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本編
67 エレノアの恋心
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「……エレノア、あなた」
まさかと思った。
彼女は知っているのか?
弟が誰を愛しているのか。
弟はエレノアに「愛している女性がいる」と言ったが、それが誰か当然言わなかった。
だのに、彼女のこの口ぶりは、王子様が誰を愛しているのか知っているようだった。
私があまりにも凝視しているからか、エレノアは目を伏せた。
「王子様がどなたを愛しているか、知っていますわ」
「……どうして知って……いえ、本当に誰か分かっているの?」
常識的に考えて気づかないはずなのだ。
弟があの女を愛するなど――。
「……貴女がこの世で一番嫌いな方でしょう?」
エレノアの言葉に私は思わず目を閉じてしまった。
王女がこの世で一番嫌いな人間。
それが誰か、王女と親しい人間でなくても社交界で知らない者はいない。なぜなら、公式の場であっても、私はあの女への嫌悪感を隠さなかったからだ。
「……あなたは知っているの?」
何について知っているのか私は言わなかったが、聡いエレノアは気づいたようで神妙な顔になった。
「……王子様と王女様の『お母様』について、ある考えを持っていて、それは間違いないと思っています」
エレノアは遠回しに私の「質問」に答えてくれた。
私は思わず額を押さえた。……決定的だ。
「勿論、誰にも言いません」
私があまりにもショックを受けた様子だからか、エレノアは真剣な顔でこう言ってくれた。
「……知られたところで大した事じゃないわ」
父親が国王である以上、私とアルバートが王女と王子である事に変わりはないし、他国と違って生母の身分で扱いが変わる訳でもない。
子を取り替えた妾妃と、それを知りながら黙っていた私は、陰で非難されて多少居心地の悪い思いをするだけだ。……自業自得だから、それは甘んじて受け入れるしかない。
まあ、あの女は、それくらいで、へこたれるようなかわいらしい神経など持ち合わせてはいないけれど。
「貴女と王子様の『お母様』について、気づいている者は気づいていますわ」
今まで黙っていたイグレーヌが言った。
イグレーヌの口振りからして息子に教えてもらったりエレノアが言うまでもなく気づいていたのだろう。
「お二人とも、お顔はお父様に似ていらっしゃいますが、それ以外の特徴は、それぞれの『お母様』の血が現われていますもの」
イグレーヌの言葉に私は思わず自分の両手に視線を落とした。あの女に酷似した自分の手を。
私の手や耳などは、あの女の特徴を受け継いでいる。それは、どれだけ認めたくなくても私を産んだ母親は、あの女だという証だ。全く忌々しい。
アルバートもまた、顔以外の特徴はアーサーや宰相に似ている。
私とアルバートは、それぞれの生母により、その血の特徴が顔以外に現われてしまったのだ。
だからこそ、王妃と妾妃の子は取り替えられたのだと、アーサーやエレノア、イグレーヌ、そして、彼ら以外に気づいている人は気づいているのだろう。
「……知っているのに、黙っていてくれているのね。ありがとう」
アーサーやエレノアやイグレーヌ、そして、気づいていながら黙っている人達は、王家の秘密だから公にできないと思っているからか、多少は私とアルバートを慮ってくれているからか。
とにかく居心地の悪い思いをせずに済んでいるのだ。お礼は言うべきだろう。
「王女様がお礼を言う必要などありませんわ」
イグレーヌの穏やかな口ぶりからして、どうでもいい事なのだろう。私とアルバートの生母が誰だろうと。
確かに、生母が誰だろうと実父が国王である以上、私とアルバートが王女と王子である事に変わりはない。息子の妻となる女が王女なのは変わらないのだ。
「……エレノア、あなたは先程、あの女を想っているアルバートを愛していると言ったわね?」
私は話題を変えた。エレノアとイグレーヌが私とアルバートの生母を知っている事に気を取られてしまったが、エレノアが口にしたもう一つの驚くべき事についても言及したかった。
「はい。言いましたわ」
エレノアは穏やかに頷いた。
「……悪いのだけれど、私には理解できない。どうして、他の女を愛している男を愛せるの?」
そういえば、リジーも言っていた。王女を想っているエリオットを見て愛したのだと。
「……そうですね。王女様にも他のどなたにも理解できないでしょう。これは、私だけの想いですもの」
いつも控えめなエレノアにしては意外なほど強い口調だった。
理解など、されなくてもいい。
自分だけの想いなのだ、と。
エレノアの瞳は、そう語っていた。
「……そうね。他人が理解できなくても、その想いは、その人だけのものだわ」
弟が自分を復讐の道具にしたあの女を愛するのも。
エレノアとリジーが他の女を愛している男を愛するのも。
理解できないからといって否定する権利など誰にもない。
その想いは、その人だけのものなのだから――。
「……弟の愛など、あなたは最初から望んでなどいないのね」
むしろ、弟が心変わりした瞬間、エレノアの恋は終わるのだろう。
なぜなら、あの女を愛しているアルバートをこそ彼女は愛しているのだから――。
「愛はなくても互いに尊重できるいい夫婦になろうと思いますわ」
王家が決めた婚約である以上、白紙には戻せない。
それならば、せめて円満な家庭を築きたいのだと。
エレノアは言外にそう言っている。
「……私はアーサーを王配にしたいの。そのために女王になると決めたの」
