355 / 424
第十五章 試練
5-1 ルークの憂い
しおりを挟む
傾国の美貌と謳われる顔(かんばせ)。その白い頬を伝う滴。ハラハラ……、ハラハラと…………。
まるで琥珀色の瞳から宝石がこぼれているようだと、それを見たローウェンとアルティスは同じような事を思っていた。
初めて目にするレオンハルトの泣き顔が美し過ぎて目が逸らせない。こんなに綺麗に泣く人間がいようとは、今まで考えた事もなかった。
「ああ。すまないね、二人共」
弟よりも先に我に返ったアルティスが、ローウェンの着る学塔の制服のポケットに入れていたハンカチを取り出してレオンハルトに渡す。だが、それを受け取った声から、表に出ているのがレオンハルトである事を悟った彼は更に驚愕した。泣いているのはリュセルだけではなかったのだ。
そして、渡されたハンカチで軽く目元を拭ったレオンハルトが次に顔を上げた時には、元の無表情に戻っていた。
「行くよ」
年下の同胞達にそう呼びかけて踵を返すと、先に回廊を進んでいたらしいジュリナが前方で階段を見つけたらしく、大声で自分達を呼んでいるのに気づく。
「おおお~い、ようやく出口みたいだぞ~~! 階段を見つけた!」
「っ!」
「本当!?」
レオンハルトとローウェンは一瞬顔を見合わせた後、ジュリナのいる回廊の終わりへと全力で駆ける。そして行き着いた先で……。
「これは……」
レオンハルトは目を見開き、考え込むように顎に手を添えた。進路は二つに分かれていたのだ。上る階段と下る階段。右が上、左が下へと続いているようだった。
「確か、セリクス神官長達がともかく上を目指せって言っていたよな? 光の力は上だからってさ」
ジュリナはそう言って右の階段を見上げる。
人が四~五人並んでも上がれそうな程幅が広い大理石の階段は、到着地がまったく見えない。先が非常に長そうだ。
「さっき感知した道順もこちらだった故、右の階段を行くのが正しい道であろうな」
アルティスはそう言いながら、感知した道順を思い出す。
「一番最短のルートを行っても、別の神の部屋をいくつか通過せねばならぬな。光の第二眷属神の部屋は、かなり上に在る」
「でも、その一番最短のルートが、一番危険な道順のような気がしますわ」
アルティスの言葉にティアラが異を唱える。
最短ルートは確かに距離的には短いが、その間に在る神々の部屋は、強い力を持つ神達のものばかりだ。遠回りをしても比較的安全な道を行くべきではないのだろうか?
「一番最短ルートで行くと間に在る部屋は五つ程か。最長ルートだと……、間の部屋は百を超えるぞ」
「そんなに部屋を巡ってなどいられん。危険かもしれないが、最短ルートで行くぞ」
アルティスの言葉を聞くとそう断言したレオンハルトに対し、ジュリナもローウェンも同時に頷く。
そうして階段を駆け上がっていく二人に続こうとしたレオンハルトの足は、本人の意思に反して不意に止まった。後ろを振り返り、下へと続く階段を見つめる。
あの先にあるのは、闇の神の力。スノーデュークの力もそこに眠っているのだろう。この階段を下れば、その先に、あの優しい弟神の面影に出会う事が出来るのだろうか? 彼は一体何を想っていたのか。その想いも知る事が出来るのか?
