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第11話 念願のデビュー

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◆◆◆◆◆


4月初旬、僕は念願だった漫画家デビューを果たした。

読みきりとはいっても、有名な少年誌に掲載された事は奇跡のように思えた。僕は自身の作品が載った雑誌を、何冊も買い込んでしまった。

概ね評判は上々だった。男子高校生の友情と愛情の境界線を描いた作品は、女性読者だけでなく、男性の読者にも嫌悪なく受け入れられたようだった。
もちろん、一部には批判もあった。でも、それはどんな作品を描いてもあることなので、参考程度にすることにした。これは、和樹の助言でもあった。

僕にも未来が開けた気がしていた。

連載を持つにはまだ実力不足ということで駄目だったが、不定期に一話完結の読み切りを描かせてもらえることになった。

もっとも、それだけの収入では食べていけないので、相変わらず和樹のアシスタントを続ける事になりそうだ。でも、そのほうがありがたかった。週一連載でレベルを落とさず作品を発表できる和樹は、奇跡の人か化け物にしか思えない。

僕には無理な話だった。とにかく、今はいい作品を仕上げる事!それだけだった。

◇◇◇

僕の作品が掲載されてすぐに、兄さんからお祝いの電話と祝杯の誘いがあった。

僕たちは金曜日の夜に、難波駅近くの居酒屋の前で待ち合わせをすることにした。金曜日は繰り出す人も多く、早く着いた僕は、ぼんやりと人の波を見つめていた。

「正美!」

その雑踏の中から兄さんが現れて、僕に微笑みかける。優しい笑顔に僕も微笑み返す。

「待ったか、正美?遅くなって悪い」

「そうでもないよ。それより、今日は奢ってくれるって?」

「まあな。でも、安月給の公務員には何時もの居酒屋が限界だけどな」

兄さんが照れくさそうに笑うが、それでも何時もいく居酒屋よりはお洒落で落ち着いた店を選んでいてくれたみたい。早速店に向かうためエレベーターに近づいた時、僕は彼の存在に気が付いた。

「・・要君?」

兄さんの背後で立っている人物は、紛れもなく小林要だった。兄さんが驚いて背後を振り返り声を上げた。

「要、お前!」

要は兄さんを見つめ、そして僕に視線を移した。その眼差しには、嫉妬が含まれているように思えた。

「弘樹さんに会いたくて、警察署の前で待っていたんです。そうしたら、弘樹さんが慌てて出て行ったから・・声を掛けられなくて。弟さんに会うために、あんなに急いでいたんですね」

兄さんが厳しい顔をして要を見つめ口を開く。

「警察署から後をつけていたのか?」

要が少し笑う。

「弘樹さん、警察官なのに尾行に気が付かないんだもの。電車の中では、少年誌なんか読んでにやにやしてるし。子供っぽいなぁーーって、思っていたところ!」

兄さんがため息をついて要に近づく。

「また施設に連絡もせずに、俺のところにきたんだろう?夜の町をうろついて、施設のスタッフが心配する。すぐに帰るんだ」

要が首を振って拒絶する。

「嫌だ!せっかく弘樹さんに逢えたのに!絶対帰らない!」

「いい加減にしろ!俺は、今日は弟と会うためにここにいるんだ!」

兄さんが苛立っていた。明らかに二人の様子がおかしい。周りの視線も気になりだして、僕は兄さんの肩にそっと触れた。

「兄さん・・せっかく会いに来てくれたんだし、施設には連絡を入れてご飯ぐらい一緒に食べてもいいだろ?居酒屋にも、ソフトドリンクはあるだろうし。ね、兄さん?」

僕の言葉に要の表情が輝く。兄さんは、困ったように僕を見つめそして頷いた。

「正美がいいなら・・」

僕は笑って要に声を掛けた。

「じゃあ、一緒に行こうか?」

要は頷くと、自然な感じで兄さんの横に並び歩き出した。なんだか、少し嫌な感じがした。僕は、自分自身を笑いたい気分だった。

嫉妬だな、これは。



◇◇◇◇◇


まさか、つけられているとは思わなかった。居酒屋の席に着いた要は、メニューを見つめて注文するドリンクを物色していた。

俺は思わずため息を付いた。

要を施設に預けてしばらくたってから、彼の付きまといが始まった。

最初は、そんな風には感じてはいなかった。時々、教えた携帯に連絡が来て、会って相談に乗っているという認識しかなかった。

同じような境遇に育った少年に、俺は同情していた。放火を選択しようとするぐらいに、追い詰められた少年。そして、父親に無理やり体を開かされた少年。

要は、過去の俺でもあり、正美のようでもあった。

正直、俺は要に幼い日の正美を見ていたように思う。今では成人して俺から離れようとしている弟が、また庇護を必要として俺の前に現れたような錯覚に陥っていた。

正美が俺の前で虐待に苦しみ泣いている。要の涙を見て・・そう錯覚した日もあった。だから、その涙を拭って頬を撫でたりもした。

それがまずかったのだろうか?

