【原案・完結】捕われ令嬢は籠の中で泡沫の夢を見る

蓮実 アラタ

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15 焦燥

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 夜。周囲には人影は見当たらず、すっかり静まり返ってしまった静寂の闇が支配する世界。
 農民たちが住む住宅が密集した一角。その中、雑草が抜かれ砂利が敷かれただけの道を踏みしめて進む人影があった。

 人影は周りを気にするようにキョロキョロと視線を落ち着きなく動かし、慎重に歩を進めている。
 その挙動不審な様子はまるでよからぬ事を企んでいるようにも見える。
 人影は人目を避けるためか宵闇色のヴェールを頭からかぶり、地味な色合いのドレスを身にまとっていた。

 頭をすっぽりと隠すヴェールから覗くのは綺麗に手入れされた艶やかなウェーブを描く髪。
 目立たないようにするためなのか、ドレスは地味な紺色だったが、よくよく注意して見れば生地も仕立ても上等なものだと分かる。明らかに高貴な身分の者である。
 そんな上等な衣服を着て夜道を歩く女は長閑な農村においては異質な存在だった。

 そんな夜道を一人歩きながら、女はぽつりと呟く。


「早くしなければ……早くなんとか……」


 先程から何度も女は同じことを呟いていた。まるで熱に浮かされたようにひたすら「早く」と呟き、懸命にどこかを目指して歩く。

 女は焦っていた。万全の準備で挑んだ計画が全て失敗した。あれだけ注意して、周りを誘導して慎重に進めたはずなのに。細心の注意を払ったはずだし、絶対に上手くいくはずだった。それなのに、長年の努力が嘘のように一瞬で崩れ去ってしまった。思わぬ反撃があった。策略は一気に狂い、全ての計画が頓挫してしまった。しかも最悪なことにこのままだと自分の行動が露呈してしまうかもしれない。早くなんとか手を打たなければ。

 女は焦り、はやる心そのままに女なりの全速力で歩いていた。馬車を使わなかったのは外出したことをバレないようにするためだが、思ったより道は悪くなるべく踵がないフラットシューズを履いたにもかかわらず、気をつけないと足を取られて転んでしまう。

 それが仇となり中々目的地に辿り着けない。道がこんなにも悪いとは思わなかった。いつもは馬車で通り過ぎるだけなので気にも止めていなかった。内心の苛々が最高潮に達しつつ、女は慎重に歩く。馬車を使うわけにはいかない。こんな時間にどこに行くのかと怪しまれてしまう。これ以上ボロを出すわけにはいかなかった。待ちに待った長年の悲願が叶うはずだった、すぐそこまで来ていたはずだった。

 なのにその全ての努力が無駄に終わろうとしていた。何故、と女は夜道を歩きながら考える。
 計画は完璧だったのに。何がいけなかった?   何が悪かった?   女は歩きながらぐるぐると同じ思考を繰り返して、そしてはたと立ち止まった。


「あの娘が……」


 そうだ。あの娘が後継になることを望んだから全てが狂った。大人しく従順な性格をしていたはずのあの娘が、反抗した。それで全てが駄目になったのだ。だから貴族を──グランツ家を乗っ取る計画は水の泡と化した。


「あの娘さえいなければ……」


 あの計画は遂行され、今頃自分は満面の笑みで祝杯を上げているはずだった。この日のために年代物の最高級のワインを取り寄せた。そのワインで乾杯をし、今後訪れるであろう長き繁栄と富に胸を高鳴らせ、その莫大な財産の使い道を美酒に酔いしれながら考えていたはずなのに。


「あいつさえいなければ……ッ!!」


 ギリリ、と歯噛みして女は胸の内で憎い存在に対する黒い感情を膨らませてゆく。笑えばさぞ男を尽く魅了するであろうその顏《かんばせ》は醜く歪み、美貌を台無しにしていた。
 自分が醜い笑みを浮かべているとは露知らず、女はあることを閃いた。


「邪魔なら消してしまえばいいんじゃない……」


 名案だ。何故今まで思いつかなかったのだろう。邪魔なら消す。その存在を亡きものにする。簡単で明瞭な答えだ。これまでにないほどの妙案に女の顔は先程とは打って変わって極上の笑顔に変わった。

 隠れ家にはあの御方から「好きに使うといい」と与えられた腕利きの下人が控えている。普段は使用人として仕事をこなしつつ、裏工作や暗殺などもこなすという実に便利な駒だ。
 あれに一言「殺せ」と命令すればそれで全て解決だ。あれならば完璧に仕事を遂行してみせるだろう。そのための駒なのだから。


「これで全て解決だわ!」


 途端に女の足取りは軽くなった。
 これで自分はようやく何不自由ない暮らしができる。計画は完璧だ。途中で思わぬ邪魔が入ったが、邪魔者は始末してしまえば良い。それで終わり。
 何も心配することはない、未来は明るいのだから。

 女の足取りは先程とはまるで違う。ステップを刻むダンスのように軽やかに弾んでいる。夜道でなければ鼻歌さえ歌いたいところだ。
 もうすぐ隠れ家に着く。それもまた女の心を明るくさせていた。隠れ家に着いたらまず下人にあの娘を殺せと命令する。遂行は明け方。なるべく人気のない時間が良いだろう。事故死に見せかけて殺すのだ。

