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本編
24 恋と決別した彼女
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「……本当に貴女だったのですね。エリック様と一緒にいた女性は」
彼女は呟いた。
私がエリックと一緒にいたのは、弟から逃げている間、あの睦み合う男女を見てしまった中庭、そして、アーサー達と合流した回廊だ。
弟から逃げている間は当然走っているので男女というでけで、どこの誰とか認識できないと思うので、残る可能性は――。
「……あなた、あの中庭の木立にいたのね」
私が見る限り、睦み合う男女だらけだったから彼女は一人ではなく男性と一緒だっただろう。……それも、おそらく夫であるグレンヴィル子爵以外の男性と。
……連れ込まれて妙な事をされたから泣いていたのだろうか?
「無理矢理ではないですよ」
彼女がぽつりと言った。
「え?」
私は首を傾げた。
「私が無体な事をされたから泣いていたと思っていらっしゃるなら、それは違います」
……どうやら、私の思った事は、しっかり顔に出ていたらしい。
「……彼には想う方がいて、その方に似ている娼婦や人妻しか相手にしない。私は彼の想い人に似ている。だから、人妻になったのを幸い、私から誘ったんです」
……なぜ、彼女は私に、そんな話をするのだろう?
困惑する私に構わず、彼女の話は続いた。
「……でも、一度でも抱かれると駄目ですね。もっともっとと欲が出てしまう。体だけでなく心も欲しくなってしまう。……そんな事、絶対に不可能だって分かっているのに。想い人に似ていなければ、彼は私に興味すら持たない。
だから、この仮面舞踏会で彼と過ごして、それで、お別れしようと思いました。ずるずると彼に縋りつくようなみっともない真似はしたくない。きれいな思い出として彼の中に残りたい。そう決意していたのに、いざ彼を前にすると彼が私に飽きるまで一緒にいたいと思ってしまった。
でも、どんな遠目でも、いつもとは違う恰好でも、あな……いえ、自分の想い人に気づく彼を見て『これは敵わない』と思いました。これほど深く『彼女』は彼の心に入り込んでいるのだと。
そもそも私が彼を気になったきっかけは、彼の『彼女』を見る瞳だった。軽薄だと言われている人だのに、あんな切ない眼差しで一人の女性を見るのかと驚いたから。それが、いつしか私も、あんな眼差しを向けられたいと思うようになりました。でも、私では、いえ他の情人達でも彼の心には入り込めない。私も彼女達も『彼女』ではないから。
だから、きっぱりとお別れしてきました。最後に正直に『遊びではなく本気であなたが好きでした』と言って。彼は非常に驚いた顔をしていましたけれど、最後は『ありがとう』と笑顔で言ってくれました。彼に抱かれた時よりも、その笑顔と言葉が嬉しかった。……彼とのこの思い出があれば、私は生きていけます」
彼女が泣いていたのは、恋と決別するためだったのか。
「長々と私のくだらない話に付き合わせて申し訳ありません。でも、貴女にだけは知ってほしかった」
彼女は真っ直ぐに私を見つめてきた。そこに敵意や憎悪はない。ただただ真っ直ぐな澄んだ眼差しだった。
「……グレンヴィル子爵夫人が気になりますか?」
移動する馬車の窓から、ぼんやりと外を眺めている私に、対面に座った弟がそっと言ってきた。
「……そうね。なぜ、彼女があんな事を言ったのか気になるわね」
エレノアは私の隣に座って黙っている。王女と王子の会話に口を挟むのは失礼だと思っているのだろう。そういう所も、あの脳内お花畑と違って好感が持てる。
エレノアを馬車で自宅まで送り届けるまで彼女も交えて和気あいあいと会話するつもりだった。けれど、エレノアには申し訳ないのだが、グレンヴィル子爵夫人となった彼女の事が気になって、それどころではなくなってしまった。
――貴女にだけは知ってほしかった。
私がその言葉を問いただそうとする前に、彼女は丁度よく現れた迎えの馬車で帰ってしまったのだ。
「姉上が気にされる事はないですよ。あれは、彼女なりのけじめだと思うので」
「……意味が分からないのだけど」
「何か知っているの?」と私は眼差しで問いかけたのだが弟は曖昧に笑うだけだった。
「彼女の事よりも、ご自分の事を気にしてください」
(……自分を気にしろ、か)
ロクサーヌにも似たような事を言われた。
けれど、今更、アーサーとは、どうにもならない。
――彼とのこの思い出があれば、私は生きていけます。
……私も、この仮面舞踏会で、そうなるはずだった。
仮面や鬘をつけて私だと分からない状態であっても、「素の私」としてアーサーと過ごして、その思い出を胸に消えるつもりだった。
けれど、アーサーにとっては、私がどんな人間でも「どうでもいい」のだ。「妾」だろうと「私」だろうと王女でありさえすればいい。義務として王女と結婚するのだから。
……王女が結婚に愛を求めるほうがおかしいのかもしれない。
王女として生まれたくせに女王になりなくないなどと言うのも、国王の言う通り、ただの我儘だ。
アーサーなら誰よりもすぐれた「王」になれる。
私はアーサーを愛している。
王女としても私個人としても恵まれた結婚相手だ。
……絶対に愛する人と結婚できないアルバートやロクサーヌからすれば、それだけで羨ましいだろう。
彼女は呟いた。
私がエリックと一緒にいたのは、弟から逃げている間、あの睦み合う男女を見てしまった中庭、そして、アーサー達と合流した回廊だ。
弟から逃げている間は当然走っているので男女というでけで、どこの誰とか認識できないと思うので、残る可能性は――。
「……あなた、あの中庭の木立にいたのね」
私が見る限り、睦み合う男女だらけだったから彼女は一人ではなく男性と一緒だっただろう。……それも、おそらく夫であるグレンヴィル子爵以外の男性と。
……連れ込まれて妙な事をされたから泣いていたのだろうか?
