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1巻
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お姫様抱っこをされながら目の前にそびえ立つ巨大な建物を見た。王子様やお姫様が住むおとぎ話のお城にしか見えないし、中に入るとその内装の豪華さにも息を呑む。
玄関の扉を開けると吹き抜け天井になっており、大空間が広がる。その先には中庭が見え、左右に分かれて続く廊下でさえとても広く、天井には絵画が描かれきらびやかなシャンデリアがつり下がっていた。
一方の壁には金の額縁に飾られた女性達の肖像画が並び、他方はガラス張りになっており中庭が眺められた。そこには季節の花々が見事に咲き誇り、庭に出られるように等間隔で掃き出し窓になっていた。
「ポールスランド伯爵邸は中庭を中央において、ぐるりと部屋がある構造になっているのさ。正面の庭と中庭には大きな噴水もあるし、ふかふかのソファを置いた広めのガゼボもあるから後で案内してあげよう。壁側に掛かっている肖像画は歴代のポールスランド伯爵夫人だよ」
コンスタンティン様が説明しながら歩いていくと、廊下の遙か先からパタパタと足音をさせて誰かが走ってくるのが見えた。
昼間の女の子だわ。
コンスタンティン様と同じ金髪に黄金の瞳でとてもよく似ている。
「お帰りなさいませ、お兄様! あなたは今日、私を助けてくださったお姉様ですね? あの時は助けてくださってありがとう! 私はエリザベッタです。え……? 頬が……赤くなっていますよ……唇には血の痕もあるわ」
「これはなんでもありません。ちょっと転んだだけですから。それより、コンスタンティン様、自分で歩けますから私を下ろしてください」
「大変! 靴にも血がついているわ。足も怪我しているのね? どうしよう。足の傷はきっと私のせいですよね? 大丈夫ですか? 痛いでしょう? すぐに手当をしてもらいましょう。お兄様、この方をそのまま抱きかかえて、早く居間まで運んであげて!」
エリザベッタ様は私の足の怪我に気がつくと、とても心配して私に何度も痛くないかと尋ねてくださった。この方はなんて優しいのだろう。
「よしよし、泣かないで。痛いの痛いの飛んでけぇー! このおまじないはね、とても効くのよ。だからもう大丈夫」
エリザベッタ様に言われて、自分が涙を流していることに気がつく。
あら? なんで私は泣いているのかしら?
「エリザベッタ、グレイス嬢はきっと痛くて泣いたのじゃないよ。エリザベッタが心配してくれたから嬉しかったのだよね? そうだろう?」
まったくその通りだ。コンスタンティン様は人の心が読めるのかしら?
居間に着くとコンスタンティン様とエリザベッタ様にとてもよく似た男性が、こぼれんばかりの笑みを浮かべて話しかけてくださった。けれど、私の頬を見て表情を曇らせる。
「ありがとう、本当にありがとう! このお転婆娘を助けてくれたのだろう? エリザベッタは後先考えず衝動的に行動することがあるが、まさか川に飛び込んで猫を助けようとするとは思わなかった。君はエリザベッタの命の恩人だ。ん? ちょっと待て。その頬はどうした?」
「お父様、この方は足も怪我しているみたいよ。靴に血がついているもの」
「この足は水底にちょっと引っ掛けてできたものです。こんなのはすぐに治りますから大丈夫です」
私は大袈裟にしたくなくて、足をワンピースの裾で隠そうとした。けれど、ベリンダのお下がりは丈も短くて足が隠れない。
「ちょっとこちらを向いて顔をしっかりあげなさい。頬には痣が浮き上がり始めていますよ。なんてこと……女の子なのに顔に怪我を負うなんて! その足もお見せなさい。隠してはいけません。まぁ、爪が剥がれかけているではないの! 酷い怪我だわ」
そうおっしゃったのは黒髪に黒瞳の背の高い女性だった。
ほっそりとした体型で、髪型は後ろにきっちりとシニヨンにまとめ、凜とした美しさが際立つ。ブルーグレーのシンプルなドレスに身を包み、見事なカナリーイエローと呼ばれる鮮やかな発色のイエローダイヤモンドの指輪をつけていた。
ポールスランド伯爵様やコンスタンティン様、エリザベッタ様の瞳色によく似た大粒のイエローダイヤモンドをつけた女性は、涼しげな切れ長の目に怒りを宿し、語調がとてもきつかったので、私はすっかり怖じ気づいてしまう。だからいつものようにすぐ謝った。
「ご、ごめんなさい。怪我をしてごめんなさい。足の傷は私の不注意ですし、頬は転んだだけですからたいした傷ではないのです」
幼い頃から怪我をすると両親からずっと怒られてきた。「グレイスがそそっかしいから怪我をしたのよ」とか「のろまで愚図だから怪我をするのよ」などと責められてきた記憶が蘇る。
消毒薬や飲み薬は高価だし、小さな絆創膏でさえ自由に使えるのはベリンダだけ。傷や怪我の手当をしてもらったことはなかった。
「あらあら、ごめんなさい。怖がらせてしまったかしら? その頬を見て、つい殴った者に憤りを感じてしまったの。女の子を殴るなんて野蛮ですし、そこまで痣になるのならきっと男性に思いっきり殴られたのでしょうね」
「……殴られてはいません」
震える小さな声で返答した。
「それはどう見ても殴られた痣でしょう。言いたくないことは誰にでもあるでしょうから、無理に聞きはしませんが、とにかく手当はしなければなりませんよ」
「自然に治りますから大丈夫です」
「自然に治るですって? 適切な治療をしないとダメですよ。足の怪我も消毒しなければいけません。ばい菌が入ったら治りも遅くなるし、思わぬ感染症になるかもしれません。今すぐお抱えの医者を呼び出しますから、とりあえずその頬を冷やし、足を清潔なぬるま湯で洗いましょう」
「お医者様ですか? 私なんかのためにもったいないです。病気も怪我も今まで自然に治してきましたから大丈夫なのです」
「ばかなことを言ってはいけません! 自然治癒なんて野生動物ではないのですよ」
一見冷たそうに見えたその女性はポールスランド伯爵夫人だった。
夫人は氷水に浸した清潔なタオルを私の頬に当て、ぬるま湯に浸した私の足を自ら優しく洗ってくださった。慈愛に溢れた女性であるとすぐにわかり、一瞬でも恐ろしいと思ってしまった自分が恥ずかしい。
まもなくいらっしゃったお医者様は、別室で怪我の治療以外にも悪いところがないかを丁寧に診察してくださった。
この世界ではお医者様に診ていただくのはとてもお金がかかるのに、私の怪我を治す方がなによりも大事だと思ってくださるポールスランド伯爵家の方々が不思議だった。
こんなに良くしていただいて良いのかしら?