 自分はいつも通りに屋敷で過ごし、アリバイを作る。死が発覚したあとは、娘を失った悲しみに暮れ、涙ぐむのだ。
 周囲は血の繋がってない娘をそれでも我が子のように可愛がっていた女を憐れみ、同情するだろう。
 まさか殺すように仕向けたのが自分だとは心にも思うまい。

 これで完璧。グランツ家は自分の娘とその婿養子に後継され、自分はその補佐として君臨し、裏から牛耳る。財産は使い放題、万々歳だ。もうあの泥をすする生活をしなくてよいのだ。女はニヤリとほくそ笑んだ。

 女の家は貧しかった。王都から遠く離れた辺境の地に生まれ、身分は平民。家は農作物を売って細々と生計を立てていたが、家族で食っていくにはギリギリだった。生活は貧しいのに兄弟は沢山いて、母は育ち盛りの下の子に食べ物を優先させ、物事を理解できる年になった女には我慢しろと強制した。

 食べ物を十分に与えられず、女は常に空腹だった。
 食べられるものをひたすら探し、時には虫を食べて生き延びた。
 そうした生活に耐えられなかったのか、両親は女を旅芸人の一座に売った。女の母は容姿が美しく、その容貌を引き継いだ女は見世物として売るにはうってつけだった。女は両親を憎んだ。

 売られてから女は生きるために芸を磨いた。旅芸人は何かしらの芸さえ身につければ食うには困らない。幸い、女は歌が得意だった。得意だった歌を生きるために必死で磨き、その努力の末か美貌も相まって女はいつしか『歌姫』と呼ばれるまでに人気者となった。

 そして女は運命の出会いを果たす。
 グランツ子爵と出会い、結婚し、女は貴族社会を知ることになる。優美なドレスや煌びやかなアクセサリーを身にまとい、優雅に談笑する。
 今にも崩れそうなほどボロボロな家ではない、立派な貴族の屋敷。世話をしてくれる使用人までいる。
 なんと優雅で高貴な世界。女はあっという間に夢中になった。

(こんな世界があるなんて知らなかった!   なんて素敵な所なの。まさに私に相応しいわ!)

 女がどんなに高いアクセサリーやドレスを買っても、子爵は許してくれた。グランツ家は位こそ子爵だが、莫大な富を築いていた。女の浪費くらいでは傾かないほどに。
 お金さえあればなんでも出来る。なんでも許される。

 もっとだ、もっと欲しい。もっと自由にお金を使って自分の好きなものを買いたい。女はそんな欲求に駆られるようになり、そしてそんな考えに賛同してくれる協力者を得、計画を立てた。
 長きに及ぶ仕込みのうち、ついに計画を実行した。実の娘すら利用することに女はなんの戸惑いもなかった。全ては自分のため。自分の腹から生まれた娘なのだ、娘は私の手足も同然だ──とばかりに。

 計画は上手く行き、成功するかに思われた。しかし、邪魔が入った。子爵の前妻の娘。エメルダ・グランツ。
 生粋の貴族で華やかな美貌を持ち、頭も良い。誰よりも綺麗で、誰よりも完璧で、誰よりも高潔で。まさに貴族を絵に書いたような人物。

 なんの苦労もしたことがなさそうな貴族の娘。会った瞬間から大嫌いだった。
 それでも子爵の手前、仲良くしてやろうと笑いかけ握手を求めれば、あの小娘はなんと拒絶した。
 なんという傲慢。気にかけてやったのに、それを拒絶するとは。

 女は憤慨し、子爵も娘の反応に失望したようだった。いい気味だと思った。子爵の愛情は女とその娘に向き、前妻の娘は存在を無視された。
 それからだ、あの娘──エマが従順になったのは。

 だから上手くいくと思ったのだ。それなのにあの娘はあろう事か子爵に逆らった。家督まで望み、計画そのものを狂わせた。本当に忌々しい。

 憎い娘を思い出してまた歯噛みした女だが、すぐに気分を入れ替えた。それももう終わる。あの娘は死ぬのだから。

 考え事をしていると随分たっていたらしい。隠れ家が目の前にあった。なんということはない、普通の平屋。周りに建つ農民の家と何ら変わらない、ボロボロの家だ。もうここに来るのは最後かもしれないな、と思いながら女は隠れ家に足を踏み入れる。
 すぐにいつものように下人が迎え入れてくれると思ったが、違った。


「お待ちしておりました。随分遅いお着きでしたのね」


 響いた声は下人のものではなかった。それどころか、ここに居るはずのない人物。
 女は目を見張る。ここは誰にも知られていないはず。なのに何故、ここにこの人物がいるのか。女は理解できず、呆然とした。

 その表情を嘲笑うように、その人物はもう一度口を開く。我が家にようこそ、と言わんばかりに両手を広げて優雅に笑う。


「お待ちしておりましたわ、お義母かあサマ。どうぞこちらへ」


 夜闇でも薄く輝くエメラルドグリーンの瞳をにこやかに細め、ここに居るはずがない人物──エメルダ・グランツが女に呼びかけた。
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