要は必要以上に、俺に執着しはじめた。後をつけるようなまねをして、自宅にまで押し掛けるようになった。妻のはるかは、突然の訪問に驚きながらも夕飯を出してやっていた。それでも、内心は複雑だったはずだ。

「兄さん、適当に注文するよ?」

正美が俺を覗き込みながら聞いてきたので頷いた。要の出現で出鼻をくじかれた感があったが、今日の目的は正美のデビュー祝いだ。

ビールとウーロン茶が席に届くと、俺たちは乾杯をして祝杯をあげた。要が俺たちの様子を見て口を挟む。

「正美さんって、漫画家デビューしたんですか?」

正美が照れくさそうに頷く。

「デビューといっても読みきりだけどね。でも、不定期で一話完結の話を掲載してもらえるみたいなんだ!!これでがんばったら、連載に繋がるかもしれない。だから、僕がんばるよ!」

「へー、そうなのか。そうなると、いよいよ本物の漫画家だな。正美、がんばれよ」

俺は笑って正美の背中を優しく叩いた。正美が嬉しそうに笑い、珍しく甘えた表情を浮かべた。俺はどきりとした。そっと寄せられた肩が、俺の肩に触れる。懐かしいぬくもりだった。

「どんな、漫画を描いたの?」

要の言葉には、不機嫌な色が漂っていた。俺は鞄から駅の売店で買った少年誌を取り出して要に見せた。正美が驚いて俺を見つめる。

「また今日も買ったの?それって、何冊目??」

「6冊目かな?俺は電車通勤だから。売店の前を通ると、つい気になるんだよ。弟のデビュー作だからな。雑誌が売店に置いている期間は、買い続けるよ」
俺の言葉に正美がふわりと笑う。要がぺらぺらとページをめくる。

「あ・・これですか?ペンネームも、東條なんですね。僕、この作品知っていますよ。結構話題になっていますよね、色々な意味で。特に、SNSでいろいろ噂が出てましたよ」

含みのある言い方だった。正美が僅かに眉を顰め口を開く。

「噂って?」

要が意地の悪い笑いを浮かべ言葉を続ける。

「たいして実績も実力もないのに、デビューできたのは、人気漫画家の藤村先生と寝てるからだって。セックスで仕事を取ったんだってね、正美さん」

「要!!」

俺は驚いて要を制止した。要は悪びれることなく言葉を続ける。

「もちろんそんなこと、俺は信じてないよ。あくまでも、ネット上での噂だから。酷い噂だよね・・いくら仕事のためでも、男同士でセックスなんてありえないよね、正美さん?」

「やめろ、要!そんないい加減な噂を話題にするな!」

俺は腹が立って要を睨みつけた。正美は驚いて要を見つめていたが、やがて口を開いた。それは穏やかな口調だった。

「そういう噂があるのは知っているよ。藤村先生からは、SNSは見ないほうがいいって言われていたんだけど。中学生にまで噂が広まっているとはショックだな」

「正美、気にする事はないぞ」

「兄さん。作品を発表すれば、批判があるのは当然だから覚悟はしていたよ。でも、藤村先生との関係まで疑われるなんて、ちょっと酷いよね。彼の専属アシスタントを長く続けているから、そんな噂も出たんだろうけど」

正美はちょっと笑って要を見つめる。

「でも、僕は自分の作品がちゃんと評価されて、雑誌に載ったと信じているんだ。まあ、漫画家としてのプライドだね。さあこの話題はここで終わり。僕の事ばかりじゃなく、要君のことも聞かせてよ。施設にはもう慣れた?」

正美の大人の対応に、俺は弟の成長を感じた。もう、俺の影で父親に怯え震えていた姿はそこにはない。それは、嬉しいような、寂しいような、複雑な気分を生んだ。

要は正美の切り返しに、しどろもどろになりながらも近況を語った。

施設には、慣れた。
父親とは会っていない。
学校には通い始めた。

ぽつぽつと近況を語る要を、正美は穏やかに見つめていた。要は居心地が悪くなったのか、一時間ほどで食事を済ませると、俺の勧めにしたがってタクシーで施設に帰っていった。

