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第45話 兄弟の絆
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◆◆◆◆◆
ゆっくりと正美が目を開く。
焦点の合わない目で、弟がぼうっと病院の天井を見つめている。俺はそっと正美の手に触れた。
「正美・・大丈夫か?」
声を掛けると、正美は俺の方に視線をゆっくりと移す。
「兄さん・・ここは、病院?」
「ああ、そうだ。お前が気を失って倒れたから、和樹が病院まで運んでくれた。それで、彼が俺に連絡をくれて病院に飛んできたってわけだ」
正美が病室を見渡し口を開く。
「・・和樹は?」
「今、警察で事情を聞かれてる」
俺がそう答えると、正美は目を大きく見開いた。唇が微かに震えている。記憶が蘇ったのかもしれない。
「・・要くんが。兄さん、要君はどうなったの?」
俺はそっと正美の頬を撫でた。弟の目から涙が溢れ出し俺の指先を濡らす。
「死んだよ、要は」
正美ははっと息を飲み俺を見つめた。そして、ゆっくりと目を瞑る。唇をきつく結び弟は身を震わせていた。俺が正美の髪を撫でると、正美は目を瞑ったまま口を開く。
「要君の人生って・・なんだったのかな?苦しいだけで、誰にも救われずに人を殺して。そんな人生に意味があったのかな?」
「正美・・」
「夢を見たんだ。父さんが火災で死んじゃう前の頃の・・」
正美が目を開き、天井をじっと見つめながら口を開く。
「もしも、僕に兄さんがいなかったら・・僕は要君と同じような人生を歩んでいたかもしれない。一人で、孤独で、追い詰められて。要君にも誰か支えてくれる人がいたなら・・」
俺は正美の言葉を遮り口を開いた。
「要に同情しているのか?」
正美がはっとして、俺を見つめる。
「ごめん、兄さん。兄さんにとっては、要君は家族を奪った犯罪者なのに。ごめんなさい、僕は・・」
俺はそっと笑って、正美の髪を撫で続ける。
「いいさ、謝らなくても。俺も要には同情しているんだ。いや、同情じゃないな。責任を感じてる。あいつを追い込んだのは・・きっと俺だから」
「兄さん・・」
正美が何かいいたげに口を開いたが、結局何も言わず口を閉じた。
「正美、もう少し眠った方がいい。目の前であんな事故を見てしまったんだから。ショックを受けて当然なんだ」
「和樹は?和樹は大丈夫なのかな?あいつも目の前であの事故を見てる。なのに、和樹だけ警察で事情を聞かれているなんて・・」
正美が心配そうに眉を寄せる。俺は安心させるように返事した。
「後で・・和樹の様子を見に行ってくる。正美は本当に、あいつが大事なんだな」
俺の言葉に正美が顔を赤く染める。俺は笑って正美の額を小突いた。
「ちょっと嫉妬を感じるな。まあ、いい。お前はあいつにあげるって宣言したしな。でも、兄貴の役割まで・・あいつに譲るつもりはないからな」
俺の言葉に正美がふわりと笑顔を見せた。それでも、その笑顔はすごく疲れているように思えた。
「とにかく、2日は絶対入院しろ。医者が言っていた。過労と事故を目撃したショックが重なって、倒れたんだろうって。だから、ちゃんと休めよ。何も考えないで、頭空っぽにして・・いいな、正美」
俺はそう言うと席を立った。
「あ・・兄さん。どこ行くの?」
正美が布団から手を伸ばし俺の腕を掴む。その手は震えていた。
「医者に目が覚めたことを伝えに行くだけだ。傍にいて欲しいのか、正美」
正美は顔を赤めて首を振る。
「ご、ごめん、兄さん!今だって、仕事抜け出して駆けつけてくれたんだよね。もう、心配ないから。僕は一人で大丈夫だから」
俺は正美を見つめたまま、また椅子に座った。
「あ、あの・・」
「兄貴の役割は譲らないって言っただろ?弟は遠慮なく兄貴に甘えろ!」
俺がそう言うと正美は黙って頷く。俺の腕を掴む正美の手は離れなかった。
◇◇◇◇
どうしよう。
兄さんに聞きたいことがある。
だけど、聞いてもいい事なの?要君が事故の前に言っていた事は・・本当の事なんだろうか?
兄さんが父さんを殺したの?
アパートに火を放って、兄さんが父さんを焼死させた?その秘密をずっと一人で抱えて生きてきたの?兄弟の僕にも秘密にして?
