もう君を逃さない。

綾瀬麻結

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1巻

1-3

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 美月は少し考え、そして問題ないと頷いた。

「書庫の本を借りるのは、今日で終わると思います。ただ書斎のキャビネットにある本を、あと数冊確認させていただきたいんですが……」
「それなら大丈夫だよ。とはいえ、こういう状況だし、明日は早めに帰りなさい。もし終わらなければ、他の日に改めて来ていいんだから。いいね?」
「お気遣いありがとうございます」

 美月がそう言った時、ドアをノックする音がした。開け放たれたドアの横に、理人が立っている。

「いつまで経っても戻って来ないから、どこに行ったのかと思った。ここにいたんだね」
「なんだ? 芦名さんを私に取られて悔しくなったのか?」
「どう答えてほしいんですか? そうだ、と? それとも、違う……と?」

 理人の答えに小野塚が肩を揺らして笑う。そして悪巧みをするような顔つきで、そっと美月との距離を縮めた。

「息子はどう言いたいのかな。私にそれを決めてほしがるなんて、男としてまだまだだね」
「えっと、あの……」

 美月は困惑しながら言葉を探すが、小野塚は答えなど求めていないのか、目を細めるばかりだった。
 全員で部屋を出ると、小野塚は理人と並んで書斎へ歩き出す。美月はそんな父子のあとに続いた。

「芦名さんの邪魔は、もうしないよ。理人がここに寄るのも今日で終わると思うし、私も明日の準備で忙しいからね」
「明日つことにしたんですね? ああ、良かった! その方が所員たちも安心します。気を付けて行ってきてください」
「ああ、あとをよろしく頼む」

 小野塚と別れ、理人と一緒に彼の書斎へ戻る。
 それ以降、理人は美月に話しかけなかった。代わりに、仕事をする美月を食い入るように見つめる。ソファにもたれて分厚いファイルを開いてはいるものの、彼の目線がそちらに向くことはなかった。
 数時間後、ようやく今日の仕事が終わった。
 理人の目が気になって仕方なかったせいか、かなり神経を使ったのが自分でもわかる。疲労を感じながらデスクの上を片付けていると、そこに小野塚夫人がやってきた。

「芦名さん、このあと時間はいているかしら?」
「はい、大丈夫ですが」
「良かった! あのね、芦名さんと会うのは今日で終わりでしょ? このまま別れるのは寂しいから、夕食を一緒にどうかなと思って。あっ……理人も暇なら一緒に食べる?」
「俺は、芦名さんを誘うついで?」

 小野塚夫人は楽しげに笑い、美月に視線を戻す。

「どうかしら? 最後の夜を、わたしたちと一緒に過ごせる?」

 美月は迷惑ではないだろうかと悩みながら小野塚夫人をうかがうものの、彼女は目を輝かせて返事を待っている。理人は母親の物言いに呆れてはいるが、美月の背を押すように頷き、声を出さずに〝食べよう〟と口を動かす。
 わたし甘えてもいいのかな? 図々ずうずうしいと思われないかな――と迷ったが、美月は二人からの厚意を有り難く受けることにした。

「ありがとうございます。是非ご一緒させてください」
「本当!? ありがとう! 今夜は岡島さんも一緒だから、皆で騒ぎましょうね。理人、芦名さんと一緒にダイニングルームに来て。じゃ、あとでね」

 小野塚夫人は、まるで少女のようにはしゃいで書斎を出ていった。

「誘いに乗ってくれてありがとう。母は本当に芦名さんを気に入ったみたいだ。さあ、ここを片付けたら行こう」
「はい」

 美月は理人に返事をしたあと、デスクの書類をまとめてバッグに入れる。そして、父と義母に〝仕事先で夕食に誘われたので、今夜は一緒にとれません〟と謝りのメールを打った。

「用意はできた?」
「はい」

 美月は理人と一緒に、別のむねにあるダイニングルームへ向かった。
 ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた光景に驚く。小野塚夫人は、出張シェフを呼んでいたのだ。

