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【第十九話】正中の変
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尊治が皇位を継承して3年、後宇多法皇は院政を停止し、尊治の親政が開始された。
尊治は父の政治路線を受け継ぎ、訴訟制度改革に取り組みつつ、朝廷と幕府の融和を目指していた。
尊治の中宮は、関東申次である前太政大臣西園寺実兼の娘禧子であり、義父の実兼の影響力を通じて、幕府との友好路線を堅持していた。
「上皇さまがご危篤とのことです」
「なに!」
尊治は急いで後宇多上皇のもとへ向かった。
尊治が上皇のもとに馳せ参じると、上皇は手招きし尊治を呼び寄せた。
「余はもう駄目じゃ」
「父上、気弱なことを申されますな」
「いや‥、自分のことは自分がよくわかる」
「よいか、お上。ここからの話しは遺言と思うて聞くがよい。
わしは大覚寺統の皇統が続いていくことを願っておる。そのためには、そなたと邦良が両輪の如く大覚寺統を支えていくことが肝要である。このことは、邦良にもよく言って聞かせてある」
「畏まりました。よく心に刻みます」
「うむ、そなたの力を信じておる。後を託したぞ」
「はい‥」
尊治は溢れ出る涙を止めることができなかった。
後宇多上皇が崩御したのはその数日後であった。
その3ヶ月後、事件は突然起こった。
「お上、何やら不穏な事件が起きておるようです。何でもお上が討幕計画をたてそれを命じたとの話になっておりますようで‥」
尊治は飛び上がるほどに驚いた。
「なんじゃ、それは!わしは討幕計画など微塵も考えておらぬぞ!」
「お上、関東申次である西園寺実衡が目通りを願い出ております」
「通せ!」
実衡も動揺した面持ちで、御簾の前に姿を現した。
「実衡!一体どうなっておるのじゃ!」
「お上、私にもよくわかりかねております。大変申し訳ございません。しかし、六波羅探題から、日野資朝・日野俊基を勾留して取り調べたいとの要請が参っております」
「くっ!何者かに嵌められたわ!ことここに至っては仕方あるまい。両名に六波羅探題に出頭するよう伝えよ」
事件の経緯としては以下のようであった。土岐左近蔵人頼員という武士が、9月16日その妻の父である斎藤俊幸に、今上帝に討幕の意志があるという讒言をしたのである。頼員が、多治見国長という武士から討幕計画に誘われたというのだ。多治見国長を討幕計画に誘ったのは今上帝の側近・日野資朝だというのだ。
斎藤俊幸から情報を得た六波羅探題は、9月19日朝、多治見国長と土岐頼有(頼員の甥の息子)に出頭命令を出したが、両者がこれを拒否。合戦に及んだのち、両者とも自害して果ててしまった。
この事件が、鎌倉の幕府中枢部に知れ渡ったのは、4日後の9月23日であった。
幕府は、直ちに土岐頼員の親類である土岐頼貞を捜索したが、不在であった。その後の調査で、頼貞の冤罪がはっきりしたため、それ以上の調査は行われなかった。
尊治は怒り狂っていた。何者が謀ったかわからぬにせよ、この自分を貶めようという周到な罠を巡らせられている状況と、幕府に対する怒りが込み上げていた。
「万里小路宣房を呼べ!」
「はっ!畏まりました」
しばらくすると、神妙な面持ちで万里小路宣房が御簾の前に参上した。
「宣房よ、苦労をかけるが、鎌倉まで出向いて釈明をしてほしい。それと、この綸旨を届けてほしい」
「はっ、畏まりました。今回の件、明らかに何者かによる罠にございますれば、お上におかれましては、お心穏やかにおられますよう。必ず、幕府を黙らせて参ります」
「うむ、よろしく頼んだぞ」
宣房は綸旨を受け取ると直ちに鎌倉に向けて出立した。
万里小路宣房は鎌倉に到着すると直ちに、安達時顕、長崎円喜からの厳しい取り調べを受けることとなった。
宣房は、尊治から預かっていた綸旨を読み上げた。
その内容は凄まじいものであり、「天子たる朕は激昂している」との激しい叱責から始まるものであった。