兄さん。
要が言っていたんだ。兄さんと要は父親殺しの血を分け合った仲なんだって。
本当なの?
聞きたい。
だって、もしそれが本当なら、それは兄さんの根幹に関わる事じゃないか。
もし、事実なら・・その秘密は兄弟で分け合って抱えて生きていくべきものだよ。
兄さんだけが暗闇を抱えて苦しんでいるとしたら、それは許されない事だ。僕は何も気づかずに、兄さんの傍でのうのうと生きてきたことになる。僕は最大の罪を犯し続けてきたのかな?
知りたい。
知りたいよ・・兄さん。
「兄さん・・ねえ・・」
僕の声に兄さんが優しく微笑む。病院の簡易椅子を軋ませながら、兄さんが僕の方に身を寄せる。
「どうした?」
「その・・」
聞かないと。
「正美?」
「兄さん・・あっ、その。東京に行くって話は、どうなったのかなって思って。えっと・・」
結局、僕は肝心な事が聞けない。兄さんがちょっと困った顔をして、僕を見つめてきた。
「今の正美の状態を考えると言いにくいんだが、東京には行くつもりだ。会社にもそう伝えてあるしな」
「そう・・なんだ」
兄さんがそっと僕の髪に触れた。
「寂しいか?」
「そりゃ、寂しいよ」
「一年だけだぞ?」
「だって、今までずっと傍にいたから。兄さんは、寂しくないの?」
僕がちょっと拗ねた風にそう言うと、兄さんは僕の髪を梳きながら微笑む。
「そりゃ、寂しいよ。でもお前の傍には・・和樹がいる。だから、俺は安心して東京に行けるんだ。あいつは俺より・・お前を大事にする奴だから」
「兄さん・・」
「ま、そういうことだ。東京に行ったら定期的に連絡を入れる・・必ず」
もう東京行きは、兄さんの中では決定事項なんだろうな。
僕を傷つけない為に、兄弟でいるために。物理的距離と一年という空白の時間を作るんだよね?
僕もそれに従うつもりだよ。
でも、東京に行くまでに・・僕は、兄さんと秘密を共有したい。
だって、兄さんの精神の不安定さの根底にはその秘密があるんじゃない?
兄さんが東京で一人で生活を始める前に、その秘密を解放して共有したい。
でも、父親殺しの秘密は・・日常の延長線上で聞くにはあまりにも大きくて重い話題だ。
きっと僕には聞けない。兄さんも白を切るに決まってる。
もっと日常とかけ離れた空間なら、僕は兄さんに聞けるかもしれない。兄さんも真実を話してくれるかも知れない。
そうだ・・
「兄さん。東京に行く前に、僕のわがままを聞いてくれる?」
「ああ、聞いてやるよ。なんだ?何か欲しいのか?」
「二人で旅行に行きたい」
僕がそう言うと、兄さんは何となく照れ笑いを浮かべる。
「別れの前の旅行か?お前って、結構ロマンティストだな。さすが漫画家。それで、どこに行きたいんだ?」
「北海道」
「北海道か。季節的にいいな。美瑛とか行きたいのか?」
僕はそっと笑って口を開く。
「映画の『深海の森』のロケ地に行きたいんだ」
「・・ロケ地?」
兄さんの表情が徐々に強張る。
「一般上映が始まって、ロケ地巡りがファンの間ではやっているんだよ?」
「そうなのか?でも、どうしてだ?何故、俺と行きたい?和樹と行けよ・・ロケ地には。北海道なら、他にも色々観光地はあるだろ?」
「僕は兄さんと行きたいんだよ」
兄さんは困惑した表情を浮かべ押し黙る。僕も黙っていた。やがて兄さんが口を開く。
「・・兄弟で行くには抵抗があるな。映画の内容を考えると。正美は・・」
「兄さん、お願い!」
兄さんが真剣な顔で僕を見つめる。揺れる兄さんの目が伏せられ、そして深いため息が漏れた。
「まったく・・お前は言い出したら聞かない奴だからな」
「ごめんね」
僕が笑うと、兄さんは苦笑いを浮かべた。
これは、僕の賭け。
あの映画みたいな、幻想的な空間なら。あの湖のボートの上でなら。
僕は何の迷いもなく、兄さんの秘密を暴ける気がする。兄さんもきっと僕と秘密を共有してくれる。
そして、幻想的な旅が終われば・・僕たちは穏やかな日常を取り戻すんだ。普通の兄弟に戻って、それぞれの人生を歩む。
それを願って、僕は兄さんを誘う。
あの湖に。