「さあ、座って」

 勧められて、重厚感のあるダイニングチェアに腰掛ける。それを合図に奥のキッチンから次々と料理が出てきた。握り寿司に、天ぷらや煮物といった和食が並べられていく。
 小野塚夫妻の心配りに感激しながら、美月は笑いのえない食事を楽しみ、素敵な夜を過ごした。
 こんな風ににぎやかな夕食をとったのはいつ以来だろうか。
 この場がもっと続いてほしいと願わずにはいられなかったが、楽しい時間はあっという間に終わるもの。二十一時を回ったところで、夕食会はお開きになった。
 小野塚夫妻と最後の挨拶あいさつを交わした美月は、この日も理人の車で最寄り駅まで送ってもらった。

「どうもありがとうございました」
「うん……。父が出発するってことは、仕事でうちに来るのは今日で終わりだね」
「今日で? いえ明日も――」

 そう言いかけたものの、美月は言葉を呑み込んだ。
 小野塚夫妻はいないが、明日も寄らせてもらう予定だ。でも、その件をわざわざ理人に告げる必要はない。
 今度こそ、これで会うのは終わり……
 それを実感して、胸に痛みが押し寄せてくる。唇を強く引き結んで気持ちを切り換えると、美月はシートベルトを外して理人に向き直った。

「ほんの数日でしたが、いろいろなお話を聞けてとても楽しかったです。たぶん、お目にかかることはもうない――」

 そう話していたのに、急に理人が美月の手を取り、安堵したような笑みを浮かべた。思わず目を見張るが、彼は意に介さない。

「芦名さんの仕事はこれで終わった。つまりこの先……表面上の付き合いをしなくてもいいということだ」
「あの、何を言って……?」

 理人の意図するところがわからず眉をひそめる美月を、彼は真摯しんしな目で見つめてくる。その眼差しを見返すだけで胸の奥がざわつき、呼吸が浅くなっていった。
 それが普通ではないと気付いた美月は、慌てて顔を背ける。しかしこちらを向けと言わんばかりに、彼に手を強く握り締められた。

「君はもう俺と顔を合わせる機会はないと思ってるみたいだけど、それは真実ではないと証明してみせるよ」

 力強い語気に、美月は理人の真意を探るようにうかがう。互いの目が合うと、彼はふっと表情を緩めて手を引いた。

「君の家まで送りたいけれど、今日は我慢する。気を付けて帰って」
「……はい」

 車外に出た美月は、冷気にからだを縮こまらせながらドアを閉める。直後に理人が窓を開け「じゃ、また」と言って、車を発進させた。
 美月は車のテールランプが見えなくなるまで見送ってから、コートのポケットに手を突っ込み駅に向かった。
 今日の理人はどこかおかしかった。とはいえ、いつもどおり優しかったけれど。いや、優しいからこそ、彼の言葉を都合よく解釈したくなる。特に最後の言葉は、また次があるかのような口振りだった。

「バカ……、何を期待してるの? 勘違いしてはダメよ」

 そう言い聞かせるものの、美月の頭の中を占めるのは理人の吸い込まれそうな双眸そうぼうと言葉。
 そのせいか、いつもなら自宅に向かう足取りは重いのに、この日は弾み、閑静かんせいな住宅街に響く足音も軽快になる。
 美月の口元はほころび、からだは寒さを感じさせないほど火照ほてっていく。自宅の門扉もんぴを開け、タイル張りのアプローチを進み、家のドアを開けた際もまだ笑みが浮かんでいた。
 しかし、階段を下りてきた宗介の姿が視界に入ると、その表情が一瞬で凍りつく。

「こんなにも上機嫌な美月を見たのは、初めてだ」

 仕事から戻って来たばかりなのだろう。宗介はスリーピーススーツを着ていた。

「母を困らせないでほしいね。美月が今夜の夕食を蹴ったと知って、何かあったのではないかと外に飛び出す勢いだったんだ。いいか、こういう勝手な行動は二度とするな。わかったね」

