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魔の巣窟

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セペド・アイヤーシュは姿を消した。
しかもラムルアペプの複数体討伐中に。

床が崩れ落ちるような感覚を覚えながら話を聞いた。
現場近辺にある討伐願を出していた領主が数日たっても彼から報告はなく恐る恐る出現場所へ兵を出してみたところラムルアペプの討伐跡は見受けられたが、本人の姿は見つけられなかったのだという。


俺は急いで宰相宮へ足を運んだ。
追いかけてきたはずのディは急な俺の行動に遅れを取り、すぐに見失ってしまったようで後ろからついてくる足音はない。あとで沼から湧き上がるハエのような言葉を受けるだろうが彼のことは頭に今はなかった。
城の中で各役職付きの人間に与えられる部屋は、立場が高ければそれだけ部屋も自由も広がる。
ナジーブ宰相はあまり騒々しいのを好まない人間だったので、城北側のひっそりした場所を住まいとしていた。

様々な花が植えられた庭には小鳥たちがさえずり遊んでいる。
そんな穏やかな場所を打ち破る勢いで蓮人は宰相を訪ねた。


「捜索に行かせてください!!!」


「なりませぬ」


「セペドは絶対生きています!だからお願いです!ナジーブ宰相!俺を捜索へ行かせてください!」


「蓮人様。既に報告が上がってきた時点で数日経過しており、そこは今までより多く出現が報告されるアペプの巣窟。奴はアペプに喰われてしまったのです」


「あいつはそんな簡単に没しない!国一番の魔剣士なんだろ!?それに遺骸が見つかったわけじゃない」


そう、現場にはアペプの巨大な肉の塊が大量に散らばってはいたが今だにその骸は見つかっていないのだ。
望みは薄いかもしれなくてもそれを直接見るまでは信じたくなどなかった。そんな蓮人の嘆願も目を細め見下ろす相手は冷静に言葉で切り伏せるのだ。


「貴方は異界からの招き人。国を救える唯一のお方。その価値を分かっておられぬ。我ら国の依頼を聞き入れ地に生命を吹き込む力を今失っては困るのです。ましてそこは魔の巣窟。いまだ蔓延るやもしれぬ場所に送り出せるとお思いか。して、其方様が行ったところでどうするおつもりで。既に兵での捜索は一度なされた。奴は国一番の剣士とは言え一国の兵。望んで死地へと向かいそこで果てたのです。ならば然るべき葬儀は行えど今貴方様が行うべきことでない。兵一人のために、国救の力を危険な場所で散らせたくはないのです。どうかご理解をいただきたい」


「・・・ナジーブ宰相、貴方の言うことは誠正しい。正しいが、理性で抑えられぬこともあるのです!たかが一国の兵とは言えこの地で得た最初の友を捜したいこの想いを、どうか。」


「はぁ、どうしてこうも皆けたたましく鳴くのでしょう。この両の耳を喧噪だけ取り除けるのならば切り落としてしまいたい。・・・三日。現地での再捜索を許可しましょう。それ以上は危険故聞き入れませぬ」


「・・・寛大なご配慮を賜り誠にありがとうございます。」


そうして俺は三日間の捜索することを許された。


宰相宮を出て、廊下を歩いていれば老婆が声をかけてきた。
「お顔の色が優れないようですね。この老いぼれにももう少し力があれば何かできたのではないかと思わない日ないのです。魔剣士の無事を祈るだけしかできず申し訳ない」

すでに事情を知って話しかけてきたこの老婆は、俺がこの世界へ召喚するにあたり力を貸した魔法師の一人のニルミーンである。彼女は他の魔法師達よりも遥かに秀でた力をいまだに持ち、魔法師達の中でも発言権は強い。
探求心が強いとされる城の魔法師とは違い、若い頃から身を粉にして国に貢献してきた姿は溢れ出るその優しさからも伺い知れた。ニルミーンは、俺の事情をほぼすべて最初から知っているためよく魔法の相談も、国の常識や細かな疑問なども当初から相談にのってもらっていた。おかげでこの老婆は、第二の祖母として親しみすら感じている。立場のある方なので心の中でだけおばあちゃんと呼んでいるのは内緒である。


「ニル。そんな暗い顔をしないでいただきたい。感情を優先してしまい、気持ちを切り離して行動ができない己の不甲斐なさのせいなのです。そうして今宰相殿の手を煩わせてしまいました」


