死に急ぎ魔法使いと魔剣士の話

彼岸

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髑髏岩

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砂漠を超える最中、俺たちはとある物を見つけて足を止めた。
ちょうどこの地点は商人たちもよく通る行路にあたる部分で小休憩場所としてもよく利用される。といっても何か休める場所があるわけでも日陰になる建物が建てられているわけでも無い。わかりやすい目印があるということだ。
砂漠にそびえ立つのは大きなサボテンだ。砂漠化が進んでも逆に砂漠に適応しようと必死で生態系を変えたり生き残るように進化する植物たちには本当に驚く。
いつからかこの場所に生えているこのサボテンは丸く大きな団扇のような形をしている。その団扇の先には丸く太った巨人の指のように実が生りそれを休憩がてら食べるのだ。棘があり素手では怪我をするため皮の手袋を持っているとなおいい。
熟しているものは黄色みがかった色へ変化するため食べ時が分かりやすい。俺たちも数個必要な分をナイフで切り取った。ナイフで周りの棘を簡単に切り落とし、若干青みがかったものは後日食べる用の食料の補充として貰っていく。
握り拳ほどの実の皮をむけば中も艶やかな山吹色。
一口、口に含めば砂漠で生きる植物だけに中は瑞々しく、酸味と甘みを感じることが出来る。暑さで疲れた身体には栄養価もあり、水分も補ることが出来るありがたい食べ物だ。柔らかさはマンゴーや少々熟れてきた柿のようなものである。少々果肉より種が多く、あちらこちらから出てくるので最初種を取ろうと奮闘したが諦めて種ごと食べて飲み込んだ。致し方なし。
ナキは俺たちの少し離れた場所で自ら首を延ばして棘のある実をものともせずしゃくしゃくと噛り付いていた。


俺は体調がある程度戻り次第早々に城を発った。
いくつかの情報を知る人物から聞き出したり、図書館で古い資料を探したりもした。これと言った明確に答えを見つけることが出来ず、半ばあてずっぽうのような旅立ちと言える。現在向かっているのは南側ハキーカ地方という場所だ。この場所は主要な町や村も多く気候も温かいので人が住む分にも作物を育てるのもかなり適した場所である。砂漠化は進んでいたとしても人が多く集まるこの南側の地域では土を耕す人に困ることもない。国全体的に作物を育てるのが難しいとは言っても暮らしていけるには十分な量の作物が取れている場所と言える。それは貧しい地域の人を呼び。さらに人が集まり豊かな町が作られていく。だが、目指す場所はその町の中ではない。町や村を超えたさらに奥の奥。人気が無い奥地まで進めば地面は耕されることもなく硬くゴロゴロとした岩の谷となっていくのだ。その岩の谷に呪いを解くカギがあるのだと俺たちは進んでいる。
というのも旅立つ前に城の中で情報収集をしていた際、王族の末裔を密かに任務で探していた第二部隊隊長であるディ・ラーディンをセペドは呼び出していた。
相変わらず人当たりの良い笑顔、顔のよさと人の懐に簡単に入り込む砕けた性格は改めて裏の任務も兼ねているからだとよくわかる。実際のディは冷酷な時もあり、残忍な任務もこなしているのだろうと思うと彼の心内は読めないものである。
セペドは彼の任務も知っていたので相変わらず対応は冷たいながらも、長年の気の許せる同僚の一人として情報を聴いていた。


「ハキーカ地方の・・・・あの奥地出身の兵が確か新兵にいただろ?あれはどの部隊の人間かお前は知っているか?」


「ああ、珍しいとこから来たもんだなぁって俺も記憶に新しいよ。確かあれは・・・・・なんだ?そいつに何か聞きたいことがあるのか?」


「あの地方の奥地にはもうほぼ村民は住んでいないはずだ。しかもあの場所は過去の大戦の・・・名残もあって最早誰も近づかん。情報が逆に少なすぎるんだ・・・・。」


「それなら呼び出しといてやるよ。このあとすぐでいいか?なら部屋で待ってろよ」



そうしてディと別れ、俺たちが部屋で荷造りをしながら待っていると一人の新兵が入ってきた。俺は初めて見る顔であったが、セペドは会ったことがあるようであった。彼がノックして入ってくると同時に面食らった顔をしていた。