たまたまエリザベッタ様が溺れていたところに出くわしただけで、特別なことなんてなにもしていないのに。
私はポールスランド伯爵家に泊まらせていただくことになった。
このような立派なお城に私がいてもいいのかしら?
「ディナーの時間までにはまだ間がありますからね。エリザベッタのお隣のお部屋で休んでいなさい。そこをグレイスのお部屋としましょう」
夫人がエリザベッタ様に、私をお部屋に案内してあげるようにとおっしゃった。
「うふふ、嬉しいわ。グレイスお姉様、お部屋に案内しますね。私、お姉様がずっと欲しかったの。さぁ、ここがグレイスお姉様のお部屋よ。私は隣のお部屋。なにか足りない物があったら言ってね」
エリザベッタ様が二階に案内してくださり、部屋の扉を開けながら屈託のない笑みを浮かべた。
私は困惑しつつ告げる。
「グレイスと呼び捨てでお呼びください。伯爵家のお嬢様とこうしてお話するのさえ緊張しますのに、『グレイスお姉様』などと呼ばれては恐れ多くてお返事もできません。それにこのような広いお部屋をお借りして良いのですか? すごく綺麗だしベッドに天蓋がありますよ。おとぎ話に出てくるみたいです」
「わかった。じゃぁ、グレイスと呼ぶわね。ベッドに天蓋があるのは普通だと思っていたけれど、グレイスはそれが嬉しいの? それなら私も嬉しいわ」
「はい。とても嬉しいのですが、落ち着きません。私はメイド部屋でも良かったのですけれど、なぜ使用人の部屋ではないのでしょうか?」
私が首を傾げると呆れながらエリザベッタ様が頬を膨らませた。
「ポールスランド伯爵家は娘の命の恩人をメイド部屋に案内するほど恩知らずじゃないわよ。でもポールスランド伯爵邸のメイド部屋はそれほど酷いところじゃないけどね。屋根裏部屋だけれど清潔で天窓はあるし、ライティングデスクに一人掛けソファもあるのよ。ベッドに天蓋はないけどね」
「そうなのですね。だったらポールスランド伯爵夫人に、メイド部屋に移らせてもらえるようお願いしてみます」
笑顔でそう言うと全力で止められた。
「いいからグレイスはこのお部屋でゆっくり寛いでいなさい。これは命令よ。そこのソファにでも座るか、ベッドに横になっていらして」
エリザベッタ様にそう言われたら、ここにいるしかなさそうだ。
ふかふかの絨毯はクリーム色で私が歩いたら汚れそうで怖い。淡いブルーの二人掛けソファは、座った途端に身体が沈み込むほど柔らかかった。ソファの前には大理石のテーブルがあり、部屋の隅にはライティングデスクと椅子がある。窓際には白地に青薔薇が描かれた三面鏡が置かれ、およそ生活をするのに必要な物は揃っていた。天井にはキラキラ光るシャンデリア。バルコニーに通じる掃き出し窓に掛かっているドレープカーテンにも青薔薇の刺繍がほどこされ、ベッドの天蓋につけられたカーテンは白とブルーのオーガンジー生地だった。
何度もお部屋を見回して、これが夢じゃないのかと不安になる。
私なんかがこんな素敵な部屋にいてもいいのかな……
「ここはブルーを基調にしたお部屋なのよ。ちなみに私のお部屋はベビーピンクを基調にしているわ」
「こんなに素敵なお部屋で過ごせるなんて夢みたいです」
「夢なんかではないわ。これは現実よ。じゃぁ、夕食の時間にまた会いましょうね!」
エリザベッタ様は朗らかに笑いながら去っていった。
あまりにも立派なお部屋なので、落ち着かない。
「グレイス、コンスタンティンだ。ちょっといいかい? あげたい物があるのだが」
コンスタンティン様が扉をノックしながらそうおっしゃった。
「はい、どうぞ」
私は慌てて扉を開けた。次の瞬間、視線がコンスタンティン様の手元に吸い寄せられた。見たこともないほど綺麗な瓶を持っていたからだ。
「これをどうぞ。手に塗る香油だよ。身体全体に使えるからね。なくなったら遠慮なく言っておくれ」
開けてみると、とてもかぐわしい薔薇の香りが漂う。
「このような高価な物をいただいてよろしいのでしょうか?」
「もちろんだよ。じゃぁ、夕食時にまた会おう」
去っていくコンスタンティン様が見えなくなるまで扉の前で見送った。
そうして、いただいた香油を大事に両手で持ってお部屋に戻る。
そっとテーブルの上に置いて、また蓋を開けて芳香を楽しむ。甘く華やかで優雅な薔薇の香りに再度包まれて、思わず笑みがこぼれた。
これほど高価な物を使うなんてもったいない。
まして、コンスタンティン様がくださった物だから、一生の宝物にしなくっちゃ。
私はお部屋の飾り棚にそっとそれを置いた。
手につけたらすぐになくなっちゃうもの。そうしたらこの世界も一緒に消えてなくなりそうな気がする。
柔らかなソファに座り、飾り棚の瓶を見つめていると幸せな気分で満たされた。
