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早速、 ジョセフィーヌはクロードを治療するため、部屋に戻るように言う。おとなしくクロードは 寝台の上に座り、 ジョセフィーヌに手を差し出した。ジョセフィーヌは静かにクロードの手を包み込んだ。その掌から柔らかな光がじわりと滲み出すと、途端に空気が澄み渡り、部屋の中に漂っていた瘴気が少しずつ和らいでいく。
「光よ、我が声に応え、病を鎮め、命の循環を再び紡げ……」
ジョセフィーヌの声が静かに響いた。
その瞬間、眩い光があたりを包み、クロードの胸の奥に温かなものが流れ込む。
長く続いていた倦怠感が、ふっとほどけていった。
目に見えるほどの劇的な変化はない。
だが、彼の呼吸は以前よりかなり穏やかになっていた。
クロードは小さく息を吐き、かすかな笑みを浮かべる。
「……ああ、不思議だな。息苦しさが消えた気がする。それに体が、少し軽くなったみたいだ……」
ジョセフィーヌは静かに頷き、祈りの余韻を抱えたまま彼の手を離した。その掌には、まだ淡い光の名残が宿っていた。
「少しずつ回復していくと思います。殿下のご体調は生まれつきのもののようですから、一度の祈りですぐに治るものではありません。
これから毎日、私が癒しの力を用いて、殿下を健やかなお体へと導いてまいります。どうかご安心ください」
「分かった、ありがとう。今日はとてもいい夢が見られそうだ」
「あら、クロード様がお姉様にお礼なんて言う必要はありませんわ。聖女様は人々を癒すのがお仕事なんですもの。それにしても……私もお姉様のような力があったらよかったのに」
サラが屈託のない笑みを浮かべた。
「あぁ、サラはここにいて笑っているだけで十分だよ。話し相手になってくれるだけで、僕はもっと早く元気になれそうだ」
「本当ですか? だったら、私、いつもクロード様のそばにいますね」
ジョセフィーヌは微笑んでいたが、背後のココアの口がわずかに動いた。
「ジョセフィーヌ様にお礼なんて言う必要ないですって? なんと憎たらしい……」
◆◇◆
その二日後、レアンドルはまるで戦に赴くかのように、大軍を率いてフローリア帝国へ向かった。
やっと帰国したころには、クロードはすっかり元気を取り戻しており、レアンドルは心からジョセフィーヌに感謝したのだが――。
「モンタナは聖女である君に、特別な興味を持っていたようだ。私がセルビアを侵略することは許さないと主張したら、やつは『関係のない国が正義を語るな』と吐き捨てた」
そこでレアンドルは一息つき、ジョセフィーヌの目を見つめた。
「だから、こう言ってやったのだ――『ジョセフィーヌ王女は、我が息子クロードの正妃として迎える予定がある』と」
ジョセフィーヌは思わず息をのんだ。
「そ、そんな話……」
「婚約という形を取れば、モンタナは手を出せまい。武力で抑えることも考えたが――それでは民が傷つくだけだ。やはり、穏やかな解決こそが最善だと思ってな。幸い、クロードは君よりいくらか年下ではあるが、婚約相手としては不自然ではない年頃だ。……どうだろう、急な話で戸惑わせてしまったか?」
レアンドルの声は、ジョセフィーヌを気遣うように優しい。
セルビアにとって、これは申し分のない条件だ。クロードはアルセリア帝国の皇太子であり、いずれは皇帝の座を継ぐ身。年齢もジョセフィーヌとそう離れておらず、婚約相手として何の不都合もない。
両国の利害は見事に一致し、この縁談は繁栄への最善の道といえた。
もちろん、ジョセフィーヌにも拒む理由などなかった。
王女として生まれた時から政略結婚は覚悟していたし、モンタナに嫁ぐよりは何百倍もまし――そう思った。
