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第十五章 試練
8-2 ずっと傍で…
しおりを挟む「やはりな」
ようやくルークに追いついたリュセルは、その様子を見つめながらそう呟く。
「……?」
何がだ?という視線を兄は向けてくるが、リュセルはそれを曖昧に濁した。
あの時。
湖を渡り、森の中を駆けていた時に急に遠くに見えた景色。
その違和感のある見え方から、ドラゴン達が再び地形を変動させているのが分かった。という事は、このまま普通に向っても、あの場所には辿り着けない。下手すると、とんでもない場所に行ってしまい、迷子になる可能性があった。
感知能力を使い、場所が分かっているだけに、そこまでの道順が分からない事が歯がゆい。とにかく、落ち着いて考えて、道順を探し出さなければならない。
遠くに見える血に濡れたライサンの姿を見ていると、どうしても焦り、動揺してしまう為、リュセルはルークに目を向けて話を続けた。
「地形が変動されてしまっている以上、このまま向かっても向こうには辿り着けません。遠回りになるかもしれませんが、これからの道順を感知能力で探して…………ウインター神官長補佐?」
相手の反応がない事を不思議に思い、その顔を覗き込んだリュセルは、ぎょっと目を見開いた。
瞳孔が開いていたのだ。
そして、それと同時に瞳の色彩が一気に変化する。レオンハルトのように感情のブレで瞳の色が変わるのではない。その変化は生々しく、あまりにも劇的だった。
しかし、リュセルがその色を見たのは一瞬で、すぐにルークがその手をとって走り出したので、それをじっくりと確認している暇などなかった。
人型であるとはいえ、全力で駆けるドラゴンの足についていく事が途中で出来なくなったリュセルは、ほとんど抱えられるようにして森内を移動する。
そして、ふと気づいた。周囲の景色が目まぐるしく入れ替わっている事に。
一度だけこの光景を見た事があった。
この森を通り抜けた時、レオンハルトやライサンと引き離された折に、双子の弟であるベルと合流する為、ジルが行っていたのだ。
この地を支配してきたドラゴンのみが出来るという、それは……。
(地形変動!?)
しかし、ここには、純粋なドラゴンの血統である彼らはいない。
いるのは、遠い血の末裔。
ドラゴンの血は限りなく薄く、真実を見抜く瞳の力しか残されていない、ほとんどただの人間にしか過ぎない青年。そんな彼が、己の力の枠を超えて、本能のまま、無意識かつ無理矢理に、ドラゴンの力を使用しているのだろう。
リュセルの目に一瞬、赤竜(レッドドラゴン)が森の中を全力で飛翔する姿が映り込む。
木々は彼の行く手を遮らないように枝を退け、森は彼を祝福する。
しかし、それは一瞬で、自分の感知能力が感知したルークの中に眠る真の姿。ただの幻だという事がすぐに分かった。
表に出る事など本来ないはずのドラゴンの資質を、でたらめな方法で無理やり引き出したルークの目には、傷ついたライサンの姿しか映っていなかったのである。
こうして何度か地形の変動を繰り返した後、ようやくリュセルは兄達と合流する事が出来たのだった。
「何故、そうまでする? そいつの為に、本来使われるはずのないドラゴンの力を引き出したというのか!? 君のような血の薄い者には、それは命を懸けるも同然の行為だ。下手すれば死んでしまうのだよ」
ベルの悲鳴のような声を聞いたルークは、静かに答えた。
「でも、生きている」
出た声はひどく掠れていた。
「それは、運が良かったに過ぎない」
続いて聞こえたジルの声に頷くと、ルークは言った。
「そうかもな」
ルークの言葉を聞いたジルは、グルルと小さなうめき声を上げる。
「とにかく、そこをどくんだ。君を傷つけたくない。俺達はその男を殺す。それはもう変えようがない事実だ」
その言葉を聞いたジュリナが、二人を庇おうと動こうとしたのをレオンハルトは止めた。一旦この場は、当事者の一人であるルークに任せた方がいいと判断したのだ。
「……………………なら、このまま俺ごと殺せ」
挑むような視線と共に返された言葉を聞き、ジルもベルも絶句する。言葉が出て来ないドラゴン達にルークは告げた。
「答えを返すぞ。お前達は俺の意見など聞いちゃいないだろうが、俺にも選ぶ権利はある。実際、フェンリル・アシェイラだってそのように言っていたしな。今後の事は、俺が自分で決める。自分で決められない人生なんぞ、くそくらえだ! 死んだ方がマシだッ!」