「グレイス様、起きてくださいませ。まもなくディナーのお時間です。奥様の独身時代のドレスにお着替えしましょう」
侍女に揺り動かされて、私はソファで寝ていたのだと気づいた。
「私が着たら汚れますよ。もったいないです」
私がドレスを着るのを遠慮しようとすると、侍女は私を備え付けのバスルームに連れていった。フラメル家ではバスルームは屋敷に一つしかなかったのに、こちらではプライベートルームにバスルームは必ずついているという。
すでに浴室にはお湯が溜められ、私はあっという間にそこで綺麗に磨かれた。恥ずかしがる暇もなく身体を洗われ、ラベンダー色のドレスを差し出される。
「奥様はグレイス様に着てほしいとおっしゃっています。これを着ていただかないと、奥様がきっとがっかりされますよ。さぁ、早く着替えてしまいましょう」
「こんなに綺麗なドレスをお借りするなんて申し訳ないです。でもポールスランド伯爵夫人をがっかりさせるのは嫌です」
私はそう言いながら、侍女にドレスを着させてもらった。
ドレスは私に誂えたようにぴったりの丈だったけれど、ウエストもバストもかなり余裕があった。鏡の前に立つとドレスは素敵なのに、それにそぐわない痩せ細った私の姿が映る。身に着けるのに手伝いの侍女がいるほどの高価なドレスを着たのは初めてだった。
「お似合いですよ」
「私なんかには似合いません。髪も枯れ葉みたいな色でパサパサだし、肌も血色が悪くてぜんぜん可愛くないですから」
「髪は確かにだいぶ傷んでいますね。ですけれど、これから手入れをきちんとされれば見違えるようになります。血色が悪いのは栄養が足りていないのではないでしょうか? 痩せすぎだと思いますが、こちらにいればきっと健康的な身体になります。それに、グレイス様は可愛いというより美しい方ですよね」
私はポカンと口を開けてこの侍女を見つめた。
美しいと言われたのは生まれて初めてだ。フラメル家にデリク様が伴って来る侍女達は、いつも私をバカにして冷ややかな態度を取るから。
「名家の侍女になるには家柄と教養が必要なのですわ。気やすく話しかけないでくださいね。あなたとは違うのですから」
デリク様の侍女からはいつもそんな言葉を投げつけられていた。貴族の侍女達は意地悪な人が多いのだと思っていたのに、この侍女は違うようだ。
「あ、あのぉー、私と仲良くしていただけませんか?」
おそるおそる聞いてみる。
「まぁ、良いですとも。私はレーアと言います。よろしくお願いしますね」
「レーアさんもやっぱり貴族なのですか? 名家の侍女は家柄が良くないとなれないと聞いたことがあります」
「いいえ。私は平民ですよ。このお屋敷の侍女達は皆平民です。ポールスランド学園で学び、さらに一年間侍女になるための学校に行き、必要な知識を身につけてこちらに雇っていただきました。ポールスランド伯爵領では教育に力を入れています。平民でも同じように機会を与えたいというお考えの領主様ですから」
「すごい。ポールスランド伯爵様はとても良い方なのですね」
「えぇ、とても立派な方ですよ。ただ、名家の侍女は家柄が良くないとなれないのは事実だと思います。おそらく侯爵家以上の家柄では貴族の子女ばかりが雇われるでしょう。ちなみにポールスランド伯爵夫人のご実家は名門ウォルフェンデン侯爵家です」
貴族にもいろいろあるのね。
男爵家でさえすごいと思っていたし、雲の上の方達だと思っていたのに、ポールスランド伯爵夫人のご実家はさらにその上の存在だった。
「さぁ、皆様がお待ちかねですから、早速ディナー用の食堂へまいりましょう」
一階に降りて三つ目の扉を開けると、そこは広々とした空間にとても長いテーブルが中央に置かれている大食堂だった。
「お客様がこれから大勢いらっしゃるのですか?」
「いいえ、家族しかいなくてもディナーはこの大食堂で食べますよ。もちろん、席を詰めるので片側のスペースは無駄になりますけれどね」
ポールスランド伯爵夫人が説明してくださるところによれば、さきほど階段を降りて通ってきた一つ目の扉の部屋は最初に案内された場所で、家族団らん用の居間だそうだ。
二つ目の扉は朝食用の小さめの食堂とのことだった。
このお屋敷はどこもかしこも贅沢な調度品で飾られ、足下にはふかふかの赤い絨毯が廊下にまで敷かれて食堂も二つあった。
やはり住む世界が違いすぎる方達なのね。
大食堂にはすでに伯爵家の方々が揃っていた。
長方形の短辺の一人分の席にポールスランド伯爵が座っていらして、長辺の両側にコンスタンティン様とポールスランド伯爵夫人が向かい合って座っている。ポールスランド伯爵夫人の隣にはエリザベッタ様が座り、コンスタンティン様が自分の隣に座るように私におっしゃった。
お待たせしてしまったかも。どうしよう?
