死に急ぎ魔法使いと魔剣士の話

彼岸

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北の果てにいる孤独

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宰相宮を出て、部屋へ向かう城の廊下。

石造りの窓のふちに腰かけながらこちらに手を振るのは、第二部隊の隊長ディ・ラーディンである。


「よぉ蓮人、新しい緑化場所の依頼が出たのか?」


「ああ、久しぶりだねディ。最近城で見かけなかったから。忙しいの?」


「まぁ、ぼちぼちって感じかな?いつもどおりさ」


「蓮人。無視していい、こいつといると話が長くなる。」


「はは、相変わらず冷たいねこいつも・・・蓮人大丈夫か?胃に穴空いてない?」


ディは最近自分の部隊が忙しかったようで城にいても出会うことが無く、こうして会話するのは久しぶりである。自分たちも出たり入ったりしているような仕事をしているのですれ違っていたのかもしれないが。セペドは相変わらず仲が良いのか悪いのか、ディと久しぶりに会ったというのにこんな調子である。セペドは任務に絶対的に忠実で、性格も実直だ。ディも任務に忠実ではあるのだが、彼の性格は明るく懐にすぐ潜り込んでくる上手さもあり、部隊も変われば兵の毛色も随分違う。

「ディは今休憩なのか?」


「いや?これから俺も出かけるのさ。蓮人の護衛もしたいところだけどな。その後ろの護衛様が凄い顔してるだろ?」


「セペド、顔怖いよ?」


早く立ち去りたくて仕方がないと言った顔でディを睨んでいる。
決して犬猿の仲というわけではないのだろうが、すぐ冗談を言ったりいたずらをしたりして人を弄ぶ癖があるディが苦手なのだろう。多分普段からも揶揄ったりされているんだろうな。


「その性格でよく部下がついてくるもんだ。第二部隊員に同情する」


「そうかなぁ?こっちはやることさえきちんとやれば割と自由にしているから生き生きしていると思うけどな。そっちのお堅い隊長がいる方が常に息苦しそうで部下が可哀そうだと思うけど?それに任務に忠実故に目が節穴になるとは国一番の魔剣士も大したことないな」


「っ・・・・」


板挟みにして睨み合わないでくれと言いたい。
段々険悪になっていくのにどうしてこの空気を和らげる存在が自分しかいないのだ。こういう時こそ文官や侍女か誰かが通りすがってほしい。



「・・・それよりもディ、は・・・知っていたのか?その」



「王のこと?知っていたさ。」


煽る台詞に不確かなことを聴いてみたが、やはりディは既に知っていた。
知らされていたわけではないだろう。ディが知っているならばセペドも当然知っているはずである。



「どうして知ったの?」



「別に?常に疑いの目を持っていれば自然と分かるものさ。いつ誰が敵になってもおかしくないように。最終的に自分の身や仲間を守るためには自分で情報を手に入れるしかないだろう?」



「・・・・・」


暗に答える気はないようだ。
こうしてひょうきんな表情から時折垣間見える彼の優秀さはどこまでが仮面で、本当の彼なのか分からなくなってしまうことがある。そうした実力が今の地位なのだろう。


「はぁ、そろそろ行くぞ蓮人」


「あ、うん」


「気をつけてな~」


「言われるまでもない。ああ、そうだディ」


「なんだ?」


「お前が昨日の夜来賓用のワイン盗んだこと、宰相に言っておいたからな」


「は?!内緒って言っただろ!!お前も飲んだじゃん!」


「知らんな。俺は”お前から貰った”酒を飲んだだけだ」


廊下に響き渡るディの叫びを背中に受けながら俺たちは部屋に戻ったのだった。




ルムア地。
足を踏み入れてはならぬ場所。
その禁を破りしもの、神の怒りに触れるなり。



「発端は、民が広めた噂話だ。」


セペドが口を開く。セペドと蓮人は二人その地に向かい足を踏み入れる少し前の砂漠を歩いていた。
今回向かう場所は少々特殊な地でありもとより村も街もそこにはない。
気候が一年中安定しているペルメル王国。けれどルムア地に足を踏み入れると世界が変わる。
この地は一気に温度が低下し、昼夜関係なく常に温度が氷点下まで下がるのだ。
何か遮っている森があるわけで無し、原因も不明。砂漠化した今もそれは変わらない。
お陰で人々はそこを避け、長年放置されている地なのだ。北側の果てに近い場所なので国としても支障はない。