「ジョセフィーヌ王女とセルビア王国は、私が必ず守り抜く。皇太子の命を救ってくれた君には、いくら感謝してもしきれないからな。……君の幸せは、私が保証しよう」
自信に満ちたレアンドルの言葉に、ジョセフィーヌは思わず微笑んでしまった。こうして、ジョセフィーヌとクロードは婚約し、彼女はそのままアルセリアにとどまることとなった。
だが、クロードの体が回復するにつれ、彼の態度は少しずつ高圧的になっていった。とくに、レアンドルが席を外しているときのお茶の時間などでは、それが顕著だった。ジョセフィーヌとクロード、そしてサラがソファに腰かけ、穏やかに談笑していた時だ。
「ジョセフィーヌは、アルセリア帝国の助けがなければ、好色皇帝の第三皇妃にされてたんだってね? しかも相当な年寄りらしいじゃないか。サラから聞いたよ。僕の父上が手を回して助けてやったんだろう? つまり、僕のおかげってわけだよね?」
その言葉に、ジョセフィーヌは思わずまばたきをした。元気を取り戻した彼は、父親の威を借りて尊大な口調で、ジョセフィーヌに見下すような視線を向けた。どこか、子どもが褒められたがっているようにも見える幼さが痛々しい。
ジョセフィーヌは小さく息をついた。
(殿下は私より四歳年下……まだまだ、子ども……なのよね。近頃はサラの言いなりだし……)
クロードのやり方は巧妙だった。
レアンドルや後宮の使用人たちの前ではジョセフィーヌを大切な婚約者として扱い、
いなくなるとサラとベタベタしはじめ、ジョセフィーヌに心ない言葉を投げつける。
最近、元気のないジョセフィーヌを見かねて、レアンドルは何度も声をかける。
「何か困ったことはないかい?」
「いいえ、特にはございません」
言えるはずがなかった。
自分の腹違いの妹に夢中になっている皇太子など、相手が妹である時点で身内の恥であるし、
皇太子の悪口を父帝に告げることなど、聖女としても王女としてもどうかと思う。
(殿下が……もう少し成長なさったら、きっと分別もおつきになるでしょう)
ジョセフィーヌは、そう信じようとした。
けれど、その淡い期待さえ、この数ヶ月後、あっけなく裏切られることになるのだった。
「光よ、我が声に応え、病を鎮め、命の循環を再び紡げ……」
ジョセフィーヌの声が静かに響いた。
その瞬間、眩い光があたりを包み、クロードの胸の奥に温かなものが流れ込む。
長く続いていた倦怠感が、ふっとほどけていった。
目に見えるほどの劇的な変化はない。
だが、彼の呼吸は以前よりかなり穏やかになっていた。
クロードは小さく息を吐き、かすかな笑みを浮かべる。
「……ああ、不思議だな。息苦しさが消えた気がする。それに体が、少し軽くなったみたいだ……」
ジョセフィーヌは静かに頷き、祈りの余韻を抱えたまま彼の手を離した。その掌には、まだ淡い光の名残が宿っていた。
「少しずつ回復していくと思います。殿下のご体調は生まれつきのもののようですから、一度の祈りですぐに治るものではありません。
これから毎日、私が癒しの力を用いて、殿下を健やかなお体へと導いてまいります。どうかご安心ください」
「分かった、ありがとう。今日はとてもいい夢が見られそうだ」
「あら、クロード様がお姉様にお礼なんて言う必要はありませんわ。聖女様は人々を癒すのがお仕事なんですもの。それにしても……私もお姉様のような力があったらよかったのに」
サラが屈託のない笑みを浮かべた。
「あぁ、サラはここにいて笑っているだけで十分だよ。話し相手になってくれるだけで、僕はもっと早く元気になれそうだ」
「本当ですか? だったら、私、いつもクロード様のそばにいますね」
ジョセフィーヌは微笑んでいたが、背後のココアの口がわずかに動いた。
「ジョセフィーヌ様にお礼なんて言う必要ないですって? なんと憎たらしい……」
