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本編
47 復讐の道具
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私は今、妾妃の私室の応接間で彼女と二人きりでいた。
虚脱状態で私室に戻ろうとしていた私は、なぜか待ち構えていた妾妃の侍女に連れてこられたのだ。妾妃は一緒にいるだけで苛つくのだ。いつもだったら絶対に抵抗していたが「真実」を告白した事で、その気力もなかった。
シックなデザインながら上質なソファに座った私の斜め前、一人掛けのソファに座った女は、普段は絶対にしない険しい顔をしていた。
普段の彼女を知る者なら誰もが驚愕するだろう。それくらい普段見せている顔と違うのだ。尤も、これが、この女の本当の「顔」だろうが。
その美しさを《鈴蘭》と讃えられる女は、いつも微笑んでいた。私がどれだけ悪態を吐いても、穏やかで美しい微笑で受け流していた。それが余計に私の癇に障っていたのだが。
「……話がないなら帰るわよ」
侍女に私を連れてこさせたくせに、一言も話そうとしない女に私は言った。
「……疲れているの。今は、あなたの相手などしたくないわ」
ソファから立ち上がろうとした私に、妾妃がぽつりと言った。
「……王妃様に、なぜ『真実』を話したの?」
王妃に「真実」を話したのは、ついさっきだ。普通に考えれば、この女や王宮にいる人々がそれを知る事ができるのは早くて数時間後だろう。
けれど、私は今更驚かない。
自分の元部下を王女の侍女にして動向を探らせていたように、王妃の所にもそうしているのだ。私や王妃ばかりでなく、このテューダ王国の要人の家に自分の部下を侍女や家人にして潜り込ませて情報を得ているに違いない。
「……別に話されても困らないでしょう?」
国王に「あの女を断罪しないんですか?」などと訊いたが、実際、「真実」が知れ渡ろうと妾妃は罪に問われはしないだろう。
妾妃が不貞の結果、私を産んで王妃の娘と取り替えたのならともかく、同じ国王の子供を取り替えたのだから。私とアルバートの父親は間違いなく現国王リチャード・テューダだ。王族特有の紫眼と国王に似た顔立ちで皆、それを疑いはしない。
国によっては王妃と妾妃の子では扱いに差が出るらしいが、能力主義のこの国では関係ない。王妃の子だろうと妾妃の子だろうと、皆等しく国王の子供として扱われる。
確かに、罪に問われなくても子供を取り替えた事で非難はされるだろう。けれど、そんな事でへこむ女でもない。
わざわざ私を侍女に私を連れてこさせて、「なぜ、話したの?」などと追及する理由が分からない。
「わたくしは自分の心配をしているのではないわ。……あなたとあなたの亡くなった弟を王妃様の御子達と取り替えただけじゃない。生きるために、様々なあくどい真似をしてきた。どんな罰が下されようと覚悟はしているわ」
普段の儚い印象とはまるで違う毅然と語る姿は、それはそれで美しく人によっては感銘を受けるのだろうが、生憎、私は違う。醒めきった目で妾妃を見ていた。
「あなたが王妃様に話した理由を知りたいの」
「あなたに話す義理はない」と、いつもなら突っぱねた。けれど、この時の私は、その気力がなかったので素直に話した。
「……もう、おかあ……王妃様を偽るのが嫌になったからよ」
「真実」を告白した以上、もうあの人を「お母様」とは呼べない。
十六年も「真実」を黙っていたくせに今更だろう。けれど、アーサーや周囲の人々に対して素で接するようになり、王妃に対してだけ偽りの自分として接するのが嫌になったのだ。
素の自分を見せるのなら「真実」も告白すべきだと思った。偽りの自分と「真実」、二重の意味で、ずっと王妃を欺いていたのだ。一つだけを明かし、もう一つを隠すのは卑怯だろう。……十六年も騙していて卑怯も何もないだろうが。
「……わたくしは、死ぬまで王妃様に黙っているつもりだったわ。アルバートだって」
真摯な顔で告げる女を私は鼻で笑った。
「アルバートは、そうかもしれないけど、あなたは違うでしょう?」
あなたは何のために我が子を王妃の子と取り替えた?
確かに、アルバートの言うように、「我が子の安全のため」もあっただろう。
けれど、それだけではないでしょう?