「神の怒りに触れるっていうのは?」


ただ、寒い場所で住みづらいってだけではないだろう。
蓮人はその疑問を口にした。


「人間が近寄りづらい場所には魔物も自然と集まらん。だが、魔物の中でもその場所を好んで住む奴らもいてな。迷い込んだ人間を襲ってしまうことが度々あった。命からがら逃げた人間が魔物を見て混乱したんだろう。大げさに状況を説明した結果、いつの間にかその地に足を踏み入れると神の怒りに触れ命を落とすとなったんだそうだ。国としては北の地にいる街も村もない場所の魔物討伐なんぞわざわざする意味も無し。民の噂を利用してそのまま禁足地にしているのさ。」


「へー」


つまり、何だかよく分からないが寒い不思議な場所があって、そこには魔物も住んでいて危険だから近寄らないようにしていたというわけだ。今回、俺が緑化をするにあたり国中を歩いているのでせっかくなのでそこの地の地質調査とついでに連れていく国一番の魔剣士に魔物がいたら退治してこいというわけだ。


「それで?どんな魔物が住んでいるの?アペプ?」


「いや、アペプは常に地中を泳いで移動するから一か所には長期間留まらん。怪我をしていたり、子を産むときに虚を探してしばらく居座ることはあるが、いても子育てしている間の期間だ。俺もあくまで噂でしか聴いたことが無いからな。どんな魔物がいるかは知らん。」


「そう。」



そうして歩きづらい砂漠を二人で超えていく。
人間の行き来が多い道は自然と踏み込まれ歩きやすくなっていくものだが、ルムア地へと向かう道は人間がほとんど立ち入らない場所。よって数年単位で風に巻き上げられた砂の山がより巨大になっていく。
最早向こう側の景色が見えないほどに高い砂丘は、100m~300mもありちょっとした建造物のようになる。おかげで一つの砂丘を超えるのも一苦労。靴の中に砂が入るのも気にすることは随分前に辞めた。
干上がった枯れ木が点々と山に刺さっているのを横目で見る。うねったその細い枝は手招きをする老婆のしわだらけの腕のようであった。
一つの山を越えればまた一つ山が姿を現す。四方八方を砂の山に見下ろされ、一歩間違えれば永久に出られない迷宮に落とされたと錯覚を落としてしまう。そうして何とか目的の地へたどり着く頃には青い空がいつの間にか雲が覆い、太陽は分厚い雲の中に姿を隠した。




「この地はいつも空が雲の覆われていて太陽の日が直接差さないんだ。」


「あ、そうなんだ。それも不思議だね。」


その場所は話に聞いていたとおり温度が低く、巨大な岩がゴロゴロある岩の谷であった。常に風が音を立てて鳴り、砂も太陽が差していないせいなのか赤い砂漠ではなく海辺の砂浜のごとく白っぽい。崖と崖の間を吹き抜ける風が魔物の叫び声なのか、はたまた別の遠吠えであるのかわからぬがオオオオン、オオオオンと不気味な高い音を立てている。本来日差しを避けるための衣も防寒着として役割を変えざるを得ない。せめて太陽の光があれば大分マシであろうにと思う。

片膝をついて足元の砂を触る。ひんやりとしていてここだけ夜の砂漠のようになったかのようだ。
ほんの少し砂を口に含んでもどこにでもあるただの乾いた砂の味である。すぐに砂を吐き出して飲み水で口を洗う。