「「東夷」である幕府に対し、「聖主」である自分に謀反の疑いをかけたことを叱責し、罠にかけられたのは自分であるから、真の謀反人を捕えよ」と幕府に命令した。
「もったいなくも恐れ多いお言葉にございます」
安達時顕は綸旨を拝聴し、震えあがった。
「万里小路さま、お上のご意志はよくわかり申した。ここまでお上が仰せであるとするならば、疑惑は疑惑に過ぎず、と判断いたします」
「安達どの、お上は無実である。そのことよくよくお忘れなきよう」
「畏まりましてございます。お上への処分は「無為」という形で決着したいと考えてございます」
万里小路宣房は、その幕府の決定を持って京へ帰還した。
「お上、ただいま戻りましてございます」
「宣房よ、ご苦労であった。して、いかがであったか」
「幕府はお上の綸旨を読み、震え上がっておりました。お上への処分は「無為」ということに決まりましてございます。それはよかったのですが、鎌倉にて掴んだ情報によりますと、日野資朝・俊基を鎌倉へ送って取り調べをするとのこと。どうやら、資朝らが開催していた「無礼講」という宴会の参加者名簿が六波羅探題に投じられたのがきっかけで、その参加者を念のため調べるとの幕府の意向のようです。また、邦良親王派の六条有忠が、事件発生当時鎌倉に駐在していたのですが、10月13日に帰京しているとのことで、邦良親王派と幕府の間で何か密約があったのではないかと推測しております」
「そうか、実はな、日野資朝の件については、内々に幕府から打診があり、資朝を流罪とすることで事件の決着をつけたいとの話はあった。そのために一旦鎌倉に二人を連れていくという話は承知しておる。しかし、邦良め、幕府との密約とは、やはり、朕の退位と自分の即位の約束なのであろうな。幕府め、二枚舌を使いおって、許せん!」
「お上、今回は、それで手打ちという話がきているのであればこちらも鉾を納めましょう。邦良親王の動きはわれらが鎌倉に行く前の話ゆえ、幕府もお上に報告してきている内容が最終の決定なのでしょう。ただ、途中に邦良親王の野望が紛れていたことは事実として記憶にとどめておき、此度はこれにてお手打ちとされるのが上策かと思われます」
「わかった、そちがそのように申すのであればそのようにしよう」
この事件は、尊治は無罪、日野資朝は佐渡へ流罪、俊基は無罪放免とされた。
尊治は父の政治路線を受け継ぎ、訴訟制度改革に取り組みつつ、朝廷と幕府の融和を目指していた。
尊治の中宮は、関東申次である前太政大臣西園寺実兼の娘禧子であり、義父の実兼の影響力を通じて、幕府との友好路線を堅持していた。
「上皇さまがご危篤とのことです」
「なに!」
尊治は急いで後宇多上皇のもとへ向かった。
尊治が上皇のもとに馳せ参じると、上皇は手招きし尊治を呼び寄せた。
「余はもう駄目じゃ」
「父上、気弱なことを申されますな」
「いや‥、自分のことは自分がよくわかる」
「よいか、お上。ここからの話しは遺言と思うて聞くがよい。
わしは大覚寺統の皇統が続いていくことを願っておる。そのためには、そなたと邦良が両輪の如く大覚寺統を支えていくことが肝要である。このことは、邦良にもよく言って聞かせてある」
「畏まりました。よく心に刻みます」
「うむ、そなたの力を信じておる。後を託したぞ」
「はい‥」
尊治は溢れ出る涙を止めることができなかった。
後宇多上皇が崩御したのはその数日後であった。
その3ヶ月後、事件は突然起こった。
「お上、何やら不穏な事件が起きておるようです。何でもお上が討幕計画をたてそれを命じたとの話になっておりますようで‥」
尊治は飛び上がるほどに驚いた。
「なんじゃ、それは!わしは討幕計画など微塵も考えておらぬぞ!」
「お上、関東申次である西園寺実衡が目通りを願い出ております」
「通せ!」
実衡も動揺した面持ちで、御簾の前に姿を現した。
「実衡!一体どうなっておるのじゃ!」
「お上、私にもよくわかりかねております。大変申し訳ございません。しかし、六波羅探題から、日野資朝・日野俊基を勾留して取り調べたいとの要請が参っております」
「くっ!何者かに嵌められたわ!ことここに至っては仕方あるまい。両名に六波羅探題に出頭するよう伝えよ」