「いいえ。いいえ。そんなことはありませぬ。貴方様はお優しい。戦も飢えもないお国から参られ、廃れゆくこの国で尽力されている姿。そのお方の為ならばできるだけ望みを叶えるのが道理。ですが、どうしようもないこともあるのです。宰相を、テピイ・ナジーブを憎まないでいただきたい。彼とて辛いのです。その立場故に心を凍てつかせていることを。政に関わるということは感情を捨て去らねばすぐ足をすくわれてしまうのです」


「勿論憎んでなどおりません。理解した上でのこちらのわがままです。あのお方もきっと本来は心優しい穏やかな方なのでしょう。あの庭を見ればわかります。手入れの行き届いた美しい庭でした」


「そうですか。ならばせめて貴方が向かう先に少しでも光が灯るようにこの年寄りも、何かせねばなりませんね。少しだけ時間をいただけますか?私の部屋で神託を授けましょう」


そうしてそのまま蓮人とニルは、魔法師達の住む宮へ向かい歩き出す。
今頃城中を捜してくれている代理護衛騎士のことを少し思ったが、申し訳ないと心で謝りながら老婆の背中を追いかけた。




ニルミーンは、城専属の魔法師でもあり神託を授ける巫女でもある。
巫女の力は清らかなるものでなければ失われてしまうため、ニルには夫も子もいない。
彼女の部屋はそれなりの立場の者とは思えぬほどとても小さな部屋に住まっていた。

最低限の着替え、家具、魔道具。寝具と来客用の食器など。必要だからある物のみ。
食事は城の食堂で取るため、こちらはほとんど寝るためだけに戻るだけなのだろう。
日本人の俺からすれば一人暮らしの部屋のサイズなのでむしろ落ち着きやすさはあった。だが他の役職ある人間たちの部屋の広さを見る限り、この広さは狭すぎると思われているに違いない。日本人が海外の人から見た家の大きさに犬小屋とかウサギ小屋って言われてると同じ感覚を持たれているのだろうなと思う。

ニルは、緩やかな動作で丸い木製の卓を出し、その上に装飾が入った布を敷いた。普段は付けない儀式用のトルコ石の首飾りも首から下げている。
首飾りの先には一際大きなトルコ石がライオンを形造っている。
神託とは、神の言葉を聴くのだという。詳しくは分からないが願いに対して叶うか否か。
政や立ち止まりどうしようもない場合に神の言葉を授かるなど。つまり、神社で神頼みしたりおみくじを引いて今年一年の善し悪しを知るようなものかと納得させた。当たるも八卦当たらぬも八卦。占いを聴くような気持ちで俺はそれを見守った。

卓上には嘴の長い鳥の頭蓋骨と黒羊の毛。そして銀色の小さな器に緑と黒や青の粉が数杯。湾曲した象牙のナイフ。油の中で揺れる光がより一層独特の雰囲気を醸し出していく。白い乳白色の鉱物を数個取り出して別の火にくべればそれは煙となって部屋に充満する。香の原料だったのだろう。爽やかな香りの中にほんの少しだけ甘みを帯びた煙がまとわりついた。


「して、何を願う?」


「勿論、セペドの無事を」


「・・・・」


俺には到底理解できないが、ニルが静かに卓上の道具を使い占っていく。独特のシンボルを中心に描いた護符に呪文を唱え、火に焚べ燃やし灰とした。
時代が違えば魔女と言われただろうその異様な部屋の雰囲気もあっという間に終わりを告げた。
願いの答えは出た。彼女の占いが当たるのならばセペドはまだ生きているという。けれど反応が薄いことから危険な状態であることは変わりない。それだけ聞けただけでも俺の心は浮上する。


「ありがとうニル!!貴方の神託を信じよう!」


「蓮人殿。されど無理は禁物。向かう場所は魔の住処。この老婆の占いも全ての行いが見通せるわけではありませぬ。どうかご無事にお戻りくだされ。この老婆より先に冥界へ旅立っては行けませぬぞ」


「ああ、無事に帰って来るさ」

立ち上がり、ディを見つけようと部屋の入り口に手をかければ、ニルミーンはもう一つ彼に言葉を託したのだった。

「花を食い荒らす虫に気を付けなされ。羽音すら聴こえぬ。それらはゆっくりと静かに茎を登り甘いその蜜を喰らうことをためらわず、花が気が付かぬうちに枯らし飲み込んでしまうのです」