「湿っているわけじゃないんだ」


「どういう意味だ?」


「いや、湿っているならこの土地の下にもしかしたら大きな水脈があって、地上の砂を介して温度が冷たくなっているのかと思ったんだけど、そういうわけでも無いみたい。水が地表にたくさん出て蒸発すると塩だけが残るから砂の白っぽさも塩かなって思ったけど違うみたいだからこの地独特の砂の色なのかな・・・もっと深く掘ればまた違う答えが出るだろうけど・・・」


「もう少し奥も調査してみるか・・・」


眉間にしわを寄せて崖と崖の間の砂道を進んでいくセペド。
セペドこういうこと苦手そうだもんね。敵を見つけたらひたすら倒す方が性に合っているようだ。
頭の隅でなぜかディが笑顔でセペドは脳みそまで筋肉って言っていたことを思い出したがすぐに打ち消した。
太陽の光が少ない土地で水分が蒸発しやすいというわけでもない。ひとまず自分自身も研究者じゃないので、持ってきた小さなガラスの小瓶に砂を少しだけ詰めた。あとで城に帰ったら得意な人に研究してもらおう。


小走りで先を歩いていたセペドを追いかけて、崖の間を走り降りていく。
静かな世界の中でただ風の音だけが俺たちの足音を聴いている。
崖の間は少々下り坂になっていて、進めば進むほど谷の底へ向かっているように錯覚する。細かい砂と斜面でうっかりバランスを崩せば尻をついてしまうほどだ。


風はどこから生まれどこで消えるのか、それは分からない。
冷たく冷やされたそれが谷の奥から二人の頬や髪を撫でて去っていく。
そんな瞬間風の音でかき消された人間とは別の足音に反応したのはセペドである。
後ろからついてきた俺の方へいきなり振り向くと蓮人の胸倉を掴みすぐさま自分の後ろへぶん投げた。咄嗟のことにひんやりとした砂に肩を飲み込まれるようにして受け身を取って顔を上げた時には、剣を抜いていたセペドは何者かによって吹き飛ばされていた。


「セペド!!?」


「ぐっ・・・・ぅ!!」


鈍い大きな音を立て崖に背中を強打するも、何とか意識を失うことなく持ちこたえていた。
見上げ、その何者かの存在を捉えたとき思わず息をのんだ。



真っ白い銀に輝く毛。
青い瞳。
馬よりも遥かに巨大な身体。
頭から生える角はまるで宝石の樹の如し。


思わず美しいと思ってしまった。
白い砂の大地に降り立ったその魔物は、大きな雄鹿のような見た目であった。
通常の鹿よりも遥かに巨大な姿で魔物であることは言うまでもないが、その見た目の美しさは確かに混乱した人間はこの地に住まう神と誤解しても仕方がない。

この草木の一本もない白い大地の果てでその存在はこちらを見下ろしていた。
上体を起こし、セペドを視界の端で確認するが彼は大きな怪我もなく何とか大丈夫そうである。

彼が咄嗟に自分を投げ飛ばしてくれなければ、姿を認識する前にあの大きな角にくし刺しとなっていたのだろう。そう思うとじわじわと恐怖が生まれてくる。


「はっ、こちらの方が単純で分かりやすくていい。ただ倒せばいいだけだからな。だが・・・まさかハックウェフダーだったとは。見るのは数年ぶりだ。」



「ハックウェフダー?」



「こいつは、縄張りにさえ飛び込まなければ基本人間を襲わない。だが見た目の美しさや角に生ってる青い実がまたいい薬の材料になるんでな。肉も毛皮も角さえ余すことなく使える。だから昔から人間に狩られまくった。角と素早い脚の攻撃さえ封じてしまえばあとは囲んでしまえばいいからな・・・」


その宝石の如く煌めいている枝分かれした角には確かに小ぶりの林檎ほどの青い実がいくつか生っていた。
その実も角も毛皮さえもこれだけ美しい獣であれば、いくらでも利用価値はあるだろう。そうして生存する場所を失い、次第に人が寄り付かなったこの場所に住むようになったのだろうか。


