混ざらないまま、隣にいる。

haru

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第2章 「青のほとり」

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 朝の空気が、すこしだけ澄んでいた。
湿気も冷たさもほどよく混ざっていて、肌を撫でる風が心地よかった。
いつものように、ミズキと待ち合わせた角を曲がると、彼女はすでにいた。
制服の上から羽織った紺色のカーディガンが風に揺れて、彼女の周囲を、淡い青がふわりと包んでいた。
「……今日、ちょっと寒いね」
「うん。でも、空気はきれい」
そう答えると、ミズキは小さく笑った。
彼女の笑いは、音より先に“色”が来る。
あの静かな青の光が、ほんの少し鮮やかであたたかい青色に寄るのだ。
それが好きだった。
 
 
 僕とミズキは、隣の家同士で育った。
小学校の頃は、毎日のように遊んでいた。
けれど中学に入ってからは、少しずつ距離ができて、
それでもこうして、一緒に登校する習慣だけは変わらなかった。
「……ねぇ」
しばらく歩いたあと、ミズキがふいに言った。
「ハルってさ、自分の心を色で表すとしたら、何色だと思う?」
僕は少し驚いて、歩みを緩めた。
「……たぶん、まだグレー」
「グレーか……悪くないと思うけどね」
「え、そう?」
「うん。いろんな色に染まれるってことじゃん。純粋な赤とか青って、混ざるとすぐ濁るから」
彼女はそう言って、空を見上げた。
朝の空は、ほんの少しだけ薄紫がかっていた。
ミズキは静かに言った。
「私は、自分の色が“決まってる”方が怖いよ」
「……なんで?」
「だって、それが“本当の自分”だったら、逃げられないから」
教室に入ると、また色がごちゃ混ぜになった。
笑い声、机をこする音、窓の外の木漏れ日。
そのどれもが、空気をかき乱し、色を変えていく。
ミズキはそんな中でも、静かだった。
彼女の席の周りだけ、少し空気が澄んでいた。
授業中、僕はふと、ノートの端に「青」って書いた。
 
 青とは、なにか。
静けさ。冷静。深さ。冷たさ。孤独。沈黙。透明。
どれもミズキにあてはまる気がした。
でも、それだけでは説明が足りない。
青は、黙っているだけで、本当は叫んでるのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった。
昼休み、屋上に上がった。
風が強くて、髪が揺れる。
ミズキは中庭のベンチに座って、パンを食べていた。
遠くの空をぼーっと見ている。
彼女はいつも、視線が“向こう側”にある。
それが、どこなのかはわからない。
ある時勇気を出して、「何考えてるの?」と聞くと、
「んー……“なんで生きてるんだろう”って」
と、あっさり答えた。
僕はパンをのどに詰まらせそうになった。
「えっ、重すぎ」
「ちがうよ、そういう意味じゃなくて」
ミズキは笑った。
けど、その笑いはどこか遠かった。
「ただね、時々思うんだ。“自分がこの場所にいる理由”って、あるのかなって」
僕は答えられなかった。

 そのとき、ミズキの青が、ほんの一瞬だけ――黒に近づいた気がした。
あのとき、僕は――確かに見ていた。
ミズキが、傷ついていく様子を。
見て、知って、それでも――何もしなかった。

それは、小学五年生の冬だった。
記憶の中の教室は、やけに白くて冷たい光で満ちていた。
蛍光灯の光が、窓ガラスと雪雲の間で反射して、色を失ったように見えた。
だけど、僕には見えていた。
他の誰も気づいていなかった“色”の変化が。
「ミズキって、さ……ちょっと変わってるよね」

それは、休み時間の何気ないおしゃべりの中で、
チョークの粉のようにふわりと舞い上がった一言だった。
悪気なんてなかった。
たぶん、発した本人もすぐに忘れてしまった。
でも、その言葉の周りには、真っ赤な火花のような色が散っていた。
その日から、ミズキの周りの色が少しずつ変わっていった。
話しかける声が減った。
笑いかける目が、すれ違うだけの視線に変わった。
何も言わない「距離」が、彼女の席の周りに、見えない柵のように張りめぐらされた。
僕には、それが青く冷えた霧のように見えた。
動きはないけれど、確かに広がっていく。
声を潜め、視線をそらし、笑いだけが残る空間で、
ミズキだけが“色を失っていく”のを、僕は黙って見ていた。
「おはよう」
ある朝、ミズキが登校してきた。
誰よりも早く教室に入った彼女は、いつものように席に座り、
ランドセルを机にかけ、教科書を出し、筆箱を開いた。
何も変わらない日常。
けれど、その背中からは灰色のしずくのようなものがぽと、ぽとと、落ちていた。
誰かが小さく言った。
「また来た」
その瞬間、彼女の色が――変わった。
僕の目にははっきりと見えた。
 静かな青が、一瞬だけ“黒”に飲まれた。

でも、彼女は笑った。
その笑みは、まるでガラスで作られたような、冷たくて、割れそうなものだった。
「おはよう」
明るく、何事もないように。
だけどその声には、凍りついた音色が混じっていた。
僕は、その色のすべてを見ていた。
だからこそ、見て見ぬふりをした自分を、ずっと赦せなかった。
助けたかった。でも、怖かった。
ミズキと同じように“浮いてしまう”のが。
僕の中には、そのときの自分が今も住んでいる。
色が見えるなんて才能じゃない。
むしろ、それは知ってしまう責任を抱えることなんだと知ったのはあの日からだった。
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