「・・・気を付けよう」


虫ね。その神託の意味はよく分からないが危険な地へ向かうわけだ細心の注意をしようと心に誓う。
そのあと、城中を走り回って汗だくになっていたディに雷を落とされたのは言うまでもない。



「説教はこれぐらいにして、蓮人に客人が二人来ている」


「客人?」


小言を言うだけ言ってようやっと落ち着いたディは思い出したかのように告げた。
そちらを先に言うべきだろうとは自業自得なので言わないでおく。


「ああ、お前、宰相宮に行ってセペド再捜索の依頼を出したんだってな。よくあの冷酷宰相に嘆願したな。その宰相から再捜索にあたり兵を出してくれることとなった貴族が二人来ている。一人はお前が最初にぶっ倒れたって時に担ぎ込まれた町を領土に持つアンマール伯と、あとはジャウハリー公だな。どちらもラムルアペプに脅かされまくっていた領土を多く持つ貴族だ。兵を貸し出すことに快く今回名乗りを上げてくれたそうだ。」


「流石というべきか、行動が早いね」


テピイ・ナジーブ、恐るべし。彼は仕事が早い。
一人は説明に合ったとおり、初めてラムルアペプを目撃した町を領土に持つウブト・アンマール伯。彼はあの時多くの民を喰われ町を破壊された。現在も少しずつ復興を行ってはいるが、ラムルアペプに対する町民の恐怖は計り知れなかったであろう。安心して暮らしていくには早急な街の復興・防壁の強化・そしてラムルアペプを減らすことが急がれた。協力を名乗り出たのも当然と言える。
そうして、もう一人の貴族はビイント・ジャウハリー公。彼は北側の領地を主に受け持ち、複数の領土を持つ。北側は隣国から攻め入れやすい地形をしており元々防壁の要の町だ。よって従える兵の数は多い。ラムルアペプだけでなく恐れるものは魔獣だけではないこともあり、減らせる懸念は減らしておきたいと言ったところだろうか。
両者の貴族相手に、平民である自分が挨拶を交わすなど恐れ多いことではあったが二人とも気さくな男性であった。ジャウハリー公が大半の兵を出してくれることとなったので、貴族の上下関係も垣間見えたがこのあたりの話については俺が触れぬ方が良いだろう。


赤い大地に兵を引き連れその地へたどり着いたとき辺りにあったラムルアペプの死体は、照り付ける日差しが肉を焼き、風に舞い上がった砂に塗れ、独特の腐敗臭を放ち始めていた。あまりの悪臭故に戻してしまう者もいたので口鼻を皆布で覆い隠すこととした。効果のほどは僅かばかりだが気持ちの問題である。


「報告通り八体の討伐をしたあとだな。荷物も見つかっていない。一度周辺の岩陰も探したが何も見つからなかったそうだが、さてどうする?」


「風の強い日にはあっという間に地形が変わる場所だ。見落としがある可能性はある。ましてこんなにアペプが暴れまわったあとだこの巨体も重いがその下も確認してみよう」


許された再捜索の日にちは三日。その間に何か手掛かりを見つけなければならない。
すでに見える範囲の砂の景色に姿はなく、手足が転がっていないことは救いではあったが、変わりやすい地形とは風の向きで流れてしまう砂のせいだ。乾いた細かい粒は軽い風にも簡単に転がっていく。覆う壁もなくどこまでも続く景色は強風が吹けばたちまち形を変え、砂漠を横断する人間を迷わせる。視界も隠し、地図が役に立たないともなれば民が方角を確認する手段は星となる。星を見て方角を知りまた道を進むのだ。

ディは、俺の希望通りに兵を動かしてくれる。数人では持ち上がらない巨大な肉の塊も、屈強な男たちが集まり何とか一つ横へずらすことができたが期待はため息に交じって消えた。
そうして一つ、一つと巨大なアペプの身体を転がしつつ潰されていた体の下の砂を探る。一体だけで体の大きさだけでなく、まさに蛇というべき長さもあるため身体の下を確認するという行為さえどれだけ骨が折れることだったかを三体目に手をかける段階で思い知る。自分一人だけがもし捜しに来たとて何ができたであろうかと宰相の言ったとおりとなり少し歯噛みした。