セペドが剣を炎の魔法で纏い、構えなおす。
殺気に威嚇を放つも、ハックウェフダーはこちらを見下ろしている。
そうしてこちらにゆっくりとその青い両の目を逸らすことなく脚を動かしてきた。


「行かせるか!」


セペドのその一撃は当たれば大抵の凶暴な魔物であればひとたまりもない。
だがこのハックウェフダーは恐ろしく速く、背後から斬りつけたはずの切っ先を簡単に避けてしまった。
この魔物の特徴はその俊敏性にある。本来狩る際には、複数人で魔法を使いながら囲んでじわじわと退路を断つ必要がある。辛うじて岩壁は両側にあれど、ただ足場の悪い砂の坂しかないこの場所で一人での討伐は無謀に等しい。


「ちっ・・・・!!蓮人!どこか狭い横穴があれば入れ!!」



「無いの見ればわかるだろう!くっそ、何か・・・・っ」



それはもう一瞬であった。
つい先ほどセペドの剣が届く範囲にいた魔物は、一蹴りで蓮人の目の前に降り立っていた。その獣の大きな瞳は自分とその背後にある景色まで映すほど澄んでいる。死んだと思った。その鋭利な角の先に差し抜かれあっけなく。攻撃魔法を放つ暇もない。角をこちらに向けて頭を近づけてきた魔物の動きがゆっくりと感じられた。



「蓮人!!」


ああ、セペド。ものすごい剣幕で走ってくるのが見える。
でも待ってほしい。自分も状況が追い付かないでいるのだ。



「えっ・・・・・・」


その獣はその大きな顔を俺の胸元に擦りつけるようにしてきた。
攻撃性の感じられないその姿。自分と魔物の境が無くなるほどぴったりと頬や頭を擦り小さな鳴き声を上げている。
その声はどこか切ない音を奏でていた。


「セペド、待って!」


「何故だ!!」


それを好機と振り下ろす剣を静止してセペドが戸惑いの声を上げた。
蓮人は震える手で、ゆっくりとその頭から首筋へと手を延ばす。
噛みつかずされるがまま。むしろさらに撫でてくれと身体を押し付けてくるほどに。


「お前・・・・・」


その柔らかな銀色の毛は雪の結晶のように煌めいて、冷たい見た目とは裏腹に命の温かさを掌に感じた。



「セペド。多分大丈夫だ。こちらが攻撃しなければもう何もしない。」


「あり得ない。魔物が人に懐くなど・・・・・」


「懐くとは違う・・・これはきっと」


懐かしさを感じているのだ。仲間の気配を。
この魔物は恐らく一頭だ。ずっとずっと一頭で生きてきたのだろう。だからこそ俺から感じる仲間の気配に懐かしみを感じて鳴いているのだ。だから近づいた。人間から感じる不思議な仲間の気配を確かめたくて。


「俺の中に、お前の仲間もいるんだな・・・」



「どういうことだ?」



「以前も似たようなことがあったんだ。アディードファウダーに襲われた時、奴らは俺を殺そうとしなかったんだ。体内にある俺から感じる仲間の気配を求めて侵入した。きっとこいつの仲間の魔石も融合しちゃってて、俺からその気配を感じ取ったんだと思う。だから殺さないんだ。仲間と同じ気配がするから」


「ちょっと待て。アディードファウダーに侵入されたって話は聞いてない」


「言ってないからね。だってセペドそのあと意識失っちゃって話すタイミング無かったし」


「・・・・・」


なんでそんな睨むのだ。きちんと言ったじゃないか今。
なぜそこで頭抱え唸るのだ。彼の行動はたまに理解しがたい。
そうしていつまでも離してくれないこの魔物をどうしようかと頭を切り替えた。今すぐの脅威はなくなったものの、魔物は魔物なのだ。
ゆっくりと離れようとしても距離を詰められてまた頭を押し付けられる。途方に暮れた。


