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【第三十八話】戦略の崩壊
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東海道からは、尊良親王を奉じた新田義貞が、東山道からは洞院実世が、奥州からは北畠顕家が鎌倉目指して追討軍としてやってくるという情報は尊氏を動揺させた。
帝の赦免を求めて、浄光明寺に籠って隠退を宣言してしまったのだ。
足利直義と高師直は各地に兵を派遣し防戦を試みるが、劣勢は覆せなかった。
12月に入ると、直義自身が出陣し、三河矢橋まで新田義貞を迎え撃つが、敗れ、駿河まで後退し、さらに手越河原で敗れた。
鎌倉まで戻った直義はすぐに兄の尊氏に面会を申し出た。
「兄上、このままでは我らは朝敵の汚名をかぶったまま敗れ去ってしまいますぞ」
「直義、よくわかっておる。わしが出家したところで状況が好転しないことがこの数日間でよくわかった。わしも、ただ寺に籠っておったわけではないぞ。わしなりに、この戦の勝ち筋を探っておったのだ」
「と申されますと」
「敵の狙いはわしの首である。鎌倉を落とすことにそれほどの意味はない。そしてわが方がとるべき作戦は、各個撃破しかない。東海道か東山道かどちらかの討伐軍を撃破し、一気に上洛する。さすれば他の方面軍もわしについて上洛せずばなるまい。そこで敵を一か所にまとめて一挙に撃破する。これしか勝ち目はないと思う。狙うとすれば最も鎌倉まで迫ってきておる東海道の新田義貞であるな」
「兄上、安心いたしましたぞ。そこまで深いお考えがあったとは、わが身を恥じ入るばかりです」
「ただし、言うておくが、必ずしも勝ち目があるとは限らぬぞ。特に、最後の京での決戦では確実に勝てるかどうかわからぬ。しかし、そこまでやれば周りで動き出すものもでてこよう。そういう部分に少しは期待しておる」
「承知いたしました。兄上」
「わしの短い隠退生活もこれで終了じゃ。参るぞ!」
建武2年12月8日、尊氏は直義と共に鎌倉を出陣し、12月10日足柄峠に布陣した。
戦は、12月11日、駿河国藍沢原で始まった。
新田義貞軍に従軍していた島津貞久は、久しぶりの富士の山の景色に見惚れていた。しかし、戦である。相手は、足利尊氏・直義兄弟が率いる足利軍である。
富士のすそ野に翻る両軍の旗印はまぶしく光っていた。
戦は膠着状態が続いた。
新田方の菊池武重は竹藪の竹を切り小刀に結び付け槍として突撃を開始した。その勢いに乗り序盤は新田方が戦を優位に進めていた。
しかし、勢いを盛り返した足利勢が尊良親王と脇屋義助勢を撃破し勝敗が決した。
翌日の戦いでも、大友貞宗の次男大友貞載、塩治高貞が足利方に寝返り足利方が勝利した。
新田勢は京まで引きさがらざるを得なくなった。
島津貞久も、逃げる新田勢と共に京まで一気に引き上げた。
「直義よ、まずは、第一段階の各個撃破は成功したぞ」
「はっ、お見事な采配にございます」
「わしは、光厳上皇さまに書簡を書く」
「上皇さまに、でございますか?一体何を……」
「すでに上皇さまとは懇意にさせていただいておるのよ。用件は新田義貞討伐の院宣を出していただくことじゃ」
「兄上はそこまで手を打っておられたのですか?恐ろしきお方にございますな…」
尊氏はここまでは自分の思い描いた台本通りに事が進んでいることに安堵していた。
尊治は焦っていた。
「尊氏が京に上ってくるぞ!」
「お上、落ち着いてください。まだ北畠顕家がおります。また、敗れたりとはいえ、新田軍も京まで戻って体制を立て直せはまだまだ戦えます」
側近の千種忠顕は尊治をなだめるように言った。
「しかし、このまま京にいては、お上の身が危のうございます。比叡山に身を隠すご準備をお願いいたします」
「であるな。このままでは、京が戦場となる。わしは比叡山へ向かうぞ」
尊治は、尊氏が上洛する前日に比叡山に身を隠した。
建武3年1月11日、足利尊氏は上洛を果たした。しかし、奥州から北畠顕家、東山道から洞院実世、比叡山には守将として新田義貞・楠木正成が万全の体制で待ち構えており、尊氏は集中攻撃を食らうこととなった。
たまらず尊氏は体制を立て直すため、丹波篠村八幡宮まで撤退した。
「やはり、やつらが集まると強すぎるわい」
「そうですな…。各個撃破が基本でございますな」
「ここまできたら、体制を立て直して再度京に突っ込むぞ」
「かしこまりました」
尊氏・直義は決死の覚悟で入京を目指すこととなった。
島津貞久は、京に到着した段階で、足利勢に加わった。しかし、勢いに押される現状を目の当たりにして、先の見えない戦いに疲弊していた。
「頼久、やはり帝勢はよき武者がそろっておるの」
「左様にございますな」
「あれだけの大将格が揃えば、天下に敵なしじゃわい」
「まっこと、ほれぼれする陣容ですな」
「しかし、我が島津は足利尊氏どのに賭けると決めたわけじゃ。どこまでもついていくぞ」
「はっ、かしこまってございます」
尊氏は、体制を整えると、摂津国猪名川付近まで軍を進めた。
尊氏に味方する長門守護が約500艘の船団を率いて神戸にやってきたのである。尊氏はその援軍と合流し都に攻め上ろうとしたが、西宮で楠木正成の待ち伏せに遭い決着がつかず、翌日には豊島河原で新田義貞・北畠顕家連合軍と激しい戦闘となった。