「お前・・・・・あの奥地出身だったのか」


「は、はい。お恥ずかしながら辺鄙な場所出身であります。」


「セペドの部下?」


「いや、別部隊の・・・・・第四部隊に配属になったばかりの新兵だ。お前が拉致された晩に見張りをしていてな」


「改めてご挨拶申し上げます。ペルメル王国第四部隊に配属されておりますナシート・バウワーブと申します。」


「そうなんだ。直接話すのは初めてだね。知っているとは思うけど僕は水樹蓮人。今回少々外でいろいろ調べ物をするのにあたり教えていただきたいことがあって貴方を呼んだ次第です。」


「自分の情報でよければ・・・そしてまずは先日、水樹様の御身を守れなかったこと改めて謝罪いたします。」


そういって深々とその場で腰を折るナシート。以前自分自身が地下の住民たちに誤解され拉致されてしまった際に警備をしていたということは他に警備していた者と共に相当な罰を後々受けたであろう。城に侵入を許してしまったこと然り、自分は怒ってはいないが一歩間違えてしまえば王侯貴族に危害が及んでいたかもしれない。そうであったならば生温い処罰では収まらなかったであろう。城の警備の手薄は国すら揺るがすこともある。彼の首一個だけでは足りぬ。特殊な攻撃だったとはいえやはり気にするななんて軽い言葉では片づけられぬのだ。そのため俺はひとまず少ししてから彼に頭を上げてほしいと手で合図をする程度に留める他ならなかった。


「では、質問してもいいかな?ナシートさん」


「いえ、お気軽にナシィとでも呼んでいただければと思います。同期は皆そう呼ぶので。」


「ではナシィ、君の出身地のことなんだけど知っていることがあれば教えてほしいんだ。何分その村に住んでいる人が現在ほぼいないから情報が少なくてね」


「そうですか。と言っても本当に岩だらけの乾いた土地でして・・・お役に立てるかどうか。俺が住んでいたその場所は元々岩を抉ったような深い谷と砂しかほとんどない場所です。その為過去大戦時により前から住んでいた人間以外わざわざ移り住もうとする民はおりません。土地を離れたくない年配の者達が減りその地に住んでいた若者は自分のように故郷を離れ外へ出ることも多いのです。作物を育てるには厳しく、水源関係も整っていない。わざわざ遠くの町に必要な食材を買い出しに行く手間がある。王国の砂漠化が進む前から砂と岩の地であったと聞いてはおりますが本当にそれくらいです。」

ナシィは申し訳なさそうに頭を掻きながら自分の問いにそう答えた。
これは俺とセペドも知っているほとんどその地に対する全ての情報である。何もない場所と言うだけのことではある。

「では、その地で聴いている伝承や危険な場所はあったりする?」


「伝承と危険な場所・・・ですか?」


「何でもいい。情報はあるだけいいんだ。」


「そうですか・・・うーん。俺が爺さんから聞いた話は過去の大戦の話とかばかりですし、祖母は無口でしたから。」


腕を組みながら唸る彼に立ち続けてもらうのも忍びないのでひとまず彼には空いている席に座ってもらい、俺は紅茶とナッツ入りのクッキーを用意した。砕いたナッツが贅沢に使われていて真ん中にドライフルーツがポンと一つ乗っている。日持ちする食料としても持ち運びしやすいので大量に作ってもらった物の一つだ。
ナシィはそれを一つ口に放り込み腕を組みながらもごもごしていると、ピタリと動きを止め紅茶を一口飲み込んでからこう切り出した。