 宗介の目に宿る冷酷な光に、美月はぶるっと震え上がる。それを隠すようにからだの脇で握り拳を作り、従順に頷いた。
 宗介に逆らえば、家族の和を乱したくないという父の願いを壊すことになる。それだけは絶対にダメだ。美月がままさえ言わなければ、穏便に済ませられるのだから。

「……これからは気を付けます」
「バイトの件は聞いてる。今、どこの家に通っているのかもだ。仕事だから仕方ないと思っていたが……。いいか、あの家と親しくすることは俺が許さない」
「えっ?」

 宗介なら、美月の動向を簡単に調べられる。だから、アルバイトの件で忠告されても不思議ではない。でもまさか、小野塚夫妻と親しくするのをとがめられるとは思ってもみなかった。

「もう一度言う。君は、あの家の者と関わり合いを持つな。いいね?」

 どうして関わってはいけないのだろうか。
 美月はたずね返そうとするが、宗介の冷酷な眼差しに射貫いぬかれて口を閉じる。すると彼は苛立たしげに息を吐き出して、さっさと奥へ続く廊下を歩いていった。

「母さん、美月が戻ってきたよ!」

 宗介が大声で叫ぶと、リビングルームのドアが勢いよく開いた。とても五十代には見えない綺麗な義母が、美月を見るなり息せき切って玄関ホールに走ってくる

「美月ちゃん! ああ、良かったわ。帰りが遅かったから心配したのよ!」
「心配かけてすみません」
「さあ、早くお風呂に入ってからだを温めていらっしゃい。このままだと風邪をひくわ」

 美月の冷たい手を握って心配する義母に、頷き返す。

「ありがとうございます。じゃ、二階へ行きますね」

 そう言って階段を上がっていく途中、急に肌が粟立つのを感じて恐る恐る振り返る。
 そこには美月を冷たい目でにらむ宗介がいた。しかし、目が合うなり彼は歩き出し、美月の視界から姿を消す。
 美月は顔を強張らせたまま二階へ上がり、自室に入る。
 自分だけの空間に安らぎを感じてもいいはずなのに、緊張が解けることはなかった。



   第二章


 ――翌日。
 どんよりとした鉛雲なまりぐもから細雪ささめゆきが降ってくる。まるで美月の気持ちを表したかのような曇天どんてんに、気分が落ち込んでいく。昨日の宗介とのやり取りがしこりとなって、心の奥に残っているせいかもしれない。

「どうして小野塚家の人たちと親しくしてはいけないの?」

 いくら考えてもに落ちない。
 この先、小野塚夫妻と頻繁に会うことはないが、美月の就職先を考えれば、またどこかで必ず顔を合わせるとわかっているはずだ。
 それなのに、何故警告を?

「とにかく今は、宗介さんの言葉を忘れよう」

 美月は再び空を見上げる。予報どおり、このままだといずれ本降りになって積もるだろう。
 その前に早く仕事を終わらせなければ……
 美月は心なしか早歩きで進み、小野塚邸のインターホンを押した。

『はい。……えっ、芦名さん? 来られたんですか!?』
「こんにちは。まだ雪が積もっていないので、仕事をしようと思って来ました」
『とりあえず、入ってください!』

 岡島の声が切れ、セキュリティが解除される。中に入ると、彼女が玄関ドアを開けて美月を待っていてくれた。

「どうして来たんですか。天気予報をご覧になっていないんですか!?」

 美月を家の中に引っ張り入れた岡島が、コートについた雪を手で払い落とす。

「この天気なら二、三時間は大丈夫かなと思って。あっ、小野塚さんはご存知です」

 岡島は納得できないと言いたいのか顔をしかめている。しかし、美月がブーツを脱ぐのを見て、諦めに似たため息を吐いた。

「芦名さんも、お仕事に忠実なんですね。わたしも旦那さまに今日は早めに帰宅するようにと言われたんですけれど、まだ残っているんですから」
「わたしたち、仕事熱心ですね」

