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59 帳簿の奥に潜むもの
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アイビーが手にしていたカップを静かに置いた。
それでも彼女の肩は、かすかに震えている。
「……こんな気持ちじゃ、眠れそうにありません」
目を伏せながらつぶやく声に、私はゆっくりと頷いた。
「……そうよね。じゃあ、もう一杯ミルクティーでも作りましょうか? よかったら、居間に移動しましょう。あそこなら気分も少し落ち着くと思うわ」
私は立ち上がり、静かにドアを開けた。アイビーは戸惑いながらも、私の後ろについてくる。廊下を抜けて居間へと向かうと、ソファの脇に置かれたランプの光が、あたたかく部屋を照らしていた。私はキッチンに立って、新たにミルクティーを淹れ始めた。その間、アイビーは静かにソファに腰を下ろし、手を膝の上に置いたまま、じっと俯いていた。しばらくして、ルカを寝かしつけた旦那様が、居間に入ってくる。
「ルカは、ぐっすりだ。……何かあったのか?」
私が淹れたミルクティーをテーブルに置くと、アイビーが小さく顔を上げる。その目には、まだ不安の色が残っていた。
「話したいことがあるの。アイビーが……少し困っていて」
私は旦那様の隣に腰を下ろし、そっと彼の手に触れた。
「聞いてもらってもいいかしら?」
「もちろん聞くさ」
旦那様はすぐに頷いて、アイビーに優しく微笑みかけた。
「アイビーが困ってるって……一体なにを困ってるんだい? 力になるから、話してごらん」
その声に、アイビーの肩の力が少しだけ抜けた気がした。
ミルクティーを両手で包みながら、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
横領の濡れ衣を着せられたこと。
領主の息子が原因だったこと。
無実のまま、処刑の可能性を仄めかされていること。
話を聞いているうちに、旦那様の眉間に皺が寄っていく。そして最後まで聞き終えたときには、完全に怒りが顔に出ていた。
「……なんだそのふざけた話は! そんなこと、この俺が許さんぞ! よし、俺が行って、ぶちのめしてやる!」
あまりにも真剣な顔でそう言ったものだから、思わず私は噴き出してしまった。
「ぶちのめす……! ちょ、ちょっと、真顔で言わないでよ、それ……!」
私が吹き出すと、アイビーも目を丸くして、そしてくすりと笑った。
旦那様は得意げに胸を張る。
「大丈夫だ。俺が言ってやる。“おいコラ! 俺はグリーンウッド侯爵だぞ、しかも王都騎士団長でルカの自慢の父親だぞ!”ってな!」
「あ、うん、間違ってないわ。でもルカのことは言わなくても良いと思う」
「え? そうか? ついでに俺の妻も自慢したかったんだが……」
旦那様お得意の場を和ませるリップサービス。私もこんなふうに言われたら、アイビーの問題はどうってことないような小さな問題に思えてくる。
「……あははっ……」
アイビーが声を上げて笑った瞬間、私もホッとしながら、一緒に笑い合う。
「そうよね。ぶちのめしてやる、が大正解だわ。アイビーからその話を初めて聞いた私、ちょっとかっこつけて、“この世界を変えたい”なんて思っちゃったのよ。怒りすぎて、らしくないこと考えちゃってた。でもやっぱり――今の気持ちは旦那様と一緒だわ。アイビー、安心して。私と旦那様で、そんな奴ら、蹴散らしてぶちのめしてやるわ」
アイビーの瞳に、ふわりと安心しきった子供のような笑みが広がった。
「……はいっ」
重かった空気が、少しずつ和らいでいき、アイビーは客間に戻って行った。
「おやすみなさい、良い夢をね。大丈夫、私たちを頼ってくれたのは大正解よ」