事件の経緯としては以下のようであった。土岐左近蔵人頼員という武士が、9月16日その妻の父である斎藤俊幸に、今上帝に討幕の意志があるという讒言をしたのである。頼員が、多治見国長という武士から討幕計画に誘われたというのだ。多治見国長を討幕計画に誘ったのは今上帝の側近・日野資朝だというのだ。
斎藤俊幸から情報を得た六波羅探題は、9月19日朝、多治見国長と土岐頼有(頼員の甥の息子)に出頭命令を出したが、両者がこれを拒否。合戦に及んだのち、両者とも自害して果ててしまった。
この事件が、鎌倉の幕府中枢部に知れ渡ったのは、4日後の9月23日であった。
幕府は、直ちに土岐頼員の親類である土岐頼貞を捜索したが、不在であった。その後の調査で、頼貞の冤罪がはっきりしたため、それ以上の調査は行われなかった。
尊治は怒り狂っていた。何者が謀ったかわからぬにせよ、この自分を貶めようという周到な罠を巡らせられている状況と、幕府に対する怒りが込み上げていた。
「万里小路宣房を呼べ!」
「はっ!畏まりました」
しばらくすると、神妙な面持ちで万里小路宣房が御簾の前に参上した。
「宣房よ、苦労をかけるが、鎌倉まで出向いて釈明をしてほしい。それと、この綸旨を届けてほしい」
「はっ、畏まりました。今回の件、明らかに何者かによる罠にございますれば、お上におかれましては、お心穏やかにおられますよう。必ず、幕府を黙らせて参ります」
「うむ、よろしく頼んだぞ」
宣房は綸旨を受け取ると直ちに鎌倉に向けて出立した。
万里小路宣房は鎌倉に到着すると直ちに、安達時顕、長崎円喜からの厳しい取り調べを受けることとなった。
宣房は、尊治から預かっていた綸旨を読み上げた。
その内容は凄まじいものであり、「天子たる朕は激昂している」との激しい叱責から始まるものであった。
「「東夷」である幕府に対し、「聖主」である自分に謀反の疑いをかけたことを叱責し、罠にかけられたのは自分であるから、真の謀反人を捕えよ」と幕府に命令した。
「もったいなくも恐れ多いお言葉にございます」
安達時顕は綸旨を拝聴し、震えあがった。
「万里小路さま、お上のご意志はよくわかり申した。ここまでお上が仰せであるとするならば、疑惑は疑惑に過ぎず、と判断いたします」
「安達どの、お上は無実である。そのことよくよくお忘れなきよう」
「畏まりましてございます。お上への処分は「無為」という形で決着したいと考えてございます」
万里小路宣房は、その幕府の決定を持って京へ帰還した。
「お上、ただいま戻りましてございます」
「宣房よ、ご苦労であった。して、いかがであったか」
「幕府はお上の綸旨を読み、震え上がっておりました。お上への処分は「無為」ということに決まりましてございます。それはよかったのですが、鎌倉にて掴んだ情報によりますと、日野資朝・俊基を鎌倉へ送って取り調べをするとのこと。どうやら、資朝らが開催していた「無礼講」という宴会の参加者名簿が六波羅探題に投じられたのがきっかけで、その参加者を念のため調べるとの幕府の意向のようです。また、邦良親王派の六条有忠が、事件発生当時鎌倉に駐在していたのですが、10月13日に帰京しているとのことで、邦良親王派と幕府の間で何か密約があったのではないかと推測しております」
「そうか、実はな、日野資朝の件については、内々に幕府から打診があり、資朝を流罪とすることで事件の決着をつけたいとの話はあった。そのために一旦鎌倉に二人を連れていくという話は承知しておる。しかし、邦良め、幕府との密約とは、やはり、朕の退位と自分の即位の約束なのであろうな。幕府め、二枚舌を使いおって、許せん!」
「お上、今回は、それで手打ちという話がきているのであればこちらも鉾を納めましょう。邦良親王の動きはわれらが鎌倉に行く前の話ゆえ、幕府もお上に報告してきている内容が最終の決定なのでしょう。ただ、途中に邦良親王の野望が紛れていたことは事実として記憶にとどめておき、此度はこれにてお手打ちとされるのが上策かと思われます」
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