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8.薬草園と兆候
①
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すっきりと晴れ上がった空に、早朝特有の湿った風が吹き抜ける。
リオンは石畳の道を歩きながら、斜め前を歩くクレイドの大きな背中を見あげた。
『一緒に行きたいところがあるんです』
昨日急にそう言い出したクレイドは今朝、朝食を取り終わった直後にやってきた。いつもは騎士団の立ち襟の制服を身に着けていることが多いのだが、今日はシャツに乗馬用のズボンという質素な姿だ。リオンも同じように、いつもよりは動きやすい洋服を着ている。
(どこに行くんだろうな……)
教えてくれないということは、着くまでのお楽しみということなのだろうけど……。
石畳の道をしばらく進むと楕円形の広場に出た。周りには厩舎が並び、広場の中心には水場がある。その水場で休憩していた騎士たちが、クレイドの姿を見つけて近寄ってきた。
「クレイド隊長! お疲れ様です!」
「訓練か。ご苦労」
騎士たちはクレイドに挨拶を済ませると、今度は傍らのリオンに視線をやり、驚いたような顔をした。何をそんなに驚いているのだろう。
「あ……お、おはようございます」
緊張しながらも挨拶をしてみると、騎士たちは一斉にわっと騒ぎ始めた。
「まさか……ブルーメ様!?」
「花守候補のブルーメ様か? なぜこんなところに……!?」
「お美しい……! 噂通り、いやそれ以上だ」
「なんてことだ! せっかくお会いできたのに汗まみれじゃないか!」
騎士たちの興奮ぐあいにびっくりして固まっていると、クレイドがぱんぱんと両手を打ち鳴らした。
「おまえたちが騒ぐから、リオン様が怯えてしまっただろう! さあ、休憩は終わりだ! 行った行った!」
騎士たちは「え~」とか「隊長横暴~」などと文句を言っていたが、しぶしぶ訓練に戻っていく。茫然と騎士たちの後ろ姿を見ていると、クレイドが申し訳なさそうに口を開いた。
「すみませんでした。うるさくて驚いたでしょう」
「ううん、びっくりはしたけど……みんな明るい人たちだね」
「もう少しまじめだといいんですがね」
苦笑したクレイドが「さあ、行きましょう」と歩き始め、リオンも後を追う。
――それにしても……。
クレイドの斜め後ろを歩きながら、リオンは先ほどの騎士たちの様子を思い出した。
オメガであるリオンは、常に他人から嫌悪感や侮蔑の感情を向けられてきた。
だけどこの国では、オメガであるというだけでこれほどに喜ばれ、崇拝に近い気持ちを向けられる。それが不思議でしょうがなかった。それだけオメガ――ブルーメという存在はこの国では貴重なのだろうか。
「ねえクレイド、ノルツブルクには僕の他にブルーメの人はいるの?」
そう聞いてみると、クレイドは一瞬足の動きを止めた。ぴくんと毛に覆われた耳が震える。
「クレイド?」
「あ……ええと、ブルーメの方ですね。今把握している限りで言えば、この王都の中にはおりません。リオン様だけかと思われます」
「そっか、そうなんだ……」
リオンは少しがっかりしてしまった。
ノルツブルクに来れば、自分以外のオメガの人間に会えるかもしれないと少しだけ期待していたのだ。だけど旅の途中で襲ってきた賊も、オメガのリオンのことを『超貴重種』と言っていたので、もともとすごく少ない種なのかもしれない。
「そういえば、この国には獣人の人もいないの? クレイド以外の獣人を見たことがないんだけど」
ああ、とクレイドは頷いた。
「ノルツブルクの王宮や王都では見かけたことはありませんね」
「そうなんだ、意外だな。獣人の人って人間よりもずっとずっと強いんでしょう? 騎士団の中にもたくさんいるのかなって思ってたけど、違うんだね」
「獣人自体の数が最近は少なくなってきてますからね。リオン様の言うとおり、獣人は人間よりも身体能力が高いので、それを生かして兵士になることが多いです。最もその場合は傭兵が多いようですが」
なるほどと納得しかけて、ふと疑問がわいてきた。
「獣人の人はみんな獣化が出来るの? 獣化した方が強くなるんだよね?」
