を描こうかと迷っていた。風景を描き続けてきたけれど、何かが足りない気がしていた。

「迷ってるの」

 先輩はこちらを見もせずに言った。どうしてわかるのかと思いながら、「はい」と答えた。

「迷う絵がいい絵になる」

「え、本当ですか」

「すんなり描けるときって、自分の中にある答えを確認してるだけだから。迷うのは、まだ自分が知らないものを掴もうとしてるとき」

 私はその言葉をノートに書き留めたくなった。先輩はたまに、こういう言葉を言う。特別に教えようとしているわけじゃない、ただ思ったことを口にしているだけみたいに。でもそれが刺さる。

「先輩の夏の絵は、もう決まってるんですか」

「決まってる」

「何ですか」

「川」

 まだあの川を描くつもりらしかった。先日からずっとキャンバスと向き合っているのを見ていた。下塗りが終わって、少しずつ色が乗り始めていた。

「見せてもらえますか」

 先輩は少し間を置いてから、「まだ途中だけど」と言って、椅子を引いた。私はその横に立って、キャンバスを見た。

 川の表面が、光を受けていた。水の上に、夕方の色が乗っていた。オレンジと青と、少しだけ紫。葦原の影が暗く沈んでいて、その中に光の筋が走っていた。

 息を呑んだ。

「すごい」と言ったら、先輩は「まだ全然」と答えた。

「でも、もうこれだけで十分じゃないですか」

「十分じゃない。俺はあそこの空気を描きたいんだ。色だけじゃなくて、川のにおいとか、葦が揺れる音とか、そういうものを全部含んだ空気」

 先輩の声に、熱があった。いつもは淡々としているのに、絵の話をするときだけ、少しだけ熱くなる。私はそれが好きだった。

「……先輩、将来も絵を描いていくんですか」

 聞いてから、また踏み込みすぎたかと思った。でも先輩は、今日は答えてくれた。

「そのつもり。美大に行きたい」

「どこですか」

「東京の」

 東京。その二文字が、なんだか重く聞こえた。

「遠いですね」

「うん」

「行くって、決めてるんですか」

「決めてる、つもり。でも……」と先輩は少し間を置いた。「ちゃんと決まってるのかどうか、まだわからない」

 私にはその意味がよくわからなかった。決めているのに、決まっているかわからない。でもそのとき、それ以上聞くことはできなかった。

 夏が来ようとしていた。
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