「無理矢理ではないですよ」
彼女がぽつりと言った。
「え?」
私は首を傾げた。
「私が無体な事をされたから泣いていたと思っていらっしゃるなら、それは違います」
……どうやら、私の思った事は、しっかり顔に出ていたらしい。
「……彼には想う方がいて、その方に似ている娼婦や人妻しか相手にしない。私は彼の想い人に似ている。だから、人妻になったのを幸い、私から誘ったんです」
……なぜ、彼女は私に、そんな話をするのだろう?
困惑する私に構わず、彼女の話は続いた。
「……でも、一度でも抱かれると駄目ですね。もっともっとと欲が出てしまう。体だけでなく心も欲しくなってしまう。……そんな事、絶対に不可能だって分かっているのに。想い人に似ていなければ、彼は私に興味すら持たない。
だから、この仮面舞踏会で彼と過ごして、それで、お別れしようと思いました。ずるずると彼に縋りつくようなみっともない真似はしたくない。きれいな思い出として彼の中に残りたい。そう決意していたのに、いざ彼を前にすると彼が私に飽きるまで一緒にいたいと思ってしまった。
でも、どんな遠目でも、いつもとは違う恰好でも、あな……いえ、自分の想い人に気づく彼を見て『これは敵わない』と思いました。これほど深く『彼女』は彼の心に入り込んでいるのだと。
そもそも私が彼を気になったきっかけは、彼の『彼女』を見る瞳だった。軽薄だと言われている人だのに、あんな切ない眼差しで一人の女性を見るのかと驚いたから。それが、いつしか私も、あんな眼差しを向けられたいと思うようになりました。でも、私では、いえ他の情人達でも彼の心には入り込めない。私も彼女達も『彼女』ではないから。
だから、きっぱりとお別れしてきました。最後に正直に『遊びではなく本気であなたが好きでした』と言って。彼は非常に驚いた顔をしていましたけれど、最後は『ありがとう』と笑顔で言ってくれました。彼に抱かれた時よりも、その笑顔と言葉が嬉しかった。……彼とのこの思い出があれば、私は生きていけます」
彼女が泣いていたのは、恋と決別するためだったのか。
「長々と私のくだらない話に付き合わせて申し訳ありません。でも、貴女にだけは知ってほしかった」
彼女は真っ直ぐに私を見つめてきた。そこに敵意や憎悪はない。ただただ真っ直ぐな澄んだ眼差しだった。
「……グレンヴィル子爵夫人が気になりますか?」
移動する馬車の窓から、ぼんやりと外を眺めている私に、対面に座った弟がそっと言ってきた。
「……そうね。なぜ、彼女があんな事を言ったのか気になるわね」
エレノアは私の隣に座って黙っている。王女と王子の会話に口を挟むのは失礼だと思っているのだろう。そういう所も、あの脳内お花畑と違って好感が持てる。
エレノアを馬車で自宅まで送り届けるまで彼女も交えて和気あいあいと会話するつもりだった。けれど、エレノアには申し訳ないのだが、グレンヴィル子爵夫人となった彼女の事が気になって、それどころではなくなってしまった。
――貴女にだけは知ってほしかった。
私がその言葉を問いただそうとする前に、彼女は丁度よく現れた迎えの馬車で帰ってしまったのだ。
「姉上が気にされる事はないですよ。あれは、彼女なりのけじめだと思うので」
「……意味が分からないのだけど」
「何か知っているの?」と私は眼差しで問いかけたのだが弟は曖昧に笑うだけだった。
「彼女の事よりも、ご自分の事を気にしてください」
(……自分を気にしろ、か)
ロクサーヌにも似たような事を言われた。
けれど、今更、アーサーとは、どうにもならない。
――彼とのこの思い出があれば、私は生きていけます。
……私も、この仮面舞踏会で、そうなるはずだった。
仮面や鬘をつけて私だと分からない状態であっても、「素の私」としてアーサーと過ごして、その思い出を胸に消えるつもりだった。
けれど、アーサーにとっては、私がどんな人間でも「どうでもいい」のだ。「妾」だろうと「私」だろうと王女でありさえすればいい。義務として王女と結婚するのだから。
……王女が結婚に愛を求めるほうがおかしいのかもしれない。
王女として生まれたくせに女王になりなくないなどと言うのも、国王の言う通り、ただの我儘だ。
アーサーなら誰よりもすぐれた「王」になれる。
私はアーサーを愛している。
王女としても私個人としても恵まれた結婚相手だ。
……絶対に愛する人と結婚できないアルバートやロクサーヌからすれば、それだけで羨ましいだろう。
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