「・・・過去の戦争跡地である地面にいくつか空いた大きな穴。当時は遠くにいる者達の地ですら揺れるほどの攻撃だったそうです。どんな攻撃があったかは敵も味方も戦死してしまったのでわかりませんが、禁忌の魔法が使われたのではと聴いております。」


「そうだね。それも歴史書どおりだ。」
そして、ガイルに聞いた話とも一致する。


「魔物の攻撃であったなら魔物自身は無事ですが、その場所はただ地が抉れた状態のままだったと。どんなに時が経てども砂が風で舞おうともその抉れた穴はずぅーっと当時のままなんです。」


「ずっと?」


「はい、ずぅーっと」


また彼は一口クッキーを口に放りこみ、両手を広げていかにその跡地が大きい場所であるかと示している。
セペドに聴いても、彼も初耳だと答える。


「そもそもその地に国の兵が派遣することがほとんどない。興味すらない者も多いだろう。語れる者は死に、子孫がわざわざ語り手となるか、それ以外では地下の住人以外いなかったわけだからな。国の歴史書も大戦の詳細は記されどそ跡地のその後には触れてはおらん。」


「あ、別に瘴気を発しているというわけではないんですよ。ただ少しひんやりとしてずぅーっと抉れた深い穴のままなだけで。変な場所と言えばその大戦後以降勿論住民はもっと安全な場所に移り住んだものも多く、逆に流れ者・・・世間的に身を隠さねばならない者達にとっては絶好の隠れ家ともなりました。なので、自分たちも幼い頃から魔物の多く表れる場所や危険そうな場所には近づくなとよく言われたものです。よく登って遊んでいた大岩なんてあそこには悪魔のような魔法使いがいるぞ!穴のようになりたくなければ近づくなって感じで・・・」


「魔法使い・・・?」


「あぁ、いや多分子供を近づかせないための大人たちの方便だとは思いますが、岩谷の奥に進むと髑髏のような空洞になっている面白い大岩がありまして、当時は幼い子供たちの遊び場にもなっていたようなんです。ですが祖父たちが子供の頃にはすでに浮浪者なのか、犯罪者なのか変な者が移り住んでそこを住処にしてしまったそうで、それ以降危ないから近づいてはならないというのが語り草になったんだそうです。まぁ、でも中にこそ入りはしませんでしたが、俺らもよく髑髏岩の外壁をこっそり登るくらいはしていましたが・・・」


「セペド・・・」


「ああ、調べてみる価値はありそうだ」



髑髏岩の中に住む魔法使いと言われる怪しい人影。この情報だけでも十分収穫であった。
そうして現在セペドと俺はその場所を目指しているというわけだ。
まるで蜃気楼のように不確かな情報しかない中、ただ歩く。乾いた砂の一粒一粒は軽く簡単に飛ばされてしまうのに、踏みしめるそれはこんなにも重い。
緊急の時に動けないと困るので、ナキには適度に休憩してもらいながら俺たちも自分たちの脚で歩く。
もう何回目になる大きな砂丘を超える旅。数度あった旅の理由はそれぞれ違えども赤い大地は肌と目を焼いた。目は乾き、時折風に飛ばされた細かな砂の粒が目に入って視界を奪う。涙を流す水すら惜しい旅で視界がボヤつくのは勘弁してほしい。
疲労も蓄積し、自分自身が様々な事件が立て続けにあったのもあってどうにも歩みが遅くなりがちだ。砂に沈んだ脚を持ち上げるのに体力を奪われ口数も減っていく。喉は乾き口に入った砂は時折吐き出した。


その時より一層巨大な風が襲い、蓮人の視界はついに駄目になった。
細かい砂が両目に入ってしまい、鼻や口で吸いこんだ砂もまた喉まで侵入し咳き込み涙目でどうすることもできない。
セペドの声だけは聴こえている。彼は砂漠化が進むこの国で生まれ育ったために体質ともいうべきか、慣れなのかこの程度の風などなんともない。ナキはそもそも魔物でありやはり砂漠慣れしているので、不慣れで脚を止めてばかりなのは俺だけだ。両目が異物感によって自然と大量の涙を流すものの、細かい粒は落ちて行ってくれない。