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ゆっくりと正美が目を開く。
焦点の合わない目で、弟がぼうっと病院の天井を見つめている。俺はそっと正美の手に触れた。
「正美・・大丈夫か?」
声を掛けると、正美は俺の方に視線をゆっくりと移す。
「兄さん・・ここは、病院?」
「ああ、そうだ。お前が気を失って倒れたから、和樹が病院まで運んでくれた。それで、彼が俺に連絡をくれて病院に飛んできたってわけだ」
正美が病室を見渡し口を開く。
「・・和樹は?」
「今、警察で事情を聞かれてる」
俺がそう答えると、正美は目を大きく見開いた。唇が微かに震えている。記憶が蘇ったのかもしれない。
「・・要くんが。兄さん、要君はどうなったの?」
俺はそっと正美の頬を撫でた。弟の目から涙が溢れ出し俺の指先を濡らす。
「死んだよ、要は」
正美ははっと息を飲み俺を見つめた。そして、ゆっくりと目を瞑る。唇をきつく結び弟は身を震わせていた。俺が正美の髪を撫でると、正美は目を瞑ったまま口を開く。
「要君の人生って・・なんだったのかな?苦しいだけで、誰にも救われずに人を殺して。そんな人生に意味があったのかな?」
「正美・・」
「夢を見たんだ。父さんが火災で死んじゃう前の頃の・・」
正美が目を開き、天井をじっと見つめながら口を開く。
「もしも、僕に兄さんがいなかったら・・僕は要君と同じような人生を歩んでいたかもしれない。一人で、孤独で、追い詰められて。要君にも誰か支えてくれる人がいたなら・・」
俺は正美の言葉を遮り口を開いた。
「要に同情しているのか?」
正美がはっとして、俺を見つめる。
「ごめん、兄さん。兄さんにとっては、要君は家族を奪った犯罪者なのに。ごめんなさい、僕は・・」
俺はそっと笑って、正美の髪を撫で続ける。
「いいさ、謝らなくても。俺も要には同情しているんだ。いや、同情じゃないな。責任を感じてる。あいつを追い込んだのは・・きっと俺だから」
「兄さん・・」
正美が何かいいたげに口を開いたが、結局何も言わず口を閉じた。
「正美、もう少し眠った方がいい。目の前であんな事故を見てしまったんだから。ショックを受けて当然なんだ」
「和樹は?和樹は大丈夫なのかな?あいつも目の前であの事故を見てる。なのに、和樹だけ警察で事情を聞かれているなんて・・」
正美が心配そうに眉を寄せる。俺は安心させるように返事した。
「後で・・和樹の様子を見に行ってくる。正美は本当に、あいつが大事なんだな」
俺の言葉に正美が顔を赤く染める。俺は笑って正美の額を小突いた。
「ちょっと嫉妬を感じるな。まあ、いい。お前はあいつにあげるって宣言したしな。でも、兄貴の役割まで・・あいつに譲るつもりはないからな」
俺の言葉に正美がふわりと笑顔を見せた。それでも、その笑顔はすごく疲れているように思えた。
「とにかく、2日は絶対入院しろ。医者が言っていた。過労と事故を目撃したショックが重なって、倒れたんだろうって。だから、ちゃんと休めよ。何も考えないで、頭空っぽにして・・いいな、正美」
俺はそう言うと席を立った。
「あ・・兄さん。どこ行くの?」
正美が布団から手を伸ばし俺の腕を掴む。その手は震えていた。
「医者に目が覚めたことを伝えに行くだけだ。傍にいて欲しいのか、正美」
正美は顔を赤めて首を振る。
「ご、ごめん、兄さん!今だって、仕事抜け出して駆けつけてくれたんだよね。もう、心配ないから。僕は一人で大丈夫だから」
俺は正美を見つめたまま、また椅子に座った。
「あ、あの・・」
「兄貴の役割は譲らないって言っただろ?弟は遠慮なく兄貴に甘えろ!」
俺がそう言うと正美は黙って頷く。俺の腕を掴む正美の手は離れなかった。
◇◇◇◇
どうしよう。
兄さんに聞きたいことがある。
だけど、聞いてもいい事なの?要君が事故の前に言っていた事は・・本当の事なんだろうか?
兄さんが父さんを殺したの?
アパートに火を放って、兄さんが父さんを焼死させた?その秘密をずっと一人で抱えて生きてきたの?兄弟の僕にも秘密にして?