そう言うとルークは、ぐったりとして動かない、固く目を閉じた、長年の天敵にして上司、ずっと兄代わりであった白髪の青年の青白い頬を両手で挟んだ。
自分の罪とずっと向き合ってきた彼。
今の自身には関係がない、生まれる前の罪。
記憶を失くして逃れる事すらしなかった。
辛くても辛くても、いつも笑っていた。
どこまでも、優しく
どこまでも、能天気に
ただ、ただ、穏やかに笑っていた。
世界が美しいと、嬉しそうに笑っていた。
普通、そんな事出来やしない。
自分には、そんな事、きっと出来ない。
どうして、生まれ変わってもこんな目に遭わなければならないのかと憤り、怒り、そして、自分を憐れんで泣くだろう。
笑う事など、出来やしない。
辛くても、笑うなど……そんな事、きっと出来ない。
気づいた時には、ルークの頬には幾筋もの涙が伝い、それが零れ落ちてライサンの頬を濡らした。
「自分の事でお前が怒らないのなら、俺が怒ろう。お前が泣かないなら、俺が代わりに泣くさ」
彼自身を持て余したという両親も、理解者であった祖父も、心を寄せた友人達も、古に共に戦ったという仲間にさえ、ライサンは己の胸の内を語る事は一切なかった。
その笑顔の中にすべてを封じ込め、過去に犯した罪を見つめ続けていた。
「誰も被れないというのなら、俺がお前と同じ泥を被るよ、ライサン」
ライサンの額に自分の額を合わせ、そう告げるルークの言葉は、ドラゴン達にというよりも、ライサン自身に向けられた言葉だった。
「俺は人として、お前の傍でずっと生きていく。そう、決めた」
あの極寒の北の大地で手を差し伸べてきた少年。
ふわふわとした白い髪が柔らかそうで、実は激しい飢餓で瀕死の状態であったにも関わらず、触ってみたいという衝動に襲われていたのを思い出す。
ー君、僕のものになる?ー
そう言った白兎のような少年。
「俺がお前のものになるんじゃない。お前が俺のものになるんだ」
ルークが当時の事を思い出しながらそう告げると、諦めきれないベルの弱弱しい声が聞こえた。
「馬鹿な……。人として、生きていくだって!? それも、俺達の、一族の宿敵の傍で? ミラの子孫である君が?」
それに対し、ルークはベルの方に目を向ける事なく答える。
「そんな事、俺には関係ない。いきなりドラゴンの末裔とかミラの子孫だとか、訳の分からん事を言われても今更変えようがない。俺は俺だ。ルーク・ウインター。その名一つだけでいい。……それに」
言葉の途中で、不意に諦めの混じったような声に変化した。
「認めたくないが、俺はこの、どうしようもない馬鹿な男が、心底、嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで……………………そして、たまらなく愛しいんだ」
仕方ないだろう?
小さく笑いながらの最後の言葉は、ささやくような声になる。
「…………」
「……………………」
ルークの決断に呆然とし、何も言えなくなってしまったドラゴン達には、その気持ちを理解する事が難しかった。互いの存在しか知らなかった彼らには、そんな激しい想いは存在しなかったからである。
「ふふ…………、ず……いぶんと……、まぁ、…………ッはは……、熱烈な告白ですねぇ」
静まり返った森の中、不意に聞こえた弱々しい掠れた声。それを聞いたルークは目を見張り、顔を上げ、目の前の青年の目が開かれるのを見た。
大量の出血と体中に負った傷や骨折の影響で潤んだ薄茶色の瞳。しかし、その瞳には、はっきりとした意志の力が宿っていた。
起き上がる事も出来ずにいる彼の瞳が、元の、自分を拒絶する前のものに戻っている事を悟ったルークは、いつかみたいに怒鳴った。
「馬鹿か、お前は! アシェイラで姿を消した時、あれ程……あれ程、言ったのに、なんで同じ事をしたんだ!」
それにライサンは懐かしそうに微笑んだ。口が切れていて上手く笑えなかったが、実際話すのさえ、辛いのだが、ライサンはいつかのように謝った。
「ごめんなさい、ルーク」
謝り、その顔を覗き込むと、虹色に変化した瞳が再び潤む。頬に残る涙の痕をぬぐってやると、おもむろにルークの頭が下がってきた。相手の不機嫌そうな顔が目に入り、ライサンは小さく笑う。
そうして僅かに頭を上げて、与えられる口づけを受け入れたのだった。
触れた唇は冷たく、血の味がした。
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