「なぁ、あれだけ異様に腹がでかくないか・・・?腹を裂いてみるか?」


「・・・お願いする」


異様な膨らみ、一匹のアペプの腹が膨らんでいる。
心臓がバクバクとなり、身体は震えた。目を瞑り一度深い呼吸をして落ち着け、嫌な予感が当たってほしくないが万が一の場合の心構えをせねば自分が持たない。信じたくなどないけれど、可能性もありその膨らみへと近づいた。
若い兵士が指示を受けその腹を縦に口開く。
だがアペプの硬い皮膚が死してもなお、簡単に刃を受け入れてはくれず、ぶよぶよとした膨らみを抑えながら何とか刃を突き刺した時だった。その中にお前は何を喰らったのだと皆がごくりと唾を飲み込んだ瞬間、その膨らみは大きな音を轟かせ、斬りつけた兵を吹き飛ばした。周囲をみつめる兵も自分も思わず目を伏せて腕で顔を覆う。白い煙を立ち昇らせながら出てくるのはまるでその中から我先に這い出ようとする赤黒い生き物。次から次へと飛び出し血しぶきを飛ばす。その臓物一つ一つが人間の男の肉体よりも太く巨大で、命を持ったかのようにぶちゅりぶちゅりと嫌な音を立てながら飛び出してきた。
周囲にいた人間に容赦なくそれは降りかかり、血と臓物の海は先ほどとは比べ物にならない悪臭を発生させ目も見開き皆呻いた。

口や鼻を布で覆っていたとはいえ、目から涙がこぼれるほどの刺さる悪臭と赤黒い体液を頭から被り、俺も流石に耐え切れずその場で嘔吐した。胃の中に入っていた全てを出し切っても喉が弾み涙を零す。吐瀉物と体液と涙に塗れ喘ぐ俺の背中を擦りながらあいつじゃなくて良かったねと笑い飛ばせるディをみて、彼が如何にそれらに慣れていたのかを改めて知ったのだ。


「・・・・は、酒の失敗はよくしても、隊長名乗るだけはあるな」


「それは褒めていないな?ははは。まぁ、死体ではよくあることだ。あいつだったらどうしようかと流石に思ったねはは!それより大丈夫か?水でも飲んで少し休んで来いよ。これは臭すぎるから慣れてる兵達だけで処理しよう。」


「・・・・すまない」


先ほど、吹き飛ばされた兵士も軽く腰を打っただけで問題はなくその爆発したアペプの腐敗死体は処理された。
少し離れた場所で、口をゆすぐ。頭から水を被りたい衝動もあるが、手持ちの少量の水では落ちきれぬ体液はもはや皆が同じような状態故腐敗臭もどうしようもなく諦めた。そうして空さえ血を被り始めた頃、焚火の準備をしていた兵から叫び声が上がる。


「魔獣だ!!!」


「ちっ、アペプの血の匂いを嗅ぎつけたか・・・火を灯せ!!!」

日が落ち、赤い大地が温度を下げるとともに現れたのは魔獣の群れ。いや、正しくはジャッカルの群れだったもの。血肉を求め近づいた群れが、アペプの瘴気に充てられ魔物として落ちてしまったのだ。一度魔に落ちてしまえば浄化を行うか、殺されるまで牙を向く。この場に浄化を行える者はおらず戦うしかない。
魔法が得意な者達は刃に炎を纏う。星が見えはじめ、漆黒ほどではないが闇に蠢く者たちほど危険なものは無い。


「蓮人!お前は高いところへ避難しろ!!下手に攻撃魔法は撃つな!お前の腕では仲間に当たる!!」


「・・・わかった。気をつけろ!!!量が尋常じゃない」


「俺たちより、蓮人。お前は自分自身が生き延びることだけ考えろ。行け!!」


把握しきれない魔物の群れに立ちはだかり、ディをはじめとした兵たちが列となり盾となる。
己も攻撃魔法のいろはは学んでいたとて、学んだだけで実戦など皆無であった。この莫大な魔力量も、攻撃魔法においては逆に味方へと巻き込みにしかならず、所詮攻撃に向いていない人間だった。
つまりは足手まとい。ならば邪魔にならないよう隠れることしかできないのだ。ディに背中を押され、八体のアペプの巣穴だったと思われる巨大な洞窟の岩壁を登る。
焦って踏み外しかけ足元に群がる兵を逃れた数匹の魔犬に何度も足を喰われそうになり冷や汗が流れた。
何とか手足をこすり登ったもののすぐに転げ落ちるように下りることとなる。

登り切った俺を嚙みちぎろうと口を開けて見下ろしていたのは、下にいる魔犬たちよりはるかに大きい。
目はゆらりと黄緑色に光り、確かにこちらをとらえていた。


(この群れの頭か・・・・!!!)