◆◇◆
その二日後、レアンドルはまるで戦に赴くかのように、大軍を率いてフローリア帝国へ向かった。
やっと帰国したころには、クロードはすっかり元気を取り戻しており、レアンドルは心からジョセフィーヌに感謝したのだが――。
「モンタナは聖女である君に、特別な興味を持っていたようだ。私がセルビアを侵略することは許さないと主張したら、やつは『関係のない国が正義を語るな』と吐き捨てた」
そこでレアンドルは一息つき、ジョセフィーヌの目を見つめた。
「だから、こう言ってやったのだ――『ジョセフィーヌ王女は、我が息子クロードの正妃として迎える予定がある』と」
ジョセフィーヌは思わず息をのんだ。
「そ、そんな話……」
「婚約という形を取れば、モンタナは手を出せまい。武力で抑えることも考えたが――それでは民が傷つくだけだ。やはり、穏やかな解決こそが最善だと思ってな。幸い、クロードは君よりいくらか年下ではあるが、婚約相手としては不自然ではない年頃だ。……どうだろう、急な話で戸惑わせてしまったか?」
レアンドルの声は、ジョセフィーヌを気遣うように優しい。
セルビアにとって、これは申し分のない条件だ。クロードはアルセリア帝国の皇太子であり、いずれは皇帝の座を継ぐ身。年齢もジョセフィーヌとそう離れておらず、婚約相手として何の不都合もない。
両国の利害は見事に一致し、この縁談は繁栄への最善の道といえた。
もちろん、ジョセフィーヌにも拒む理由などなかった。
王女として生まれた時から政略結婚は覚悟していたし、モンタナに嫁ぐよりは何百倍もまし――そう思った。
「ジョセフィーヌ王女とセルビア王国は、私が必ず守り抜く。皇太子の命を救ってくれた君には、いくら感謝してもしきれないからな。……君の幸せは、私が保証しよう」
自信に満ちたレアンドルの言葉に、ジョセフィーヌは思わず微笑んでしまった。こうして、ジョセフィーヌとクロードは婚約し、彼女はそのままアルセリアにとどまることとなった。
だが、クロードの体が回復するにつれ、彼の態度は少しずつ高圧的になっていった。とくに、レアンドルが席を外しているときのお茶の時間などでは、それが顕著だった。ジョセフィーヌとクロード、そしてサラがソファに腰かけ、穏やかに談笑していた時だ。
「ジョセフィーヌは、アルセリア帝国の助けがなければ、好色皇帝の第三皇妃にされてたんだってね? しかも相当な年寄りらしいじゃないか。サラから聞いたよ。僕の父上が手を回して助けてやったんだろう? つまり、僕のおかげってわけだよね?」
その言葉に、ジョセフィーヌは思わずまばたきをした。元気を取り戻した彼は、父親の威を借りて尊大な口調で、ジョセフィーヌに見下すような視線を向けた。どこか、子どもが褒められたがっているようにも見える幼さが痛々しい。
ジョセフィーヌは小さく息をついた。
(殿下は私より四歳年下……まだまだ、子ども……なのよね。近頃はサラの言いなりだし……)
クロードのやり方は巧妙だった。
レアンドルや後宮の使用人たちの前ではジョセフィーヌを大切な婚約者として扱い、
いなくなるとサラとベタベタしはじめ、ジョセフィーヌに心ない言葉を投げつける。
最近、元気のないジョセフィーヌを見かねて、レアンドルは何度も声をかける。
「何か困ったことはないかい?」
「いいえ、特にはございません」
言えるはずがなかった。
自分の腹違いの妹に夢中になっている皇太子など、相手が妹である時点で身内の恥であるし、
皇太子の悪口を父帝に告げることなど、聖女としても王女としてもどうかと思う。
(殿下が……もう少し成長なさったら、きっと分別もおつきになるでしょう)
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