しかし、尊氏は連合軍に敗れ、長門からの援軍と共に九州へ落ち延びることとなった。
帝の赦免を求めて、浄光明寺に籠って隠退を宣言してしまったのだ。
足利直義と高師直は各地に兵を派遣し防戦を試みるが、劣勢は覆せなかった。
12月に入ると、直義自身が出陣し、三河矢橋まで新田義貞を迎え撃つが、敗れ、駿河まで後退し、さらに手越河原で敗れた。
鎌倉まで戻った直義はすぐに兄の尊氏に面会を申し出た。
「兄上、このままでは我らは朝敵の汚名をかぶったまま敗れ去ってしまいますぞ」
「直義、よくわかっておる。わしが出家したところで状況が好転しないことがこの数日間でよくわかった。わしも、ただ寺に籠っておったわけではないぞ。わしなりに、この戦の勝ち筋を探っておったのだ」
「と申されますと」
「敵の狙いはわしの首である。鎌倉を落とすことにそれほどの意味はない。そしてわが方がとるべき作戦は、各個撃破しかない。東海道か東山道かどちらかの討伐軍を撃破し、一気に上洛する。さすれば他の方面軍もわしについて上洛せずばなるまい。そこで敵を一か所にまとめて一挙に撃破する。これしか勝ち目はないと思う。狙うとすれば最も鎌倉まで迫ってきておる東海道の新田義貞であるな」
「兄上、安心いたしましたぞ。そこまで深いお考えがあったとは、わが身を恥じ入るばかりです」
「ただし、言うておくが、必ずしも勝ち目があるとは限らぬぞ。特に、最後の京での決戦では確実に勝てるかどうかわからぬ。しかし、そこまでやれば周りで動き出すものもでてこよう。そういう部分に少しは期待しておる」
「承知いたしました。兄上」
「わしの短い隠退生活もこれで終了じゃ。参るぞ!」
建武2年12月8日、尊氏は直義と共に鎌倉を出陣し、12月10日足柄峠に布陣した。
戦は、12月11日、駿河国藍沢原で始まった。
新田義貞軍に従軍していた島津貞久は、久しぶりの富士の山の景色に見惚れていた。しかし、戦である。相手は、足利尊氏・直義兄弟が率いる足利軍である。
富士のすそ野に翻る両軍の旗印はまぶしく光っていた。
戦は膠着状態が続いた。
新田方の菊池武重は竹藪の竹を切り小刀に結び付け槍として突撃を開始した。その勢いに乗り序盤は新田方が戦を優位に進めていた。
しかし、勢いを盛り返した足利勢が尊良親王と脇屋義助勢を撃破し勝敗が決した。
翌日の戦いでも、大友貞宗の次男大友貞載、塩治高貞が足利方に寝返り足利方が勝利した。
新田勢は京まで引きさがらざるを得なくなった。
島津貞久も、逃げる新田勢と共に京まで一気に引き上げた。
「直義よ、まずは、第一段階の各個撃破は成功したぞ」
「はっ、お見事な采配にございます」
「わしは、光厳上皇さまに書簡を書く」
「上皇さまに、でございますか?一体何を……」
「すでに上皇さまとは懇意にさせていただいておるのよ。用件は新田義貞討伐の院宣を出していただくことじゃ」
「兄上はそこまで手を打っておられたのですか?恐ろしきお方にございますな…」
尊氏はここまでは自分の思い描いた台本通りに事が進んでいることに安堵していた。
尊治は焦っていた。
「尊氏が京に上ってくるぞ!」
「お上、落ち着いてください。まだ北畠顕家がおります。また、敗れたりとはいえ、新田軍も京まで戻って体制を立て直せはまだまだ戦えます」
側近の千種忠顕は尊治をなだめるように言った。
「しかし、このまま京にいては、お上の身が危のうございます。比叡山に身を隠すご準備をお願いいたします」
「であるな。このままでは、京が戦場となる。わしは比叡山へ向かうぞ」
尊治は、尊氏が上洛する前日に比叡山に身を隠した。
建武3年1月11日、足利尊氏は上洛を果たした。しかし、奥州から北畠顕家、東山道から洞院実世、比叡山には守将として新田義貞・楠木正成が万全の体制で待ち構えており、尊氏は集中攻撃を食らうこととなった。
たまらず尊氏は体制を立て直すため、丹波篠村八幡宮まで撤退した。
「やはり、やつらが集まると強すぎるわい」
「そうですな…。各個撃破が基本でございますな」
「ここまできたら、体制を立て直して再度京に突っ込むぞ」
「かしこまりました」
尊氏・直義は決死の覚悟で入京を目指すこととなった。
島津貞久は、京に到着した段階で、足利勢に加わった。しかし、勢いに押される現状を目の当たりにして、先の見えない戦いに疲弊していた。
「頼久、やはり帝勢はよき武者がそろっておるの」
「左様にございますな」
「あれだけの大将格が揃えば、天下に敵なしじゃわい」
「まっこと、ほれぼれする陣容ですな」
「しかし、我が島津は足利尊氏どのに賭けると決めたわけじゃ。どこまでもついていくぞ」
「はっ、かしこまってございます」
尊氏は、体制を整えると、摂津国猪名川付近まで軍を進めた。
尊氏に味方する長門守護が約500艘の船団を率いて神戸にやってきたのである。尊氏はその援軍と合流し都に攻め上ろうとしたが、西宮で楠木正成の待ち伏せに遭い決着がつかず、翌日には豊島河原で新田義貞・北畠顕家連合軍と激しい戦闘となった。
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