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21、記憶――前触れ
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春香は電車に乗る前にふと思いついて携帯を鞄から出した。
きょろきょろと周りを見回してトイレを見つけると、そこに足早に入る。
「え~っと…」
履歴の中からある人物を選ぶと通話ボタンを押した。
「あ、もしもし?葉菜?」
「私じゃなかったら誰よ?」
「あはは!」
同じようなセリフを言った自分を思い出して思わず噴き出してしまった。
「何よ…突然連絡きたと思ったら急に笑いだして。嫌がらせならさっさと切るよ。忙しいんだから…」
「ごめん、ごめん…。大切な用事なの。切らないで。」
「まったく……」
しぶしぶといった感じで葉菜がため息をつくのを、春香はとても優しい気持ちで聞いていた。
やっと決断できたっていう思いも同時に沸き起こる。春香は一度深呼吸すると、姿勢を正して言った。
「お兄ちゃんの事、よろしくね。」
「え?」
「葉菜しかいないんだもん。お兄ちゃんには。」
「でも…透さんは私の事なんて好きじゃないし……」
「そんな事ないよ。」
「え?」
声が小さかったからか葉菜が聞き返してくる。
本当はちゃんと言いたかったけど、肝心な事は兄自身が言うべきだと思って誤魔化した。
「何でもない。あ、近々お兄ちゃんの所に行くつもり予定ある?」
「え?来週辺りにでも行く予定だけど…。何、あんたも一緒に行く?」
「ううん、実は今日行ってきたんだ。」
「何だ…。じゃあ一人で行ってくるよ。」
「よろしくね。バイバイ。」
「っていうか、何の用事だったの?今までの会話で大事なとこあった?」
「ごめん、ちょっと声聞きたかっただけなの。じゃあ切るね。」
「あ、ちょっ…!」
まだ何やらうるさい葉菜を無視して電話を切る。そして目の前の鏡に映る自分の顔を眺めた。
「人の心配してる暇なんかないのにね。」
ポツリと呟かれたひとり言は誰からも聞かれないまま、空気となって消えていった……
―――
研次は携帯のアラームで飛び起きた。カーテンを引き忘れた窓からは朝の陽射しが差し込んできて、まだボーッとする頭を嫌でも刺激する。
慌てて時計を見たらもう9時を過ぎていて、ハッと周りを見回した。
そして自分の姿に驚く。
着ているものは昨日と同じで、あろうことか床で寝ていた。しかも場所が玄関ときた。
研次は頭を乱暴に振りながらどうしてこうなったのか思い出そうとした。
「そっか…あれからそのままここで……」
昨日の事をやっとの事で思い出す。研次は自嘲気味に笑うと立ち上がった。
「馬鹿だなぁ……」
微かに残った頬の涙の跡を拭いながら呟く。そして玄関の扉を見つめた。
昨日…春香がここに来た。そして自分の気持ちを震えながらも伝えてきた。あの時の彼女の姿を思い出して胸が熱くなる。だけど……
「俺は……」
認めちゃいけない想いが溢れてきそうで苦しい。いっそこのまま、自分の気持ちに素直になってしまいたい。そうしたらきっと楽になれる。そんな気がした。
「…でも…」
ふとたった今まで見ていた夢の中の映像が頭の中に現れる。そしてその中にずっと感じていた違和感の正体があった気がして、研次は頭を振ってその事から逃げようとした。
しかし思い直して、再びその夢とも幻想ともつかない記憶に縋る。
「…そうだったのか……」
しばらく経ってやっとそれが現実のものであると理解した。この十年、見ようともしていなかった真実を…
「もう俺は…後悔したくない。例えそれが残酷な結末だったとしても……」
研次は閉じられた扉に向かってそう言う。
まるでそこに誰かがいるかのように……
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