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第四章 黒の子ども編
51.縁
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部屋に運ばれた夕食を機械的に詰め込むと、なんだか疲れ果ててしまった。苦戦しながらもドレスを脱いで、夜着に着替える。
ぐったりとベッドに倒れ込んだ。
ノア君が一緒に寝たいと言っていたけれど、来る気配はない。おそらく却下されたのだろう。
──懐かれたって困るし、ちょうど良かったのかも……。
うとうと考えながら、眠りにつく。
泥のように眠り込んでしまい、気がつくともう朝になっていた。
扉をノックする音で目が覚めたようで、おずおずとメイドさんが入ってくる。
「おはようございます。早い時間に申し訳ありません。……旦那様が出発されるそうなので、お召し替えをお願いいたします」
緊張したように言いながら、手に持ったドレスを掲げてみせる。
「……それはつまり、私に奴を見送れと……?」
怒りを込めた口調で問うと、メイドさんは目に見えて怯えてしまった。
私は小さくため息をついて、ベッドから起き上がる。
ナルシスト男はどうやらここに住んでいないようだし、今を逃したら次にいつ会えるかわからない。嫌でも奴に会わなければならないだろう。
着替えて玄関ホールに下りると、ナルシスト男が仁王立ちして待っていた。頬には特大のガーゼが貼られている。
私に気付いて、ギロリと睨みつけてきた。
「…………」
「…………」
お互い一言も発さずに、しばし睨み合う。
ナルシスト男の後ろにいたセバスチャンが、ハラハラしたように私たちを見比べた。
「己の非を謝罪することすらできないのか?……昨日の話は撤回しよう。君のような無教養で乱暴な女など、わたしの妻には相応しくない」
吐き捨てるように言う男の言葉に、わざとらしく一礼してみせる。
「それはどうも、とっても嬉しいです。あなたの妻になるぐらいなら、マウンテンゴリラと結婚した方がマシだし」
男はあ然としたように私を見つめた。
みるみる頬を紅潮させる。
「マウンテンゴリラ!? なんだ、それは!」
「知らない。私だって見たことないし。でもどんな生き物だって、あなたみたいなナルシスト男よりは素敵ですから」
「ナルシストとはなんだ!?」
チッ、やっぱり日本語で言っても通じないか。
私が説明しようとする前に、セバスチャンが得意げに口を挟んできた。
「旦那様。なるしすととは、自分大好きでうぬぼれている、キモチワルイ人種のことを言うそうですぞ!」
「…………」
私もナルシスト男も言葉を失った。
……この執事さんは、天然ボケなのかな?
男はぶるぶると震え出すと、私に向かってくわっと口を開いた。
「──誰がっ、気持ち悪い人種だ!?」
自分大好きと、うぬぼれてるは否定しないわけだ。意外と己を知っている。
不覚にも感心してしまったが、そんな事はおくびにも出さず、びしっと男を指差した。
「もちろん、あなたが。妻にしてやるとか、よく恥ずかしげもなく言えましたよね。自分に魅力があるって勘違いしててみっともない。見てて痛々しい。そして気持ち悪い」
畳み掛けるように言ってふんぞり返る。
男は言い返そうとするように、はくはくと口を開いて──黙った。ふっ、勝った。
よろめきながら無言で出て行く男を見送る。
セバスチャンはなぜか拍手をしていた。
……いや、見送ったら駄目じゃん!?
はっと我に返り追いかけようとすると、後ろから腕をつかんで引き止められた。振り返ると、満面の笑みを浮かべたエイダさんが立っている。
(……やばっ……!?)
その笑顔に、野生の本能が逃げろと言っている。冷汗をかいている私を、エイダさんは優しく引っ張った。
「セバスチャン。朝食は、わたくしもユキコさんの部屋でご一緒いたしますわ。……さ。行きましょう、ユキコさん?」
ぶんぶんと首を縦に振る。
部屋に戻り扉を閉めると、エイダさんは腕を組んで私を見つめた。思わず気をつけの姿勢になる。
「……演技するようにと、わたくし申し上げましたわよね? 頬を染めて手を握れ、とまでは申しませんけれど、言い負かしてどうするんですの」
「すみません、あまりに腹が立って……」
しゅんとして謝る。
エイダさんはキッとまなじりを吊り上げた。
「それに、先程のお辞儀はなんですか! なっておりませんわ!」
……えっ、そこ!?
