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第十三章 聖女の血
2-1 狙われた聖女
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サンジェイラ城の後宮に現在住まうのは、現王アサギの弟妹達と前王の側室達。そして、前王妃レティシア、その人である。アサギに現時点で妻子がいない為、後宮の部屋については、前王時代そのままになっているのだ。そんな中、レティシアの私室があるのは、日当たりのいい西側に位置した奥の宮であった。
マーリンは静かに後宮内を駆け抜けた後、レティシアの私室の扉をノックする事なく荒々しく開いた。
「レティシア様!」
扉を開け、中に入室したマーリンの目に飛び込んできたのは、華美を好まぬ前王妃らしい質素な調度品の数々。テーブルの上の花瓶に飾られた花を目にした途端、マーリンの心は優しく和む。
今朝方摘んだ、レティの花。
白い花弁が可憐なその花は、レティシアによく似合う。アルティスが城にいる間は、彼が毎朝摘んで母に贈っていたのだが、いない今、マーリンが摘んで渡していた。彼女に花を贈る日課は、誰に命じられた訳でもない。マーリンが自主的に始めた事だ。
母を知らぬマーリンには、彼女のような存在は初めてだった。
ーすごく綺麗な紺色の髪ね。あなた、新しく雇われた、王部屋付きの侍女でしょう?ー
王の自室に飾る花を選別していた時、庭園を散歩していたレティシアがそう話しかけてきたのだ。悪戯っぽく笑う彼女は、まるで少女のようだった。それでいて、年若い侍女を気遣う姿は、前王妃の威厳に満ちている。
ーふふ、私、昔から娘が欲しかったのよ。あ、アルには内緒ね。アルもローウェンも可愛いのだけど、でも男の子は男の子だし。ユリエやサクラちゃんはしっかりし過ぎてて私の出る幕ないの。それに、他の子にはきちんと母親がついているからー
そう言いながら、マーリンの髪を梳かしてくれたレティシアの頬笑みは、母の慈愛に満ちていた。
そんな風に、レティシアの事を思い出して和みかけたマーリンであったが、すぐにそれを打ち消すような声が部屋に響き渡る。彼女の耳に届いた声は、ひどく恐ろしく、闇の気配に満ちたもの。しかし、それと同時に、懐かしくもあるものだった。
「おやおや、懐かしい気配がすると思ったら、あなたでしたか」
くすんだような色の金髪に、妖しく輝く瑠璃色の瞳の美丈夫。
その吸いこまれてしまいそうな闇の美貌から、彼が唯人ではない事が一目で知れる。彼こそが、邪神スノーデュークの懐刀。邪気より産まれし最初の邪鬼。
サイレン。
そう呼ばれる古の邪鬼である。
しかし、マーリンにとって彼の名は、それではない。もっと呼び慣れた名があった。盲目なまでに彼を信じ、慕っていた頃。それはまだ、昔と呼ぶには新し過ぎる記憶。まだ、あれから二か月も過ぎていないのだ。
ブルブルと震えるマーリンの視線は、部屋の奥に悠然と立つ邪鬼から、その腕に抱えられた女性に移る。
「レティシア様!」
前王妃にして現玉鍵、アルティスの実母、レティシアの細い体からは完全に力が抜け、その青白い瞼は力なく閉じられていた。ぐったりとした身をサイレンに預けた彼女の手首からは鮮血が滴り落ち、床に血溜まりを作っていた。
「……? ああ、これですか。折角こうして出向いてきたのに、この”聖女”の血では力が弱すぎて、マスターの復活の鍵にはなりませんでしたよ。さてさて、どうしましょうかね。玉主の生母は既に亡く、剣主と剣鍵の生母も既に他界。残りは鏡主と鏡鍵の生母……。表向きは夫と共に死亡している事になっていますが」
ぶつぶつと独り言を言っていたサイレンは、後ずさりを始めたマーリンに気づいたのか、にっこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「ん、いかがしました?」
ドサッ
レティシアの体を床の上に放り、ゆっくりとした歩調でマーリンの元へと近づいてくる。
「また前のように、”クラウン様”と呼んではいただけないのですか? 可愛いマーリン」
