【原案・完結】捕われ令嬢は籠の中で泡沫の夢を見る

蓮実 アラタ

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 グランツ家の親子が完全に決別し、新たな一歩を踏み出すためにそれぞれが行動を始めた頃。
 同時刻早朝、まだ静けさが抜けきらない朝の道を一人歩く者がいた。


「ふんふんふ~ん♪」


 お世辞にも上手いとは言い難い鼻歌を誰もいない一本道で披露しながら、男はゆったりとした足取りで進んでゆく。
 右に左に蛇行しながら歩く様は酒に酔っているのかとでも疑いたくなるが、その実男は素面だった。

 男は酒に酔っている訳でもなければ、なにか奇病に侵されている訳でも無い。
 例えるなら、なにか嬉しいことがあって喜ばずにはいられずスキップをしながら花道を駆け回る少女のような心境で、男は道を歩いていた。

 何がそんなに楽しいのか愉快な足取りで進んでゆく男は、漆黒の外套を身にまとっている。
 しかし外套をいい加減に羽織っているせいで時々風によりはためき、その度に中から薄青の仕立ての良い生地が顔をのぞかせている。それは遠目から見ても軍服──システーナ王国騎士団が所属する者に与える正式な騎士装であった。

 そんな衣服を纏いながら酒に飲まれたほろ酔い気分のおじ様のような足取りで歩む男を、もしここで目撃する者がいたのなら皆一様に顔を顰めて珍妙なものを見る視線を向けたであろう。
 しかし幸か不幸か今は明け方。ちょうど東から朝日が顔を出し始めた頃合で、まだ人が活動を始めるには少しばかり早い。道には男の他に誰一人存在しなかった。


「ふんふ~ん♪」


 男は相変わらず下手な自作の鼻歌を歌いながら、歩みを進める。
 ──と、その足が不意に止まった。
 男が鼻歌をやめ、伏せていたその顔を上げる。
 緩やかなウェーブを描く白金プラチナの髪に、貴婦人や令嬢が恥じらいそうなほどの甘いマスクを持つ容貌が顕になる。男は琥珀アンバーの双眸を細めて、何かを確かめるように上を仰ぐと、何事も無かったかのように視線を戻した。


「うん、もういいかな」


 心地よい柔らかな声で一言呟くと、足を止めた先──貴族の邸宅と思わしき屋敷の中へ入ってゆく。
 落ち着いたベージュの壁色で統一された邸宅は、そこかしこにセンスの良さが伺え、差し色で合わせられたモダンな家具がより一層映えている。
 このような立派な屋敷には、それに見合う立派な使用人がいるかに思われたが、男が歩いている間それらしき姿は一人も見当たらず、誰ともすれ違うことは無かった。

 屋敷は立派であるのにどこか精細さを欠く、そんな印象の邸内を男は我が物顔で歩き続け、ひとつの扉の前でその歩みを止めた。
 豪奢な金の縁どりがなされた取っ手を右手で掴み、左手で男は扉をノックする。


「兄上、入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ」


 入室の許可を求める声に、さほど間をおかず中から声が返ってくる。


「失礼します」


 キィイ、と音を立てて扉が開き、中から白金の髪を持つ理知的な印象の男性と光を溶かしたような黄金の髪を持つ女性が男を出迎えた。


「ご苦労様、アンバー。わざわざすまなかったね」
「あの女はどうなったの?」


 男性と女性はソファに座り、二人でぴったり身を寄せあっている。漂う雰囲気から、一目で恋人同士と分かる二人。
 男性はアンバーと呼ばれた騎士装の男に労わりの言葉をかけ、女性は面白そうに目を細めながら報告を待っている。
 漆黒の外套を脱ぎ、薄青の軍服を軽くはたきながら男──アンバーは早速持ち帰った情報を報告してゆく。


「まず女……サフィア・グランツについてですが騎士団に捕らえられた模様、計画は失敗したようです。オニキス・グランツは隠居を決意しエマ・グランツが正式にグランツ家当主となるようで、『領主の指輪』を継承しているのを確認しました。さらにオーファルは婚約破棄、グランツ家からの支援は今後打ち切られ、アネット・グランツ共々排斥されたようです……それと最後に、エマ・グランツは『能力持ち』でした」


 アンバーは情報を簡潔に述べ、名前と同じ琥珀アンバーの瞳をソファに座る男──自らの兄、ジャスパーに向ける。
 ジャスパーは報告を聞き終えると鷹揚に頷き、優雅に足を組み直すと側にあるテーブルからカップを手に取り口に運ぶ。


「ふぅむ、やっぱりあんなお粗末な計画では上手くいかなかったか。通常の手筈通りにオーファルを使って婿入りさせた方が確実だったかもね……何を勘違いしたかエマ嬢を怒らせておいてノコノコ帰ってきたが……まぁ実験データは欲しかったし悔いはないけど。グランツ家の支援が無くなるというのは少し残念だけれど、これまでの支援で予算はかなりの額になっているから良しとしよう。しかしエマ嬢がここまで反撃に出るとは驚いたね。さすがの手腕と言うべきかな」
「ただの控えめで従順なオヒメサマじゃなかったのね。なかなかやるじゃない?    少し興味が湧いたわ」


 あくまで優雅に振る舞うジャスパーと、その傍に寄り添う黄金の髪の女性。
 二人は何が楽しいのか面白そうにくすくすと笑うと、いつものように互いを見つめ合う。途端にその場の雰囲気は甘やかなものへと変わり、恋人同士の蜜事が再開する。

 弟が目の前にいるというのに所構わず始まったいつもの恒例行事に、アンバーは呆れたように天を仰ぎぐるりと目を回す。


「それで、どうするのですか兄上」


 呆れを滲ませた弟の声音に、女性の黄金の髪を一房掴んで指で弄んでいたジャスパーは「そうだね……」と前置きして口を開いた。


「まずは用済みのあの女を手早くするとしよう。ディー、頼めるかい?」
「ええ勿論。ジャスパーの頼みだもの」


 ディーと呼ばれた黄金の髪の女性は漆黒の双眸を細めて頷いた。その反応に満足気に頷くととジャスパーは続けて指示を出す。


「オーファルはもう使い物にならないし、グランツ家の恨みを買った時点で我がアーヴェント家にはもう必要ないな。適当に必要最低限のお金だけ渡して、追い出すとしよう。アネット嬢もオーファルに着いて行くしかないだろうし、放っておいても問題ない。グランツ家には詫び状を送ろう。今あの家と軋轢を生むのは得策ではない。表面上の関係は修復しなければ。全くあの出来損ないのお陰でとんだ迷惑だよ……」
「仕方ないわ。出来のいい兄弟を持つと苦労するものよ。私がそうだったもの」


 半ば吐き捨てるように告げた女性の言葉に、ジャスパーは直ぐに反応する。女性の細い輪郭を両手で包み込むと、真摯に詫びる。


「あぁ、ごめんよディー。嫌なことを思い出させてしまったね……そんなつもりはなかったんだ。許しておくれ」
「わかっているわ、ジャスパー。今は貴方が側にいてくれるもの。私は今幸せよ」
「そうかい、それならいいんだ」


 にっこりと妖艶に微笑む女性を見て安堵するジャスパー。そのまま二人の距離は近くなり、お互いの呼吸が密に感じられ、示し合わせたように唇が重なる──その寸前で。


「兄上。重ねて申し上げますが例の件、どうも奴らに嗅ぎつけられたようです」


 相変わらず自分がいることを無視して二人の世界に入ってしまう兄とその恋人に呆れすぎて半目になりながらもアンバーはもう一つの報告をする。
 すると、それを聞いた二人の目の色が変わった。先程まで漂っていた甘い雰囲気は一瞬にして消え去る。


「何、思ったより早いな……。王国の犬ごときに邪魔をされては困るな……」
「そうね。そろそろ次の行動を起こしてもいいかもしれないわ」
「となると、ここにいるのも不味いかもしれないね。まぁ借金は父上が勝手に作ったものだし、アーヴェント家が滅んでも僕にはなんの痛手もないが」
「では、やはり」


 アンバーが確認するように続きを促すとジャスパーは力強く応えた。


「アーヴェント家を捨てる。当主代理はしていても指輪を受け継いではいないから僕は当主ではないし、父上に全ての罪を被ってもらうとするよ。まぁ元々自業自得だから当然だけどさ」
「わかりました。では俺は再び騎士団に戻って動向を掴んできます」
「すまないねアンバー。頼むよ」


 アンバーはジャスパーの言葉にただ頷くだけに留め、その場を辞する。
 実の父親を捨てることに異論はない。あれは最低な人間だ。愛人を囲い、自分の快楽を求めることだけに忠実な愚者だ。生きている価値などない。その点で三男オーファルはそんな父の血を濃く受け継いでしまったのかもしれない。それについては多少の憐憫の情を覚えるが、それよりも自分が最も大事にしている者を傷つけたことが許せない。

 アンバーがジャスパーに協力した理由は何よりも大事にしている、想っている者を密かに見守ることだったのだから。だからこそ、その大事な者を弟に譲ってもいいと思っていたのに、オーファルはそれを裏切った。ならば許す道理はない。

 アンバーは静かな怒りを携えたまま、先程とは違い俊敏な動きでアーヴェント邸を後にした。





 *





 アンバーが立ち去った後、その兄ジャスパーも決意を新たに己を奮起させていた。


「ふふ、いよいよ始まるな」


 知らず口に笑みが浮かぶ。これからのことを考えると愉快で仕方なかった。
 この王国の『間違った在り方』を根底から覆す。ジャスパーはそれだけを胸に動いていた。

 グランツ家の一件も、そのための手段に過ぎない。その計画自体は破綻し、エマ・グランツに一杯食わされたが、元より計画したのはサフィアなのでそれほど期待もしていなかった。協力するふりをして成果が出れば御の字程度のもの。まぁそれもサフィアに与えたとある物のデータが得られたので文句は言うまい。

 これまでの支援で必要な資金は潤沢にある。
 次の行動に出るにはなんの支障もない。相応の時間はかかったが、それだけ大きな事を成し得るのだ、準備に余念がない。


「──いよいよね。長かったわ。これであの王族共に復讐できるわ」


 傍らでは黄金の髪の女性がにこやかに微笑み、ジャスパーを見上げる。
 ジャスパーにとってこの何もかもが最低な世界で唯一の救いは何よりも愛おしい彼女に出会えたことだ。彼女との出会いが全ての始まりだった。
 そしてこれから自分が成し遂げようとしていることは愛する彼女の望みでもある。


「慢心しきった思い上がりも甚だしい馬鹿共に鉄槌を下さねばならない。この国の間違った在り方を根底から覆す。そして思い知らせてやる、僕の味わった屈辱を──」


 隣にいる誰よりも愛しい人を携えて、不敵な笑みを浮かべたジャスパーはただただ笑う。
 その手には一欠片の水晶が怪しく煌めいていた。





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