「うーん、離れないなぁ」


「殺した方が早いだろ」


「でも敵意が無いのを殺すのは気が引ける。・・・攻撃してこないのは安心したけどちょっとだけ離れてほしいなぁ」


すると、軽く短い声を上げてハックウェフダーは脚を折り、その場に座り込んだ。まるで自分の言葉を理解してくれたかのようだ。


「随分大人しくなったね・・・魔物が言葉を理解することってあるのかな?」


「高位の魔物であればもしかしたら理解することはあるかもしれん。だが基本的に敵だから会話を試みたこともないな。頭が良ければ何を言いたいか勘で分かる可能性もあるかもな。たまに攻撃の予測を読む魔物もいる」


「じゃあ、お前も頭がいいんだな・・・」


変わらず、俺の言葉に耳を傾けて短く鳴いたりするのを見ると何となくでも言葉を理解はしてくれているように感じた。耳の後ろあたりを撫でるとふわふわな毛が暖かい。蓮人の掌に頬を寄せて気持ちよさそうに目を閉じる姿は恐ろしい魔物であるということをつい忘れてしまいそうになる。だが、セペドが一歩近づくと低い唸り声を上げて威嚇するのでやはり魔物なのは間違いがない。
怪我の功名ではないが、人体実験によって身体にたくさんの魔物の魔石を融合させられたおかげで自分は二度も命拾いをしている。全く何が人生を変えるか分からない。


「魔物は恐らくこいつ一頭だけかな?」


「そのようだな。もう少し奥は見てくるが、そうしたらどこかで一晩寝れる場所を探すか。日も陰ってきている。」


「こいつどうしようか?」


「・・・お前にくっついているな」


さらに谷の奥へ調査しに進もうと歩きだせば、魔物はついてきた。蓮人の後ろにぴったりくっつきどうにも離れようとしない。悠然と歩くその白銀色の獣は堂々として実に美しい。


「ねぇ、セペド」


「駄目だ」


「まだ何も言っていないけど」


「連れていきたいってのは無しだ。こいつがいくら大人しそうに見えても魔物だ。そして狩りつくされて数十年も確認されていなかったハックウェフダー。そんな魔物を人間のいる場所に連れて行ってみろ。あっという間に殺されるが落ちだ。」


「それはそうだけど、ここにいたっていつか人間に殺されるかもしれない。それなら俺らの傍だろうが変わらなくない?それに勝手についてくるならこいつの意志なわけだし」


「・・・そもそも勝手についてきたとして瘴気はどうする。瘴気を微量にしか出していないように見えるが魔物は大なり小なり瘴気を纏う。瘴気の傍に常にいればお前だって危険なんだ。招き人だからって絶対大丈夫だなんて保証は無い。」


そうか、瘴気の問題があった。
魔物は常に瘴気を纏い、その瘴気を大量に浴びれば人間も動物も等しく魔に変化する。
聖女が使う強力な浄化魔法であれば元に戻ることもあるが、人間でセペドのように常に血と瘴気を浴び続けた結果、浄化も効かぬほど瘴気に汚染されても未だに理性を保ち魔物に変化していない例は少ない。

己が浄化に特化した魔法使いであったならこの魔物もセペドも浄化して救うことが出来たはずだが、蓮人は浄化魔法が得意ではない。ただ出来るのは生命力を移行し、地を息吹かせることなのだ。


(あれ?待てよ・・・)


試したことがないだけで、俺は自分自身だけでなく他人の生命力され弄ることが出来てしまった。
それは己がどんどん”普通の人間”から外れてしまうことを恐れていただけで、今までやらなかっただけだ。
では浄化は出来ずともこれは出来るのではないだろうか?