◆◇◆
王宮の謁見室に、重々しい空気が流れていた。国王陛下は、私たち夫婦の報告をひと通り聞き終えると、しばし沈黙ののち、重々しく頷いた。
「……事実であれば、騎士団内部において、あってはならぬ腐敗だな。エルナに特命騎士の地位を授けよう。王都騎士団長レオン、そして特命騎士エルナ。そなたらに全権を委ねる。ガスキン地方へ赴き、事実関係を調査し、必要あらば裁きを下せ」
「謹んで拝命いたします、陛下」
私と旦那様は膝をつき、頭を垂れた。
その日の午後、王都騎士団が非常招集される。旦那様直属の部隊を中心に、現地を圧倒する規模の戦力を整えた。
出発前、私はアイビーの手を取った。
「もう大丈夫。これから私たちがすべてを明らかにするわ。あなたも一緒に来て、堂々と顔を上げて証言してちょうだい」
「……はいっ」
その目に浮かぶ涙を見て、私はかすかに微笑んだ。
◆◇◆
【俯瞰視点・酒場シーン】
場面は変わって、ガスキン地方の薄暗い酒場の奥の個室。
木製の扉が閉められたその部屋で、数人の男たちがグラスを前に声を潜めていた。
「……王都騎士団が、こっちに向かってるって話だ」
「は? 処分の段取りは終わってたはずだろ。何で今さら騒ぎに……」
「逃げられたんだよ。あの女騎士、王都で保護されたって話だ」
「……マジかよ。何がどうなってんだ。まさかあのことまで……」
「いや、そこまでは気づいてない。あいつが調べてたのは備品の紛失と、ガキどもが持ち出した物資の記録だけだ」
「じゃあ、なんでもっと穏便に済ませようとしなかったんだ?」
「バカ言え。アイツは鋭い。あの帳簿にヤバい記録が紛れていることで、勘が働くのも時間の問題だった。……だから、始末しようとしたんだよ」
沈黙。
誰かが小さく舌打ちをした。
「あれを掘り返されたら、こっちが危ない。上も動くかもしれん……」
「くそ……全部、表に出されたら、どうなると思ってんだ」
「バレたら、首が飛ぶどころじゃ済まねぇ……!」
──続く。
それでも彼女の肩は、かすかに震えている。
「……こんな気持ちじゃ、眠れそうにありません」
目を伏せながらつぶやく声に、私はゆっくりと頷いた。
「……そうよね。じゃあ、もう一杯ミルクティーでも作りましょうか? よかったら、居間に移動しましょう。あそこなら気分も少し落ち着くと思うわ」
私は立ち上がり、静かにドアを開けた。アイビーは戸惑いながらも、私の後ろについてくる。廊下を抜けて居間へと向かうと、ソファの脇に置かれたランプの光が、あたたかく部屋を照らしていた。私はキッチンに立って、新たにミルクティーを淹れ始めた。その間、アイビーは静かにソファに腰を下ろし、手を膝の上に置いたまま、じっと俯いていた。しばらくして、ルカを寝かしつけた旦那様が、居間に入ってくる。
「ルカは、ぐっすりだ。……何かあったのか?」
私が淹れたミルクティーをテーブルに置くと、アイビーが小さく顔を上げる。その目には、まだ不安の色が残っていた。
「話したいことがあるの。アイビーが……少し困っていて」
私は旦那様の隣に腰を下ろし、そっと彼の手に触れた。
「聞いてもらってもいいかしら?」
「もちろん聞くさ」
旦那様はすぐに頷いて、アイビーに優しく微笑みかけた。
「アイビーが困ってるって……一体なにを困ってるんだい? 力になるから、話してごらん」
その声に、アイビーの肩の力が少しだけ抜けた気がした。
ミルクティーを両手で包みながら、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
横領の濡れ衣を着せられたこと。
領主の息子が原因だったこと。
無実のまま、処刑の可能性を仄めかされていること。
話を聞いているうちに、旦那様の眉間に皺が寄っていく。そして最後まで聞き終えたときには、完全に怒りが顔に出ていた。