獣化というのは、完全な獣の姿になることだ。クレイドは獣化すると狼のような姿になっていた。
「一般に言えばそうですね」
「でも獣化すると体力消耗しちゃうんだよね? それって大丈夫なの?」
現に森の中で賊と戦ったとき、獣化したクレイドは驚くほどの俊敏さと強さだった。あのときクレイドが獣化して助けてくれなかったら、きっとリオンも無傷ではいられなかっただろう。
だけど獣化したことにより、体力を使い果たしクレイドは倒れてしまった。獣人は皆、そのような身を削るような戦い方をするのだろうか。
「ああ、私は特殊な例なんです。私は半獣なので」
「半獣?」
「半分は獣人、半分は人間ということです」
「えっ、そうなの!」
「ええ。私は半獣なので体力をかなり消耗しますが、完全に純血の獣人は獣化してもそれほどダメージはありません」
「へえ」
「私も戦闘のときでもめったに獣化しませんよ。本当に必要に迫られて、どうしようもなくなった場合のみです。諸刃の剣なので」
「そうなんだ……」
リオンは感嘆の息を漏らした。
オメガのこと、獣人のこと。それにクレイドが半獣だったということ。本当に知らないことばかりだ。
「――ん、あれ……?」
話し込んでいるうちに、目の前の景色がだいぶ変わっていた。いつのまにか王宮の奥まで来ていたようだ。
「さあ、着きましたよ」とクレイドが足を止める。
「え、ここ?」
目の前には赤茶けたレンガ作りの小さな建物と門が見えていた。そして蔦や下草で覆われたその門のむこうに広がるのは、一面の緑、緑、緑――。
「ジャングル、ではないよね……?」
「ここは昔アナ様が管理なさっていた薬草園です」
「えっ、母さんの薬草園?」
リオンは目を見開いて、門の中に入っていくクレイドの後に続いた。
リオンが今使っている寝室ほどの広さの小さな空間だ。
三方を背の低く茶色のレンガの門に囲まれ、中央には石張りの通路が奥まで渡されている。その両側が畑になっているようだが、あまりにも雑草が育ちすぎていて、やはりジャングルにしか見えなかった。
「もともとここは、オースティンの叔父にあたるカイランという王族の方が趣味で薬草を育てていた場所ですが、アナ様が引き継いで管理なさっていたようです。アナ様が王宮を出られてからは厨房の人間が世話をしていたのですが、それもここ数年はほったらかしだったみたいですね。……これはなかなか手ごわそうだ」
クレイドは苦笑しながら、シャツの袖を捲る。
「さて、始めましょうか?」
「え」
「オースティンから許可を得ています。ここをリオン様が自由に使ってよいとのことです」
「ここを……自由にしていいの?」
リオンは驚き、クレイドを見あげた。
「ええ。リオン様はあの村でアナ様といっしょに薬草を育てて暮らしていたのでしょう。でしたらここの管理も出来るはずです。持ってきた種もここに植えましょう」
嬉しいと思った。でもすぐに不安が首をもたげてくる。
「……でも僕一人で出来るかな」
確かにあの村でリオンは薬草を育てていたが、母親に教えてもらいながらだった。その母がいない今、自分には出来るのだろうか。
「それに……村から持ってきた種のほとんどは、育てるのが難しい品種なんだ。母さんだったら育てられただろうけど」
「でも、リオン様はいつか育てたいと思って薬草の種を持ってきたのでは?」
「それはそうだけど……」
クレイドはリオンに向きなおった。そして優し気な声で言う。
「リオン様、失敗してもいいんですよ。最初からすべてうまくいくことなんてないのです。何度も失敗して、工夫して、ようやく成功していくのですから」
「……そっか」
すっとクレイドの言葉が胸に入ってきた。リオンは頷いた。
「うん、そうだよね」
まずはやってみよう。悩むのはそれからだ。
リオンは自分の頬を両手でぴしぴしと叩き、意気揚々と腕まくりをした。
「よしっ!」
張り切って作業を始めたのはいいが、その日はクレイドと一緒に雑草と格闘しただけで終わった。放置されていた時間が長すぎて、植えられていた薬草のほとんどは消えてしまっていたのだ。こうなるとすべての草を除去し、一から土を作るしかない。気が遠くなる作業だ。
(……だけど負けていられない。頑張るって決めたんだから)