「あの階段を下り、スノーデュークの部屋を見つけても、そこにあるのはただの彼の残像に過ぎない。本物の彼は私達の世界で邪神となり、すべてを滅ぼそうとしている」
弟に伝える為だけでなく、どこか自分自身に言い聞かせるかのようにそう言った兄の言葉を聞き、リュセルは頷く。
「ああ、分かってる」
そして踵を返し、先を行った二人を追いかけた。
*****
神子達がレイデュークの力の眠る部屋を求め、試練の迷宮内を駆けまわっている頃、時間の感覚のまったく異なる扉のこちら側の世界では、深刻な問題が持ち上がっていた。
ドラゴン達のディエラ引き渡し要求である。
古の勇者。救世の建国王。そう伝えられる三人の勇者の内の一人。そんな伝説の人物の引き渡し要求。いや、正確には、現世に転生したディエラの魂の保持者。アシェイラ神殿神官長、ライサン・セリクスの引き渡し要求である。
引き渡さなければ周囲のドラゴンの森を焼き払うと相手方は言っていたのだが、幸い今のところその兆しはなかった。もちろん、セイントクロス神殿としても、そんな要求に従うつもりもない。
当たり前の事だ。
しかし、彼は不安で仕方がなかった。
「……ッ、クソ」
パタンッ
神官にあるまじき汚い言葉で毒づくと、ルークは読んでいた古い本を乱暴に閉じた。
ドラゴンの伝説について描かれた数少ない書物である。自分の血のルーツを知りたくて、空いた時間にこうして書物を漁っていたのだが、全然その内容が頭に入って来なかった。
「あいつ、なんで……」
今いる場所は、セイントクロス神殿、西の離殿にある史書室だ。
世界中の文献や歴史書、過去の神子達や浄化任務の内容の資料などが納められたそこは、トラキアの学塔内にある図書館と同等程の大きさを有している。その中でも、一般の神官では閲覧不可である奥の禁書部屋への立ち入りを、神獣アシェイラより許されたルークは、その場に誰もいない事をいいことに今まで誰にも言えなかった事を口に出していた。
今だに信じられないが、自分がドラゴンという幻獣の末裔である事は理解した。理解できないが、無理矢理した。だが、ほとんど人であるとアシェイラから太鼓判を押された通り、自分にはドラゴンとしての力は何もない。ドラゴンの姿に変化する事も、彼らの使う不可思議な能力も長命な肉体も、すべて持たない。
唯の人間だ。
ドラゴンの一族の証である虹色さえ失った、ミラの子孫。唯一残されたのは、善悪を見抜き、真実を知る事の出来る瞳の力のみ。
「それなのに、あの馬鹿はッ」
こんな自分にまで負い目を感じているというのか!? ルークがドラゴンの血の末裔であると知った時のライサンの顔が頭から離れない。
驚愕と絶望に見開かれた瞳。
あんな顔、見たくはなかった。いつもみたいにヘラヘラと笑いながら、自分の前を歩いて行って欲しかった。
子供の頃よりずっと目の前に在った姿。常にその後を追ってきた。それをいきなり見失い、ルークはどうしようもなく混乱していたのである。認めたくないが、ルークの中でライサンという存在は、良くも悪くも非常に大きなものであったという事なのだろう。
あれ以降、徹底して自分を避けるライサンの行動と拒絶の雰囲気に傷つき続けているルークは、腰かけた椅子の背もたれにもたれたまま、史書室の天井を仰ぎ見た。
ああ、違う……。
「馬鹿は俺もか」
今だにライサンに向ける自分の気持ちの整理がつかない。本当は気づいているのに気づきたくない。それを認めたくなくて仕方がないのだ。自分はこの先、彼の補佐を外され傍を離れるというのに……。
願い続けていた事である。ずっとライサンの直属から外れたくて仕方がなかった。それに、待望のリュカ老師付きになれるのだ。
なのに
気持ちが沈むのを止められない。
「ルークや」
その時、優しい声が響いて、ルークは一気に居住まいを正した。
「リュ、リュカ様」
小妖精のような容姿の、長い白髭がチャーミングな老師が、いつのまにか部屋の扉を開けてこちらを見ていたのだ。
「どうしましたか?」
慌てて駆け寄って来る養い子の表情に、暗い影を見出したリュカ老師は、優しげな目元を軽くひそめる。
「たまには一緒にお茶でもしようと思ってのう。どうじゃ、ワシの部屋に来んか?」
にこにこと笑ってそう誘いの言葉をかけると、瞬く間にルークの目は喜びに輝いた。
(喜んで~~~~~~!)
心の中でそんな喜声を上げながら、ルークはリュカ老師の後について史書室を後にしたのだった。
セイントクロス神殿を束ねる大神官の一人、リュカ老師の私室は、神殿本部でも奥まった場所に位置している。
離殿から本殿に移動し、行き交う神官や巫女が緊迫した雰囲気を漂わせる回廊を抜けると、部屋の扉の前にリュカ老師の世話役の神官が控えていた。
「おお、ミツルギ。呼んで来てくれたか?」
リュカ老師にミツルギと呼ばれた青年は、無言のまま深く頭を下げる。それを了承の意と受け取り、リュカ老師は嬉しそうに笑う
「そうかそうか」
リュカ老師の側役の神官や巫女達とは顔見知りの者が多いのだが、ルークは彼とは初対面だった。一見したところ、特に変わったところのない、灰茶の髪をした二十歳前後程の年齢の華奢な青年である。
(…………ん?)