「擦るな。見せてみろ」


腕を掴んできたセペドが俺の頬を掴んで上を向かせて確認している。
涙はあいかわらず滝のように流れ、眼球は異物感でゴロゴロとしていてどうしようもなく、ここは素直に水を被ってみた方がいいかと提案しかけた時であった。生温い柔らかなもので目蓋の上を撫でられている。粘着性を帯びた音をわざと立てて思わず驚きで目を見開いた。
男は飴玉でも舐めて溶かしているかのように眼球を味わう。閉じていた赤い瞳が己の目と合わさった時意地の悪く弧を描いていた。蹴り飛ばしてやりたかったが、正直これのお陰で貴重な水を無駄にすることもなく、目の異物も無事に取れたので好きにさせた。ただ、至近距離で行われる治療と言えどその行為には歪んだ思いも孕んでいるために頬がどうしようもなく熱くなり目をそれ以上合わせぬように何もない空を見つめるだけで精いっぱいだったとも言える。心臓が煩いのは細かい流砂が体内にまで入ってしまったせいなのだ。苦しさはそれ以上でも以下でもない。終わったぞと顔を解放されると、なるべく同じ行為をさせぬために襤褸布を鼻口の周りや頭位に、よりきつく巻き込んだのだった。



物流が発達している町で補給を終え、その地についたのは昼になる少し前。
魔法を使えば長距離の移動は一瞬だ。だが、術者が行ったことのない場所には飛ぶことは出来ないし途中の些細な情報や変化をも調べる必要がある為基本俺たちは移動魔法をほとんど使用しなかった。セペドは俺が大量に魔力を消費することをあまり好まないのもあるが、己はそれ以外にペルメル王国に来た時からこの世界の生活やこの世界に生きる人々を見るのが何だか新鮮で緊急性のある時以外には移動魔法を使いたくなかった。現代社会ではきっと出会うことのなかった景色がそこにはいつも広がっていて、真新しい文化、なじみのない食事であったり、違う国の歴史。海外旅行さえ満足に行ったことのない人生でそれは眩しく愛おしいのだ。酷いこともされたこともあるし、嫌なことだって未だにあるが、そんなことさえ忘れてしまうくらいにはこの国を愛おしいとそう思う。だからこの国に何か関わることができ力になれるなら、なりたいと思う。本来の姿を取り戻したこの国はもっともっと美しかったのかと想像し焦がれるくらいには。


乾いた大地に、大きな岩の谷。
人気はおらず、草もほとんど生えてはいない。まれに岩の間から生える木さえ老婆のしわがれたそれより酷く触れただけで乾いた音を立て崩壊する。人が住むには厳しい大地。この奥に何か呪いを解く手掛かりが見つかれば良いのだが・・・。

二人は砂と岩の奥へと進む。
この場所はそびえ立つ大きな岩たちのお陰か風が強くなく、砂が舞い上がって視界を遮ることもないためようやっと頭の襤褸布を取ることが出来た。日当たりもよいので、オアシスさえあればきっと人が住むにはよい場所の一つになったであろう。水が無いとこうも生物には生きづらいものだ。どれも似たような景色に、情報を頼りにまずはただまっすぐ奥へと向かった。そして見えてきたのは戦争より決して塞がることもなく抉れたままの大きな痕跡。術者が巨大な魔法を使ったことで本人味方、敵すら全て失われた恐ろしい場所。これが一度だけでなく複数回放たれたというのだから背筋が凍る。
そこからは冷えた空気が肌を刺し、それがルムア地に眠る死者たちの苦痛の叫びに似ていて顔をしかめるしかなかった。
人間はどこまで愚かになれるのか。それは人が変わり時代が変わってもそれだけは変わらぬことが、嘆かわしい。
人を簡単に滅する愚かな大魔法など失われて良かったのだ。二度とこの魔法のようなものが生み出され使われないことを切に祈る。