この短期間の間であり得ない程に伸びたマーリンの紺色の髪を撫でながら、サイレンは彼女の耳元でささやく。
「ふふ、ずいぶんと成長したのですね。あんなに小さかったあなたが。育ての親としては感無量です」
そんな言葉と共に、邪気にまみれた優美な手が、マーリンの髪から肩、腕の上を服の上からなぞる。
「邪混鬼の出来そこないであるあなたですが、こうして女に分化したからには、色々と使い道もありますねぇ。私の子を産ませて、新たな邪混鬼を作り出してもいい。人間の女で作るより、邪混鬼の産まれる確率は高くなるでしょう」
「や、あ、ぁ」
腰から臀部に回った手は、そのまま着物の裾を割り、マーリンの太腿の上を這う。恐怖のあまり声を出せずに震えるマーリンの肌を弄りながら、サイレンは彼女の唇に唇を近づける。
「大丈夫、痛みは一瞬です。私が闇の快楽と、闇の子供をあなたに授けて差し上げますよ。ふふ、最も、闇の贄を産んだあなたの命は、完全に失われるでしょうがね」
その言葉が終わると共に、闇の口づけを受けたマーリンの体を邪気が覆う。
何も考える事が出来ぬ程、密着したサイレンの体と邪気に包まれ、口内を貪られるマーリンの意識が遠のきかけた時
「マーリンッ!」
切羽詰ったような怒声と共に、唐突に闇の腕(かいな)はマーリンから離れる。
倒れかけた少女の体を邪鬼より奪い返したレインは、自分の攻撃を受けても尚平然としているサイレンに厳しい目を向けた。
「ふふふ、邪魔が入ってしまいましたねぇ」
片腕にマーリンを抱き、自分に剣を向けるレインを、サイレンは自分の腕から流れ出る血をペロリと舐めながら、虫けらを見るような目で静かに見つめていた。
(こいつは、やばい)
ブルブルと可哀そうな程震えるマーリンの体を強く抱き締めながら、レインは目の前の邪鬼を睨み見る。しかし、自分のような生身の人間が、目の前の闇の化身に敵うはずがない事を本能で悟っていた。背筋に冷たい嫌な汗が流れ、肌は総毛立つ。目の前の男に対する恐怖から
「クククク、人間とは、本当に愚かで脆弱ですねぇ」
サイレンは目の前のレインごとマーリンを切り裂く為、ゆっくりと腕を上げる。
その時
「いい加減にしろ、遊んでいる時間はない」
切り捨てるような刺々しい声音と共に、床上に不可思議な紋様の円陣が描かれ、そこから一人の青年が浮かび上がる。
色の系統は似ているが、その青年の髪は、マーリンの髪色よりも尚明るい、蒼色。真っすぐに伸びた、癖のないその髪は、足首に届いてしまうのではないかと思われる程長かった。
そして、何よりも異様なのが、顔の上半分、鼻より上の部分を隠す仮面だ。それにより、彼の顔は半分が隠され、どのような顔形をしているのか分からなくなっていた。
「戻るぞ、その聖女の血が使えない事が分かった今、いつまでもここにいる必要はない」
簡潔な、仮面の男の言葉を聞いたサイレンは、無言のままレインに背を向けた。
「ルカイナの居場所が分かったのですか?」
「ああ。ただ、干渉しずらい状況になりそうだ」
そう言い合った二人は、そのまま床上に描かれた円陣の中に沈み吸い込まれ、その場から姿を消す。ただ、最後にサイレンは、マーリンに意味深な視線を向け、小さな笑みを漏らすのを忘れなかった。
「クソッ!」
邪鬼達が去ると同時に、レインはダンッと床上に拳を打ち付け下ろす。
なんて、情けない。
あまりの恐ろしさに、手も足も出なかった。
「レインッ!」
その時になってようやく追いついたアサギやシオン達は、室内の惨状を目にし、愕然とする。
「レティシア様……ッ」
最初に我に返ったアサギは、床の上に倒れ伏した前王妃に駆け寄りゆっくりと抱き起こす。
「まだ息はある。スカイ、典医を呼んで来なさい!」
「う、うん。分かった!」
兄王の指示を受けて、スカイは慌てて部屋を飛び出す。その間にも、医療の知識をわずかなりとも持つシオンが、レティシアの傷の応急処置に入る。
ビリビリと夜着の裾を引き裂いて、白く細い、たおやかな腕にそれを巻き、圧迫させるシオンの素早い的確な処置を見守りながら、アサギはレインに目を向けた。