少しつり上がり気味の目元が印象的な、少年の面影を残した可愛らしい印象を受けるその青年に、ルークは違和感を感じた。
「ルークや、この子はミツルギと言ってな、ワシの新しい側役じゃ。お前がワシ付きになったら、この子とペアを組む事になるから仲良くするのじゃぞ」
「え? あ、は、はい」
リュカ老師の言葉に頷きながらも、ルークは不躾な視線を彼に送る事が止められない。
悪い、ものではないようではあるが……?
じーっと自分を凝視するルークに視線を返し、今までの無表情を崩したミツルギは、肩をすくめてリュカ老師に告げる。
「ダメみたいだ、リュカ。バレてる。神子達はもちろん、今生のディエラ様にもサンジェイラ様にも分からなかったのに……。すごいな、ドラゴンの瞳って」
ニヤリと笑ったミツルギは、ルークの顔に手を伸ばす。
背の高いルークの顔を見上げる形で伸ばされた白い指。それを見たリュカ老師は、慌てたような顔をした。
「これ、ミツルギ!」
その時だった。
「まったく、躾のなっていない駄犬ですね」
外の騒ぎを聞きつけて部屋の扉を内側から開けたライサンが、ミツルギの神官服の襟首を掴んでルークから引き離す。
「あいつ(アシェイラ)の教育がなっていないという事でしょうが。まあ、あの馬鹿に教育を任せている事自体が大きな間違いなのでしょうけど。ミツルギ、そんな事では神獣は務まりませんよ」
「ごめんなさい、ディエラ様! でも、吾輩は犬じゃないです! 駄犬じゃなくて、駄狼です!」
ライサンに襟首を掴まれたままそう言ったミツルギの体は、ポンッという音を立てて変化した。子犬のような大きさの、銀の毛並みの獣に……。
「まったく、アシェイラ以上の馬鹿だな」
ディエラの口調に戻ってライサンが毒づく。そんな彼が首根っこを掴んで片手で持ち上げてる獣を見て、ルークは呟いた。
「子犬?」
そう……。見た目は可愛らしい子犬そのものである。
「犬じゃない! 吾輩は気高き銀狼、神の随従、神獣フェンリリュだい!」
エッヘン! ライサンの手でぶら下げられながらも、ミツルギは胸を張って自分の凄さをアピールする。
「…………」
「ミツルギ、フェンリリュじゃなくてフェンリルじゃよ」
冷たい目線をミツルギに向ける孫に代わり、リュカ老師が幼い神獣の間違いを教える。
フェンリル? 神獣フェンリル。創世神レイデュークの随従、神の遣い。
「フェンリル様?」
この子犬が、アシェイラと同じ神獣なのか?
