ダイヤモンドの星と神 「その名に祈りを込めて、私は歩き出す」

理乃碧王

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ダイヤモンドの星と神

90.

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「星空が綺麗だね」

 穏やかな声が返ってきた。
 ふいに、私はその方向へと顔を向けた。
 隣に座っていたのは、私と同じように空を見上げている一人の青年だった。

「こんな素晴らしい夜に、ヒーローズが日本一になれる瞬間を見れて感無量だ」

 黒髪に淡い月明かりが差し、穏やかな眼差しを浮かべていた。
 その青年は、まるで静けさをそのままにしたような雰囲気だった。
 グレーのチェスターコートに、黒のタートルネックと濃紺のパンツ。
 色を抑えたクラシックな装いは、この夜にすっと溶け込むようで――。
 何故だろう。
 見覚えがあるわけでもないのに、どこか懐かしさを感じさせる顔だった。

「あの弱かったヒーローズが本当に強くなった」

 青年の語りかけに、私は自然と笑みがこぼれた。

「私が見ていたときと、選手の顔触れは違いますがね」
「うんうん、チームキャプテンだった青島選手が今では代打の切り札だ」
「それに伊丹選手がエース、次郎さんがストッパー」
「あの園さんがピッチングコーチ、東郷選手も打撃がよくなったよね」
「あなたは、かなりのヒーローズファンなんですね」
「そりゃそうだよ。そうでないとここには来ない」

 自然と私はその青年と会話が弾んだ。
 どうやら、彼も筋金入りのヒーローズファンのようだ。
 これまでのチームのことをよく知っている。
 その青年はレジェンド球場を見渡しながら呟いた。

「それに閑古鳥が鳴いていたレジェンド球場、今ではこれだけの人が集まっている」
「本当にウソみたい。昔は空席が目立っていたのに」

 私服、学生服、スーツ、ユニフォーム――。
 それぞれが好きな服装で、手拍子で、応援グッズで声援を送っていた。
 それぞれが綺麗な星で、まるで天の川のようだった。

「誰かの願いだったね。このレジェンド球場を観客でいっぱいにしたいと」
「え?」
「いやいや、なんでもないです」

 青年は軽く笑って、手を差し出してきた。

「初めまして、僕は『神木流星』といいます」
「私は……『雪村星里奈』です」

 私は反射的に名乗っていた。
 胸の奥に何か小さな波紋が広がるのを感じたからだろう。
 カミキ、その名前はどこかで聞いたような響きだった。
 そして、リュウセイという名前、きっと流れ星と書くのだろう。
 私の星里奈という名前と少し似ていた。
 確か父さんは私が男だったらつけようとした名前だ。
 でも、そのことには触れなかった。

(この人も、私と同じ星の名前なんだ)

 私達の間に少しばかりの静寂が流れる。
 けれど、それは気まずさではなく、どこか心地よい間だった。
 私は神さんと一緒にいつか見たナイターゲームを思い出しながら、夜空を見上げた。
 空は宝石が散りばめられるように星々が輝いていた。

「今日は、星があんなにたくさん輝いている」
「ええ……東京の夜には珍しく」
「今日みたいな空を見ると――何だか思い出すんだよ」
「思い出?」
「ある人との思い出さ。もう数年前だけど、レジェンド球場でその人と観戦した試合もこんな夜空だった」

 そう呟いた私の言葉に、流星さんはそっと目を細めた。

「きっと……その人はあなたの中で、今でも輝いているんだね」
「……はい、とても輝いています」

 そうかもしれない。
 あの日、あの神社で出会った人。
 黄緑色のゴムボールを手にしていた、名前も知らない金色の人影。
 ――神さん。
 でも、私は彼に尋ねないことにした。
 そんなこと、言わなくても理解わかる気がしたから。

 誰かの祈りが終われば、きっと別の誰かの祈りが始まる。
 そうして、祈りは循環していくのだ。

「今日の夜空は何故だか暖かい」

 ふと、流星さんが前を向いたまま呟いた。

「ヒーローズが日本一になったからですか?」
「いやいや……君が傍にいるからかもしれないね」
「私が?」
「あっ……今のは聞かなかったことに!」

 私の胸が静かに震えた。

「しかし、不思議なこともあるものなんですね。今日、あなたと出会ったばかりだというのに初めてじゃない気がします」
「そうなのかい?」
「似ているんですよ、あなたが神様だと名乗っていた人に」

 誰にというわけでもなく、私はそう言った。
 自分の中の何かが、新しい場所に踏み出そうとしているのを感じながら。

「神様か――自分で名乗るなんて罰当たりな人もいるもんなんだな」
「いいえ……あの人は神様でした。祈ることの意味を教えてくれた、私だけの神様です」
「私だけの神様……か、なるほど」

 流星さんは微笑んで、手をポケットに戻した。
 気づけば、レジェンド球場の歓声も遠くになりつつある。
 いつの間にか、私達は並んで同じ夜空を見ていた。

「雪村さん。今日、ここで君とお話が出来て良かった」

 流星さんは、夜空をじっと見つめたまま言った。
 その視線の先には、いくつもの星が瞬いている。
 私は同じ空を見上げながら静かに応じた。

「……私もです」

 言葉を届けたあと、ふと肩の力が抜けるのを感じた。
 胸いっぱいに吸い込んだ空気は、澄んだ夜気の中にやわらかく溶けていく。
 それだけのことなのに、不思議と心が満たされていく気がした。

「暫く、一緒に眺めていいかい?」
「もちろん」

 二人並んで、ただ静かに夜空を見上げる。
 星の光は音もなく降りそそぎ、空の奥でそっと瞬いていた。
 誰かの祈りが、誰かの願いに姿を変えて受け継がれていく――。
 そんな星達の連なりの中に、きっと今の私達もいるんだろう。

「そうだ、星に祈ってみよう。これからの未来がどうなって欲しいのか」
「星に?」
「自分がどうなりたいのか、どう生きるのか、今年があれば来年がある、来年があればまたその先がある――心の想いを形に出来るように宣言するのさ」

 流星さんの言葉は、空の奥から降ってきた星の声みたいだった。
 その静かな響きに、私は自然とまぶたを伏せたくなった。

「いいですね」

 祈ることは、誰かを想うこと。
 それが形にならなくても、どこかに届くと信じられる夜だった。
 私はそっとまぶたを閉じた。
 心の奥で一つだけ祈りを結ぶ。
 そして、胸の奥で形になった祈りに私は言葉を与えた。

「――その名に祈りを込めて、私は歩き出す」

 風が吹き、星々が優しく瞬いている。
 私はこの名に込められた想いを形にするため、自分の未来へと歩き出していく。

(了)
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