そんなに変だったかな、と焦る私に、彼女は深々とため息をつく。
「礼儀作法というのは、いわば武装なのですわ。あのように身分の高い方相手には、特に有効な。……わたくしが勉強だけでなく、マナーもお教えしますから。しっかり付いてきてくださいませ」
「いや、でも……。私はここから出たいだけで」
圧倒されながらも、なんとか反論する。
彼女は私を見つめると、静かにかぶりを振った。
「あなたは知らないでしょうけれど……この屋敷は、人里離れた場所にあるのです。あの塀を越えて脱出できたとしても、一番近い街まで馬車で半日はかかりますわ」
エイダさんの言葉に、血の気が引いていくのがわかった。
声の出ない私を痛ましげに見ると、そっと私に近づき耳元でささやいた。
「……大丈夫。今すぐには無理ですが、外部と密かに連絡を取る手段があるのです。──どうか、わたくしに時間をくださいな」
彼女の言葉に息を呑む。
慌てて問い返そうとする私を、静かに首を振って制した。
「この話はここまでです。以降、あなたからは持ち出さないように。……とにかく時間がかかりますから。焦ってはなりませんわ」
泣き出しそうになりながらも、なんとか頷いた。
虹糸の腕輪にそっと目を落とす。
私がここから逃げ出すのと。
ディーンが私を探すのをあきらめるのと。
(……どっちが、早いんだろう……?)
胸がズキリと痛んだ。
「綺麗な腕輪ですわね。……例の、彼からですか?」
私の視線に気付いたエイダさんから問われて、無言で頷き返す。
エイダさんは慈母のように優しく微笑んだ。
「安心なさいな。これで彼との縁が切れたとしても、この世に男は星の数ほどおりますから。きっとまた素敵な殿方と出会えますわよ」
「…………」
脱力して膝から崩れ落ちた。
待て待て待て。
今、求めている答えはそれじゃない。
「切れませんから! っていうか、絶対に切らせませんから!」
思わず怒鳴りつけてしまった。
ディーンが私をあきらめたとしても、私がディーンを探してやる!
何が何でも捕まえてやるんだから!
鼻息荒く立ち上がり、新たな決意にめらめらと燃える。そんな私を見て、エイダさんはプッと噴き出した。
「そうそう、その意気ですわ。弱気虫に負けたら持ちませんもの。しっかり学んで食べて寝て、一緒に頑張りましょうね?」
ウインクしながら言う。
私はぽかんとして……声を上げて笑い出してしまった。
「……はい! よろしくお願いします、エイダさん!」
ぐったりとベッドに倒れ込んだ。
ノア君が一緒に寝たいと言っていたけれど、来る気配はない。おそらく却下されたのだろう。
──懐かれたって困るし、ちょうど良かったのかも……。
うとうと考えながら、眠りにつく。
泥のように眠り込んでしまい、気がつくともう朝になっていた。
扉をノックする音で目が覚めたようで、おずおずとメイドさんが入ってくる。
「おはようございます。早い時間に申し訳ありません。……旦那様が出発されるそうなので、お召し替えをお願いいたします」
緊張したように言いながら、手に持ったドレスを掲げてみせる。
「……それはつまり、私に奴を見送れと……?」
怒りを込めた口調で問うと、メイドさんは目に見えて怯えてしまった。
私は小さくため息をついて、ベッドから起き上がる。
ナルシスト男はどうやらここに住んでいないようだし、今を逃したら次にいつ会えるかわからない。嫌でも奴に会わなければならないだろう。
着替えて玄関ホールに下りると、ナルシスト男が仁王立ちして待っていた。頬には特大のガーゼが貼られている。
私に気付いて、ギロリと睨みつけてきた。
「…………」
「…………」
お互い一言も発さずに、しばし睨み合う。
ナルシスト男の後ろにいたセバスチャンが、ハラハラしたように私たちを見比べた。
「己の非を謝罪することすらできないのか?……昨日の話は撤回しよう。君のような無教養で乱暴な女など、わたしの妻には相応しくない」
吐き捨てるように言う男の言葉に、わざとらしく一礼してみせる。
「それはどうも、とっても嬉しいです。あなたの妻になるぐらいなら、マウンテンゴリラと結婚した方がマシだし」
男はあ然としたように私を見つめた。
みるみる頬を紅潮させる。
「マウンテンゴリラ!? なんだ、それは!」
「知らない。私だって見たことないし。でもどんな生き物だって、あなたみたいなナルシスト男よりは素敵ですから」
「ナルシストとはなんだ!?」
チッ、やっぱり日本語で言っても通じないか。
私が説明しようとする前に、セバスチャンが得意げに口を挟んできた。
「旦那様。なるしすととは、自分大好きでうぬぼれている、キモチワルイ人種のことを言うそうですぞ!」
「…………」
私もナルシスト男も言葉を失った。
……この執事さんは、天然ボケなのかな?