「きちんと自己紹介なさい」
ライサンの命令に、ミツルギは後ろ足をプラプラさせながらドヤ顔でルークに向かって前足を出す
「吾輩はミツルギ。フェンリル・ミツルギ。レイデューク神の随従、銀狼フェンリルの第二世代一号だ!」
握手を求められたので、ルークは意味が分からないままそれに応じる。ぷにぷにの感触の肉球がたまらなく気持ちいい。
「アシェイラ様だけでは、フェンリルとしてのお仕事が回しにくくなってきたらしくてのう……。百年程前に創られたそうじゃ。なんでも、偉大な功績を遺した魂を元に、神獣としての力を注いで出来たらしいのじゃが、誰じゃったかの?」
リュカ老師がそう言って考え込むと、ライサンは持ち上げていたミツルギを床の上に無造作に下ろしながら答えた。
「我々の先祖ですよ。勇者ディエラに最後まで付き従った従者、セリクスです。セリクスの魂は、度々その血の中、己の子孫の中に転生をしてきましたが、百年前にアシェイラがその魂を転生の輪の中から絡めとったようですね」
「そうだぞ、吾輩は偉いんだぞ~!」
ワンワンっと吠えながらそう言う姿は、まるで犬。
「それよりも早く部屋の中に入ろう! 吾輩、喉が渇いたよ~!」
「おお、そうじゃなそうじゃな、では、早く中へ入ろうかの。さ、二人共おいで」
子狼の頭をよしよしと撫でながらそう言って老師は入室を促し、ルークは目線をライサンに向ける。
「……入りましょう」
決してこちらを見ないライサンが、視線を逸らしながらそう告げた言葉にルークは頷いた。
「ああ」
まるで琥珀色の瞳から宝石がこぼれているようだと、それを見たローウェンとアルティスは同じような事を思っていた。
初めて目にするレオンハルトの泣き顔が美し過ぎて目が逸らせない。こんなに綺麗に泣く人間がいようとは、今まで考えた事もなかった。
「ああ。すまないね、二人共」
弟よりも先に我に返ったアルティスが、ローウェンの着る学塔の制服のポケットに入れていたハンカチを取り出してレオンハルトに渡す。だが、それを受け取った声から、表に出ているのがレオンハルトである事を悟った彼は更に驚愕した。泣いているのはリュセルだけではなかったのだ。
そして、渡されたハンカチで軽く目元を拭ったレオンハルトが次に顔を上げた時には、元の無表情に戻っていた。
「行くよ」
年下の同胞達にそう呼びかけて踵を返すと、先に回廊を進んでいたらしいジュリナが前方で階段を見つけたらしく、大声で自分達を呼んでいるのに気づく。
「おおお~い、ようやく出口みたいだぞ~~! 階段を見つけた!」
「っ!」
「本当!?」
レオンハルトとローウェンは一瞬顔を見合わせた後、ジュリナのいる回廊の終わりへと全力で駆ける。そして行き着いた先で……。
「これは……」
レオンハルトは目を見開き、考え込むように顎に手を添えた。進路は二つに分かれていたのだ。上る階段と下る階段。右が上、左が下へと続いているようだった。
「確か、セリクス神官長達がともかく上を目指せって言っていたよな? 光の力は上だからってさ」
ジュリナはそう言って右の階段を見上げる。
人が四~五人並んでも上がれそうな程幅が広い大理石の階段は、到着地がまったく見えない。先が非常に長そうだ。
「さっき感知した道順もこちらだった故、右の階段を行くのが正しい道であろうな」
アルティスはそう言いながら、感知した道順を思い出す。
「一番最短のルートを行っても、別の神の部屋をいくつか通過せねばならぬな。光の第二眷属神の部屋は、かなり上に在る」
「でも、その一番最短のルートが、一番危険な道順のような気がしますわ」
アルティスの言葉にティアラが異を唱える。
最短ルートは確かに距離的には短いが、その間に在る神々の部屋は、強い力を持つ神達のものばかりだ。遠回りをしても比較的安全な道を行くべきではないのだろうか?
「一番最短ルートで行くと間に在る部屋は五つ程か。最長ルートだと……、間の部屋は百を超えるぞ」
「そんなに部屋を巡ってなどいられん。危険かもしれないが、最短ルートで行くぞ」
アルティスの言葉を聞くとそう断言したレオンハルトに対し、ジュリナもローウェンも同時に頷く。
そうして階段を駆け上がっていく二人に続こうとしたレオンハルトの足は、本人の意思に反して不意に止まった。後ろを振り返り、下へと続く階段を見つめる。
あの先にあるのは、闇の神の力。スノーデュークの力もそこに眠っているのだろう。この階段を下れば、その先に、あの優しい弟神の面影に出会う事が出来るのだろうか? 彼は一体何を想っていたのか。その想いも知る事が出来るのか?
