混ざらないまま、隣にいる。

haru

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第2章 「青のほとり」2

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そのことを、ミズキが口にしたのは、思いがけない瞬間だった。
放課後、川沿いの堤防を並んで歩いていた。
落ち葉が風に乗って流れ、空は薄曇りだった。
「……あのときさ」
ミズキがぽつりと、遠くを見るような目で言った。
「私、いじめられてたって思ってなかったんだよね。ずっと」
僕は立ち止まりそうになった。
「え?」
「“自分が悪い”って思ってたの。空気読めないのかなって。
なんか、みんなにとって“ちょっと面倒くさい存在”なのかなって……」

 彼女は、笑っていなかった。
でも、涙もなかった。
ただ淡々と、まるで誰かの話をするように。
「でもね、大人になってから気づいたの。“あれ、いじめだったんだ”って」
「ミズキ……」
僕の声が震えたのは、冷たい風のせいじゃなかった。
彼女の“青”が、張り詰めた氷のように見えたからだ。
少しの衝撃で、粉々に砕けてしまいそうな青。
「ハルは、あのときのこと……覚えてる?」
僕はうなずくことしかできなかった。

「うん。……全部、覚えてる」
「ふふ」
ミズキは、笑った。
その色は、限りなく無色に近い青だった。
「やっぱり」
「……ごめん。俺、助けたかった。でも、何もできなかった。怖くて……」
「いいんだよ」
ミズキはそう言って、足を止めた。
川沿いのフェンスにもたれて、空を見上げる。
雲の切れ間から光が差して、彼女の横顔に淡い影を作っていた。
「私も、“助けて”って言えなかった。言ったら、自分が“弱い人間”になる気がして。
でも……今は、ちょっとだけ思えるんだ。
“言えなかったまま、生きてこれた”ってことの方が、たぶん強い」
その言葉に、僕は息を飲んだ。
言葉を持たない強さ。
叫ばない勇気。
それが、ミズキの“青”だったんだ。
「静かな人って、さ」
僕はゆっくり口を開いた。
「優しい人だと思ってた。でも……優しいだけじゃなかったんだね。
静かさって、孤独を受け入れてる強さなんだなって」
ミズキは少しだけ目を細めた。
「……青ってさ、冷たい色って言われるでしょ」
「うん」
「でも本当は、“冷たくしてる”だけかも」
その言葉は、僕の中にずっと残った。
その夜、ノートを開いた。

〈記録ノート・6月15日〉
ミズキは、ずっと静かだった。
でも、その静けさの中には、声にならない叫びがあった。

青は冷たいんじゃない。
青は、誰にも寄りかからないまま、強がってる色なんだ。
僕は、その色に気づいていた。
でも、気づいてる“だけ”だった。
もう、ただ見るだけの自分でいたくない。

 教室の後ろのロッカーには、絵の具セットが詰まっている。
久しぶりの美術の授業だった。
先生が、静かな声で言った。
「今日は“自分の色”をテーマに描いてみましょう」
教室にざわめきが走る。
「色?自分に?」
「赤って言ったら変な誤解されそ~」
「俺、真っ黒にしてやろっかな」
笑い混じりの声が飛び交う中、ハルはノートにペンを滑らせていた。

 “自分の色”ってなんだろう。

 見えているのに、見えない。
みんなの色は、流れるように見えるのに、
自分だけは――透明なままだ。
絵の具の箱を開けると、いろんな色が整然と並んでいた。
赤、青、黄色、白、黒。
それらを混ぜて、自分の“正体”を描く。
ハルは筆を握ったまま、手を止めていた。
“色が見える”という特性が、ここでは役に立たない。
見えても、感じられない。
感じても、それが“自分”かどうかは、わからない。
「ねえ、ハルくん」
ミズキの声に、顔を上げる。
彼女はすでに、下書きを終えていた。
淡い水彩のにじみが、画用紙に広がっていた。
それは、深い青の上に薄く白が乗り、
さらにところどころに、黄色がやわらかく混ざっている。
「それ……ミズキの色?」
彼女は静かにうなずいた。
「うん。でも、たぶんこれは、“私がなりたい色”なんだと思う」
「なりたい、色……」
ハルは、その言葉を反芻した。
今、自分が“何色なのか”ではなく、
 “どんな色になりたいか”。
それは、自分に問いかけたことがなかった視点だった。
ハルは、自分の画用紙に目を落とす。
筆を取り、最初に選んだのは――灰色だった。
うっすらと、にごったグレーを画面の左側に塗り込める。
次に、白を混ぜて、少しだけ光を差すように伸ばした。
そのまま筆を置き、じっと画用紙を見つめる。
この色は、今の僕の心の風景に似てる。
曇り空のような灰色。
でも、どこかで光が届くのを待っているような――そんな場所。
それは、色としては地味だったかもしれない。
けれど、彼にはそれが、正直な色だった。
美術の時間が終わりに近づく頃、先生が教室をまわって言った。
「どんな色を選んでも、正解も不正解もありません。
それが、今の自分であれば、それでいいんです」
ハルは、教室の窓の外を見た。
空はどこまでも青く澄んでいて、まるでミズキの絵のようだった。
「ハルくんの絵、すごく“静か”だね」
ミズキがぽつりと言った。
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