己の頭が喰われるのを紙一重で避け、蹴とばされる勢いで俺は岩を転げ落ちた。
あまりの高さゆえに向こうで戦う兵たちの炎の灯りと攻撃魔法が見え、爪と牙を弾く高い音、地より響く犬の唸り声が俺の耳に届いている。

ドスンと砂にめり込み落ちた身体。足に頭まで突き抜ける痛みが走ったが確認する暇もない。
身体についたアペプの血の匂いと鈍い音を聞きつけ魔犬がこちらへ向かってくる。洞窟の上にいた巨大な魔犬も降りてきているのならば俺は五体満足ではいられない。

暗がりの中、周囲からの駆けてくる脚音に逃げ場は洞窟の奥へ進むしか手段がなく。言うこと聞かなくなった重い足を引きずって洞窟の闇の中へ進んだ。


(頼むから、入ってこないでくれよ・・・・)


ずるり、ずるりと砂に引きずる足跡を残しながら進む己の姿よ。ああなんとも哀れなことか。
手負いのガゼルが穴の奥までたどり着けばそこは物音が良く響く。外の戦いの音さえ中まで届き、入り口から唸る複数の追手の轟きがだんだん大きくなる。
まずい、このままでは・・・背後には壁しかなく逃げ場はもうない。
灯りをともして小さな崩れ穴など探していてはその灯に向かい一気に狙いを定められるだろう。

背中に岩の冷たさを感じるほど下がった時それは起きた。痛みで感覚が鈍っていた足が砂に飲み込まれていたのを気付いた時には遅く、意識が向くのを待っていたかのように流砂は瞬く間に俺の身体を飲み込んだ。





一瞬意識が飛んで、気が付けばただの闇。先ほど流砂に飲まれたかと思ったが気のせいだったかと立ち上がろうと床に手を付いた俺は飛び上がった。
水気を帯びたかのようなぬめる硬い皮膚。手に触れる感触は、昼間のそれらと違いない。
さよう、足元にはおびただしい数のアペプの群れが広がっていた。


思わず固まってしまう身体。喉が引きつり声を発することすらできなかった。暗がりに次第に慣れた目が輪郭をとらえていくもその数を数えようとも思わない。ふと、ひしめき合ったそれらが動こうともしないことに気がついた。


(死んでいる・・・の、か?)


バクバクと鼓動だけがうるさく、冷水をかけられたかのように冷えていく頭。
衝撃があったろうにピクリとも動かないそれらがようやく息絶えた骸であるとわかり呼吸を思い出すことが出来た。火の魔法を唱え周囲を照らせばそこは地獄。死んでいるとはいえ数百体におよぶアペプの子らの骸が山となり積みあがっているのを見て呆然とするしかない。上の洞窟の大きさなど比ではなく巨大な虚が先まで続いていた。
ニシキヘビほど成長したアペプからまだ生まれたばかりの小さな個体まで切り刻まれた跡があり飛び散った体液が虚の壁にもいくつも模様を描いている。


火の魔法を絶やさぬように立ち上がり、静かに虚の奥へと進む。
脚は相変わらず刺さるような痛みを持ち熱を持ち始めていた。落下した時にもしかしたら折れてしまったかもしれないと眉間にしわを寄せる。蓮人は緑を息吹くことは出来ても回復魔法は得意ではなく、城に戻ったら得意な魔法師に治しても貰わねばならないと思う。


虚の奥へ進むほど魔の瘴気が濃くなり、流石に呻き声を漏らした。
速くここからでなければ危険であるがどうにも意識がこの奥へ進みたがるのだ。
胸元の布を握りしめ、心臓の声を聴く。


(この奥に・・・・いる。わかる)



何度も何度もアペプの魔石と血を取り込んで生きている身体は、周囲の骸と化したアペプと同じ存在なのかもしれない。その骸の山の中に埋もれるそれを理解できたのは、融合のたびに何度も注がれたセペドのそれ。
強引な生命保持のための手段を、なるべく反発しないように血に交じり入れていたのだ。
だからわかる。嫌というほど身体に覚えさせられた彼の魔力の源がこの先にいるということを。