男はぶるぶると震え出すと、私に向かってくわっと口を開いた。
「──誰がっ、気持ち悪い人種だ!?」
自分大好きと、うぬぼれてるは否定しないわけだ。意外と己を知っている。
不覚にも感心してしまったが、そんな事はおくびにも出さず、びしっと男を指差した。
「もちろん、あなたが。妻にしてやるとか、よく恥ずかしげもなく言えましたよね。自分に魅力があるって勘違いしててみっともない。見てて痛々しい。そして気持ち悪い」
畳み掛けるように言ってふんぞり返る。
男は言い返そうとするように、はくはくと口を開いて──黙った。ふっ、勝った。
よろめきながら無言で出て行く男を見送る。
セバスチャンはなぜか拍手をしていた。
……いや、見送ったら駄目じゃん!?
はっと我に返り追いかけようとすると、後ろから腕をつかんで引き止められた。振り返ると、満面の笑みを浮かべたエイダさんが立っている。
(……やばっ……!?)
その笑顔に、野生の本能が逃げろと言っている。冷汗をかいている私を、エイダさんは優しく引っ張った。
「セバスチャン。朝食は、わたくしもユキコさんの部屋でご一緒いたしますわ。……さ。行きましょう、ユキコさん?」
ぶんぶんと首を縦に振る。
部屋に戻り扉を閉めると、エイダさんは腕を組んで私を見つめた。思わず気をつけの姿勢になる。
「……演技するようにと、わたくし申し上げましたわよね? 頬を染めて手を握れ、とまでは申しませんけれど、言い負かしてどうするんですの」
「すみません、あまりに腹が立って……」
しゅんとして謝る。
エイダさんはキッとまなじりを吊り上げた。
「それに、先程のお辞儀はなんですか! なっておりませんわ!」
……えっ、そこ!?
そんなに変だったかな、と焦る私に、彼女は深々とため息をつく。
「礼儀作法というのは、いわば武装なのですわ。あのように身分の高い方相手には、特に有効な。……わたくしが勉強だけでなく、マナーもお教えしますから。しっかり付いてきてくださいませ」
「いや、でも……。私はここから出たいだけで」
圧倒されながらも、なんとか反論する。
彼女は私を見つめると、静かにかぶりを振った。
「あなたは知らないでしょうけれど……この屋敷は、人里離れた場所にあるのです。あの塀を越えて脱出できたとしても、一番近い街まで馬車で半日はかかりますわ」
エイダさんの言葉に、血の気が引いていくのがわかった。
声の出ない私を痛ましげに見ると、そっと私に近づき耳元でささやいた。
「……大丈夫。今すぐには無理ですが、外部と密かに連絡を取る手段があるのです。──どうか、わたくしに時間をくださいな」
彼女の言葉に息を呑む。
慌てて問い返そうとする私を、静かに首を振って制した。
「この話はここまでです。以降、あなたからは持ち出さないように。……とにかく時間がかかりますから。焦ってはなりませんわ」
泣き出しそうになりながらも、なんとか頷いた。
虹糸の腕輪にそっと目を落とす。
私がここから逃げ出すのと。
ディーンが私を探すのをあきらめるのと。
(……どっちが、早いんだろう……?)
胸がズキリと痛んだ。
「綺麗な腕輪ですわね。……例の、彼からですか?」
私の視線に気付いたエイダさんから問われて、無言で頷き返す。
エイダさんは慈母のように優しく微笑んだ。
「安心なさいな。これで彼との縁が切れたとしても、この世に男は星の数ほどおりますから。きっとまた素敵な殿方と出会えますわよ」
「…………」
脱力して膝から崩れ落ちた。
待て待て待て。
今、求めている答えはそれじゃない。
「切れませんから! っていうか、絶対に切らせませんから!」
思わず怒鳴りつけてしまった。
ディーンが私をあきらめたとしても、私がディーンを探してやる!
何が何でも捕まえてやるんだから!
鼻息荒く立ち上がり、新たな決意にめらめらと燃える。そんな私を見て、エイダさんはプッと噴き出した。
「そうそう、その意気ですわ。弱気虫に負けたら持ちませんもの。しっかり学んで食べて寝て、一緒に頑張りましょうね?」
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