「……なんだそのふざけた話は! そんなこと、この俺が許さんぞ! よし、俺が行って、ぶちのめしてやる!」
あまりにも真剣な顔でそう言ったものだから、思わず私は噴き出してしまった。
「ぶちのめす……! ちょ、ちょっと、真顔で言わないでよ、それ……!」
私が吹き出すと、アイビーも目を丸くして、そしてくすりと笑った。
旦那様は得意げに胸を張る。
「大丈夫だ。俺が言ってやる。“おいコラ! 俺はグリーンウッド侯爵だぞ、しかも王都騎士団長でルカの自慢の父親だぞ!”ってな!」
「あ、うん、間違ってないわ。でもルカのことは言わなくても良いと思う」
「え? そうか? ついでに俺の妻も自慢したかったんだが……」
旦那様お得意の場を和ませるリップサービス。私もこんなふうに言われたら、アイビーの問題はどうってことないような小さな問題に思えてくる。
「……あははっ……」
アイビーが声を上げて笑った瞬間、私もホッとしながら、一緒に笑い合う。
「そうよね。ぶちのめしてやる、が大正解だわ。アイビーからその話を初めて聞いた私、ちょっとかっこつけて、“この世界を変えたい”なんて思っちゃったのよ。怒りすぎて、らしくないこと考えちゃってた。でもやっぱり――今の気持ちは旦那様と一緒だわ。アイビー、安心して。私と旦那様で、そんな奴ら、蹴散らしてぶちのめしてやるわ」
アイビーの瞳に、ふわりと安心しきった子供のような笑みが広がった。
「……はいっ」
重かった空気が、少しずつ和らいでいき、アイビーは客間に戻って行った。
「おやすみなさい、良い夢をね。大丈夫、私たちを頼ってくれたのは大正解よ」
◆◇◆
王宮の謁見室に、重々しい空気が流れていた。国王陛下は、私たち夫婦の報告をひと通り聞き終えると、しばし沈黙ののち、重々しく頷いた。
「……事実であれば、騎士団内部において、あってはならぬ腐敗だな。エルナに特命騎士の地位を授けよう。王都騎士団長レオン、そして特命騎士エルナ。そなたらに全権を委ねる。ガスキン地方へ赴き、事実関係を調査し、必要あらば裁きを下せ」
「謹んで拝命いたします、陛下」
私と旦那様は膝をつき、頭を垂れた。
その日の午後、王都騎士団が非常招集される。旦那様直属の部隊を中心に、現地を圧倒する規模の戦力を整えた。
出発前、私はアイビーの手を取った。
「もう大丈夫。これから私たちがすべてを明らかにするわ。あなたも一緒に来て、堂々と顔を上げて証言してちょうだい」
「……はいっ」
その目に浮かぶ涙を見て、私はかすかに微笑んだ。
◆◇◆
【俯瞰視点・酒場シーン】
場面は変わって、ガスキン地方の薄暗い酒場の奥の個室。
木製の扉が閉められたその部屋で、数人の男たちがグラスを前に声を潜めていた。
「……王都騎士団が、こっちに向かってるって話だ」
「は? 処分の段取りは終わってたはずだろ。何で今さら騒ぎに……」
「逃げられたんだよ。あの女騎士、王都で保護されたって話だ」
「……マジかよ。何がどうなってんだ。まさかあのことまで……」
「いや、そこまでは気づいてない。あいつが調べてたのは備品の紛失と、ガキどもが持ち出した物資の記録だけだ」
「じゃあ、なんでもっと穏便に済ませようとしなかったんだ?」
「バカ言え。アイツは鋭い。あの帳簿にヤバい記録が紛れていることで、勘が働くのも時間の問題だった。……だから、始末しようとしたんだよ」
沈黙。
誰かが小さく舌打ちをした。
「あれを掘り返されたら、こっちが危ない。上も動くかもしれん……」
「くそ……全部、表に出されたら、どうなると思ってんだ」
「バレたら、首が飛ぶどころじゃ済まねぇ……!」
──続く。
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