兄さん。
要が言っていたんだ。兄さんと要は父親殺しの血を分け合った仲なんだって。
本当なの?
聞きたい。
だって、もしそれが本当なら、それは兄さんの根幹に関わる事じゃないか。
もし、事実なら・・その秘密は兄弟で分け合って抱えて生きていくべきものだよ。
兄さんだけが暗闇を抱えて苦しんでいるとしたら、それは許されない事だ。僕は何も気づかずに、兄さんの傍でのうのうと生きてきたことになる。僕は最大の罪を犯し続けてきたのかな?
知りたい。
知りたいよ・・兄さん。
「兄さん・・ねえ・・」
僕の声に兄さんが優しく微笑む。病院の簡易椅子を軋ませながら、兄さんが僕の方に身を寄せる。
「どうした?」
「その・・」
聞かないと。
「正美?」
「兄さん・・あっ、その。東京に行くって話は、どうなったのかなって思って。えっと・・」
結局、僕は肝心な事が聞けない。兄さんがちょっと困った顔をして、僕を見つめてきた。
「今の正美の状態を考えると言いにくいんだが、東京には行くつもりだ。会社にもそう伝えてあるしな」
「そう・・なんだ」
兄さんがそっと僕の髪に触れた。
「寂しいか?」
「そりゃ、寂しいよ」
「一年だけだぞ?」
「だって、今までずっと傍にいたから。兄さんは、寂しくないの?」
僕がちょっと拗ねた風にそう言うと、兄さんは僕の髪を梳きながら微笑む。
「そりゃ、寂しいよ。でもお前の傍には・・和樹がいる。だから、俺は安心して東京に行けるんだ。あいつは俺より・・お前を大事にする奴だから」
「兄さん・・」
「ま、そういうことだ。東京に行ったら定期的に連絡を入れる・・必ず」
もう東京行きは、兄さんの中では決定事項なんだろうな。
僕を傷つけない為に、兄弟でいるために。物理的距離と一年という空白の時間を作るんだよね?
僕もそれに従うつもりだよ。
でも、東京に行くまでに・・僕は、兄さんと秘密を共有したい。
だって、兄さんの精神の不安定さの根底にはその秘密があるんじゃない?
兄さんが東京で一人で生活を始める前に、その秘密を解放して共有したい。
でも、父親殺しの秘密は・・日常の延長線上で聞くにはあまりにも大きくて重い話題だ。
きっと僕には聞けない。兄さんも白を切るに決まってる。
もっと日常とかけ離れた空間なら、僕は兄さんに聞けるかもしれない。兄さんも真実を話してくれるかも知れない。
そうだ・・
「兄さん。東京に行く前に、僕のわがままを聞いてくれる?」
「ああ、聞いてやるよ。なんだ?何か欲しいのか?」
「二人で旅行に行きたい」
僕がそう言うと、兄さんは何となく照れ笑いを浮かべる。
「別れの前の旅行か?お前って、結構ロマンティストだな。さすが漫画家。それで、どこに行きたいんだ?」
「北海道」
「北海道か。季節的にいいな。美瑛とか行きたいのか?」
僕はそっと笑って口を開く。
「映画の『深海の森』のロケ地に行きたいんだ」
「・・ロケ地?」
兄さんの表情が徐々に強張る。
「一般上映が始まって、ロケ地巡りがファンの間ではやっているんだよ?」
「そうなのか?でも、どうしてだ?何故、俺と行きたい?和樹と行けよ・・ロケ地には。北海道なら、他にも色々観光地はあるだろ?」
「僕は兄さんと行きたいんだよ」
兄さんは困惑した表情を浮かべ押し黙る。僕も黙っていた。やがて兄さんが口を開く。
「・・兄弟で行くには抵抗があるな。映画の内容を考えると。正美は・・」
「兄さん、お願い!」
兄さんが真剣な顔で僕を見つめる。揺れる兄さんの目が伏せられ、そして深いため息が漏れた。
「まったく・・お前は言い出したら聞かない奴だからな」
「ごめんね」
僕が笑うと、兄さんは苦笑いを浮かべた。
これは、僕の賭け。
あの映画みたいな、幻想的な空間なら。あの湖のボートの上でなら。
僕は何の迷いもなく、兄さんの秘密を暴ける気がする。兄さんもきっと僕と秘密を共有してくれる。
そして、幻想的な旅が終われば・・僕たちは穏やかな日常を取り戻すんだ。普通の兄弟に戻って、それぞれの人生を歩む。
それを願って、僕は兄さんを誘う。
あの湖に。
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