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第一部『人界の秩序と魔界の理屈』

少女の名前はリタ

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 しばらくの間暴徒たちは突然現れて自分たちに罵声を撒き散らした少女を睨んでいたが、やがてフロイドが代表して少女へと問い掛けた。

「キミは何者かな?崇高な意思を持って正当な抗議を行う我々を怒鳴り付けた愚か者というのは?」

「そうだよッ! 悪いか!?クソ野郎ッ! 」

 少女は見た目の可愛らしさとは裏腹に口汚い言葉でフロイドを罵倒していく。
 その言葉が胸に刺さったのか、今にも射殺さんばかりの目で少女を睨んでいるフロイドだった。代わりに質問に答えたのはフロイドに並ぶ人界防衛騎士団のエース、シモーヌだった。

「あらあら、お嬢さんがそんな口汚い言葉を使うものではありませんよ。きっと、あなたは我々に対する誤解があるのでしょう。あなたも人界防衛騎士団の理念を知れば同調したくなりますよ。さぁ、私の手を取りなさい。そして共に神に祈りを捧げようではありませんか」

 シモーヌの顔は敬虔な信徒を褒め称える修道女の顔だった。優しい微笑みを浮かべながら手を差し伸べていた。

「うるさいッ! クソ女ッ! 」

 しかし少女はシモーヌの話術に屈するどころか、反対にシモーヌを口汚い言葉で罵倒したのだった。
 予想だにしない反応を受けてシモーヌは思わず両肩を強張らせてしまった。固まったまま動こうとしないシモーヌに対して少女は罵声を浴びせ続けていく。

「何が神だッ! テメェの都合のためだけに神を利用するんじゃねーよッ! テメェのような薄汚い女なんぞ神様の怒りに触れて落雷にでもやられて目を潰されちまえばいいんだッ! 」

「な、なんてことを言うのッ! 」

 シモーヌは激怒した。両頬をまだら色に染め上げながら少女の元へと向かっていく。そのまま平手打ちを喰らわそうとしていたのだが、逆に少女から平手打ちを喰らわされてしまう羽目になってしまった。
 シモーヌは逆に張り飛ばされてしまい、地面の上に尻餅をついた。シモーヌは咄嗟に悲鳴を上げた。

「い、痛いッ! 何をするの?」

「痛い?それはお前のクソみたいな言葉に傷付けられた魔族やその子どもたちの台詞だろーが。このクソボケが」

 少女は周りを見渡してから胸元に手を当て、大きな声で叫んでいく。

「いいかッ! お前らに言っておくぞッ! あの社説を書いたのはあたしだッ! 文句あるならあたしに殴り掛かってみやがれってんだッ! 」

 少女は強い口調で相手を威嚇するように叫んだ。結果的にその放送正解だった。
 実際騎士団の面々やそれに同調した暴徒たちは少女の気迫に怯み、それ以上近付くこともできなかったからだ。
 少女は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら編集長を救い出し、その場から立ち去っていく。

 一方で釈然としなかったのは暴徒たち、その中でも人界防衛騎士団の面々であった。
 自分たちの正当な抗議が少女に邪魔をされたというのが一番の動機だった。

「何よ、子どものくせに……」

 その中でも一番憎悪の炎を心の中で燃やしていたのはシモーヌだった。
 シモーヌは大人の年齢に達しているばかりではない。その年齢に相応しい言葉遣いで話せるばかりか、修道女として立派な教養までも身に付けている。

 それなのにあんな雑で暴力的な少女に負けてしまったという事実が何よりも悔しかったのだ。それ故になんとしてでも少女に雪辱を晴らしたいと願っていたのだ。
 フロイドとシモーヌの意見には同調できた。あの生意気な子どもの存在は今後の自分たちに活動を邪魔するものになるだろう。

 フロイドとシモーヌからすれば相手は人間でありながら魔族を庇うという非人間だ。命を奪うことに対してはなんの躊躇いも持っていない。
 問題はその方法だ。襲うだけならば夜道にでも待ち伏せをして叩き斬ればいいのだが、そんなことをすれば疑いの目は自分たちに向けられてしまうだろう。

 軍や忌々しい執行官たちの手によって関係者の逮捕や騎士団の解散さえ行われてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

