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第十一話 紫音の最後の仕事

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紫音さんに初めて会ったあの日から、色々と世話になりっぱなしのオレは毎日欠かさず紫音さんの居るたまり場に顔を出して、自分の体の事で何か分からないことがあれば聞いて教えてもらっていた。レイには言えない事を相談出来るってのが正直ありがたかったし、恥ずかしい思いをする前の予備知識を知るいい機会だった。

トイレも学生用のじゃなく教職員の方を優先的に使わさせてもらい、今までコソコソしてたのが随分気が楽になった。それでもまだ授業中にしか行けないが、バッタリ学生に会う事がないだけ助かるってもんだ。

「オッス、紫音さん今日も居る?」

『風神という名の学ランを背負った以上、男らしく生きていく為に精一杯の努力をしろ』と言われたが、ケンカにゃ負けねーけど女の隠せない部分はお姉さま方の助言をちゃんと聞いて、上手にこなしている。

「この間一緒に買い物に付き合ってもらった時に買ったヤツ、女もんの下着って窮屈っすねー」

(周りの女子達は常にあんな窮屈なの、着込んでんだ・・・)

と初めて知った。この肉が筋肉ならどれだけ良いかと自分の胸をバンバン叩いてると

「胸は刺激すると大きくなっちゃうかもよ?」

と言われ慌てて止める。幼児体型と言われる身体から、出るとこが出るようになると一気に女性らしい体付きになっちまうようで、それが三年後には今のお姉さま方と似たような身体になるってのが不思議なもんだ。紫音さんがこっちにやって来て更にまじまじと見てくる。

「な、なんすか?」

「アンタ血色悪いね、いつも何食べてんだい?」

言われてもそれになんの意味があるのか分からないが、

「昨日の夜は米とラーメン食いました」

って言ったら深いため息をつかれた。

「あのねえ、体の変化に合わせて食べる物も変えていかなきゃ、貧血でいざと言う時戦えないよ?牛島先輩からアンタのことは頼まれてるからねえ、明日からアタイが弁当持って来てやるから食べな」

なんて言われたけど、なんでオレが貧血で戦えなくなるのか、意味が分かんない。紫音さんの手作りお弁当はそりゃ嬉しいけど・・・

「あ、青々しいっすねぇ…」

ベースの食材が青菜ばかりでそそられるオカズはなかった。もっとこう、カラアゲとかコロッケとか茶色いもんが大好きなだけに、そりゃ正直美味しいよ。美味しいけどもさ、今まで自分の好きなもんばっか食ってきたからそれなりに腹は膨れるんだけど・・・何かもの足りなくって。駄菓子屋へ駆け込んじゃあ、バリバリしたもんを食ったもんさ。紫音さんはオレに厳しくもあり優しくもある、まるで母ちゃんみたいな存在になりつつあった。

「今日は痛み大丈夫かい?」

「今朝暴れてただろう、締め付け方が甘くなってるよ」

「いいかい?女は冷えが天敵だ。必ず風呂で温まんだよ」

「予定より早く来ちゃったんだね、待ってな。替えの用意させるから」

このあいだ他校とケンカして保健室に運ばれた時に、保健室を貸し切りにして手厚く看護をしてもらった事があったっけ。あんときはレイも怪我してたのに、アイツは外で悪かったなって思ったわ。紫音さんがフォローしてくれているおかげでずっと風神でいられるんだから、ホント感謝しかない。こんときの怪我が治ろうとする頃、紫音さんが風神としてケンカで勝ち続ける方法を教えてくれた。

「アンタ、体操部に入んな」

「え・・・体操っすか?」

オレは雷神に比べると今はまだそんなに差は無いが、今後目に見えて体格差が出てくるし、その頃には力では敵わなくなるような相手とやらなきゃいけなくなるだろう。その時に雷神の足を引っ張るのが嫌なら、風神には風神の戦い方を身に付けた方が良いってことで、それが体操なんだと。『速く、しなやかで、アクロバティックな攻撃』がオレの強みになる・・・と教えられ、途中入部することにした。

「体幹がしっかりしてるね、凄く綺麗な筋肉のつき方だ」

ジャージの上からアチコチ触られて、顧問の先生にそう褒められたが

(おい、先生といえどもヤロウがベタベタ触んなや、気持ち悪りい)

なんて頭の中では思いながらも

(体幹ってなんだ?骨のことか?)

ってな感じ。初級編から誰かの真似してできたら次、もうちょい難度を上げてできたら次・・・ってな感じで『何ができるか』じゃなくて『何ができないのか』を探すように色々やらされたんだけど、なんとなーく全部できちまって。でも見てるとすごいのな、あんな細い平均台の上とかで宙返りして着地するんだぜ?