私は動揺しながらもポールスランド伯爵夫人に話しかけた。
「このような素敵なドレスを貸していただいて申し訳ありません。汚してしまわないかと心配です」
「『申し訳ありません』ではなくて、このような場合は『ありがとうございます』と言った方が良いですよ。昔のものをとっておいて良かったわ。ドレスの丈もぴったりですし、どうやらあなたは昔の私の雰囲気に似ているようね。娘がもう一人増えたようで嬉しく思っていますよ。さぁ、コンスタンティンの隣の席にお座りなさい」
そうか、この場合はお礼を言うべきなのね。
「はい。では言い直します。このような素敵なドレスを貸していただき、ありがとうございます」
そう申し上げるとポールスランド伯爵夫人とコンスタンティン様がにっこりした。
ちょっとだけホッとする。
コンスタンティン様の隣の席に着くと和やかに食事は始まった。
テーブルマナーがおぼつかない私は、戸惑いながらもお皿の両側にたくさん並べられたカトラリーを見つめた。
隣に座っていたコンスタンティン様は察したようで、私に目配せしながら左側にある一番外側のフォークを優雅に取ってみせた。
前菜から始まってスープにお魚とお肉が順番に運ばれてくる。フラメル家では私が料理をしていたので、使ったフライパンや鍋を洗い、厨房を綺麗に片づけてからでないと食事をしてはいけなかった。だからいつもお父様達が先に食べて残り物が私の食事になった。温かい料理が食べられるなんて久しぶりだ。
嬉しい。どれも本当に美味しいわ。
コンスタンティン様の手元をチラチラと見て、マナーを学びながらゆっくりと食事を味わった。
「マナーは今すぐ覚えなくても良いのよ。少しぐらい間違っても、グレイスを笑う人は誰もここにはいません。気楽に召し上がれ」
ポールスランド伯爵夫人はそうおっしゃったけれど、やっぱり皆さんと同じようにマナーを守って私も食べたかった。コンスタンティン様は私が学べるようにゆっくりとカトラリーを持って、お皿のお肉も左側から一口大に切っていくところをわかりやすく見せてくださった。
本当に気持ちの優しい方で面倒見が良いのだと思う。
「そうそう、上手に食べられているよ。これならわざわざ教えなくても、こうして一緒に食べていれば自然に覚えるね。とても優秀な生徒さんだ」
コンスタンティン様がジョークも交えて褒めてくださった。すごく嬉しいのに、なんと答えて良いのかわからない。
困った顔をしながら黙っていると、優しくポールスランド伯爵夫人がおっしゃった。
「緊張しなくて良いのよ。褒められたら素直に『ありがとうございます』と言いましょう。謙遜や卑下はスマートな女性がすることではありません。にこやかな笑顔でお礼を言いましょうね」
ポールスランド伯爵夫人の言葉に頷いた。
「はい、ありがとうございます」
ぎこちない笑顔だったかもしれないけれど、一生懸命微笑んでお礼を申し上げた。
嬉しいことを言われたら『すみません』ではなくて『ありがとう』と言えば良いのね。謙遜や卑下したり否定してはいけない。覚えておかなくちゃ!
「ポールスランド伯爵家の料理は美味しいかい? 今日は自慢のコックが腕によりをかけたのだよ。可愛いお客様がここにいるからね」
コンスタンティン様が話しかけてくださって、私を可愛いと表現なさった。
私が可愛いなんてあり得ないからこれは社交辞令だと思うけれど、こうしておしゃべりをしながら食事をするって、なんて楽しいのだろう。
「はい、とても美味しいです。誰かと食事をするのは久しぶりです」
余計なことを言っちゃった。どうしよう……
言ってからすぐに後悔したけれど、コンスタンティン様にはしっかり聞こえていた。
「いつもは家族と食事をしないのかい?」
「はい。あっ、いいえ。えぇっと、一緒に食事ができないのは私のせいです。料理に手間取るし、後片付けも遅いからなのです」
ほんの少し沈黙が訪れる。この静寂が怖い。
「料理に手間取る……まさか君が料理を作っていたのかい? コックも母親もいなかったのだね?」
コンスタンティン様の問いかけに、これ以上は聞かれたくないなと思いながら、遠慮がちに首を横に振る。お母様は決してお料理はしない人だった。いつも長く爪を伸ばし珊瑚色の爪紅を塗っていたし、手が荒れることをとても嫌っていたから。
「ここでは家族揃って皆で食事をするよ。もう一人で食べなくてもいいし、料理も後片付けもしなくていいからね」
もっといろいろ家族のことを聞かれるのかと身構えていたら、そんな優しいことをおっしゃったので涙が私の頬を伝う。ここに来てから悲しくもないのに泣いてばかりいる。
緊張したけれど楽しい食事が終わり、最初に通された家族団らん用の居間に移って紅茶を皆で楽しんだ。その部屋の隣は来客用の応接室で、それぞれ広さも用途も違う応接室があと二部屋もあるそうだ。
なにもかもが桁違いで、やはりこれは夢の世界なのかしら、とも思う。
居間ではエリザベッタ様が読んだことのない本のあらすじを教えてくださって、あんまり楽しくて夢中になって聞いていた。
玄関の扉を開けると吹き抜け天井になっており、大空間が広がる。その先には中庭が見え、左右に分かれて続く廊下でさえとても広く、天井には絵画が描かれきらびやかなシャンデリアがつり下がっていた。
一方の壁には金の額縁に飾られた女性達の肖像画が並び、他方はガラス張りになっており中庭が眺められた。そこには季節の花々が見事に咲き誇り、庭に出られるように等間隔で掃き出し窓になっていた。
「ポールスランド伯爵邸は中庭を中央において、ぐるりと部屋がある構造になっているのさ。正面の庭と中庭には大きな噴水もあるし、ふかふかのソファを置いた広めのガゼボもあるから後で案内してあげよう。壁側に掛かっている肖像画は歴代のポールスランド伯爵夫人だよ」