「何があったんだ? レイン」
厳しい兄の視線を受けたレインは、動揺する心を押さえ込み、震える声で答えた。
「邪鬼がいた……。二鬼も」
「邪鬼!? この王宮にか!?」
いくら過去、情勢不安定が原因で王都に張られた結界が弱まっていようとも、現在はローウェンとアルティスによって浄化結界も張り直され、通常に機能していたはずだ。それに、この城の奥底には、女神の宝の一つ、女神の玉が眠っている。
邪鬼が侵入するなど、ありえぬ話である。
「邪鬼……」
その名を聞いたイズミは、顔を蒼白にし、ガタガタと震え始める。
「よりによって、アルティスとローウェンのいない、こんな時に」
手当てをしながらも、シオンはそう言って唇を噛み締める。
「そろそろアシェイラに着く頃だろうから、この事を知らせる為、速達を送るが、それでも二人に知らせが届くまで時間がかかるだろうね」
転移装置は女神の子供達しか使用できない為、こちらから連絡をとるには手紙を出すしかない。
「連れてきたよ!」
宿直の王宮典医を連れて戻ってきたスカイに促され、シオンはレティシアを彼らに任せる。
「レイン、マーリンは大丈夫ですか?」
それを見届けたアサギは、弟の腕の中で震え続けているマーリンに目を向けた。
「ああ、体に異常はないが。……マーリン?」
そろそろ落ち着いた頃かと呼びかけるが。
「あ……ぁ、ああ、クラウン様……クラウン、様。…………はい、カナラズご期待に答えてみせマス。なんなりと、……ご命令ヲ」
ブツブツと呟きながらうつろな目を見開くマーリンの体を、レインは慌てて揺らす。
「おい、しっかりしろ。マーリン……、マーリンッ!」
「……ぁッ」
乱暴に揺らされたマーリンの瞳に自我が戻るのを見たレインは、ほっと胸を撫で下ろした。
「マーリン」
「……ししょ」
まだ口が回らないのか、か細い声でレインを呼ぶ。
しかし、次の瞬間、安心したような優しい顔をするレインの顔を目に映したマーリンの中に、忘れかけていた闇の鼓動が浮かび上がる。
そう……。胸の奥、深い場所に傷を感じる。今だ癒えぬそこから、再び血が溢れはじめたのだ。
「ぁ、あ、あ、…………いやああああああああああああああああああああああああッ」
唇から切り裂かれるような悲鳴をほとばしらせ、マーリンは意識を手放したのだった。
マーリンは静かに後宮内を駆け抜けた後、レティシアの私室の扉をノックする事なく荒々しく開いた。
「レティシア様!」
扉を開け、中に入室したマーリンの目に飛び込んできたのは、華美を好まぬ前王妃らしい質素な調度品の数々。テーブルの上の花瓶に飾られた花を目にした途端、マーリンの心は優しく和む。
今朝方摘んだ、レティの花。
白い花弁が可憐なその花は、レティシアによく似合う。アルティスが城にいる間は、彼が毎朝摘んで母に贈っていたのだが、いない今、マーリンが摘んで渡していた。彼女に花を贈る日課は、誰に命じられた訳でもない。マーリンが自主的に始めた事だ。
母を知らぬマーリンには、彼女のような存在は初めてだった。
ーすごく綺麗な紺色の髪ね。あなた、新しく雇われた、王部屋付きの侍女でしょう?ー
王の自室に飾る花を選別していた時、庭園を散歩していたレティシアがそう話しかけてきたのだ。悪戯っぽく笑う彼女は、まるで少女のようだった。それでいて、年若い侍女を気遣う姿は、前王妃の威厳に満ちている。
ーふふ、私、昔から娘が欲しかったのよ。あ、アルには内緒ね。アルもローウェンも可愛いのだけど、でも男の子は男の子だし。ユリエやサクラちゃんはしっかりし過ぎてて私の出る幕ないの。それに、他の子にはきちんと母親がついているからー
そう言いながら、マーリンの髪を梳かしてくれたレティシアの頬笑みは、母の慈愛に満ちていた。
そんな風に、レティシアの事を思い出して和みかけたマーリンであったが、すぐにそれを打ち消すような声が部屋に響き渡る。彼女の耳に届いた声は、ひどく恐ろしく、闇の気配に満ちたもの。しかし、それと同時に、懐かしくもあるものだった。
「おやおや、懐かしい気配がすると思ったら、あなたでしたか」