それからリオンは毎日薬草園に通った。雑草を抜き、木の根を掘り起こし、小石をどかし、固くしまった土を掘り返す。
そして地道な作業を続け一週間。ようやく薬草園の原型が見えてきた。
リオンは石畳の道を歩きながら、斜め前を歩くクレイドの大きな背中を見あげた。
『一緒に行きたいところがあるんです』
昨日急にそう言い出したクレイドは今朝、朝食を取り終わった直後にやってきた。いつもは騎士団の立ち襟の制服を身に着けていることが多いのだが、今日はシャツに乗馬用のズボンという質素な姿だ。リオンも同じように、いつもよりは動きやすい洋服を着ている。
(どこに行くんだろうな……)
教えてくれないということは、着くまでのお楽しみということなのだろうけど……。
石畳の道をしばらく進むと楕円形の広場に出た。周りには厩舎が並び、広場の中心には水場がある。その水場で休憩していた騎士たちが、クレイドの姿を見つけて近寄ってきた。
「クレイド隊長! お疲れ様です!」
「訓練か。ご苦労」
騎士たちはクレイドに挨拶を済ませると、今度は傍らのリオンに視線をやり、驚いたような顔をした。何をそんなに驚いているのだろう。
「あ……お、おはようございます」
緊張しながらも挨拶をしてみると、騎士たちは一斉にわっと騒ぎ始めた。
「まさか……ブルーメ様!?」
「花守候補のブルーメ様か? なぜこんなところに……!?」
「お美しい……! 噂通り、いやそれ以上だ」
「なんてことだ! せっかくお会いできたのに汗まみれじゃないか!」
騎士たちの興奮ぐあいにびっくりして固まっていると、クレイドがぱんぱんと両手を打ち鳴らした。
「おまえたちが騒ぐから、リオン様が怯えてしまっただろう! さあ、休憩は終わりだ! 行った行った!」
騎士たちは「え~」とか「隊長横暴~」などと文句を言っていたが、しぶしぶ訓練に戻っていく。茫然と騎士たちの後ろ姿を見ていると、クレイドが申し訳なさそうに口を開いた。
「すみませんでした。うるさくて驚いたでしょう」
「ううん、びっくりはしたけど……みんな明るい人たちだね」
「もう少しまじめだといいんですがね」
苦笑したクレイドが「さあ、行きましょう」と歩き始め、リオンも後を追う。
――それにしても……。
クレイドの斜め後ろを歩きながら、リオンは先ほどの騎士たちの様子を思い出した。
オメガであるリオンは、常に他人から嫌悪感や侮蔑の感情を向けられてきた。
だけどこの国では、オメガであるというだけでこれほどに喜ばれ、崇拝に近い気持ちを向けられる。それが不思議でしょうがなかった。それだけオメガ――ブルーメという存在はこの国では貴重なのだろうか。
「ねえクレイド、ノルツブルクには僕の他にブルーメの人はいるの?」
そう聞いてみると、クレイドは一瞬足の動きを止めた。ぴくんと毛に覆われた耳が震える。
「クレイド?」
「あ……ええと、ブルーメの方ですね。今把握している限りで言えば、この王都の中にはおりません。リオン様だけかと思われます」
「そっか、そうなんだ……」
リオンは少しがっかりしてしまった。
ノルツブルクに来れば、自分以外のオメガの人間に会えるかもしれないと少しだけ期待していたのだ。だけど旅の途中で襲ってきた賊も、オメガのリオンのことを『超貴重種』と言っていたので、もともとすごく少ない種なのかもしれない。
「そういえば、この国には獣人の人もいないの? クレイド以外の獣人を見たことがないんだけど」
ああ、とクレイドは頷いた。
「ノルツブルクの王宮や王都では見かけたことはありませんね」
「そうなんだ、意外だな。獣人の人って人間よりもずっとずっと強いんでしょう? 騎士団の中にもたくさんいるのかなって思ってたけど、違うんだね」
「獣人自体の数が最近は少なくなってきてますからね。リオン様の言うとおり、獣人は人間よりも身体能力が高いので、それを生かして兵士になることが多いです。最もその場合は傭兵が多いようですが」
なるほどと納得しかけて、ふと疑問がわいてきた。
「獣人の人はみんな獣化が出来るの? 獣化した方が強くなるんだよね?」
獣化というのは、完全な獣の姿になることだ。クレイドは獣化すると狼のような姿になっていた。
「一般に言えばそうですね」
「でも獣化すると体力消耗しちゃうんだよね? それって大丈夫なの?」