コンスタンティン様が説明しながら歩いていくと、廊下の遙か先からパタパタと足音をさせて誰かが走ってくるのが見えた。
昼間の女の子だわ。
コンスタンティン様と同じ金髪に黄金の瞳でとてもよく似ている。
「お帰りなさいませ、お兄様! あなたは今日、私を助けてくださったお姉様ですね? あの時は助けてくださってありがとう! 私はエリザベッタです。え……? 頬が……赤くなっていますよ……唇には血の痕もあるわ」
「これはなんでもありません。ちょっと転んだだけですから。それより、コンスタンティン様、自分で歩けますから私を下ろしてください」
「大変! 靴にも血がついているわ。足も怪我しているのね? どうしよう。足の傷はきっと私のせいですよね? 大丈夫ですか? 痛いでしょう? すぐに手当をしてもらいましょう。お兄様、この方をそのまま抱きかかえて、早く居間まで運んであげて!」
エリザベッタ様は私の足の怪我に気がつくと、とても心配して私に何度も痛くないかと尋ねてくださった。この方はなんて優しいのだろう。
「よしよし、泣かないで。痛いの痛いの飛んでけぇー! このおまじないはね、とても効くのよ。だからもう大丈夫」
エリザベッタ様に言われて、自分が涙を流していることに気がつく。
あら? なんで私は泣いているのかしら?
「エリザベッタ、グレイス嬢はきっと痛くて泣いたのじゃないよ。エリザベッタが心配してくれたから嬉しかったのだよね? そうだろう?」
まったくその通りだ。コンスタンティン様は人の心が読めるのかしら?
居間に着くとコンスタンティン様とエリザベッタ様にとてもよく似た男性が、こぼれんばかりの笑みを浮かべて話しかけてくださった。けれど、私の頬を見て表情を曇らせる。
「ありがとう、本当にありがとう! このお転婆娘を助けてくれたのだろう? エリザベッタは後先考えず衝動的に行動することがあるが、まさか川に飛び込んで猫を助けようとするとは思わなかった。君はエリザベッタの命の恩人だ。ん? ちょっと待て。その頬はどうした?」
「お父様、この方は足も怪我しているみたいよ。靴に血がついているもの」
「この足は水底にちょっと引っ掛けてできたものです。こんなのはすぐに治りますから大丈夫です」
私は大袈裟にしたくなくて、足をワンピースの裾で隠そうとした。けれど、ベリンダのお下がりは丈も短くて足が隠れない。
「ちょっとこちらを向いて顔をしっかりあげなさい。頬には痣が浮き上がり始めていますよ。なんてこと……女の子なのに顔に怪我を負うなんて! その足もお見せなさい。隠してはいけません。まぁ、爪が剥がれかけているではないの! 酷い怪我だわ」
そうおっしゃったのは黒髪に黒瞳の背の高い女性だった。
ほっそりとした体型で、髪型は後ろにきっちりとシニヨンにまとめ、凜とした美しさが際立つ。ブルーグレーのシンプルなドレスに身を包み、見事なカナリーイエローと呼ばれる鮮やかな発色のイエローダイヤモンドの指輪をつけていた。
ポールスランド伯爵様やコンスタンティン様、エリザベッタ様の瞳色によく似た大粒のイエローダイヤモンドをつけた女性は、涼しげな切れ長の目に怒りを宿し、語調がとてもきつかったので、私はすっかり怖じ気づいてしまう。だからいつものようにすぐ謝った。
「ご、ごめんなさい。怪我をしてごめんなさい。足の傷は私の不注意ですし、頬は転んだだけですからたいした傷ではないのです」
幼い頃から怪我をすると両親からずっと怒られてきた。「グレイスがそそっかしいから怪我をしたのよ」とか「のろまで愚図だから怪我をするのよ」などと責められてきた記憶が蘇る。
消毒薬や飲み薬は高価だし、小さな絆創膏でさえ自由に使えるのはベリンダだけ。傷や怪我の手当をしてもらったことはなかった。
「あらあら、ごめんなさい。怖がらせてしまったかしら? その頬を見て、つい殴った者に憤りを感じてしまったの。女の子を殴るなんて野蛮ですし、そこまで痣になるのならきっと男性に思いっきり殴られたのでしょうね」
「……殴られてはいません」
震える小さな声で返答した。
「それはどう見ても殴られた痣でしょう。言いたくないことは誰にでもあるでしょうから、無理に聞きはしませんが、とにかく手当はしなければなりませんよ」
「自然に治りますから大丈夫です」
「自然に治るですって? 適切な治療をしないとダメですよ。足の怪我も消毒しなければいけません。ばい菌が入ったら治りも遅くなるし、思わぬ感染症になるかもしれません。今すぐお抱えの医者を呼び出しますから、とりあえずその頬を冷やし、足を清潔なぬるま湯で洗いましょう」
「お医者様ですか? 私なんかのためにもったいないです。病気も怪我も今まで自然に治してきましたから大丈夫なのです」
「ばかなことを言ってはいけません! 自然治癒なんて野生動物ではないのですよ」
一見冷たそうに見えたその女性はポールスランド伯爵夫人だった。
夫人は氷水に浸した清潔なタオルを私の頬に当て、ぬるま湯に浸した私の足を自ら優しく洗ってくださった。慈愛に溢れた女性であるとすぐにわかり、一瞬でも恐ろしいと思ってしまった自分が恥ずかしい。
まもなくいらっしゃったお医者様は、別室で怪我の治療以外にも悪いところがないかを丁寧に診察してくださった。
この世界ではお医者様に診ていただくのはとてもお金がかかるのに、私の怪我を治す方がなによりも大事だと思ってくださるポールスランド伯爵家の方々が不思議だった。
こんなに良くしていただいて良いのかしら?