 美月は岡島と微笑み合って、一緒に小野塚の書斎へ向かう。必要な本を三冊取ると、いつもの部屋に入った。

「芦名さんは、このあたりで雪が降ったらどうなるかご存知ないでしょうからお伝えしておきますが、都心とは違って大変なことになるんです。数年前の大雪では一晩中停電していたんですよ。なので、楽観視しないでください。雪が積もる前に、必ずお帰りくださいね」
「わかりました。気を付けます」

 素直に返事して岡島を安心させる。とはいえ、早めに上がれば、それほど酷くはならないだろう。

「では、仕事に戻りますね」

 岡島が書斎を出ていこうとした時、彼女の携帯が鳴り響いた。美月は彼女のプライバシーを守ろうと傍を離れ、デスクに本とノートパソコンを置いた。

「ええっ!? 大丈夫なの!」

 叫び声に、美月はそちらに目を向ける。岡島が携帯を握り締めて、あたふたしていた。そして「これからすぐに戻るから待ってなさい」と言い、通話を終わらせる。

「芦名さん、すみません。急用で自宅に戻らなければならなくなりました。お一人にさせてしまいますが、大丈夫ですか?」

 青ざめた表情とそわそわした様子から、問題が生じたのがわかった。

「はい。でも、わたしがこちらに残っててもいいんですか?」
「大丈夫です。旦那さまの留守中に芦名さんが来られるかもしれないと伺ってましたので、そのあたりのご指示はいただいておりますから。私はあとで戻りますが、この天候でどうなることか。ですから、私の帰りを待たずに早めに帰ってください。セキュリティは自動でセットされますので、心配無用です」

 小野塚邸は明治時代に建てられた洋館だが、設備は最新システムを導入している。なので、美月が勝手に帰っても、自動的にセキュリティが作動するという。

「わかりました。わたしは大丈夫ですから、岡島さんもどうぞ気を付けてくださいね」
「ありがとうございます。もし何かありましたら、私に連絡を……」

 そう言ってデスクの上にある電話機を指したあと、岡島はいそいそと書斎を出ていった。

大事おおごとでなければいいけれど……」

 美月は岡島を見送って仕事を始める。
 それからどれぐらい経っただろうか。空調が効いているはずの部屋の温度が、急激に下がってきた。
 室温を上げようと壁に備えられたタッチパネルの方へ歩き出すものの、ふと背後の窓に意識が逸れる。何気なくそちらに目を向けた瞬間、外の光景に絶句した。
 しばらく呆然としてしまったが、美月は我に返ると即座に窓際に駆け寄る。

「な、何これ……」

 そこに広がっていたのは、一面の雪景色だった。視界はもやがかったように白くなり、数メートル先も見えないぐらい降りしきっている。
 美月は慌てて腕時計に視線を落とした。感覚的に一時間ぐらいしか経っていないと思っていたが、既に十七時を過ぎていた。仕事に集中していたせいで、時間の感覚がなくなっていたのだ。

「どうしよう。……岡島さん!」

 美月は書斎を飛び出して岡島の名前を呼ぶ。でも返事はなかった。
 当然ながらこの大雪では、彼女が小野塚邸に戻ってこられるはずがない。
 とりあえず帰れるかどうか外の状況を調べようと玄関へ向かい、そこにある草履ぞうりを借りてドアを開けた。

「……っ!」

 途端に肌を刺す冷たい強風が、美月に襲いかかる。とっまぶたを閉じて顔を背けてしまう。少ししてから踊る髪を手で押さえ、ゆっくり目を開けた。

「書斎から見えた景色と全然違う……」

 玄関は書斎と反対の方角にあるので比較はできないが、景色が一変していた。視界をさえぎるほどの猛吹雪ふぶきで、ほんの数メートル先すらはっきり見えない。
 想像を絶する光景に、見入られたみたいにおずおずと前に進み出てしまう。愕然がくぜんとした瞬間、ドアを掴む手の力が抜けていった。

