調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

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1.少女のハンドクリーム

理由

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 テレーゼが『ステルラ』に飛び込みで訪れてから、二十日余りが経った。
 いまだにアイゼル=ワード大公国にいるミールからの連絡はない。

 今日もテレーゼの施術の日だった。

 彼女の掌は、完全には治っていないものの、最初にここを訪れた時より、ずいぶんと赤みが引いていた。もうしばらくは様子見が必要だが、ここまで肌荒れが治ってきたのならば、先日、彼女がつけていた毛織物の手袋を着用しても問題ないだろう、とドーラは触診しながらそう思った。

 今日の施術はハンドマッサージと、専用ハーブティーの飲用。どちらも代謝を良くして、毒素を追い出すためのものであり、最近では、ラベンダーだけではなく、他の精油をブレンドしたものをマッサージオイルとして使用している。

「そういえば、キミの師匠って、この店の前の持ち主なんだよね?」

 施術の最中、手持ち無沙汰になったのか、首だけを動かして、辺りを見回して尋ねたテレーゼ。特に隠し立てすることでもないので、ええ、とドーラは頷き、伯母の持ち物だったんです、と机の端に飾られていた小さな肖像画を見た。

「そうか。しかし、その伯母さんをここで見かけたことがないんだが、その方は、今どこに?」

 テレーゼの純粋な疑問に虚を突かれたのか、手を止めたドーラ。その表情はごっそり抜け落ちていた。

「――――あ、すまない。聞いちゃいけなかったみたいだね」
 フェオドーラの雰囲気に、自分一人でどうすればいいのか分からなくなって、オロオロしだしたテレーゼは、外にいる自身の警護を呼ぼうかとしたとき、突然、外から暢気な声が聞こえてきた。


「帰ったぞ」


 抜け殻のようになっているフェオドーラとそれにオロオロとしている青年を見た声の持ち主は、あんた誰? と青年に声を掛けた。

「あ、私は――――」
「アイゼル=ワード大公のテレーゼさんです」

 テレーゼの言葉にかぶせるように言ったのは、彼の声を聞いて立ち直ったドーラだった。
 全体的にまだ抜け殻のような雰囲気だったが、目だけはしっかりと意思を持っているのを確認した金髪・・の若い男は、ふぅんと言って、その男装した女性の方を見た。

「あんた、もしかして、伯母さんの事とか尋ねたりした?」

 青年は意地悪そうに尋ねると、テレーゼはその雰囲気に押されてか、言葉を発さず、コクコクと頷いた。

「悪りぃな。あいつにとっても俺にとっても、あの人は身内で大切な師匠だ。だけど、調香師認定試験に受かったその日・・・に行方不明になったとくれば、あいつが答えたくても答えられないのが、分かるだろ?」

 彼の口調にテレーゼは一歩下がった。

「もちろん、それを知らなかったあんたを責めるわけにはいかねぇ。だが、保護者からすりゃ、ちょっと看過できなくてね」

 テレーゼの事情を考えつつも、大公という地位にいる客人よりもドーラを優先させる青年に、テレーゼは苦笑するしかなかった。

「ドーラは過去のことを詮索する人があまり好きじゃない、というか、深入りされると、使いもんにならなくなるんだ。あんただって、自分の家のことに深入りされたくないから分かるだろ、アイゼル=ワード大公殿下?」

 テレーゼは青年の言葉で、テレーゼと父親との間に深い溝があった事を、彼が知っているのだと理解でき、それ以上、何も言えなかった。

「だから、申し訳ないが、今日のところは一度、引き取ってもらえないか――――ああ、施術が終わっていないみたいだから、俺も一応は調香師の端くれだ。それだけはやらせてもらう」

 青年は外出着のまま腕まくりをして、テレーゼに座るように促した後、ぼんやりしたままのドーラに声を掛けた。
「とりあえず、お前は上で休め」
 青年の言葉に、かすかに頷いたドーラは何も言わずに部屋を出て行った。彼はドーラが残していった処方箋レシピを参考にしながら、テレーゼの施術を再開した。
 その施術はドーラと同じくらいの気持ち良いものだった。