たまたまエリザベッタ様が溺れていたところに出くわしただけで、特別なことなんてなにもしていないのに。
私はポールスランド伯爵家に泊まらせていただくことになった。
このような立派なお城に私がいてもいいのかしら?
「ディナーの時間までにはまだ間がありますからね。エリザベッタのお隣のお部屋で休んでいなさい。そこをグレイスのお部屋としましょう」
夫人がエリザベッタ様に、私をお部屋に案内してあげるようにとおっしゃった。
「うふふ、嬉しいわ。グレイスお姉様、お部屋に案内しますね。私、お姉様がずっと欲しかったの。さぁ、ここがグレイスお姉様のお部屋よ。私は隣のお部屋。なにか足りない物があったら言ってね」
エリザベッタ様が二階に案内してくださり、部屋の扉を開けながら屈託のない笑みを浮かべた。
私は困惑しつつ告げる。
「グレイスと呼び捨てでお呼びください。伯爵家のお嬢様とこうしてお話するのさえ緊張しますのに、『グレイスお姉様』などと呼ばれては恐れ多くてお返事もできません。それにこのような広いお部屋をお借りして良いのですか? すごく綺麗だしベッドに天蓋がありますよ。おとぎ話に出てくるみたいです」
「わかった。じゃぁ、グレイスと呼ぶわね。ベッドに天蓋があるのは普通だと思っていたけれど、グレイスはそれが嬉しいの? それなら私も嬉しいわ」
「はい。とても嬉しいのですが、落ち着きません。私はメイド部屋でも良かったのですけれど、なぜ使用人の部屋ではないのでしょうか?」
私が首を傾げると呆れながらエリザベッタ様が頬を膨らませた。
「ポールスランド伯爵家は娘の命の恩人をメイド部屋に案内するほど恩知らずじゃないわよ。でもポールスランド伯爵邸のメイド部屋はそれほど酷いところじゃないけどね。屋根裏部屋だけれど清潔で天窓はあるし、ライティングデスクに一人掛けソファもあるのよ。ベッドに天蓋はないけどね」
「そうなのですね。だったらポールスランド伯爵夫人に、メイド部屋に移らせてもらえるようお願いしてみます」
笑顔でそう言うと全力で止められた。
「いいからグレイスはこのお部屋でゆっくり寛いでいなさい。これは命令よ。そこのソファにでも座るか、ベッドに横になっていらして」
エリザベッタ様にそう言われたら、ここにいるしかなさそうだ。
ふかふかの絨毯はクリーム色で私が歩いたら汚れそうで怖い。淡いブルーの二人掛けソファは、座った途端に身体が沈み込むほど柔らかかった。ソファの前には大理石のテーブルがあり、部屋の隅にはライティングデスクと椅子がある。窓際には白地に青薔薇が描かれた三面鏡が置かれ、およそ生活をするのに必要な物は揃っていた。天井にはキラキラ光るシャンデリア。バルコニーに通じる掃き出し窓に掛かっているドレープカーテンにも青薔薇の刺繍がほどこされ、ベッドの天蓋につけられたカーテンは白とブルーのオーガンジー生地だった。
何度もお部屋を見回して、これが夢じゃないのかと不安になる。
私なんかがこんな素敵な部屋にいてもいいのかな……
「ここはブルーを基調にしたお部屋なのよ。ちなみに私のお部屋はベビーピンクを基調にしているわ」
「こんなに素敵なお部屋で過ごせるなんて夢みたいです」
「夢なんかではないわ。これは現実よ。じゃぁ、夕食の時間にまた会いましょうね!」
エリザベッタ様は朗らかに笑いながら去っていった。
あまりにも立派なお部屋なので、落ち着かない。
「グレイス、コンスタンティンだ。ちょっといいかい? あげたい物があるのだが」
コンスタンティン様が扉をノックしながらそうおっしゃった。
「はい、どうぞ」
私は慌てて扉を開けた。次の瞬間、視線がコンスタンティン様の手元に吸い寄せられた。見たこともないほど綺麗な瓶を持っていたからだ。
「これをどうぞ。手に塗る香油だよ。身体全体に使えるからね。なくなったら遠慮なく言っておくれ」
開けてみると、とてもかぐわしい薔薇の香りが漂う。
「このような高価な物をいただいてよろしいのでしょうか?」
「もちろんだよ。じゃぁ、夕食時にまた会おう」
去っていくコンスタンティン様が見えなくなるまで扉の前で見送った。
そうして、いただいた香油を大事に両手で持ってお部屋に戻る。
そっとテーブルの上に置いて、また蓋を開けて芳香を楽しむ。甘く華やかで優雅な薔薇の香りに再度包まれて、思わず笑みがこぼれた。
これほど高価な物を使うなんてもったいない。
まして、コンスタンティン様がくださった物だから、一生の宝物にしなくっちゃ。
私はお部屋の飾り棚にそっとそれを置いた。
手につけたらすぐになくなっちゃうもの。そうしたらこの世界も一緒に消えてなくなりそうな気がする。
柔らかなソファに座り、飾り棚の瓶を見つめていると幸せな気分で満たされた。