「あっ、待って!」

 慌てて手を伸ばすが一足遅く、ドアがぴしゃりと閉まってロック音が響いた。ドアノブを掴んで引っ張ってもビクともしない。

「嘘……!」

 完全に閉め出されてしまい、呆然とする。
 少しでも寒さをしのごうと両腕で我が身を抱くが、コートを着ていないからだはどんどん冷えていく。寒さから歯がぶつかり、がちがちと音が鳴った。
 お金もない、携帯もない、上着もない、そして靴も……
 このままでは凍死するのではと不安がよぎるけれど、打つ手がない。この家のセキュリティは万全なので、どこかの窓から侵入するのも無理なのだ。

「いったいどうすればいいの? わからない。いい案が浮かばない……」

 徐々に手足の感覚が鈍くなってきた。ポニーテールにしていた髪をほどいて首回りを守り、手のひらをこすり合わせては息を何度も吹きかける。でもそれは焼け石に水で、からだが温まるどころかどんどん冷えていった。
 一番いいのは隣人に助けを求めること。でも、この格好で雪の中を移動するのは危険だ。
 視界が悪い中、もし隣家とは違う方向へ進んでしまったら? 途中で立ち往生してしまったら? 
 最悪な状況が頭をよぎり、美月は寒さとは違う震えを感じて我が身を両腕で抱きしめた。
 絶対に玄関先から動かない方がいい。とはいえ、ここにいると、冷たい風にまともにさらされる。
 せめて風をしのげる場所に移動しなければと思い、美月は玄関の脇にある物陰にしゃがみ込んだ。雪が足元に吹き込んでくるが、今はこうして体力を温存するしかない。

「でも、こんなの……無理。絶対に明日の朝までもたない」

 ガタガタと震えるからだをさらに縮こまらせて暖を取るも、体温は奪われるばかり。頬は針でつつかれているような刺激に襲われ、足の先にはじんじんとした痛みが生じていた。
 周囲は闇に包まれ、ほんのわずかな灯りが窓かられるのは小野塚邸だけ。頼るべき灯りがそこにしかないという不安が、足元から忍び寄ってきた。
 もうダメかもしれない。誰にも見つからず、愛しい人と過ごす幸せや、女性として愛されるよろこびすら知らずに、このまま……
 そう思った途端、美月の脳裏に理人の姿が鮮明に浮かんだ。自分に優しく接し、微笑んでくれた彼を思い出すだけで、涙が込み上げてくる。

「もう一度、小野塚さんに会いたい……」

 呟いた美月は、そこでハッと息を呑んだ。小刻みに震える手を口元に持っていき、たった今気付いた事実に驚愕きょうがくする。それと同時に胸の奥でくすぶっていた火が一気に燃え上がるのを感じた。
 どうして理人を目で追ってしまうか、どうして彼といると胸が高鳴るのか、あの時はわからなかった。でも今ならわかる。
 理人と出会った瞬間に恋に落ちていたのだ。再会したあとは、彼を知るにつれて一層愛する想いが美月の心に満ちていった。
 ああ、こんな時に理人を愛していると気付くなんて……
 美月は膝にひたいを押し付けて丸くなり、外壁にからだを寄せてそっと目を閉じた。

「この気持ちを伝えないまま死にたくない……」

 もし理人ともう一度会えるなら、秘めた想いを正直に伝えたい!
 そう強く願った瞬間、美月の耳にもんを開ける音が聞こえた。しばらくして、雪を踏みしめる音も耳に届く。
 誰かが来たのかと思ったが、すぐにそんなはずはないと否定する。セキュリティを解除できるのは岡島だけ。でもこんな大雪の中、彼女が戻る理由などない。
 絶望にさいなまれた美月は、ゆっくりと意識が遠のくのに身を任せたのだった。


