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第十三章 聖女の血
17-1 それぞれの戦い
しおりを挟む「来い、リュセル」
低い声音で紡ぎ出された短い命令を聞いたリュセルは、兄の構える、鞘に納められたままの神剣に右手を伸ばす。瞬間、リュセルの額に不可思議な紋様が浮かび、一瞬のうちに彼の体と心は分け離される。
眩い白銀の光と共に神剣の中に肉体が捧げられると同時に、抗いがたい引力に導かれるがまま、魂はレオンハルトの肉体へと入り込み、そのまま同化した。
金色の瞳を鈍く光らせ、目の前の敵を兄の視線で捉えたリュセルはそのまま言った。
「さあ、浄化の時間だ」
剣鍵の肉体という鍵を得、封印を解いた女神の剣は、鞘が拡散し、白銀に輝く剣身をあらわにしている。神剣を中心にして周囲を照らす、白銀の光。それは、アシェイラ神殿や王都各地に点在する教会に形成された結界が放つ光と同種のもの。生ける者すべてを照らす、浄化の光。その光は暖かく、神聖的で、そして何故か、とても懐かしい。
レオンハルトを包むその光を無表情に見据えた後、サイレンは何かを思い出すような表情で言った。
「そうやって、また抗うのですね。あなた方、女神の子供達は……。定められた運命に逆らう事程、愚かしい事はないとは思わないのですか?」
昔、サイレンは同じような台詞を別の神子達に投げかけた事があった。
「運命とは、誰が決める? 神か魔か? それとも、もっと別のものか?」
遙か昔に対峙した当時の神子達と同じ瞳をしたレオンハルトが、抑揚のない声で尋ねる。
「さあ? 私達、邪鬼ではない事は確かでしょうが。所詮、邪鬼とはマスター……、スノーデューク様の僕(しもべ)に過ぎません」
のん気にレオンハルトの問いに答えながらも、サイレンは邪気を増幅させ、臨戦態勢を整え始める。
「やはり、運命を決めるのは、スノーデューク様や姉神様、あなたのような神族なのでしょう」
リュセルと同化し、感知能力が桁外れに上がったレオンハルトは、無言のまま剣を構える。……その時。
「いや、それは違う」
何も言わぬ兄の代わりに、兄の口を使ってリュセルが、サイレンの言葉を鋭く否定した。
「運命を決めるのは、神ではない! 決めるのは自分自身。それだけが、自分を変える唯一のものなんだ」
自分自身こそが、運命を決める唯一の者? ならばあの時、運命を変えられなかった自分は何なのだ。課せられた運命に従うしかなかった自分は……。
ーお前は、今日から僕の友達だ!ー
大きな王冠を被った、栗色の髪をした少年が、こちらに手を差し伸べてくる。生命に溢れた明るい琥珀の瞳。陽に焼けた小さな手。太陽のような眩い笑顔。
過去に自分が切り捨て、無残に葬った、三千年前の鏡主!
「……ふ、ふふふふふ、あはははははははははははははッ!」
リュセルの言葉を聞き、呆然としていたサイレンは、不意に狂ったように笑いだした。
「ふふ、さすがは、神子。綺麗事を口にするのがお上手です」
そして、狂気に満ちた瑠璃色の瞳を向け、吐き捨てるように言った。
「泥にまみれた事もない、偽善者風情が!」
襲い来る濃密な邪気を前に、レオンハルトは同じ肉体に宿る弟に告げた。
「いくよ、リュセル」
こんな時にでも冷静さを見失わない兄に安堵の念を覚えながら、リュセルは頷き答える。
「ああ」
次の瞬間
激しい爆音と共に、光と闇が衝突したのだった。
「国民を守る為に自分達の身を囮にしたぁ? はっ、馬鹿馬鹿しくて笑っちまうね」
アシェイラ城、玉座の間前。
せせら笑いを浮かべながら両手を広げた邪鬼、クロードに目を向けたまま、ジュリナも好戦的な笑みをその美貌に浮かべる。
「そうかい? まぁ、お前には分からんだろうよ。守るものがある者とそうでない者のそれが違いさ」
そう言いながら、懐から一枚の鏡を出した。持ち手のない事を抜かせば、額に不可思議な紋様が描かれている事を除いて何の特徴もない、普通の手鏡。
「ここから先へは一歩も通さないよ。アシェイラ国の王族達には、指一本触れさせはしない」
ジュリナの言葉に呼応するかのように、ずっと祈りの形に両手を組んでいたティアラが手を下ろす。姉と同じ想いを秘めているという事は、強い意志の力を宿す緑色の瞳を見るだけでも明らかだった。その気迫を肌で感じ取っていたジュリナは、妹の方に目線を向ける事なく呼んだ。
「おいで、ティアラ」
優しい姉の呼びかけを合図に、ティアラは彼女の持つ鏡へと右手を差し出した。
「チィッ!」
場を満たす白銀の光から身を守る為、周囲を邪気の壁で防御したクロードは、ティアラの額に忌々しい神の紋様が浮かび、その体が吸い込まれるかのように鏡の中へと消え往くのを成す術もなく見つめていた。
それと同時に、ジュリナの持つ女神の鏡の曇りは晴れ、周囲の景色とクロードの周りに存在する濃密な邪気を映し出す。閉じていた目を開いた彼女の深紅の瞳に今までの苛烈な光はなく、代わりに大いなる慈愛の力が宿っていた。
姉の意識の前に立ったティアラは、借りものの瞳でクロードを見据え、言った。
「さあ、浄化の時間ですわ!」
邪気と浄化の力が衝突するのを感じる。
一つは遠くに。城外、おそらく街中だ。そして、一つは近く……、同じ城内に。その他に、邪気と邪気がぶつかり合う気配も感じる。前者は自分達の同胞、半身と同化を果たしたレオンハルトやジュリナだろう。後者は、分からない。
(一体何だ、これは?)