くすんだような色の金髪に、妖しく輝く瑠璃色の瞳の美丈夫。
その吸いこまれてしまいそうな闇の美貌から、彼が唯人ではない事が一目で知れる。彼こそが、邪神スノーデュークの懐刀。邪気より産まれし最初の邪鬼。
サイレン。
そう呼ばれる古の邪鬼である。
しかし、マーリンにとって彼の名は、それではない。もっと呼び慣れた名があった。盲目なまでに彼を信じ、慕っていた頃。それはまだ、昔と呼ぶには新し過ぎる記憶。まだ、あれから二か月も過ぎていないのだ。
ブルブルと震えるマーリンの視線は、部屋の奥に悠然と立つ邪鬼から、その腕に抱えられた女性に移る。
「レティシア様!」
前王妃にして現玉鍵、アルティスの実母、レティシアの細い体からは完全に力が抜け、その青白い瞼は力なく閉じられていた。ぐったりとした身をサイレンに預けた彼女の手首からは鮮血が滴り落ち、床に血溜まりを作っていた。
「……? ああ、これですか。折角こうして出向いてきたのに、この”聖女”の血では力が弱すぎて、マスターの復活の鍵にはなりませんでしたよ。さてさて、どうしましょうかね。玉主の生母は既に亡く、剣主と剣鍵の生母も既に他界。残りは鏡主と鏡鍵の生母……。表向きは夫と共に死亡している事になっていますが」
ぶつぶつと独り言を言っていたサイレンは、後ずさりを始めたマーリンに気づいたのか、にっこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「ん、いかがしました?」
ドサッ
レティシアの体を床の上に放り、ゆっくりとした歩調でマーリンの元へと近づいてくる。
「また前のように、”クラウン様”と呼んではいただけないのですか? 可愛いマーリン」
この短期間の間であり得ない程に伸びたマーリンの紺色の髪を撫でながら、サイレンは彼女の耳元でささやく。
「ふふ、ずいぶんと成長したのですね。あんなに小さかったあなたが。育ての親としては感無量です」
そんな言葉と共に、邪気にまみれた優美な手が、マーリンの髪から肩、腕の上を服の上からなぞる。
「邪混鬼の出来そこないであるあなたですが、こうして女に分化したからには、色々と使い道もありますねぇ。私の子を産ませて、新たな邪混鬼を作り出してもいい。人間の女で作るより、邪混鬼の産まれる確率は高くなるでしょう」
「や、あ、ぁ」
腰から臀部に回った手は、そのまま着物の裾を割り、マーリンの太腿の上を這う。恐怖のあまり声を出せずに震えるマーリンの肌を弄りながら、サイレンは彼女の唇に唇を近づける。
「大丈夫、痛みは一瞬です。私が闇の快楽と、闇の子供をあなたに授けて差し上げますよ。ふふ、最も、闇の贄を産んだあなたの命は、完全に失われるでしょうがね」
その言葉が終わると共に、闇の口づけを受けたマーリンの体を邪気が覆う。
何も考える事が出来ぬ程、密着したサイレンの体と邪気に包まれ、口内を貪られるマーリンの意識が遠のきかけた時
「マーリンッ!」
切羽詰ったような怒声と共に、唐突に闇の腕(かいな)はマーリンから離れる。
倒れかけた少女の体を邪鬼より奪い返したレインは、自分の攻撃を受けても尚平然としているサイレンに厳しい目を向けた。
「ふふふ、邪魔が入ってしまいましたねぇ」
片腕にマーリンを抱き、自分に剣を向けるレインを、サイレンは自分の腕から流れ出る血をペロリと舐めながら、虫けらを見るような目で静かに見つめていた。
(こいつは、やばい)
ブルブルと可哀そうな程震えるマーリンの体を強く抱き締めながら、レインは目の前の邪鬼を睨み見る。しかし、自分のような生身の人間が、目の前の闇の化身に敵うはずがない事を本能で悟っていた。背筋に冷たい嫌な汗が流れ、肌は総毛立つ。目の前の男に対する恐怖から
「クククク、人間とは、本当に愚かで脆弱ですねぇ」
サイレンは目の前のレインごとマーリンを切り裂く為、ゆっくりと腕を上げる。
その時
「いい加減にしろ、遊んでいる時間はない」
切り捨てるような刺々しい声音と共に、床上に不可思議な紋様の円陣が描かれ、そこから一人の青年が浮かび上がる。