「あの階段を下り、スノーデュークの部屋を見つけても、そこにあるのはただの彼の残像に過ぎない。本物の彼は私達の世界で邪神となり、すべてを滅ぼそうとしている」
弟に伝える為だけでなく、どこか自分自身に言い聞かせるかのようにそう言った兄の言葉を聞き、リュセルは頷く。
「ああ、分かってる」
そして踵を返し、先を行った二人を追いかけた。
*****
神子達がレイデュークの力の眠る部屋を求め、試練の迷宮内を駆けまわっている頃、時間の感覚のまったく異なる扉のこちら側の世界では、深刻な問題が持ち上がっていた。
ドラゴン達のディエラ引き渡し要求である。
古の勇者。救世の建国王。そう伝えられる三人の勇者の内の一人。そんな伝説の人物の引き渡し要求。いや、正確には、現世に転生したディエラの魂の保持者。アシェイラ神殿神官長、ライサン・セリクスの引き渡し要求である。
引き渡さなければ周囲のドラゴンの森を焼き払うと相手方は言っていたのだが、幸い今のところその兆しはなかった。もちろん、セイントクロス神殿としても、そんな要求に従うつもりもない。
当たり前の事だ。
しかし、彼は不安で仕方がなかった。
「……ッ、クソ」
パタンッ
神官にあるまじき汚い言葉で毒づくと、ルークは読んでいた古い本を乱暴に閉じた。
ドラゴンの伝説について描かれた数少ない書物である。自分の血のルーツを知りたくて、空いた時間にこうして書物を漁っていたのだが、全然その内容が頭に入って来なかった。
「あいつ、なんで……」
今いる場所は、セイントクロス神殿、西の離殿にある史書室だ。
世界中の文献や歴史書、過去の神子達や浄化任務の内容の資料などが納められたそこは、トラキアの学塔内にある図書館と同等程の大きさを有している。その中でも、一般の神官では閲覧不可である奥の禁書部屋への立ち入りを、神獣アシェイラより許されたルークは、その場に誰もいない事をいいことに今まで誰にも言えなかった事を口に出していた。
今だに信じられないが、自分がドラゴンという幻獣の末裔である事は理解した。理解できないが、無理矢理した。だが、ほとんど人であるとアシェイラから太鼓判を押された通り、自分にはドラゴンとしての力は何もない。ドラゴンの姿に変化する事も、彼らの使う不可思議な能力も長命な肉体も、すべて持たない。
唯の人間だ。
ドラゴンの一族の証である虹色さえ失った、ミラの子孫。唯一残されたのは、善悪を見抜き、真実を知る事の出来る瞳の力のみ。
「それなのに、あの馬鹿はッ」
こんな自分にまで負い目を感じているというのか!? ルークがドラゴンの血の末裔であると知った時のライサンの顔が頭から離れない。
驚愕と絶望に見開かれた瞳。
あんな顔、見たくはなかった。いつもみたいにヘラヘラと笑いながら、自分の前を歩いて行って欲しかった。
子供の頃よりずっと目の前に在った姿。常にその後を追ってきた。それをいきなり見失い、ルークはどうしようもなく混乱していたのである。認めたくないが、ルークの中でライサンという存在は、良くも悪くも非常に大きなものであったという事なのだろう。
あれ以降、徹底して自分を避けるライサンの行動と拒絶の雰囲気に傷つき続けているルークは、腰かけた椅子の背もたれにもたれたまま、史書室の天井を仰ぎ見た。
ああ、違う……。
「馬鹿は俺もか」
今だにライサンに向ける自分の気持ちの整理がつかない。本当は気づいているのに気づきたくない。それを認めたくなくて仕方がないのだ。自分はこの先、彼の補佐を外され傍を離れるというのに……。
願い続けていた事である。ずっとライサンの直属から外れたくて仕方がなかった。それに、待望のリュカ老師付きになれるのだ。
なのに
気持ちが沈むのを止められない。
「ルークや」
その時、優しい声が響いて、ルークは一気に居住まいを正した。
「リュ、リュカ様」
小妖精のような容姿の、長い白髭がチャーミングな老師が、いつのまにか部屋の扉を開けてこちらを見ていたのだ。
「どうしましたか?」
慌てて駆け寄って来る養い子の表情に、暗い影を見出したリュカ老師は、優しげな目元を軽くひそめる。
「たまには一緒にお茶でもしようと思ってのう。どうじゃ、ワシの部屋に来んか?」
にこにこと笑ってそう誘いの言葉をかけると、瞬く間にルークの目は喜びに輝いた。
(喜んで~~~~~~!)
