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本編
4 絶対に結婚しない
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後宮の廊下で私は侍女のケイティと鉢合わせした。
「姫様!」
ケイティは私と同じ十六歳で栗色の髪と瞳の可愛らしい少女だ。見かけと違って結構な胆力の持ち主で王女の高慢な態度にも動じず甲斐甲斐しく私の世話をしてくれる。
「どうした?」
「王妃様がお待ちです」
ケイティは妾妃の所にいる私を呼びに行こうとしていたらしい。
「お母様が?」
私は速足で衣裳部屋に向かいながら、ついてくるケイティに言った。
「エディの事が気になる。私が妾妃に連れ出されてから、どうなったか調べろ」
「エドワード・ヴォーデン様は陛下により謹慎を命じられました」
優秀なケイティは王女の命令を事前に予想し調べてくれていた。
内心ケイティに感謝しながら「高慢な王女」である私は、ただ頷くにとどめた。
(……謹慎か。まあ、妥当なところよね)
そのうち、私の所にも国王からの謹慎命令がくるのだろう。
内輪だけだったのならともかく、多くの貴人が集まっていた王女の誕生日パーティーでの出来事だ。アーサーとの婚約はそのままでも何のお咎めもなしという訳にはいかないだろう。
ケイティに手伝ってもらって盛装から簡素なドレスに着替えると王妃が待っている居間に向かった。
居間で最初に目にしたのは不機嫌な顔でソファに座っている王妃だ。
王妃の後ろには五人の侍女がいる。王妃のいる所どこにでもついていく連中だ。着ているのは侍女用の簡素なエプロンドレスだが、なぜか常にベール(それぞれ、黒、紺、灰、茶、緑)で顔を隠しているため王妃の娘である私ですら侍女達の素顔を知らず興味もないので名前も知らない。王妃ですら侍女達を被っているベールの色で呼んでいるし。
高い地位にいる女性なら、お供がいるのは当然だが妾妃と私は一人で行動する。
「お母様、体調はいかがですか?」
自分が下剤を盛った事を棚上げして、私はさも心配そうに訊いた。
「妾より、お前の事よ」
艶やかな低音でそう言うと王妃はソファから立ち上がり私の目の前まで歩み寄ってきた。
「妾ですか?」
「高慢な王女」そう人に思わせるために、私は母である王妃の言動を真似している。
アーサーによく似た容姿。同じ黒髪黒目で、子供を産んだとは思えない、すらりとした肢体。妾妃が《鈴蘭》なら王妃は《薔薇》だと、その美しさを讃えられている。けれど、その心は誰よりも猛々しい。
「ヴォーデンの小倅の子を懐妊したというのは本当か?」
さっそく誰かが王妃に告げてくれたらしい。まあいずれはばれるのだから構わないけれど。
「本当です」
私は大真面目な顔で嘘を吐いた。
王妃の拳が震える。その後を予想して私は後ろに飛び退った。王妃の拳が空を切る。
「王妃様! 王女様は妊婦です。あまり乱暴な真似は」
侍女の一人が諫めてくれるが。
「黙れ!」
今度はドレス姿なのも構わず蹴りかかってきた王妃を避ける。
「アーサーという素晴らしい婚約者がいながら、なぜ、裏切った!?」
アーサーは王妃が可愛がっている甥だ。娘との婚約を誰よりも喜んでいた。娘が彼を裏切り他の男の子を宿していると知れば怒るのは無理もない。
「妾は昔からアーサーが嫌いなんです。いくら王女としての義務でも、これだけはできません」
心とは真逆な事を言った。
「アーサーのどこが不満だ!」
(……不満などないわ。お母様)
心ではそう思いながら、私は平然と嘘を吐く。
「何もかも」
「何?」
柳眉をひそめる王妃に、私は言い放った。
「何もかもです。お母様」
アーサーに不満などない。彼を夫にしたら、私が女王になるから結婚を受け入れられないのだ。
だが、それを言う事はできない。
王妃も国王と同じで私を女王に、アーサーを王配にしたいのだから。
「この国で、いや他国でも、お前と釣り合う年齢と身分と容姿の男はアーサーしかいない。なのに、そう言うのか?」
信じられないと言いたげな王妃に、私は微笑んだ。
「お母様とお父様がアーサーを気に入っても、こればかりは、どうしようもありません」
王妃は脱力したようにソファに座りこんだ。
「……幸い陛下もアーサーも、お前が婚約者以外の男の子を身籠っても、そのまま結婚して構わないとおっしゃった。二人に感謝して、これからは身を慎め」
言いたい事だけ言うと王妃は侍女達を引き連れて居間から出て行った。
「……このままおとなしく結婚などしないわよ。お母様」
一人になった居間で私は呟いた。