「あなたは、私とアルバートを復讐の道具にしたじゃない」
妾妃が産んだ最初の子供、私の兄ヘンリー。
ヘンリーを突然死に見せかけて殺したのは、王妃の取り巻きに我が子を人質にとられた彼の乳母、ジャックの妻でジョシュアの母である女性だ。
妾妃の息子が王位に就く事など絶対に王妃は望まないだろうと、王妃の取り巻きが忖度してやったのだ。
王妃は関与していない。毛嫌いしている妾妃の息子であっても、愛する夫である国王の息子でもある限り、彼女は絶対に殺せない。
妾妃だって、それは分かっている。
けれど、息子を殺させたのが王妃の取り巻きである以上、彼女達を管理できなかった王妃にも責任はある。人の上に立つ以上、部下を管理する義務と責任があるのだ。まして、王妃という王国全ての女性の最高位にいるのなら尚更だ。
まして、妾妃は息子を殺されたのだ。たとえ、王妃が命じていなかったとしても、彼女のためだと思った取り巻きがしたのだ。原因ともいえる王妃を恨む気持ちは理解できる。
だからといって――。
「赤ん坊だった私とアルバートを復讐の道具にしていい理由になるとでも?」
いや、私とアルバートだけではない。赤ん坊の時亡くなった異母姉妹と弟もだ。
「我が子として慈しんでいた子供が、実は誰よりも嫌っている女の子供だった」
「真実」を知った時、それはどれだけの衝撃だろう?
妾妃は王妃の子と自分の子を取り替える事で最初の子供を殺された復讐にしたのだ。
「……確かに、わたくしは、あなたとアルバート……そして、亡くなったあなたの異母姉妹と弟を復讐の道具に使ったわ。あなたとアルバートに非難されるのは仕方ない。あなたがわたくしを一生許さないのも当然だわ」
沈痛な表情を浮かべる妾妃。儚げな美女のその顔は大抵の人間の胸を痛ませるものだろうが、私は何とも思わない。
――わたしは、あなたをぜったいにゆるさない。
胎児の頃からの記憶があるとはいえ、その頃は周囲の出来事を見聞きできても、自分で考えたり動いたりはできなかった。
物心がついた、自我が芽生えた私は、妾妃に会いに行き言い放ったのだ。
――わたしは、あなたをぜったいにゆるさない、と。
私がそう言った瞬間の、この女の顔は忘れられない。
目を瞠った後、何ともやるせない顔になったのだ。
妾妃は、私の「許さない」という言葉で瞬時に理解したのだ。
「王妃の娘にした自分の娘は、自らの『真実』を知っているのだ」と。
「全てを知った上で、自分を嫌い許す事は決してないのだ」と。
「……わたくしが死ぬ間際か、王妃様が死ぬ間際に、『真実』をぶちまけるつもりだった。そうする事で、最初の子を殺された恨みを晴らすつもりだった。
……でも、あなたが王妃様を『母』として慕う姿を見て考えを変えたの。亡くなった子の復讐のために、今生きているわたくしの娘を蔑ろにしていいのか、と」
「……そもそも子供を取り替えた事で、私ばかりかアルバートや亡くなったリジーと弟を蔑ろにしているわよ」
「……分かっているわ」
私の突っ込みに、妾妃はほろ苦く微笑んだ。
――そう、この女は分かっている。
我が子の安全のためであっても、子供を取り替えた行為は、我が子を「棄てた」のと同じだ。
まして、この女は、我が子を復讐の道具にした。
この女は自ら私と亡くなった弟の「母」である事を放棄したのだ。
私は生物学上以外で、あなたが「母」である事を絶対に認めない――。
「……でも、ずっと復讐に心が囚われていたわたくしを未来に向かわせてくれたのは、あなたよ。亡くなった息子ではなく、今生きている娘の幸せを願うべきだと思うようになったの」
だから、「真実」を墓場まで持っていくつもりだった?
私から二度も「母」を奪わないために?