アシェイラ城の回廊にて、激しい戦いを繰り広げるローウェンとエルヴィスの動きを目で追いながら、アルティスは正体不明の邪気同士のぶつかり合いについて考えていた。
「たああああああッ!」
大きな掛け声と共に、空中でエルヴィスの華奢な体に回し蹴りを決めたローウェンは、宙返りをしてアルティスの前に着地する。
「調子に乗るんじゃないわよ、クソ餓鬼がッ!」
吹き飛ばされたにも関わらず、同じように空中で回転をして地面に着地をしていたエルヴィスは、憤怒の表情を浮かべたまま、唸るように言った。
「同感だな。一気にカタをつけるぞ、ロー」
兄のその言葉に頷いたローウェンは、持っていた大鎌を指輪の形に戻す。そして、素早い動きでアルティスから玉を受け取ると、それを慣れた手つきで長杖の形にした。
「来て、アルティス!」
弟の要望に右手を玉に掲げる事で答えたアルティスの額には、次の瞬間、不可思議な神の紋様が浮かび上がる。魂と肉体が分離し、体は女神の玉へ、魂はローウェンの中へと入り込み、瞬時に同化した。
白銀の光を身にまといながら、アルティスは低くなった視線で世界を見る。そして、憤怒の醜い表情を浮かべる彼女に妖しい頬笑みを向けた。少年の天使のような美貌に不似合いな、色香の強く漂う夜の微笑。熟練の遊女ですら敵わぬであろうその頬笑みは、夜を漂う蝶の妖しさに似ている。
「さあ、浄化の時刻ぞ」
解放された女神の玉を構え、ひとまず邪気同士の衝突から意識を逸らしたアルティスは、目の前の敵を排除する事に専念する事に決めた。
ズドドドドドドドッ
大きな地震が、連続して何度も起こる。
邪鬼と神子
光と闇
邪気と浄化の力
それらの激しい衝突に大地が悲鳴を上げ、建物を揺らしているのだ。
「……場所を移しましょうか」
その現状を正確に認識したイプロスは、セフィランの繰り出す攻撃を紙一重で避け、相手の手を掴むと、亜空間移動の準備を始めた。アシェイラ城が崩れようが、壊れようが、イプロスからしてみればどうでもいい事なのだが、今後の為に面倒事は避けたい。
「…………」
無言のまま、鋭い目つきで自分を睨みつけてくるセフィランと共に、イプロスは瞬時に円陣を地面に描き、そのまま二人は、その円陣の中に吸い込まれていった。
「こちらです。早くこちらに……」
アシェイラ王都の街中。
その中に取り残されていたアイリーンは、教会に避難しそびれた人々を探し、先導しながら、街の警備にあたっていた騎士達と共に避難場所である教会に急いでいた。なにしろ、漆黒の霧が周囲に立ちこめており、その霧から見た事もないような醜悪な姿の怪物が産まれ、襲いかかってくるのだ。
アイリーンは他の騎士達と連携を組み、保護した国民達を守りながら進む。邪気達に気づかれないようにさりげない動きで、出来るだけ早く。おそらく、街中に配置された騎士達は皆、アイリーン達のように逃げ遅れた民達を守っているのだろう。
レオンハルトより受けた指示の中には、今現在、邪気の覆う王都内での安全な避難場所が含まれていた。
(教会か神殿。そのどちらかに避難させれば……)
ユージンやアントニオは無事だろうか? 邪鬼達の目的である王子達の傍にいる彼らも、危険な状況である事は想像に難くない。
(必ず戻る。あいつと約束したのだから!)
脳裏に浮かぶ、軟派な軽薄男。その、まぬけな顔を思い出して、こんな時だというのに笑ってしまった。
「おじいちゃん、怖いよ」
その時、幼い少女の泣き声がアイリーンの耳に届く。
「大丈夫じゃ、ルリカ。わしがついてるよ」
リュセルとレオンハルトが神殿に向かう途中、彼らの乗っていた馬車を止めてしまった初老の老人とその孫娘。怪我をした少女の手当てに手間取った為、彼らも教会に行くのが時刻に間に合わず、こうしてアイリーン達に守られていた。
「コルム様、ここからですと、教会に向かうよりも神殿に向かった方が近いと思われます」
邪気や邪鬼を避けて移動した為、本来の目的地である教会から、かなり離れてしまったのだ。まだ年若い騎士の提案に、アイリーンも頷く。
「そうだな。このまま、邪気に気づかれにくい、一番安全な道を行こう」
数人いる騎士の面々にそう告げると、十数人はいると思われる、保護した人々に指示する。
「皆さん、あまり物音を立てず、なるべく気配も押し殺してついてきて下さい」
無茶な指示にも、邪気に対する恐怖で固まってしまっている彼らは、皆、無言のまま頷いた。
そうして、建物の影から出ようとした瞬間、前方に見える広場の地面に、巨大な円陣が現れた。
「なっ!?」
驚愕に目を見張るアイリーンの視線の先で、まるで奇跡のように、その円陣から二人の人間が音も立てずに出てくる。
足元にまで届くような蒼髪の男と神官服姿の翠緑の髪の男。
(まさか、邪鬼か!?)
何もない地面からまるで魔法のように浮かび上がるなどと、普通の人間には出来ない事だ。しかし、そこでアイリーンは気づいた。男の一人に見覚えがあった事に……。
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