ようやく、俺は弟と二人で祝杯を挙げることができた。

「正美、おめでとう」
「ありがとう、兄さん!」

正美は嬉しそうに笑ってお酒を煽った。急ピッチでお酒の量が増えていったが、俺たちは構わず酒を注文をして、店を出る頃には二人とも足取りが不安定だった。

結局、俺は正美のアパートまで彼を送り、そのまま部屋に泊めてもらうことにした。アパートの部屋にたどり着くと、正美は途端に床に寝そべって赤い顔で俺を見上げていた。

「正美、大丈夫か?水でも飲むか」
「うーー、喉渇いたぁーーー」

俺は笑って冷蔵庫を覗くと、ペットボトルがあった。それを取り出し正美に差し出しだす。正美は起き上がると、蓋を開けて勢いよく液体を喉に流し込む。

「おい、正美!零れているぞ」

正美の喉元に水が零れて服を濡らす。

「美味しい・・」

弟はため息をついて、ペットボトルから口を離す。酒に潤んだ眼で見つめられて、俺は何となくうろたえてしまった。

「ねえ、兄さん。要君は兄さんに、執着しているみたいだね?」

「ああ、そうみたいだな。警察署の前で待っていたり、自宅に押し掛けられたり・・要は殆どストーカーだ。どうして、ああなったのかな?」

俺がため息をつくと、正美がそっと笑って床に横になった。

「僕には分かるよ」
「ストーカーの気持ちがか?」

「兄さんに執着する気持ちがだよ。僕も随分長く・・兄さんに執着していたから」

俺は驚いて正美を見つめた。

「俺に、執着していた?」

「そうだよ、兄さん。僕を何時も守ってくれた兄さんを・・離したくなかった。ずっと、傍にいたかった」

何時も守ってた?

そうじゃない、俺はお前をただ傷つけてきただけだ。俺は正美から目を逸らせた。

「要君もきっとそうなんだと思うよ。苦境から救ってくれた兄さんに執着してる。殆ど愛と変わらない感情で」

「愛?じゃあ、お前も俺を愛していたのか?要みたいに」

「愛してるよ、兄さん」

俺は、ゆっくりと正美に視線を戻した。正美の潤んだ眼から、涙が一粒零れ落ちた。

「正美・・?」

「ねえ、世の中って苦しいことが多いね。恋をした人には、家庭があって叶わない恋で。他の女性を見つけるには、僕は臆病すぎて・・アニメの世界で満足しているふりをしている。僕ね、怖いんだよ。兄さん・・怖い。僕には、女の人を抱けるのかな?男の体しか知らない僕が、女を抱けるのかな?女の人とのセックスを考えるより、和樹とのセックスを実行する方が抱かれる方が楽だなんて変だよねぇ」

俺は驚いて正美を見つめた。

「和樹って・・藤村先生か?お前、藤村と寝てるのか?」

正美は応えず目を閉じる。

「おい、正美!」

「別に、デビューをネタに強要された訳じゃないよ?自然な成り行きかな?友情の延長?」

友情の延長で、セックスするわけないだろ!

「正美!お前はまだ過去の事を引きずっているんだな!俺が・・俺が、お前を抱き続けたから。でも、お前は女になった訳じゃない!俺はお前を女にしたかったわけじゃない!」

俺は訳の分からない事を口にしていた。床に眠る正美の腕を掴むと、強引に抱き起こした。正美がびっくりしたように目を見開き身じろぎした。

「ご、ごめん。兄さん・・僕は酔ってて、訳わかんないこと話してるみたい。全部忘れて。もう寝る。ごめん、もう寝かせて!」

正美は俺を押し退けると布団を敷き、そこにもぐりこんでしまった。

「正美・・聞いてくれ!正美!!」

正美が布団の中で震えて、嗚咽を漏らしているのが分かった。俺は呆然としてその様子を見つめていた。

正美は大人になんてなっていなかった。今も繊細で傷つきやすくて、子供のままだった。

俺の影で震えていた、正美だ。

過去の傷を引きずって、今も苦しんでいる。女を抱く事もできず、惰性のように男に抱かれている。

分からないのか、正美?藤村はそんなお前の傷に付け入っているんだぞ。お前は弱い立場で、先生の誘いを断れない。それが現実だろ?友情の延長?

ありえない。
正美、正美。

俺は布団の上から、正美を抱きしめていた。どうすればお前は、過去から解放される?どうすれば、正美は俺から解放されるんだ?


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