 自分たちに疑いが掛けられることを避けるために最適な方法として考えられたのは魔物を使うことだった。フロイドとシモーヌの頭の中には少し前に人界防衛騎士団の手で捕まえたはぐれ魔物の顔が浮かんでいた。団員たちのストレス発散用に捕まえておいたものが役に立つかもしれない。

「……見ていろ、今にあのガキの居場所を突き止めて、我々を侮辱した報いを受けさせてやるぞ」

 フロイドは拳を震わせながら報復の計画を練っていた。シモーヌも同様だった。
 いや、あの場でこれまで想像もしなかったような罵声を浴びたシモーヌが誰よりも憤怒の情を心の中で燃やしていた。

 人界防衛騎士団の面々は一先ず引き上げていったものの、その中では怒りに震えていた。
 今後どのように出るかは分からないが、必ずや今日受けた報いを受けさせることにはなるだろう。

 その一方で先ほどの少女の気持ちは朗らかだった。太陽のような眩しい笑みを浮かべながらわざとガニ股になりながら大通りを闊歩していた。
 鼻歌を鳴らしながら上機嫌で大通りを歩いていると、道路の整備をしている少女と同年代と思われる竜族の少年を見かけたので、彼女は声を掛けた。

 声を聞いてリザードマン竜人族の少年は仕事の手を止め、口元に笑みを浮かべながら少女の方を向いた。

 リザードマン竜人族という呼称の通りに全身に青い鱗を生やし、顔に古の絵画に登場するような竜の顔をした魔族であるが故に大抵の人々は笑顔でさえ怖がる。
 そんな人々の中でも少女は数少ない例外だった。

「あっ、リタ! 」

 と、名前を呼んで少女の名前を呼んだ。

「聞いたよ。今日大変な目に遭ったんだって?」

「うん、けど、あたしは気にしてないよ。だって、あたしが新聞に社説を発表することであんたやあんたのパパママ、それから仲間たちがこの人界で生き生きとして暮らせるんだからさ! 」

「ありがとう。オレたちの代わりに頑張ってくれてさ……」

「何言ってんのさッ!あんたは余計なことを心配しないでよ、ジオ」

 リタは快活な声でそう答えた。迷いのないリタの姿勢にジオはいつも憧れていた。

 哲学の博士を目指しているというリタは哲学を教える学校では良い成績で通っているらしく、ジオの知らないことをたくさん教えてくれた。

 どうすれば自分たちが苦しまなくても済むのかという方法を熱心に教えてくれた。
 それは自分たちで抗議するばかりではなく、王族や貴族といった特権階級に訴え掛けたりするという行動を起こすことが大事なのだと熱弁していた。

 また、人間たちの不当な暴挙に対しては暴力を振るってもいいのだと語り、ジオを驚かせた。リタの言葉はこれまで狭い世界に捉えられていたジオを広い世界へと掬い上げていった。

 もしリタがいなければ大人になってからもジオは安い賃金で人間たちにこき使われながら人界で惨めに過ごしていただろう。そういう意味でもリタはジオにとって恩人だった。

 二人で楽しそうに笑っていると、眉を顰めた現場監督が二人の前に現れた。

「おい、いつまでくっちゃべってる。さっさと仕事に戻れ」

「あっ、はいはい。じゃあ、またね、リタ! 」

ジオは筋肉の付いた汗まみれの現場監督に頭を下げて仕事に戻っていく。

「うん、じゃあね」

 リタは手を振ってジオの元を去っていく。名残惜しかったが、ジオも仕事中なのだ。そこを邪魔してはならない。
 名残惜しかったものの、必死にそう言い聞かせてリタは足早にその場を立ち去っていった。

 ジオは去っていくリタの姿が視界から消えるまで、ずっと寂しげに見つめていた。

 その時だ。ふと、目の前に見知らぬ同族の男たちが現れた。

「な、なんだ!?お前たちは!?」

「オレたち?オレたちはテメェの同族だよ。ちょいと面を貸しな」

 ジオは慌ててその場から逃げ出そうとしたが、それよりも前に腹部に強烈な殴打を喰らわされてしまいジオは意識を失わされてしまった。

 意識を失ったジオは男たちに連れ出され、その場から慌てて逃げ出そうとしていた。近くに居た現場監督は邪魔をしてきたので既に始末しておいた。
 そのためもう彼らを止める者はいなかった。

 こうして男たちは何者にも邪魔されることなく、ヴェストリア帝国の真ん中で、それも白昼堂々と誘拐を行ったのであった。
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