「……最初から偽りの上で成り立っていた関係よ」
私が王妃から与えられていた愛情は、本来なら私ではなくアルバートにこそ与えられていたものだったのだから――。
「……さらに、私は偽りの自分として王妃様に接していた。私がばらさなかったとしても、いずれ破綻していたわ」
実の娘ではないと知りながら王妃に隠し続けた。
素の自分ではなく偽りの自分として王妃に接していた。
「真実」を知られてしまえば、王妃の私への愛情など木っ端微塵に砕け散るだろう。
……王妃は今はまだ明かされた「真実」の衝撃から立ち直っていないだろうが、衝撃がおさまれば確実に私を嫌い憎むだろう。
二重の意味で自分を騙し続けた、誰よりも嫌う女の娘として――。
……覚悟していた事だ。
罵倒も暴力も甘んじて受ける。
罪を自覚している以上、責められないほうがつらい。
エドワードとの事で誰からも責められなかった事で痛感した。
だから、お母様、思う存分、私を責めてください。
虚脱状態で私室に戻ろうとしていた私は、なぜか待ち構えていた妾妃の侍女に連れてこられたのだ。妾妃は一緒にいるだけで苛つくのだ。いつもだったら絶対に抵抗していたが「真実」を告白した事で、その気力もなかった。
シックなデザインながら上質なソファに座った私の斜め前、一人掛けのソファに座った女は、普段は絶対にしない険しい顔をしていた。
普段の彼女を知る者なら誰もが驚愕するだろう。それくらい普段見せている顔と違うのだ。尤も、これが、この女の本当の「顔」だろうが。
その美しさを《鈴蘭》と讃えられる女は、いつも微笑んでいた。私がどれだけ悪態を吐いても、穏やかで美しい微笑で受け流していた。それが余計に私の癇に障っていたのだが。
「……話がないなら帰るわよ」
侍女に私を連れてこさせたくせに、一言も話そうとしない女に私は言った。
「……疲れているの。今は、あなたの相手などしたくないわ」
ソファから立ち上がろうとした私に、妾妃がぽつりと言った。
「……王妃様に、なぜ『真実』を話したの?」
王妃に「真実」を話したのは、ついさっきだ。普通に考えれば、この女や王宮にいる人々がそれを知る事ができるのは早くて数時間後だろう。
けれど、私は今更驚かない。
自分の元部下を王女の侍女にして動向を探らせていたように、王妃の所にもそうしているのだ。私や王妃ばかりでなく、このテューダ王国の要人の家に自分の部下を侍女や家人にして潜り込ませて情報を得ているに違いない。
「……別に話されても困らないでしょう?」
国王に「あの女を断罪しないんですか?」などと訊いたが、実際、「真実」が知れ渡ろうと妾妃は罪に問われはしないだろう。
妾妃が不貞の結果、私を産んで王妃の娘と取り替えたのならともかく、同じ国王の子供を取り替えたのだから。私とアルバートの父親は間違いなく現国王リチャード・テューダだ。王族特有の紫眼と国王に似た顔立ちで皆、それを疑いはしない。
国によっては王妃と妾妃の子では扱いに差が出るらしいが、能力主義のこの国では関係ない。王妃の子だろうと妾妃の子だろうと、皆等しく国王の子供として扱われる。
確かに、罪に問われなくても子供を取り替えた事で非難はされるだろう。けれど、そんな事でへこむ女でもない。
わざわざ私を侍女に私を連れてこさせて、「なぜ、話したの?」などと追及する理由が分からない。
「わたくしは自分の心配をしているのではないわ。……あなたとあなたの亡くなった弟を王妃様の御子達と取り替えただけじゃない。生きるために、様々なあくどい真似をしてきた。どんな罰が下されようと覚悟はしているわ」
普段の儚い印象とはまるで違う毅然と語る姿は、それはそれで美しく人によっては感銘を受けるのだろうが、生憎、私は違う。醒めきった目で妾妃を見ていた。
「あなたが王妃様に話した理由を知りたいの」
「あなたに話す義理はない」と、いつもなら突っぱねた。けれど、この時の私は、その気力がなかったので素直に話した。
「……もう、おかあ……王妃様を偽るのが嫌になったからよ」
「真実」を告白した以上、もうあの人を「お母様」とは呼べない。
十六年も「真実」を黙っていたくせに今更だろう。けれど、アーサーや周囲の人々に対して素で接するようになり、王妃に対してだけ偽りの自分として接するのが嫌になったのだ。
素の自分を見せるのなら「真実」も告白すべきだと思った。偽りの自分と「真実」、二重の意味で、ずっと王妃を欺いていたのだ。一つだけを明かし、もう一つを隠すのは卑怯だろう。……十六年も騙していて卑怯も何もないだろうが。
「……わたくしは、死ぬまで王妃様に黙っているつもりだったわ。アルバートだって」
真摯な顔で告げる女を私は鼻で笑った。
「アルバートは、そうかもしれないけど、あなたは違うでしょう?」
あなたは何のために我が子を王妃の子と取り替えた?
確かに、アルバートの言うように、「我が子の安全のため」もあっただろう。
けれど、それだけではないでしょう?