痛みに脂汗が流れ、骸を踏みつけながらその山をかき分ける。
骸と血溜まりに見慣れた黒髪が現れ、頬を撫で上げれば。冷え切ってはいたがまだある体温にようやっと震える両手がその身体を抱きしめたのだった。



(生きていた・・・・よかった。本当に)


周りの骸の山を見るに、きっと自分と同じようにして砂の下へ落ちこの量のアペプを退治し、体力も魔力も付き満身創痍で倒れていたのだろう。多少のケガは見受けられたが、しばしの静養をすればきっと大丈夫だ。


(セペドを連れ早くここを脱出をしなければ)


おそらくここは地下に元々水脈があった場所なのだろう。それがいつしか枯れ、巨大な虚となってそれが砂の中で暮らす魔物たちには絶好の巣となっていたわけだ。つまりこういった虚が王国の地の下にいくつも点在し、今この瞬間にもどこかで新しい魔物が生まれている可能性が高い。そんな末恐ろしさを感じながらさて飛び上がって抜け出せる高さではないこの虚を脱出するには、地の魔法を利用した方が良いだろう。

地の魔法を利用し、天を破る硬い根を生み出せば、その伸びあがる緑と共に地上へ戻れるだろう。
セペドが出られなかったのも、満身創痍ゆえ、魔法が使えなかったのだ。もう少し救助が遅れていれば衰弱死していたに違いない。
地の魔法を起こすにあたり、今は肉体と魔力を切り離す必要はない。ただ一般的な魔法として発現すればいいだけだ。生命力は使用しなくてもいい。俺は体内にある膨大な魔力を使いうねり、ねじり曲がる巨大な蔓を生み出した。



魔犬と化してしまったジャッカルの群れは、斬っても斬ってもきりがない。普通に相手をしていては消耗するばかりでいつ仲間を失うやもしれぬ。そう判断したディは魔力が枯渇した兵と、剣を折ってしまった手負いの兵を中心で守りつつ、まだ魔力に余裕がありそうな者に対し指示を出した。


「手負いや魔力が枯渇した者は下がれ!魔力の余力があるものは間隔を置き陣を展開!次で仕留める!」


四方八方を囲われて逆にそれが好機となった。ディは巨大な風魔法を展開し兵の周りと魔物の群れの外側に二重の風の壁を作り上げた。壁は一つの檻となり、その檻の下から地の魔法を得意とする兵が魔物を下から突き上げ吹き飛ばす。空中へなす術もなく飛ばされさらに風の壁に当たり回転しながら檻の中を飛ばされ続ける獣は、氷魔法を発現した兵の生み出した檻中に突き出した鋭い氷の刃がそれらを切り裂いていく。

風の壁にも床にも所狭しと突き出た冷たい刃は容赦なく。一匹も逃すことなく肉体をバラバラにし、全てが終わったころには役目を終えた氷が鈴の音を鳴らしながら砕け散りその場には、獣だったものの残骸が残された。


「協力感謝する。警戒は怠るな、まだ闇に潜み残りが居るやもしれん!見張りはそのまま。怪我をしたものは今のうちに手当てを!!!衛生兵を呼べ!!」


ようやっと落ち着きを取り戻し、剣についた血を振り払い鞘に納める。
乱れた前髪をかきあげ、蓮人を呼び戻そうと背後にある洞窟の上を振り返った。
だが想像していた彼の姿は見つからず、その群れの頭である巨体が喉を食い破ろうと低い唸り声上げ口を開けて飛び掛かって来る姿をとらえた時には、目を見開き時間がゆっくりと感じられた。咄嗟に剣を構えようにももう間に合わない。


(これは・・・・速すぎる・・・・)


次にやってくる喉に食い込む痛みと熱さを想像し覚悟するも、それは杞憂に終わる。
突如、足元から這い出てきた巨大な硬い蔓にそれは射貫かれ、鋭い爪を持った前脚は規則性を失い空をかいたあと力尽き仲間と同じ場所へ旅立っていた。



「これは・・・いったい」


「ディ!セペドが見つかった!」


「・・・・は?」


呆然と見つめる目の前の巨大な蔓の陰から姿を現したのは、なぜお前がそこにいるのだと問い詰めたい人物と、その人物に抱きかかえられ気を失っている血まみれの魔剣士の姿がそこにあった。斯くもこの魔剣士失踪事件は、味方の誰も失うこともなく帰途についたのだった。


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