王妃の事はいい。最終手段として「私の真実」をばらせばいいのだ。そうすれば、王妃の娘に対する愛情は木っ端微塵に砕け散る。私を女王にしようなどと考えない。むしろ、邪魔するために動いてくれるだろう。
……王妃の愛を失っても、女王となるよりはいい。
そもそも王妃の母親としての愛は本来私に与えられるはずがないもの。正しい姿に戻るだけだ。……頭では理解しているのに、その時を思うと胸が痛む。
これ以上この事を考えると、どつぼにはまりそうなので、私は意識を切り替えた。
問題なのは、クソ親父……もとい国王とアーサーだ。
婚約者以外の男の子を妊娠すれば(正確には、そう思わせれば)それで全て解決すると思っていた。
まさか、アーサーが、それでも構わないなどと言うとは思いもしなかった。
……それが、私への愛情からだとは思っていない。彼には物心ついてから、ずっと嫌われる態度しかとっていないのだから。
アーサーは、ただ臣下として国王の命に従っているだけだ。
彼には、おそらく野心などない。私と結婚すれば「王」になれるから、こんな高慢な王女とすら我慢して結婚するとかではない。
アーサーに野心があればよかった。
王女と結婚すれば「王」になれるから、我慢して私と結婚するのなら、よかった。
そうすれば、いつかは彼への気持ちが醒めただろうし、罪悪感を抱く事もなかった。
彼はただ侯爵家に生まれた責務を果たそうとしているだけだ。結果、王配となったとしても淡々と重責を担うだろう。
……私にはできない。いや、正確にはしたくない。
王女として生まれた以上、結果、女王となったとしても、その責務は果たすべきだと頭では分かっている。
だが、感情が納得しない。
好きで王女に生まれた訳じゃない。
私は、ただごく普通の娘として生きたかった。
王女としての贅沢な生活も、女王としての権力も、何も要らない。
ただの女として愛する男性と結婚して子供を産んで、幸せに暮らしたい。
それだけが私の願いだのに。
王女であるが故に叶わない。
愛するアーサーと結婚できても、私が望んだようにはならない。
アーサーは私を愛していない。ただ義務として私を妻にするだけだ。
そんなの少しも嬉しくない。彼と結婚しても、私は勿論、彼だって幸せにはなれない。
「……自分の心を偽ってでも、アーサーとは絶対に結婚しない」
心で何度も思い、一人の時、何度も口にした言葉を私は再び決意を込めて呟いた。
「姫様!」
ケイティは私と同じ十六歳で栗色の髪と瞳の可愛らしい少女だ。見かけと違って結構な胆力の持ち主で王女の高慢な態度にも動じず甲斐甲斐しく私の世話をしてくれる。
「どうした?」
「王妃様がお待ちです」
ケイティは妾妃の所にいる私を呼びに行こうとしていたらしい。
「お母様が?」
私は速足で衣裳部屋に向かいながら、ついてくるケイティに言った。
「エディの事が気になる。私が妾妃に連れ出されてから、どうなったか調べろ」
「エドワード・ヴォーデン様は陛下により謹慎を命じられました」
優秀なケイティは王女の命令を事前に予想し調べてくれていた。
内心ケイティに感謝しながら「高慢な王女」である私は、ただ頷くにとどめた。
(……謹慎か。まあ、妥当なところよね)
そのうち、私の所にも国王からの謹慎命令がくるのだろう。
内輪だけだったのならともかく、多くの貴人が集まっていた王女の誕生日パーティーでの出来事だ。アーサーとの婚約はそのままでも何のお咎めもなしという訳にはいかないだろう。
ケイティに手伝ってもらって盛装から簡素なドレスに着替えると王妃が待っている居間に向かった。
居間で最初に目にしたのは不機嫌な顔でソファに座っている王妃だ。
王妃の後ろには五人の侍女がいる。王妃のいる所どこにでもついていく連中だ。着ているのは侍女用の簡素なエプロンドレスだが、なぜか常にベール(それぞれ、黒、紺、灰、茶、緑)で顔を隠しているため王妃の娘である私ですら侍女達の素顔を知らず興味もないので名前も知らない。王妃ですら侍女達を被っているベールの色で呼んでいるし。
高い地位にいる女性なら、お供がいるのは当然だが妾妃と私は一人で行動する。
「お母様、体調はいかがですか?」
自分が下剤を盛った事を棚上げして、私はさも心配そうに訊いた。
「妾より、お前の事よ」
艶やかな低音でそう言うと王妃はソファから立ち上がり私の目の前まで歩み寄ってきた。
「妾ですか?」
「高慢な王女」そう人に思わせるために、私は母である王妃の言動を真似している。
アーサーによく似た容姿。同じ黒髪黒目で、子供を産んだとは思えない、すらりとした肢体。妾妃が《鈴蘭》なら王妃は《薔薇》だと、その美しさを讃えられている。けれど、その心は誰よりも猛々しい。