目の前にあるふさふさの白い毛。掌を当てて生命の温かさを感じる。
自分を見下ろす大きな獣は大人しくしている。いい子だ。じっとしていてほしい。
身体を纏うその仄暗い瘴気を感じる。それを掴み纏め上げるイメージを脳内で行うとハックウェフダーの身体の周りを漂う瘴気が掌に集まってくる。それを魔石と同じようにして己の身体に融合させた。


「っ・・・・!がはっ・・・・ぁ、あ」


その瞬間、生命力とも違う。
魔石とも違う。
苦痛しかないただ、ナイフで内側からズタズタに刺される感覚。

咄嗟にしゃがみ込んでそれを耐える。
目を見開いて息を吐こうにも、つっかえて短く途切れ途切れにしか吐くことが出来ない。
耳の奥でセペドの声が聞こえる。頭がガンガン鳴り響き痛みが心臓を叩く。
胸元を握りしめ肉に爪が食い込む痛みすら感じない。
脳を直接触られてかき回されているように気持ちが悪い。耐え切れず暴れだす存在を吐き出すように咳き込んで出てきたのは大量の己の血。
抑え込むことすらできず手の端から零れ落ちる鮮血は、許容範囲を超えた証。
臓器を蝕み、肺を引き裂いているのだ。

魔石を取り込む時ですら時間をかけてゆっくり体内に融合しなければ、圧迫感を生み苦しくセペドの身体を掻き毟った最初の融合を思い出す。否、比べ物にならない。
取り込んだのは、生命を蝕む瘴気。言わば毒。それを圧縮し一気に取り込んだと同じである。
脂汗が流れ、背中を撫でているのがセペドの大きな掌だと感じた瞬間に、心臓を突き破られるほどの大きな痛みが再度起き、蓮人は意識を闇へと手放した。




目の前で大量の血を吐いて蓮人が倒れた時には頭が真っ白となった。
急いで声をかけるも意識はなく。


「くそっ・・・!」


少しでも風が避けられる洞穴を探そうにもここはごつごつとした岩の崖が両側にそびえたつ岩と砂の谷である。気温が低く、太陽もまともに当たらない。だからこそ作物もまともに育てることもできず、死に近い谷なのだ。このままでは・・・。


グググ・・・・


蓮人ではない俺に威嚇をしていたハックウェフダーは、低く鳴いた。
威嚇は相変わらずしているようだが、自分の腕の中で意識を失っている蓮人が気になって仕方がないようだ。立ち上がりうろうろと俺の周りを歩き、しきりに蓮人の顔を覗き込んでいる。
蓮人を同じ仲間のように心配し接する姿は不思議な光景である。ハックウェフダーは本来警戒心が高く人間にここまで好意的ではない。
蓮人の体内に大量に埋め込まれたというその魔石の中にハックウェフダーの魔石もあったのではと言う、その仲間の気配からこいつは攻撃してこないのだと。
ならば、一か八かだ。



「お前の仲間が死にそうなんだ。どこか風よけになる場所を知っているか?ここでは寒すぎる。こいつが死んでしまう」


ググ、・・・ューン


その大きな頭を下げ膝を折る。


「乗れってか?本当に言葉を理解しているとは・・・・・」


セペドは目を丸くした。今迄の人生の中、殺すことは何度もあれど対話したことなどない。
魔物は人を襲い時には喰らう。脅威という認識でしかないのだ。今もそれは変わりない。
けれどこうして言葉を理解し歩み寄られると、戸惑いの感情が浮かんでしまう。


(今はそれどころじゃないか・・・・)


余計なことは考えまい。とにかく今は安全な場所へ蓮人を運ばなければと迷うことなく魔物の背に乗った。
意識を失った蓮人を抱え落ちぬようにしっかりと抱きしめながらハックウェフダーの長い毛の部分をうまく掴む。
白銀の毛。肌ざわりは滑らかでこの毛皮は貴族の家の絨毯や衣服に大変に重宝された。数が激減してからも希少な高級品としていまだに市場には出回る。つまり少数ながらにも狩られるほどには存在している証ではあったが、野生で見かけるのは最近ではほとんど無くなっていた。
立ち上がる高さは馬の背より遥かに高く、広い背は成人の男二人を乗せてもなお広い。
難なく崖を飛び越える姿。悲し気な鳴き声を上げる強風の中を走り抜け、人間の足や馬では超えることのできない尖った崖さえ軽々と一瞬で駆けていく。長らく捕まらなかっただけはある。神速の脚がたどり着いた場所はルムア地の崖の果て。崖の中間に崩れ落ちた穴がちょうどよい大きさでそこに俺たちを案内したのだ。壁にぽっかりと開いた穴。確かにここは決して人が来ることも間違って迷い込むことのない場所だ。来ようものならば絶壁の崖を命を懸けて何日もかけて登らなければたどり着くことができない高さなのだ。