心の中でそんな喜声を上げながら、ルークはリュカ老師の後について史書室を後にしたのだった。
セイントクロス神殿を束ねる大神官の一人、リュカ老師の私室は、神殿本部でも奥まった場所に位置している。
離殿から本殿に移動し、行き交う神官や巫女が緊迫した雰囲気を漂わせる回廊を抜けると、部屋の扉の前にリュカ老師の世話役の神官が控えていた。
「おお、ミツルギ。呼んで来てくれたか?」
リュカ老師にミツルギと呼ばれた青年は、無言のまま深く頭を下げる。それを了承の意と受け取り、リュカ老師は嬉しそうに笑う
「そうかそうか」
リュカ老師の側役の神官や巫女達とは顔見知りの者が多いのだが、ルークは彼とは初対面だった。一見したところ、特に変わったところのない、灰茶の髪をした二十歳前後程の年齢の華奢な青年である。
(…………ん?)
少しつり上がり気味の目元が印象的な、少年の面影を残した可愛らしい印象を受けるその青年に、ルークは違和感を感じた。
「ルークや、この子はミツルギと言ってな、ワシの新しい側役じゃ。お前がワシ付きになったら、この子とペアを組む事になるから仲良くするのじゃぞ」
「え? あ、は、はい」
リュカ老師の言葉に頷きながらも、ルークは不躾な視線を彼に送る事が止められない。
悪い、ものではないようではあるが……?
じーっと自分を凝視するルークに視線を返し、今までの無表情を崩したミツルギは、肩をすくめてリュカ老師に告げる。
「ダメみたいだ、リュカ。バレてる。神子達はもちろん、今生のディエラ様にもサンジェイラ様にも分からなかったのに……。すごいな、ドラゴンの瞳って」
ニヤリと笑ったミツルギは、ルークの顔に手を伸ばす。
背の高いルークの顔を見上げる形で伸ばされた白い指。それを見たリュカ老師は、慌てたような顔をした。
「これ、ミツルギ!」
その時だった。
「まったく、躾のなっていない駄犬ですね」
外の騒ぎを聞きつけて部屋の扉を内側から開けたライサンが、ミツルギの神官服の襟首を掴んでルークから引き離す。
「あいつ(アシェイラ)の教育がなっていないという事でしょうが。まあ、あの馬鹿に教育を任せている事自体が大きな間違いなのでしょうけど。ミツルギ、そんな事では神獣は務まりませんよ」
「ごめんなさい、ディエラ様! でも、吾輩は犬じゃないです! 駄犬じゃなくて、駄狼です!」
ライサンに襟首を掴まれたままそう言ったミツルギの体は、ポンッという音を立てて変化した。子犬のような大きさの、銀の毛並みの獣に……。
「まったく、アシェイラ以上の馬鹿だな」
ディエラの口調に戻ってライサンが毒づく。そんな彼が首根っこを掴んで片手で持ち上げてる獣を見て、ルークは呟いた。
「子犬?」
そう……。見た目は可愛らしい子犬そのものである。
「犬じゃない! 吾輩は気高き銀狼、神の随従、神獣フェンリリュだい!」
エッヘン! ライサンの手でぶら下げられながらも、ミツルギは胸を張って自分の凄さをアピールする。
「…………」
「ミツルギ、フェンリリュじゃなくてフェンリルじゃよ」
冷たい目線をミツルギに向ける孫に代わり、リュカ老師が幼い神獣の間違いを教える。
フェンリル? 神獣フェンリル。創世神レイデュークの随従、神の遣い。
「フェンリル様?」
この子犬が、アシェイラと同じ神獣なのか?