「確か話による髑髏岩は・・・」


「多分あちらの方向だ」


セペドの指さす方向へ向かえばナシートの説明通り不思議な穴の開き方をした丸い大型の岩が見えてくる。それは想像より遥かに巨大で穴が二つ上の方に空いており、少しその下辺り・・・鼻に位置する場所に小さな穴が一つ。なるほど髑髏に見えると言えば見えなくもない。鼻の穴すら数メートル上に位置するためによじ登って頭の中に入らねば中の様子を知ることは出来ない。ナキには悪いが、近くで待機してもらって俺達は岩をよじ登ることにした。見た目は白く硬い岩なのだが、さらさらと細やかな砂が滑りやすさを高め少々上りづらい。子供たちの遊び場として大人が危険と判断したのには、こういう事故から防ぐのも含まれているのかと想像した。
鼻の穴は城の扉二枚分といったところだろうか。なかなか大きな髑髏である。
穴まで登ってしまえば洞窟は平たんな道が奥まで続いている。
火の魔法で鼻腔内を照らしながら奥へと進んだ。狭すぎるというわけではないがこの洞窟は妙な息苦しさを感じ何故かあまり長いはしたくない感じがした。

「妙な匂いだな・・・」


「うん、なんだろう・・・この、独特のって言うか」


鼻が曲がる臭いというわけではないが、薬草を燻して焚いたかのような不可思議な匂いが奥からするのだ。
進むにつれその匂いは次第に強くなり、根源が近いのだと感じていると洞窟の奥から光が見えてきた。
抜けた先の髑髏中心部に当たるだろう場所は大きく空洞になっていた。頭上の目玉の穴から差し込む光がうっすらとその虚を仄暗く照らしておりその広さを知ることが出来る。その虚の中では緑色の湯が煮えていた。少々濁ったその水が目玉から差し込む日差しに熱せられ、岩の構造が保温効果のような役割を果たしていることで熱が逃げることもないため40度程度の湯になっているのだ。たまに降る雨が入り込み次第に溜まっていったのかはわからぬが妙な空間であることは確かだ。匂いもこの湯が発生源で間違いない。

「匂いもそうだけど、妙な息苦しさはこれが原因だったみたいだね。湯気が充満してるんだ。」


「ああ、成分が分からないからあんまり触れるな」


湯に近づいてしゃがみ込み、少々ぬめりを帯びた緑色のお湯が指先に触れる。持ってきた鞄から小瓶を取り出して一応調べるためにと一部を詰め込んだ。


「さて、結構広い穴だけど・・・奥の方は薄暗くてよく見えないな」


「・・・珍しいこともあるもんだ」


「!?」


低音のゆっくりとした男の声が奥からした。
俺たちはその奥を見るがやはり暗くて湯気も邪魔してよく見えない。これ以上近づくにはこの湯に入って進まねばならないが、人体にどれだけ影響があるやもしれない中に足を踏み入れるにはと悩んでいればさらに奥から続けて声がした。

「まだこの地に住まう者がいたとはな、いや、迷い人か?」


「俺が見てくる。お前はここにいろ」


セペドが耳元で告げてそっと湯に足を踏み入れた。
俺は静かに頷いて彼を見守ることしか出来ない。濁った湯の深さはセペドが進むほど深くなっていき、次第に腰のあたりまで沈んでいく。その付近で止まり一度奥に向かって彼は声をかけた。