色の系統は似ているが、その青年の髪は、マーリンの髪色よりも尚明るい、蒼色。真っすぐに伸びた、癖のないその髪は、足首に届いてしまうのではないかと思われる程長かった。
そして、何よりも異様なのが、顔の上半分、鼻より上の部分を隠す仮面だ。それにより、彼の顔は半分が隠され、どのような顔形をしているのか分からなくなっていた。
「戻るぞ、その聖女の血が使えない事が分かった今、いつまでもここにいる必要はない」
簡潔な、仮面の男の言葉を聞いたサイレンは、無言のままレインに背を向けた。
「ルカイナの居場所が分かったのですか?」
「ああ。ただ、干渉しずらい状況になりそうだ」
そう言い合った二人は、そのまま床上に描かれた円陣の中に沈み吸い込まれ、その場から姿を消す。ただ、最後にサイレンは、マーリンに意味深な視線を向け、小さな笑みを漏らすのを忘れなかった。
「クソッ!」
邪鬼達が去ると同時に、レインはダンッと床上に拳を打ち付け下ろす。
なんて、情けない。
あまりの恐ろしさに、手も足も出なかった。
「レインッ!」
その時になってようやく追いついたアサギやシオン達は、室内の惨状を目にし、愕然とする。
「レティシア様……ッ」
最初に我に返ったアサギは、床の上に倒れ伏した前王妃に駆け寄りゆっくりと抱き起こす。
「まだ息はある。スカイ、典医を呼んで来なさい!」
「う、うん。分かった!」
兄王の指示を受けて、スカイは慌てて部屋を飛び出す。その間にも、医療の知識をわずかなりとも持つシオンが、レティシアの傷の応急処置に入る。
ビリビリと夜着の裾を引き裂いて、白く細い、たおやかな腕にそれを巻き、圧迫させるシオンの素早い的確な処置を見守りながら、アサギはレインに目を向けた。
「何があったんだ? レイン」
厳しい兄の視線を受けたレインは、動揺する心を押さえ込み、震える声で答えた。
「邪鬼がいた……。二鬼も」
「邪鬼!? この王宮にか!?」
いくら過去、情勢不安定が原因で王都に張られた結界が弱まっていようとも、現在はローウェンとアルティスによって浄化結界も張り直され、通常に機能していたはずだ。それに、この城の奥底には、女神の宝の一つ、女神の玉が眠っている。
邪鬼が侵入するなど、ありえぬ話である。
「邪鬼……」
その名を聞いたイズミは、顔を蒼白にし、ガタガタと震え始める。
「よりによって、アルティスとローウェンのいない、こんな時に」
手当てをしながらも、シオンはそう言って唇を噛み締める。
「そろそろアシェイラに着く頃だろうから、この事を知らせる為、速達を送るが、それでも二人に知らせが届くまで時間がかかるだろうね」
転移装置は女神の子供達しか使用できない為、こちらから連絡をとるには手紙を出すしかない。
「連れてきたよ!」
宿直の王宮典医を連れて戻ってきたスカイに促され、シオンはレティシアを彼らに任せる。
「レイン、マーリンは大丈夫ですか?」
それを見届けたアサギは、弟の腕の中で震え続けているマーリンに目を向けた。
「ああ、体に異常はないが。……マーリン?」
そろそろ落ち着いた頃かと呼びかけるが。
「あ……ぁ、ああ、クラウン様……クラウン、様。…………はい、カナラズご期待に答えてみせマス。なんなりと、……ご命令ヲ」
ブツブツと呟きながらうつろな目を見開くマーリンの体を、レインは慌てて揺らす。
「おい、しっかりしろ。マーリン……、マーリンッ!」
「……ぁッ」
乱暴に揺らされたマーリンの瞳に自我が戻るのを見たレインは、ほっと胸を撫で下ろした。
「マーリン」
「……ししょ」
まだ口が回らないのか、か細い声でレインを呼ぶ。
しかし、次の瞬間、安心したような優しい顔をするレインの顔を目に映したマーリンの中に、忘れかけていた闇の鼓動が浮かび上がる。
そう……。胸の奥、深い場所に傷を感じる。今だ癒えぬそこから、再び血が溢れはじめたのだ。
「ぁ、あ、あ、…………いやああああああああああああああああああああああああッ」
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