「あなたは、私とアルバートを復讐の道具にしたじゃない」
妾妃が産んだ最初の子供、私の兄ヘンリー。
ヘンリーを突然死に見せかけて殺したのは、王妃の取り巻きに我が子を人質にとられた彼の乳母、ジャックの妻でジョシュアの母である女性だ。
妾妃の息子が王位に就く事など絶対に王妃は望まないだろうと、王妃の取り巻きが忖度してやったのだ。
王妃は関与していない。毛嫌いしている妾妃の息子であっても、愛する夫である国王の息子でもある限り、彼女は絶対に殺せない。
妾妃だって、それは分かっている。
けれど、息子を殺させたのが王妃の取り巻きである以上、彼女達を管理できなかった王妃にも責任はある。人の上に立つ以上、部下を管理する義務と責任があるのだ。まして、王妃という王国全ての女性の最高位にいるのなら尚更だ。
まして、妾妃は息子を殺されたのだ。たとえ、王妃が命じていなかったとしても、彼女のためだと思った取り巻きがしたのだ。原因ともいえる王妃を恨む気持ちは理解できる。
だからといって――。
「赤ん坊だった私とアルバートを復讐の道具にしていい理由になるとでも?」
いや、私とアルバートだけではない。赤ん坊の時亡くなった異母姉妹と弟もだ。
「我が子として慈しんでいた子供が、実は誰よりも嫌っている女の子供だった」
「真実」を知った時、それはどれだけの衝撃だろう?
妾妃は王妃の子と自分の子を取り替える事で最初の子供を殺された復讐にしたのだ。
「……確かに、わたくしは、あなたとアルバート……そして、亡くなったあなたの異母姉妹と弟を復讐の道具に使ったわ。あなたとアルバートに非難されるのは仕方ない。あなたがわたくしを一生許さないのも当然だわ」
沈痛な表情を浮かべる妾妃。儚げな美女のその顔は大抵の人間の胸を痛ませるものだろうが、私は何とも思わない。
――わたしは、あなたをぜったいにゆるさない。
胎児の頃からの記憶があるとはいえ、その頃は周囲の出来事を見聞きできても、自分で考えたり動いたりはできなかった。
物心がついた、自我が芽生えた私は、妾妃に会いに行き言い放ったのだ。
――わたしは、あなたをぜったいにゆるさない、と。
私がそう言った瞬間の、この女の顔は忘れられない。
目を瞠った後、何ともやるせない顔になったのだ。
妾妃は、私の「許さない」という言葉で瞬時に理解したのだ。
「王妃の娘にした自分の娘は、自らの『真実』を知っているのだ」と。
「全てを知った上で、自分を嫌い許す事は決してないのだ」と。
「……わたくしが死ぬ間際か、王妃様が死ぬ間際に、『真実』をぶちまけるつもりだった。そうする事で、最初の子を殺された恨みを晴らすつもりだった。
……でも、あなたが王妃様を『母』として慕う姿を見て考えを変えたの。亡くなった子の復讐のために、今生きているわたくしの娘を蔑ろにしていいのか、と」
「……そもそも子供を取り替えた事で、私ばかりかアルバートや亡くなったリジーと弟を蔑ろにしているわよ」
「……分かっているわ」
私の突っ込みに、妾妃はほろ苦く微笑んだ。
――そう、この女は分かっている。
我が子の安全のためであっても、子供を取り替えた行為は、我が子を「棄てた」のと同じだ。
まして、この女は、我が子を復讐の道具にした。
この女は自ら私と亡くなった弟の「母」である事を放棄したのだ。
私は生物学上以外で、あなたが「母」である事を絶対に認めない――。
「……でも、ずっと復讐に心が囚われていたわたくしを未来に向かわせてくれたのは、あなたよ。亡くなった息子ではなく、今生きている娘の幸せを願うべきだと思うようになったの」
だから、「真実」を墓場まで持っていくつもりだった?
私から二度も「母」を奪わないために?
「……最初から偽りの上で成り立っていた関係よ」
私が王妃から与えられていた愛情は、本来なら私ではなくアルバートにこそ与えられていたものだったのだから――。
「……さらに、私は偽りの自分として王妃様に接していた。私がばらさなかったとしても、いずれ破綻していたわ」
実の娘ではないと知りながら王妃に隠し続けた。
素の自分ではなく偽りの自分として王妃に接していた。
「真実」を知られてしまえば、王妃の私への愛情など木っ端微塵に砕け散るだろう。
……王妃は今はまだ明かされた「真実」の衝撃から立ち直っていないだろうが、衝撃がおさまれば確実に私を嫌い憎むだろう。
二重の意味で自分を騙し続けた、誰よりも嫌う女の娘として――。
……覚悟していた事だ。
罵倒も暴力も甘んじて受ける。
罪を自覚している以上、責められないほうがつらい。
エドワードとの事で誰からも責められなかった事で痛感した。
だから、お母様、思う存分、私を責めてください。
応援ありがとうございます!
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