「俺たちは旅のものだ。貴様は誰だ?この地に住まう人間か?なぜこんな岩の中にいる。それとも名を名乗れぬ流れ者か!?」



「・・・・・・いきなりやってきて場を荒らしておるのはそちらだと言うのに、元気なことよ」



「ひとまず、顔を見せてもらお・・・・・っ!!!?」


「セペド!!」


ザブンという大きな音と共に水が柱を立てた。
セペドが相変わらず奥から姿を現さない者にさらに近づこうと脚を踏み出した瞬間であった。何かに掴まれたのか知らないがセペドは体勢を崩し一気に湯の中に姿を消したのだ。
恐ろしく深い穴だったのかもしれぬ。濁っていてその湯の深さは底知れぬ。浮き上がってこないと言うことはその中で何かが起きているのだ。蓮人も飛び込もうと走り出した時であった。彼が気を失った状態でゆっくりと浮上してきたのは。


「セペド!!おい!!!何があった!!!!おい!!!」

自分も湯に飛び込みセペドの身体を支え頬を叩くが反応は無い。
脈も顔色も正常で、傷も無い。これは一体。


「心配するでない。その者には少々術で気を失ってもらっただけよ。でかい男と共に湯に浸かる趣味は無いのでな・・・」


「・・・・・・・」



「・・・お主の名は何という?」



「・・・水樹蓮人と申します」



「うむ。礼儀正しいものは好きだ。どうだ?お主もこちらへきて共に湯に浸からぬか?なぁに、薬草が少々溶けた湯よ。長く浸からなければ人体に影響はない。」


「・・・失礼します。」


俺は気を失ってしまったセペドをお湯から出し近くの地面に寝かせた。
共に湯に浸かると言うのは方便だ。服のまま俺はゆっくりとその人物に近づいていく。薄暗い洞窟で灯りは天井の眼球から入る太陽の光のみ。何が起こるか分からないため光や炎の魔法は使わないでおいた。頭蓋骨の奥に進むほど薄暗く視界は不明瞭で真っ暗となっていくのだ。さきほどセペドが歩いた付近をよけ足元を確認しながら進んでも大きな底穴など感じられない。どういうことだろうか?術を使って意図的に別空間にでも落としたと言うのだろうか。湯の温度と湧き上がる湯気の暑さで湯に浸かっていない上半身はすでに己の汗や蒸気でびっしょり濡れていた。
この国では、気候が基本的に温暖で熱い風呂に浸かるという習慣が無い。
日本人である俺はそれが残念なこともあったが、城で頼めば勿論湯に浸かることも出来た。しかし、その特別扱いも毎日されることが忍びなくどうしても汚れてしまい入りたい時以外は、事前に用意された部屋のシャワーですましたりすることも多かった。大抵の人間は水で汚れを洗い落として終わりというのがほとんどなのである。日本人は風呂好きであると言われる所以を理解する。はじめは冷たい水を頭から被る習慣すら慣れなくて毎日勢いをつけて被るということをしていたわけだが、人間慣れるというもの。今では何てことない。
風呂上がりにそのまま窓辺で夜風を楽しむ余裕すら生まれた。
だからこそ久々に感じる熱い湯が余計肉体に負荷をかける。城の湯もここまでは熱くないのだ。

話を戻そう。
蓮人が近づくたび次第に見えてきた白い蒸気の奥。薄暗い中に見えるその輪郭。
奥にいるのはどうやら人間一人。
煙からうっすらと確認できる姿は男性で、まさに風呂に入っているのだというべき形で心臓部あたりから下は湯に浸かりその上は壁の岩に肘をもたれかかる状態でいるようだった。
声の感じからすると大分しわがれており年齢はかなり上のように思う。


「貴方はいったい誰ですか?」


湯気の向こうのその人物はこちらを向いた。


「名を聞かれることなど久しい・・・儂はラベク・バダネッヤと言う。もう随分とここにおる。」


「もしかして・・・貴方は魔法使いでしょうか。先ほども術らしきものを使ったのは相当な力が無いと出来ないことでしょう。」


「ほぉ、わかるのか。お主もさては魔法使いか。」


ぽちゃんと大きな音が響く。天井から垂れた雫があちこちに輪を作り広がっては消えた。また一歩近づいた。服を着たままでは通常の二倍息苦しさを感じてしまう気がした。


「して、お主たちはここへは何しに来た。まさか秘湯に入りにわざわざやってきたわけでもあるまいよ。」


「自分たちはある糸口を探すためにここへやってきました。僅かな情報でも欲しい。貴方がもし長くここに住まうならばこの地のことにも詳しいことでしょう。ご協力願えませんか?」