「芦名さん……、芦名さん!? ……美月!」

 遠くから聞こえる声に、美月は重たいまぶたをゆっくりと開いた。最初こそ焦点が合わなかったが、次第にそこにいる人が理人であるとわかる。彼は髪の毛や肩に雪を積もらせて、美月の両肩を掴んで上半身を揺すっていた。

「俺がわかる!? ……返事をして!」
「おの、づ……か、さん?」
「良かった! とにかく、家の中に入らないと」

 理人が美月を横抱きにして立ち上がる。
 ここにいる理人さんは、本物……? ――そんな疑問を抱くが、冷えたからだに伝わる熱や肌をかすめる吐息が、彼が本物だと教えてくれる。
 会いたいと願った理人に抱かれていると思っただけで、美月は喜びに包まれる。本当は彼にすがり付きたい。でも、手が重たくて上がらない。からだから力が抜けていく。

「お願いだから、眠らないでくれ」

 玄関の鍵を開け、中に入った理人は、書斎とは反対の廊下を進む。やがてある部屋に入り、暖炉だんろから少し離れた場所に美月を下ろした。

「すぐに戻ってくるから、しっかり意識を保って、俺を待ってて。いいね!」

 まぶたが重く、返事をするのも億劫おっくうで、美月は答えられなかった。このまま眠りたいという欲求に屈しそうになる。

「美月!」

 切実な声音で呼びかけられ、頬を包まれて顔を上げさせられる。直後、温かくて柔らかなものが唇に落ちた。続いて、しっとりした生温かいものが口腔こうこうすべり込み、美月の舌を絡め取る。

「……っんぅ」

 息苦しさから目を開くと、なんと理人が美月に口づけていた。その事実が頭に浸透しんとうするにつれて、美月の冷えたからだに熱が広がっていく。
 それを察した理人がようやく顔を離し、美月の頬を撫でた。

「俺が芦名さんに何をしたのか、ずっと考えてて」

 そう言うと、理人は急いで部屋を飛び出した。
 美月は震える手で唇に触れ、理人の温もりが残るそこに指をわせる。まだ上手く頭が回らないが、彼が美月にキスし、舌を挿入させてきたことだけはわかった。

「わたしの、ファーストキス……」

 口づけを思い出すと、心臓が早鐘を打ち始める。勢いよく送り出される血がからだの隅々にまで行き渡り、次第に手足の感覚が戻ってきた。
 生きているんだと、実感できるほどに……

「芦名さん! ……よし、きちんと起きてるね」

 部屋に戻ってきた理人は、いろいろなものを抱えていた。暖炉だんろの近くに大きなかごを、美月のかたわらには毛布やタオルといったものを置く。そして、ランタンのスイッチを点けた。
 まばゆい光に目をすがめたことで、美月はようやく部屋の暗さに気付いた。

「お風呂に入れてあげたいけど、低体温症になっている可能性がある。急にお湯にかるのは危険だから、少しずつ温めて状態を確認したい。いい? 俺が何をしても信じて」

 理人は美月に手を伸ばし、慣れた手つきで彼女のセーターと下のシャツを脱がす。

れた服は体温を奪うから」
「あ、あの!」

 下着姿をさらすことにあたふたする美月を気にもせず、理人はスカートもぐ。続いて、美月のからだを柔らかなバスローブでおおい、さらに肩へ毛布をかけた。

「さあ、手をこっちに」

 理人は美月の手をとり自分の首に持っていき、そこに押し付けた。

「まずは俺で暖を取って」

 目で訴える理人に美月が頷き返すと、彼はバスローブの裾を少しまくって美月の足を掴み、手のひらで優しくさすり始める。しばらくしたあと、水差しの水を桶に注ぎ、そこに美月の足をひたした。

「冷たい? それとも温かいと感じる?」
「つ、冷たく感じます」
うずきや痛み、かゆみは?」

 理人に言われた症状は感じないので、美月は頭を振る。ただ、雪の日に外で遊んだ時のように、手足の先の感覚が少しだけ鈍くなっている。それと耳殻じかくが冷たくて痛いぐらいだ。


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