「ヴォーデンの小倅の子を懐妊したというのは本当か?」
さっそく誰かが王妃に告げてくれたらしい。まあいずれはばれるのだから構わないけれど。
「本当です」
私は大真面目な顔で嘘を吐いた。
王妃の拳が震える。その後を予想して私は後ろに飛び退った。王妃の拳が空を切る。
「王妃様! 王女様は妊婦です。あまり乱暴な真似は」
侍女の一人が諫めてくれるが。
「黙れ!」
今度はドレス姿なのも構わず蹴りかかってきた王妃を避ける。
「アーサーという素晴らしい婚約者がいながら、なぜ、裏切った!?」
アーサーは王妃が可愛がっている甥だ。娘との婚約を誰よりも喜んでいた。娘が彼を裏切り他の男の子を宿していると知れば怒るのは無理もない。
「妾は昔からアーサーが嫌いなんです。いくら王女としての義務でも、これだけはできません」
心とは真逆な事を言った。
「アーサーのどこが不満だ!」
(……不満などないわ。お母様)
心ではそう思いながら、私は平然と嘘を吐く。
「何もかも」
「何?」
柳眉をひそめる王妃に、私は言い放った。
「何もかもです。お母様」
アーサーに不満などない。彼を夫にしたら、私が女王になるから結婚を受け入れられないのだ。
だが、それを言う事はできない。
王妃も国王と同じで私を女王に、アーサーを王配にしたいのだから。
「この国で、いや他国でも、お前と釣り合う年齢と身分と容姿の男はアーサーしかいない。なのに、そう言うのか?」
信じられないと言いたげな王妃に、私は微笑んだ。
「お母様とお父様がアーサーを気に入っても、こればかりは、どうしようもありません」
王妃は脱力したようにソファに座りこんだ。
「……幸い陛下もアーサーも、お前が婚約者以外の男の子を身籠っても、そのまま結婚して構わないとおっしゃった。二人に感謝して、これからは身を慎め」
言いたい事だけ言うと王妃は侍女達を引き連れて居間から出て行った。
「……このままおとなしく結婚などしないわよ。お母様」
一人になった居間で私は呟いた。
王妃の事はいい。最終手段として「私の真実」をばらせばいいのだ。そうすれば、王妃の娘に対する愛情は木っ端微塵に砕け散る。私を女王にしようなどと考えない。むしろ、邪魔するために動いてくれるだろう。
……王妃の愛を失っても、女王となるよりはいい。
そもそも王妃の母親としての愛は本来私に与えられるはずがないもの。正しい姿に戻るだけだ。……頭では理解しているのに、その時を思うと胸が痛む。
これ以上この事を考えると、どつぼにはまりそうなので、私は意識を切り替えた。
問題なのは、クソ親父……もとい国王とアーサーだ。
婚約者以外の男の子を妊娠すれば(正確には、そう思わせれば)それで全て解決すると思っていた。
まさか、アーサーが、それでも構わないなどと言うとは思いもしなかった。
……それが、私への愛情からだとは思っていない。彼には物心ついてから、ずっと嫌われる態度しかとっていないのだから。
アーサーは、ただ臣下として国王の命に従っているだけだ。
彼には、おそらく野心などない。私と結婚すれば「王」になれるから、こんな高慢な王女とすら我慢して結婚するとかではない。
アーサーに野心があればよかった。
王女と結婚すれば「王」になれるから、我慢して私と結婚するのなら、よかった。
そうすれば、いつかは彼への気持ちが醒めただろうし、罪悪感を抱く事もなかった。
彼はただ侯爵家に生まれた責務を果たそうとしているだけだ。結果、王配となったとしても淡々と重責を担うだろう。
……私にはできない。いや、正確にはしたくない。
王女として生まれた以上、結果、女王となったとしても、その責務は果たすべきだと頭では分かっている。
だが、感情が納得しない。
好きで王女に生まれた訳じゃない。
私は、ただごく普通の娘として生きたかった。
王女としての贅沢な生活も、女王としての権力も、何も要らない。
ただの女として愛する男性と結婚して子供を産んで、幸せに暮らしたい。
それだけが私の願いだのに。
王女であるが故に叶わない。
愛するアーサーと結婚できても、私が望んだようにはならない。
アーサーは私を愛していない。ただ義務として私を妻にするだけだ。
そんなの少しも嬉しくない。彼と結婚しても、私は勿論、彼だって幸せにはなれない。
「……自分の心を偽ってでも、アーサーとは絶対に結婚しない」
心で何度も思い、一人の時、何度も口にした言葉を私は再び決意を込めて呟いた。
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