「――――君はそれだけの技量がありながら何故、自分の店を持たないんだ?」

 黙々と施術をしている青年に、ふと感じたことをテレーゼは尋ねた。すると、一瞬、驚いたような顔をしたが、少しずつ話し出した。

「あいつ――ドーラの伯母さんに俺も調香師になるための修業をつけてもらった。だが、認定試験当日、ちょっとした事故で俺は第一級・・・認定調香師になれなかった――いや、ならなかったんだ。そのまま、調香院に残って、昇格を目指すという道もあったが、ちょうど合格発表の日、あいつの伯母さんが行方不明になってな。
 一報を聞いて、憔悴しきってしまったあいつを、一人でここに残しておけないって思ったんだ」

 そう話す青年は、その当時のことを思い出しているのだろう、非常に苦い顔をしていた。

「だから、第一級認定調香師しか書けない処方箋レシピを書けなくてもいい、第一級認定調香師しかできない、オリジナルの施術メニューを考えることだってできなくてもいい。

 そん時に決めたんだ。

 あいつの代わりに、経理だって買い付けだってなんだってやってやるんだってね。
 今でもそういう気持ちでしかない」

 青年の言葉と純粋にドーラを心配する視線に、そうなのか、と納得したテレーゼは、それ以降は黙って施術を受けた。




 数十分の後、テレーゼの施術が終わった。

「そういや、大公殿下」

 青年は個室を出る間際のテレーゼに、話しかけた。
「なんだ?」
 ドーラのことを第一に考えている青年の口から、一体どんな言葉が出るのだろうかと身構えた。

「本当は俺がこうやって言うのは差し出がましいことなんだが、しばらくしたらドーラを連れて、国へ戻ってもらう必要がある」

 テレーゼは青年の口から出た言葉に、どういう事だと訝しんだ。
 だが、それには彼は答えず、また、アンゼリム殿下から話があると思うんで、その時はよろしくです、と言って、外に追い出されてしまった。

 一応、彼らよりも身分は上のはずだが、追い出された格好になったテレーゼは、怒るわけでもなく、なかなか面白い奴だな、と思った反面、どこか脆そうな奴だな、とも思ってしまった。

 例えば、ドーラのために何か罪を犯す、とか。
 そんなことはないだろうと、願いつつも、払拭しきれない何かが残っていた。



「ドーラ、大丈夫か?」
 テレーゼを追い出した青年――ミールは、ドーラの私室へノックなしで踏み込んだ。

 彼女の部屋はあまり物がなく、昔から使っているもの――伯母が残していったものを含む――だけが丁寧に置かれていた。
 ドーラはベッドの上で膝を抱えてぼんやりしていた。

「うん、大丈夫。ありがと」

 そう言った彼女の声から、先ほどよりも落ち着いているようにミールには見えた。
 とはいえども、帰って来たばかりのミールよりも疲れて見えたので、台所へ戻り、ラベンダーのハーブティーを淹れて、再び彼女の部屋に戻ってきた。

 そのポットから発せられる香りに気付いた彼女は目線を上げ、ありがと、と呟き、お茶を飲む姿勢になった。
 ミールがポットからカップに注ぐ姿は一流の形で、ドーラもミールの姿に追いつこうといくら練習しても、追いつけないが、彼の動きを何度も目で追ってしまう。
 そんなドーラの視線に気づいたミールは、ドーラにカップを渡した後、彼女の許可なしに向かいのソファに座った。


「――――いつ帰ってきたの?」

 ラベンダーティーを飲んで一息ついたドーラは、ミールに訊ねた。
「ついさっきだ。大公邸には昼前には帰っていたが、エルスオング大公に挨拶したり、侯爵様に引継ぎとかいろいろしてたもんで、ちょっと遅くなった」
 ミールは頭を掻きながら、すまない、と謝った。

「そうだったの――――で、向こうで何か分かった?」
 ドーラは彼が帰ってきた、ということは何かがあったのだろうと思い、そう尋ねた。
 彼女の疑問に、彼はああ、と頷く。


「ゲオルグ・デリュータ=フォン=ファーメナは何か――ヤツ自身が調香できない理由――がある」


 ミールから告げられた言葉に、ドーラは頭の中が真っ白になった。
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