一歩また近づいた。
眼孔から入った僅かな風が湯気を連れ去り逃げ出した瞬間、その者の姿をようやっと確認することが出来た。
蓮人は思わず両手で口を塞いだ。両目は逸らして自分の真下の水面を見る。されど見開いた両目に一度映った姿は鮮明に脳に焼き付いてしまって離れない。喉がえずき、胃がせぐり上げる思いを必死で耐えた。

目の前の人物は声のわりに見た目は5~60代の男であった。
目じりにしわがあり、ほほ笑めば優し気に見えることであろう。肌は褐色で、肉体も軍隊に所属している兵士さながら立派な筋肉の持ち主である。髪は白に近い金髪で瞳の色は緑色の少々変わった色ではあったが、問題はそこではない。
ありえないのだ。普通の常識で考えるならば。
言葉を交わしこうしていることすら不思議でならない。
汗なのか、湯気による肌にまとわりついた水滴なのか不明な混じりものが頬を伝い、顎の先から一粒堕ちた。
波紋がそこから大きく広がって、目の前の男にもたどり着く。
風呂に入るその男はなんとも言えない微笑みをこちらに向けながら気だるげに首の後ろを搔いていた。


濁った緑色のその向こう。少しだけ見える水底を見た。
心臓からやや下あたり。
湯に浸かる先には白い骨しかなく、脚を組んだそれさえもなぜ動けているかも最早分からない。
無いのだ。彼の身体の水面より下が。肉は一切ついておらず、白い支えの骨だけがあるのみであった。
蓮人は呼吸を忘れかけた。呼吸が短くなり、吸える量が少ない。
鼓動が早くなる。目の前の光景から逃げ出す思考すら消え去るほどに恐怖が全身に走り蓮人をその場に縫い付けているのだ。
奇々怪々なさまはこの世界に来てから何度も目の当たりにしてきた。それでもまだ理解できない事柄が蓮人を襲うことに恐怖を覚える。


「そんなに驚いたかね?まぁ、無理もない。普通ならばあり得ぬことだからな」


「・・・・・っ」


「儂も昔は普通の身体であったよ。だがな、長い間眠りについている間に気付けばこのような姿となっておったのよ。どうしてかわかるか?先の大戦で疲れておった儂は、この地の隅で隠れ住むうちにこの洞窟を見つけた。今と同じようにこの場所は薬湯が煮えておったのだ。疲弊し、怪我も少々負っていたのでな、この場所で湯に浸かりながら静養しようと魔法で長期間の睡眠状態にしたのだ。そうしてようやっと傷も癒え目覚めた時には既にこの姿。恐ろしいと言うより驚きの方が勝っていた。それからはこの場からは離れられんようになったのだ。」


「それは・・・つまり・・・・!!」


急いで後退し湯から上がるように逃げ出そうとすれば、彼は手で静止した。


「案ずるな。先ほども伝えたであろう。長く浸かり続けねば人体に影響はないと。たかが数時間程度で身体が溶け出すことはないから安心したまえ。」


肩から・・・いや、全身から力が抜けるようだ。
自分たちはとんでもない場所に足を踏み入れてしまったのだと。
足元のぬるついた地面を爪先でなぞった。大丈夫だ。感覚は失っていない。
彼の言うことが脅しではなく本当であれば年単位で何らかの人体に影響の及ぼす湯なのであろう。情報を手に入れさっさとこんな場所とおさらばしたい。俺は口を開いた。
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