現に森の中で賊と戦ったとき、獣化したクレイドは驚くほどの俊敏さと強さだった。あのときクレイドが獣化して助けてくれなかったら、きっとリオンも無傷ではいられなかっただろう。
だけど獣化したことにより、体力を使い果たしクレイドは倒れてしまった。獣人は皆、そのような身を削るような戦い方をするのだろうか。
「ああ、私は特殊な例なんです。私は半獣なので」
「半獣?」
「半分は獣人、半分は人間ということです」
「えっ、そうなの!」
「ええ。私は半獣なので体力をかなり消耗しますが、完全に純血の獣人は獣化してもそれほどダメージはありません」
「へえ」
「私も戦闘のときでもめったに獣化しませんよ。本当に必要に迫られて、どうしようもなくなった場合のみです。諸刃の剣なので」
「そうなんだ……」
リオンは感嘆の息を漏らした。
オメガのこと、獣人のこと。それにクレイドが半獣だったということ。本当に知らないことばかりだ。
「――ん、あれ……?」
話し込んでいるうちに、目の前の景色がだいぶ変わっていた。いつのまにか王宮の奥まで来ていたようだ。
「さあ、着きましたよ」とクレイドが足を止める。
「え、ここ?」
目の前には赤茶けたレンガ作りの小さな建物と門が見えていた。そして蔦や下草で覆われたその門のむこうに広がるのは、一面の緑、緑、緑――。
「ジャングル、ではないよね……?」
「ここは昔アナ様が管理なさっていた薬草園です」
「えっ、母さんの薬草園?」
リオンは目を見開いて、門の中に入っていくクレイドの後に続いた。
リオンが今使っている寝室ほどの広さの小さな空間だ。
三方を背の低く茶色のレンガの門に囲まれ、中央には石張りの通路が奥まで渡されている。その両側が畑になっているようだが、あまりにも雑草が育ちすぎていて、やはりジャングルにしか見えなかった。
「もともとここは、オースティンの叔父にあたるカイランという王族の方が趣味で薬草を育てていた場所ですが、アナ様が引き継いで管理なさっていたようです。アナ様が王宮を出られてからは厨房の人間が世話をしていたのですが、それもここ数年はほったらかしだったみたいですね。……これはなかなか手ごわそうだ」
クレイドは苦笑しながら、シャツの袖を捲る。
「さて、始めましょうか?」
「え」
「オースティンから許可を得ています。ここをリオン様が自由に使ってよいとのことです」
「ここを……自由にしていいの?」
リオンは驚き、クレイドを見あげた。
「ええ。リオン様はあの村でアナ様といっしょに薬草を育てて暮らしていたのでしょう。でしたらここの管理も出来るはずです。持ってきた種もここに植えましょう」
嬉しいと思った。でもすぐに不安が首をもたげてくる。
「……でも僕一人で出来るかな」
確かにあの村でリオンは薬草を育てていたが、母親に教えてもらいながらだった。その母がいない今、自分には出来るのだろうか。
「それに……村から持ってきた種のほとんどは、育てるのが難しい品種なんだ。母さんだったら育てられただろうけど」
「でも、リオン様はいつか育てたいと思って薬草の種を持ってきたのでは?」
「それはそうだけど……」
クレイドはリオンに向きなおった。そして優し気な声で言う。
「リオン様、失敗してもいいんですよ。最初からすべてうまくいくことなんてないのです。何度も失敗して、工夫して、ようやく成功していくのですから」
「……そっか」
すっとクレイドの言葉が胸に入ってきた。リオンは頷いた。
「うん、そうだよね」
まずはやってみよう。悩むのはそれからだ。
リオンは自分の頬を両手でぴしぴしと叩き、意気揚々と腕まくりをした。
「よしっ!」
張り切って作業を始めたのはいいが、その日はクレイドと一緒に雑草と格闘しただけで終わった。放置されていた時間が長すぎて、植えられていた薬草のほとんどは消えてしまっていたのだ。こうなるとすべての草を除去し、一から土を作るしかない。気が遠くなる作業だ。
(……だけど負けていられない。頑張るって決めたんだから)
それからリオンは毎日薬草園に通った。雑草を抜き、木の根を掘り起こし、小石をどかし、固くしまった土を掘り返す。
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