(足場が悪いとことか、あれ出来たら完璧じゃん)

って思って、床の線を踏み外さないように宙返りしてみると、平均台の上だったら確実に落っこちて大怪我してるヤツだ。オレに必要なのは身軽さと安定感、連続バクテンしても目が回らない方法や、宙返りして避けても体がブレないことが大事なんだってわかった。わかってイメージも出来るんだけどもさ、現実はそううまく着いて来ないのよ。目は回るしブレブレだし、

(それっぽいことはできても、実践では全く役に立たねえ)

って、どうしたものかと体操の先輩たちの練習を見ていると、決定的に違う点に気付いたんだよ!これは目からうろこだったんだけど、オレなんかが回ったり跳んだりするのに集中しているのに対し、先輩たちはそんなの当たり前で、着地する足の部分を随分早くから見ているのな。真似してやってみると確かに安定はするものの、次の動作に移れるのかっていったらまだまだ全然追いつかねえ。紫音さんにガッカリされたくねえって気持ちと、レイの足を引っ張りたくねえって気持ちから毎日体育館に通って練習したし、家で練習したら下の階の人から怒られたから、表でも練習してるんだけど『実践で役に立つかどうか』はまったくわからねえ。

「どうだい、ちょっとは動けるようになったかい?」

って弁当食ってる時に紫音さんに言われたから、

「形になってきたとは思うんすけどね、実戦で役に立つかどうかが全く分からないんすよ。風神としてまだ負けたことがないもんで・・・」

って答えたら、いきなりポケットからカミソリ出して襲ってくるじゃん?

「あっぶな、急に何するんすか?マジでやばいヤツですって!」

最後の一口をほおりこんだ空の弁当箱をひっくり返して何とか避けたは良いものの、バリバリ殺気立ってる紫音さんから目が離せない。

「負けたことがない?舐めた口きくじゃないか。アタイ相手にタイマンなら負けないんだろう?だったらやってみな!っとその前に。万が一傷つけちゃったら申し訳ないから、風神は脱いで置いときな」

そう言って距離をつめられ、飛び退きながら風神のボタンを外す。全然待ってくれねえ紫音さんの本気に少々驚いたが、今のオレなら全て避けられる。屋上の柵やら壁やら使いながら何とかカミソリから逃げてると、

「逃げてばっかりじゃアタイは止まんないよ!本気で止めてみな!」

(女にゃ手は出さねーとは言ったものの、実際手を出さなきゃ止めてくれそうにない。紫音さんの動きは目で追えてはいるが、紫音さんの方がタッパがある分後ろに回り込んでの絞め技はキツイな)

気がつきゃ端っこまで追い詰められていたオレは、一か八か紫音さんを転ばせようと足を狙ったが、詩音さんはこっちの動きを読んでいたみたいで、体をひねりながらオレのサラシを掴んだ。

「んな!?」

胸がはだけると思った途端に両腕でサラシを抑えたオレの動きは途端に遅くなり、紫音さんに逆に後ろを取られて締められる。

やべえ、女の力でも首に腕が入ったら意識跳んじまう)

という怖さと、サラシを乱されたままで動揺を隠しきれないオレに、紫音さんは耳元で深いため息をつき、手を緩めた。

「攻撃に転じたのは褒めてやるけど、女の弱さに気がついたかい?」

サラシを押さえ膝から崩れ落ちたオレは言葉を無くしていた。

(・・・紫音さんが何か言ってる。何でオレは胸を気にした?んなもん気にしなきゃまだ戦えてたのに。オレの中の何かが守りの姿勢に逃げやがった!何だこの感情は?)

「しっかりしな!アンタ風神だろ?」

ハッキリと聞こえたその言葉と同時に、オレは思いっきり顔をひっぱたかれた。周りで心配そうに見ているムラサキメンバーとは違い、鬼のような形相で紫音さんはオレを見降ろしていた。

「ったく!何が『風神は負けたことがねえ』だよ、何だそのざまは?」

紫音さんに顔を引っぱたかれるまで今の状況に戻って来れなかった。

女の弱点を紫音さんに気付かされてから数日経ったけど、モヤモヤが取れねえし出口が見えねえ!着地点もしっかり見えるようになってきたし、前に比べたら身軽になってケンカしても絶対に強くなってる。でも、変わらず出口は見えねえ・・・。

(紫音さんが言ってた女の弱点がケンカでサラシを乱される事だとしたら、胸なんて見られても気にしない根性が必要か?いや、そうじゃねぇ。風神は無敵の男であり続けなきゃならねえ、『女だ』って正体がバレた時点で風神どころか人質に取られて雷神のお荷物決定じゃねーか!待て待て、ナイーブに考えるな。そういう事だとしたら、オレの体に指一本触れささなきゃ良いだけの話じゃねーか?『今みたいな殴り合いの喧嘩してちゃ、そのうち何かの拍子に触られてバレるぞ』ってのを紫音さんは自分が卒業する前に教えてくれたのか!)

翌日、

「紫音さん、女の戦い方を教えてくれ!胸があってもスカートでも、ヤロウに負けない戦い方、教えてくれ。紫音さんにしか聞けねえ・・・」

大真面目に頭を下げたら、今度は平手打ちじゃなく優しくホッペを両手で挟まれて、

「女の顔はね、傷ついたら一生ものなのさ。『ヒットアンドアウェイ』ってやつを身につけな、顔だけじゃないよ?男に気安く体を触らせちゃいけないんだよ、雷神は攻撃することが防御、風神はその背中を守るんだ」

こうしてオレらが二年生になるのと同時に、紫音さんはカミソリを置いた。
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