穴の中で背から降ろしてもらい、強風の当たらぬ場所に荷物を置いて魔法で火を焚いた。
大量に血を吐いてしまった蓮人の顔は真っ青で、息も絶え絶えだ。
火の傍で抱えなおし体温を失わないようにして俺は回復魔法をかけた。

セペド自身も蓮人と同じく回復魔法は得意ではない。だが知識としてはあった。
子供だましのレベルしか使えなくとも少しでも呼吸が落ち着くならばとかけているまじない程度のもの。
万が一怪我した際などのために治療器具や薬も多少は持ち歩いてはいるが、これはそういうもので治るものではない。


「がはっ・・・、は、ぁ・・・はぁ」


また血を吐き、呼吸がか細く酸素をうまく取り込めていないようだ。
肺が破れているのかもしれない。口を塞ぎ回復魔法の息吹を吸わせた。周囲に漂う小さな黄金の光はやはり弱く回復としては微弱な力だ。こればかりはどんなに訓練しても向き不向きであって使えれば怪我をしても自己治癒できるうえ、蓮人を守ることにも繋がるからと陰ながら練習はしたのだが未だにこれ以上の力が使えない。時間をかけてやっと指先の切り傷を治せる程度のものだ。一気に治してやれないのがもどかしい。せめて血を吐かない程度に臓器の傷を塞いでやれればあとは早急に城に戻って治してもらえばいい。今の状態では灼熱の砂漠を超えることは到底無理だ。


「お前はなんでいつもそうなんだ・・・・・」


蓮人の行動をセペドは理解できず眉間にしわを寄せた。
どうしてこの青年は一人で行動し、一人で抱え込んでしまうのだろう。
死にたいわけじゃないと。でも彼の行動はいつだって死に急ぎすぎている。生への執着が低いのだ。
ほおっておけば簡単に差し上げてしまう自分の命を。彼は先ほど何をしたのか?それは起きて聞いてみないと分からない。
自分の気持ちを打ち明けても、彼はいまだに相談して行動してくれることが少ない。


(そんなに頼りないか、俺は)


吐血する蓮人を見た俺の気持ちなど、お前は気にもしないのだろうか。
また彼に傷を負わせてしまったことの歯がゆさ。
己を頼ってくれない怒りと悲しさ。そして寂しさ。


もっと強くなれば単純に彼を守れると思っていた。
だからアペプの血や瘴気によって己が魔に近いものになってしまったと理解した時、ああ少しは役に立てるだろうかと思ったのだ。いつの間にか人間離れした力が使えるようになっていることも嬉しくて。


(けれど、それだけでは足りない・・・)


この命すべて賭してでもお前を守りたいと願うのに、その相手はするりと両の手から砂のように零れ落ちてしまうのだ。捕まえようと手を延ばせばその空気の流れでさらに飛んで行ってしまう花の種のように捕らえておくことが難しい。近づこうとすれば近づくほど彼は見えなくなっていってしまうのだ。


「お前にとって俺はどんな存在だ・・・?」


今はまだ求めないと言ったのに、零れ落ちた言葉の欠片は意識を失っている者に届くことなく地面に落ち染み込んでいく。彼に対する自分がこんなにも無力に感じる。
それからはただ黙って早く目を覚ますことを祈り、息の絶え絶えの彼の口の中へ光の息吹を流し続けた。
ハックウェフダーは、焚火の近くで身体を寝かせ、今はただ静かに腹を波のようにうならせているだけであった。
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