「きちんと自己紹介なさい」
ライサンの命令に、ミツルギは後ろ足をプラプラさせながらドヤ顔でルークに向かって前足を出す
「吾輩はミツルギ。フェンリル・ミツルギ。レイデューク神の随従、銀狼フェンリルの第二世代一号だ!」
握手を求められたので、ルークは意味が分からないままそれに応じる。ぷにぷにの感触の肉球がたまらなく気持ちいい。
「アシェイラ様だけでは、フェンリルとしてのお仕事が回しにくくなってきたらしくてのう……。百年程前に創られたそうじゃ。なんでも、偉大な功績を遺した魂を元に、神獣としての力を注いで出来たらしいのじゃが、誰じゃったかの?」
リュカ老師がそう言って考え込むと、ライサンは持ち上げていたミツルギを床の上に無造作に下ろしながら答えた。
「我々の先祖ですよ。勇者ディエラに最後まで付き従った従者、セリクスです。セリクスの魂は、度々その血の中、己の子孫の中に転生をしてきましたが、百年前にアシェイラがその魂を転生の輪の中から絡めとったようですね」
「そうだぞ、吾輩は偉いんだぞ~!」
ワンワンっと吠えながらそう言う姿は、まるで犬。
「それよりも早く部屋の中に入ろう! 吾輩、喉が渇いたよ~!」
「おお、そうじゃなそうじゃな、では、早く中へ入ろうかの。さ、二人共おいで」
子狼の頭をよしよしと撫でながらそう言って老師は入室を促し、ルークは目線をライサンに向ける。
「……入りましょう」
決してこちらを見ないライサンが、視線を逸らしながらそう告げた言葉にルークは頷いた。
「ああ」
0
あなたにおすすめの小説
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
転生したら嫌われ者No.01のザコキャラだった 〜引き篭もりニートは落ちぶれ王族に転生しました〜
隍沸喰(隍沸かゆ)
BL
引き篭もりニートの俺は大人にも子供にも人気の話題のゲーム『WoRLD oF SHiSUTo』の次回作を遂に手に入れたが、その直後に死亡してしまった。
目覚めたらその世界で最も嫌われ、前世でも嫌われ続けていたあの落ちぶれた元王族《ヴァントリア・オルテイル》になっていた。
同じ檻に入っていた子供を看病したのに殺されかけ、王である兄には冷たくされ…………それでもめげずに頑張ります!
俺を襲ったことで連れて行かれた子供を助けるために、まずは脱獄からだ!
重複投稿:小説家になろう(ムーンライトノベルズ)
注意:
残酷な描写あり
表紙は力不足な自作イラスト
誤字脱字が多いです!
お気に入り・感想ありがとうございます。
皆さんありがとうございました!
BLランキング1位(2021/8/1 20:02)
HOTランキング15位(2021/8/1 20:02)
他サイト日間BLランキング2位(2019/2/21 20:00)
ツンデレ、執着キャラ、おバカ主人公、魔法、主人公嫌われ→愛されです。
いらないと思いますが感想・ファンアート?などのSNSタグは #嫌01 です。私も宣伝や時々描くイラストに使っています。利用していただいて構いません!
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
転入初日から女子たちに囲まれ、学園中の話題の的に。
だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。
【3/11書籍発売】麗しの大公閣下は今日も憂鬱です。
天城
BL
【第12回BL大賞 奨励賞頂きました!ありがとうございます!!3/11に発売になります、よろしくお願いします!】
さえないサラリーマンだったオジサンは、家柄・財力・才能と類い稀なる美貌も持ち合わせた大公閣下ルシェール・ド・ヴォリスに転生した。
英雄の華々しい生活に突然放り込まれて中の人は毎日憂鬱だった。腐男子だった彼は知っている。
この世界、Dom/Subユニバースってやつだよね……。
「さあ気に入ったsubを娶れ」
「パートナーはいいぞ」
とDomの親兄弟から散々言われ、交友関係も護衛騎士もメイド含む屋敷内の使用人全てがSubで構成されたヴォリス家。
待って待って情報量が多い。現実に疲れたおっさんを転生後まで追い込まないでくれ。
平凡が一番だし、優しく気立のいいsubのお嫁さんもらって隠居したいんだよ。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
【蒼き月の輪舞】 モブにいきなりモテ期がきました。そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!
黒木 鳴
BL
「これが人生に三回訪れるモテ期とかいうものなのか……?そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!そして俺はモブっ!!」アクションゲームの世界に転生した主人公ラファエル。ゲームのキャラでもない彼は清く正しいモブ人生を謳歌していた。なのにうっかりゲームキャラのイケメン様方とお近づきになってしまい……。実は有能な無自覚系お色気包容主人公が年下イケメンに懐かれ、最強隊長には迫られ、しかも王子や戦闘部隊の面々にスカウトされます。受け、攻め、人材としても色んな意味で突然のモテ期を迎えたラファエル。生態系トップのイケメン様たちに狙われたモブの運命は……?!固定CPは主人公×年下侯爵子息。くっついてからは甘めの溺愛。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる