逃げ水

田上

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出会い

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 彼に出会ったのは、多くの出会いと同じように偶然のことだ。
 人恋しい顔をしているくせに、一歩も中に踏み込ませようとしない、複雑な男だった。
 
 彼とは、人生においてつまらないの順位付けに長々名を残してしまいそうなライブの最中に出会った。つまらない顔ででかいだけの音を頭のしんから浴び、酒に溺れていた怠惰なその瞬間だ。
 東京に点在するこぢんまりとしたライブハウスのひとつ。俺はたまたま、知人に出るのだとチケットを押し付けられたから、珍しくも出不精を押してふらふらと外に繰り出していた。
 アマチュアに毛の生えた程度の音楽だ。そこに集まった人々はカフェミュージックよろしく耳をつんざかんばかりの音楽を背景に、負けない声でペチャクチャとがなっている。例に漏れず斜に構えた若者である俺も、酒を片手どころか両手に、頬杖をついてぱきぱきとナッツを噛み砕いていた。
 
 ふと、彼が目についたのはなぜだろうか。
 自問するとき俺はどうしても運命という赤面しそうな言葉を思い浮かべる。
 
 彼は暗いライブハウスの中でも見てとれる、不健康な肌の色を無理矢理酒で赤く染めていた。デザインよりも延びきったという表現に軍配の上がる深く開いたTシャツの襟刳りから骨を剥きだしたような青白い鎖骨と肋が浮いていて、押せば折れそうな神経質な男という印象だった。
 その第一印象は最後の別れまでかけることなく彼について回った。彼はずっと不健康だったし、神経質で、過敏な性格をより押し固めただけだったのだから。
 こういう場所のよいところは、酒を一杯奢れば旧知の友のような振る舞いを許されるところだ。ローカルルールとは言わせない、そういうものなのだ。それで、俺はカウンターで酸っぱいビールを一杯手に入れ、彼の座るテーブルにわざとらしく音をたてて置いた。

「飲んでる?」

 びくりとしてそれから、緩慢に上がった顔はある程度の想定よりずいぶんあどけない。一人で飲んでちゃ変な酔っぱらいに絡まれるだろう、どこでも説教好きはいるんだから。俺のようなナンパ野郎はいなかったのかと、話しかけた勢いのまま座って良いかと確認をとって彼の前に腰かける。
「ライブ、聞ける雰囲気じゃないね」
 グラス空だね、飲みなよと自分のロックグラスを見せてからビールを押し出すと、彼は目線をさ迷わせてからおずおずと自分の方にそれを引き寄せ、どうもと小さく会釈した。
「俺さ、さっき出てたやつの知り合いで、誘われてきたんだけど君もその口?」
 さっきとはどいつだろう、嘘はない都合の良い会話の導入に自嘲する。そんな言葉の裏側など知らぬ話だろう彼は特に引っ掛かる様子もなく瞬きをした。興味がないだけかとも思い自己紹介を続けてみる。

 あ、俺ドラマーなのよ、御贔屓にね。
 スネアを引っ掻く仕草をすると、彼はうすらぼんやりした目をぱちくりと見開き、まぁそうだよなという納得の顔で頷いた。

「ギターと、キーボードとかやってます、どうも、です」
 息切れでもしているみたいなぼそぼそとした言葉は不思議と鼓膜を破りそうな音の海を過たず泳ぎきって俺に届く。
 少し固い、枯れたような甘さのあるよい声だと思った。ヴォーカルでないのかと、内心首を捻る気持ちを飲んで会話を続ける。
「へぇ、そりゃ多才だね。それだけできんだ、バンドやってんだろ?」
 知り合い?とステージで汗かく男たちを指差すと、彼は小さく首をふってたまたまですと答える。
「バンドは、やってます。組んでくれる人がおって」
「へぇ、んじゃ今日は敵情視察的な?」
「ただ聞きに来たんです。そんな無粋なことはしませんよ」

 ふっと溜め息のように笑う彼はやけに老獪して見えた。一言一言で身長の伸び縮みする不思議な男だ。バンドマンを志す青臭さを歪と思えるほど、彼は成熟している。
 夢追う男のくせに正しく大人びた彼に面食らいつつ、俺はふぅんと余裕を気取る。
「学生?」
「いえ、フリーター、です」
「ハタチ?」
「十九です」
 取り繕う様子もなくすらすら言った彼は、尻のポケットからタバコを取り出し、良いですかと御座なりな断りを俺に入れてライターを鳴らした。骨ばった細い指先に挟まれたタバコから立ち上った煙を見つめ、彼はそれを味わいもせず灰皿に立て掛ける。度の過ぎたチェーンスモーカーなのかと二本目を咥える彼を見つめていると、いたって普通に深く息を吸い込み鼻からゆっくりと煙をぬく。彼なりのルールなのかもしれない、彼の吸うタバコの銘柄と同じように。
 星輝くセブンスター、王道だが悪くない。

「不良くんだな」
「間違い、ではないですね」
「酒を奢っちゃった俺も立派な犯罪者か」
 俺も吸おうかなとソフトパッケージを取り出すと、彼は無言で己のタバコを差し出してきた。
「セッターですけど」
「七つ星ね、俺も昔吸ったよ」

 ありがとうと一本頂き、自分のタバコはテーブルに置く。包装を破った口を彼に向けたのは、俺の好きな銘柄をいつでも彼に勧められるようにだ。音に纏わるそれは、渋く濃いがガツンと来る。
 タバコを咥えれば彼がライターを差し出してきて、安い蛍光イエローのそれが弱々しく射す光に揺れていた。
 差し出すだけでつけてはくれないという点に、彼の気の利かなさと世擦れのない清らかさがちらつく。俺はそれを顔に出さず、どうもと会釈してライターを鳴らしタバコに火を灯した。

「俺はさ、誘われたのもあんだけど、ぐーっとくるバンドを探してんだよね。俺もバンド組んでんだけどなぁんかものたんなくて。スタンスの違いなのかねぇ、でも俺が求めてるもんもはっきりしてねぇんだけどね」
 最近つまんなくてさと煙を吐きながら言うと、彼ははぁと鈍い反応を返した。
「君はさぁ、すげぇ組む前楽しみだったバンドがさ、実際組んでみると全く期待はずれだったことってない? 結構がっかりすんだよなぁ、期待してたぶん落差もあるし。なぁんかどうしてぇのよお前らって感じでがっかりしてさ。まぁ別に今のメンバーにそういう思いを抱いてるっつーわけじゃなくてね、たぶん、でも、もっとなんか、なんかあったよなって」
「まだ今回のバンドで二つ目なのでなんとも。いつもぼ」
 ぼ、と言って彼は慌てて口を噤むと、タバコを吸って俺が足りないですしと小さく付け足す。ぼく、か。
彼の子供っぽい羞恥を察しつつ、俺が足りないと言う言葉がやけに鮮明に頭に残った。
「二つ目か。まぁ十九だもんね」
「おいくつですか」
「俺? 二十二、大学三年のモラトリアム真っ最中」
 あんまり変わらないじゃないですかと彼が控えめに笑うから、俺はだと思うだろ? とにやにや煙を吐く。
「ハタチを境に人間、がらっと変わるもんだぜ。いきがってタバコも酒も嗜んじゃってる君はもう、立派な大人かもしんねーけどね」
 灰皿から立ち上り続ける煙を人差し指でするするとかき混ぜる。滞ったそれは密集した人々の汗のにおい混じる空気の流れにふわりと溶けていく。彼はそれをじぃっと見つめてどこか寂しげに見える目をした。

「ドラム、うまいですか」
「仲間つながりでいくつかバンドに引っ張ってもらえるくらい」
「聴きに行きますね」

 すんなりと彼は言った。
 その言い様から、彼は本当にここに音楽を聴きに来たのだなと思った。

「俺も聴いてみたいな」
 社交辞令でない思いだった。
 この、二十歳を越えた身としてみれば幼く思える青年が、どんな曲をやるのか。どんな言葉を歌詞にし、それをどんな音にのせるのか。ライブハウスにいるくらいだからきっと系統はロックなのだろう、ロックでも枝分かれは数知れず。何が好きで何を追っかけて、何を作り出すのか。
 腕を組み小さくした身体で灰皿から立ち上る煙を見下ろし、彼は冴えない顔を皮肉気に笑ませた。

「みんなはうまいですよ」
「みんなはって何よ。若者の特権のさぁ、意味不明な自信ってやつ、ないわけ? つうかうまいでしょ、たぶん思うに。聞きゃすぐ分かんだから変な謙遜とかほんと意味ないからね」
 ぐっとグラスを干して言うと、彼は困ったように目を伏せた。ジョッキを両手で撫でて冷たそうに指先を揉むと、タバコを咥えて煙を吸い込む。

「俺、足りないんですよ」
「さっきから足りないって言ってるけど、何がよ」

「どうにも、覚悟ってやつが」

 ぽつ、と。
 言葉とともにこぼれた笑み。隙間からのぞいた八重歯の白さ。
 そういうものがゆっくりと俺の頭に焼き付いて、ただの音と化していたバンドのヴォーカルの歌声が鼓膜を打ち鳴らすように頭を揺らした。
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