「グレイス様、起きてくださいませ。まもなくディナーのお時間です。奥様の独身時代のドレスにお着替えしましょう」
侍女に揺り動かされて、私はソファで寝ていたのだと気づいた。
「私が着たら汚れますよ。もったいないです」
私がドレスを着るのを遠慮しようとすると、侍女は私を備え付けのバスルームに連れていった。フラメル家ではバスルームは屋敷に一つしかなかったのに、こちらではプライベートルームにバスルームは必ずついているという。
すでに浴室にはお湯が溜められ、私はあっという間にそこで綺麗に磨かれた。恥ずかしがる暇もなく身体を洗われ、ラベンダー色のドレスを差し出される。
「奥様はグレイス様に着てほしいとおっしゃっています。これを着ていただかないと、奥様がきっとがっかりされますよ。さぁ、早く着替えてしまいましょう」
「こんなに綺麗なドレスをお借りするなんて申し訳ないです。でもポールスランド伯爵夫人をがっかりさせるのは嫌です」
私はそう言いながら、侍女にドレスを着させてもらった。
ドレスは私に誂えたようにぴったりの丈だったけれど、ウエストもバストもかなり余裕があった。鏡の前に立つとドレスは素敵なのに、それにそぐわない痩せ細った私の姿が映る。身に着けるのに手伝いの侍女がいるほどの高価なドレスを着たのは初めてだった。
「お似合いですよ」
「私なんかには似合いません。髪も枯れ葉みたいな色でパサパサだし、肌も血色が悪くてぜんぜん可愛くないですから」
「髪は確かにだいぶ傷んでいますね。ですけれど、これから手入れをきちんとされれば見違えるようになります。血色が悪いのは栄養が足りていないのではないでしょうか? 痩せすぎだと思いますが、こちらにいればきっと健康的な身体になります。それに、グレイス様は可愛いというより美しい方ですよね」
私はポカンと口を開けてこの侍女を見つめた。
美しいと言われたのは生まれて初めてだ。フラメル家にデリク様が伴って来る侍女達は、いつも私をバカにして冷ややかな態度を取るから。
「名家の侍女になるには家柄と教養が必要なのですわ。気やすく話しかけないでくださいね。あなたとは違うのですから」
デリク様の侍女からはいつもそんな言葉を投げつけられていた。貴族の侍女達は意地悪な人が多いのだと思っていたのに、この侍女は違うようだ。
「あ、あのぉー、私と仲良くしていただけませんか?」
おそるおそる聞いてみる。
「まぁ、良いですとも。私はレーアと言います。よろしくお願いしますね」
「レーアさんもやっぱり貴族なのですか? 名家の侍女は家柄が良くないとなれないと聞いたことがあります」
「いいえ。私は平民ですよ。このお屋敷の侍女達は皆平民です。ポールスランド学園で学び、さらに一年間侍女になるための学校に行き、必要な知識を身につけてこちらに雇っていただきました。ポールスランド伯爵領では教育に力を入れています。平民でも同じように機会を与えたいというお考えの領主様ですから」
「すごい。ポールスランド伯爵様はとても良い方なのですね」
「えぇ、とても立派な方ですよ。ただ、名家の侍女は家柄が良くないとなれないのは事実だと思います。おそらく侯爵家以上の家柄では貴族の子女ばかりが雇われるでしょう。ちなみにポールスランド伯爵夫人のご実家は名門ウォルフェンデン侯爵家です」
貴族にもいろいろあるのね。
男爵家でさえすごいと思っていたし、雲の上の方達だと思っていたのに、ポールスランド伯爵夫人のご実家はさらにその上の存在だった。
「さぁ、皆様がお待ちかねですから、早速ディナー用の食堂へまいりましょう」
一階に降りて三つ目の扉を開けると、そこは広々とした空間にとても長いテーブルが中央に置かれている大食堂だった。
「お客様がこれから大勢いらっしゃるのですか?」
「いいえ、家族しかいなくてもディナーはこの大食堂で食べますよ。もちろん、席を詰めるので片側のスペースは無駄になりますけれどね」
ポールスランド伯爵夫人が説明してくださるところによれば、さきほど階段を降りて通ってきた一つ目の扉の部屋は最初に案内された場所で、家族団らん用の居間だそうだ。
二つ目の扉は朝食用の小さめの食堂とのことだった。
このお屋敷はどこもかしこも贅沢な調度品で飾られ、足下にはふかふかの赤い絨毯が廊下にまで敷かれて食堂も二つあった。
やはり住む世界が違いすぎる方達なのね。
大食堂にはすでに伯爵家の方々が揃っていた。
長方形の短辺の一人分の席にポールスランド伯爵が座っていらして、長辺の両側にコンスタンティン様とポールスランド伯爵夫人が向かい合って座っている。ポールスランド伯爵夫人の隣にはエリザベッタ様が座り、コンスタンティン様が自分の隣に座るように私におっしゃった。
お待たせしてしまったかも。どうしよう?
私は動揺しながらもポールスランド伯爵夫人に話しかけた。
「このような素敵なドレスを貸していただいて申し訳ありません。汚してしまわないかと心配です」
「『申し訳ありません』ではなくて、このような場合は『ありがとうございます』と言った方が良いですよ。昔のものをとっておいて良かったわ。ドレスの丈もぴったりですし、どうやらあなたは昔の私の雰囲気に似ているようね。娘がもう一人増えたようで嬉しく思っていますよ。さぁ、コンスタンティンの隣の席にお座りなさい」
そうか、この場合はお礼を言うべきなのね。
「はい。では言い直します。このような素敵なドレスを貸していただき、ありがとうございます」
そう申し上げるとポールスランド伯爵夫人とコンスタンティン様がにっこりした。
ちょっとだけホッとする。
コンスタンティン様の隣の席に着くと和やかに食事は始まった。
テーブルマナーがおぼつかない私は、戸惑いながらもお皿の両側にたくさん並べられたカトラリーを見つめた。
隣に座っていたコンスタンティン様は察したようで、私に目配せしながら左側にある一番外側のフォークを優雅に取ってみせた。
前菜から始まってスープにお魚とお肉が順番に運ばれてくる。フラメル家では私が料理をしていたので、使ったフライパンや鍋を洗い、厨房を綺麗に片づけてからでないと食事をしてはいけなかった。だからいつもお父様達が先に食べて残り物が私の食事になった。温かい料理が食べられるなんて久しぶりだ。
嬉しい。どれも本当に美味しいわ。
コンスタンティン様の手元をチラチラと見て、マナーを学びながらゆっくりと食事を味わった。
「マナーは今すぐ覚えなくても良いのよ。少しぐらい間違っても、グレイスを笑う人は誰もここにはいません。気楽に召し上がれ」
ポールスランド伯爵夫人はそうおっしゃったけれど、やっぱり皆さんと同じようにマナーを守って私も食べたかった。コンスタンティン様は私が学べるようにゆっくりとカトラリーを持って、お皿のお肉も左側から一口大に切っていくところをわかりやすく見せてくださった。
本当に気持ちの優しい方で面倒見が良いのだと思う。
「そうそう、上手に食べられているよ。これならわざわざ教えなくても、こうして一緒に食べていれば自然に覚えるね。とても優秀な生徒さんだ」
コンスタンティン様がジョークも交えて褒めてくださった。すごく嬉しいのに、なんと答えて良いのかわからない。
困った顔をしながら黙っていると、優しくポールスランド伯爵夫人がおっしゃった。
「緊張しなくて良いのよ。褒められたら素直に『ありがとうございます』と言いましょう。謙遜や卑下はスマートな女性がすることではありません。にこやかな笑顔でお礼を言いましょうね」
ポールスランド伯爵夫人の言葉に頷いた。
「はい、ありがとうございます」
ぎこちない笑顔だったかもしれないけれど、一生懸命微笑んでお礼を申し上げた。
嬉しいことを言われたら『すみません』ではなくて『ありがとう』と言えば良いのね。謙遜や卑下したり否定してはいけない。覚えておかなくちゃ!
「ポールスランド伯爵家の料理は美味しいかい? 今日は自慢のコックが腕によりをかけたのだよ。可愛いお客様がここにいるからね」
コンスタンティン様が話しかけてくださって、私を可愛いと表現なさった。
私が可愛いなんてあり得ないからこれは社交辞令だと思うけれど、こうしておしゃべりをしながら食事をするって、なんて楽しいのだろう。
「はい、とても美味しいです。誰かと食事をするのは久しぶりです」
余計なことを言っちゃった。どうしよう……
言ってからすぐに後悔したけれど、コンスタンティン様にはしっかり聞こえていた。
「いつもは家族と食事をしないのかい?」
「はい。あっ、いいえ。えぇっと、一緒に食事ができないのは私のせいです。料理に手間取るし、後片付けも遅いからなのです」
ほんの少し沈黙が訪れる。この静寂が怖い。
「料理に手間取る……まさか君が料理を作っていたのかい? コックも母親もいなかったのだね?」
コンスタンティン様の問いかけに、これ以上は聞かれたくないなと思いながら、遠慮がちに首を横に振る。お母様は決してお料理はしない人だった。いつも長く爪を伸ばし珊瑚色の爪紅を塗っていたし、手が荒れることをとても嫌っていたから。
「ここでは家族揃って皆で食事をするよ。もう一人で食べなくてもいいし、料理も後片付けもしなくていいからね」
もっといろいろ家族のことを聞かれるのかと身構えていたら、そんな優しいことをおっしゃったので涙が私の頬を伝う。ここに来てから悲しくもないのに泣いてばかりいる。
緊張したけれど楽しい食事が終わり、最初に通された家族団らん用の居間に移って紅茶を皆で楽しんだ。その部屋の隣は来客用の応接室で、それぞれ広さも用途も違う応接室があと二部屋もあるそうだ。
なにもかもが桁違いで、やはりこれは夢の世界なのかしら、とも思う。
居間ではエリザベッタ様が読んだことのない本のあらすじを教えてくださって、あんまり楽しくて夢中になって聞いていた。
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