私の先程の話題の転換には穏やかに応じたエレノアだが、今度は王女が何を言いたいのか理解不能なのだろう。首を傾げている。
「あなたが王妃になる事を望んでいるのなら悪いのだけれど」
「そんな大それた事、望んでなどいませんわ」
エレノアは本当にそう思っているのだろう。何とも落ちついた口調だった。
「それに、父も私もアーサー様が王配になるほうがいいと思っています。王子様は充分王に相応しく聡明な方ですが、アーサー様と比べると、その」
自分の婚約者で今目の前にいる王女の弟だ。悪し様に言うのは気が引けるのだろう。エレノアは言いよどんでいる。
「……ええ。私も姉の欲目を抜きにしても、あの子は私よりは王に相応しいと思うわ。それでも、アーサーと比べるとね」
それはアルバート自身も分かっているようだった。
自分が王になりたくないからというだけでなくアーサーが王配になるほうがいいと思っているから姉を女王にと望んでいるのだ。
「あなたのアルバートへの想いが、そういうものなら却っていいのかもしれないわ」
ただ純粋にアルバートを想っているのなら彼が他の女性愛しているのはつらいだろうが、エレノアは「妾妃を想っているアルバート」をこそ愛しているのだ。
弟を愛している女性だからエレノアを弟の妻にと望んだ。
それは、報われない恋をしている弟の慰めになるだろうが、エレノアには酷な事だと思っていたのだ。他の女性を愛している男の妻にしようというのだから。
けれど、エレノアは、言葉は悪いが純粋な意味でアルバートを愛していたわけではなかった。
だから、アルバートの婚約者が彼女になったのは、却ってよかったのかもしれない。
エレノアは弟の元婚約者とは比べものにならないくらい素晴らしい女性だ。
王子妃としても、アルバート個人の妻としても、彼女ほど相応しい人はいないだろう。
まさかと思った。
彼女は知っているのか?
弟が誰を愛しているのか。
弟はエレノアに「愛している女性がいる」と言ったが、それが誰か当然言わなかった。
だのに、彼女のこの口ぶりは、王子様が誰を愛しているのか知っているようだった。
私があまりにも凝視しているからか、エレノアは目を伏せた。
「王子様がどなたを愛しているか、知っていますわ」
「……どうして知って……いえ、本当に誰か分かっているの?」
常識的に考えて気づかないはずなのだ。
弟があの女を愛するなど――。
「……貴女がこの世で一番嫌いな方でしょう?」
エレノアの言葉に私は思わず目を閉じてしまった。
王女がこの世で一番嫌いな人間。
それが誰か、王女と親しい人間でなくても社交界で知らない者はいない。なぜなら、公式の場であっても、私はあの女への嫌悪感を隠さなかったからだ。
「……あなたは知っているの?」
何について知っているのか私は言わなかったが、聡いエレノアは気づいたようで神妙な顔になった。
「……王子様と王女様の『お母様』について、ある考えを持っていて、それは間違いないと思っています」
エレノアは遠回しに私の「質問」に答えてくれた。
私は思わず額を押さえた。……決定的だ。
「勿論、誰にも言いません」
私があまりにもショックを受けた様子だからか、エレノアは真剣な顔でこう言ってくれた。
「……知られたところで大した事じゃないわ」
父親が国王である以上、私とアルバートが王女と王子である事に変わりはないし、他国と違って生母の身分で扱いが変わる訳でもない。
子を取り替えた妾妃と、それを知りながら黙っていた私は、陰で非難されて多少居心地の悪い思いをするだけだ。……自業自得だから、それは甘んじて受け入れるしかない。
まあ、あの女は、それくらいで、へこたれるようなかわいらしい神経など持ち合わせてはいないけれど。
「貴女と王子様の『お母様』について、気づいている者は気づいていますわ」
今まで黙っていたイグレーヌが言った。
イグレーヌの口振りからして息子に教えてもらったりエレノアが言うまでもなく気づいていたのだろう。
「お二人とも、お顔はお父様に似ていらっしゃいますが、それ以外の特徴は、それぞれの『お母様』の血が現われていますもの」
イグレーヌの言葉に私は思わず自分の両手に視線を落とした。あの女に酷似した自分の手を。
私の手や耳などは、あの女の特徴を受け継いでいる。それは、どれだけ認めたくなくても私を産んだ母親は、あの女だという証だ。全く忌々しい。
アルバートもまた、顔以外の特徴はアーサーや宰相に似ている。
私とアルバートは、それぞれの生母により、その血の特徴が顔以外に現われてしまったのだ。
だからこそ、王妃と妾妃の子は取り替えられたのだと、アーサーやエレノア、イグレーヌ、そして、彼ら以外に気づいている人は気づいているのだろう。
「……知っているのに、黙っていてくれているのね。ありがとう」
アーサーやエレノアやイグレーヌ、そして、気づいていながら黙っている人達は、王家の秘密だから公にできないと思っているからか、多少は私とアルバートを慮ってくれているからか。
とにかく居心地の悪い思いをせずに済んでいるのだ。お礼は言うべきだろう。
「王女様がお礼を言う必要などありませんわ」
イグレーヌの穏やかな口ぶりからして、どうでもいい事なのだろう。私とアルバートの生母が誰だろうと。
確かに、生母が誰だろうと実父が国王である以上、私とアルバートが王女と王子である事に変わりはない。息子の妻となる女が王女なのは変わらないのだ。
「……エレノア、あなたは先程、あの女を想っているアルバートを愛していると言ったわね?」
私は話題を変えた。エレノアとイグレーヌが私とアルバートの生母を知っている事に気を取られてしまったが、エレノアが口にしたもう一つの驚くべき事についても言及したかった。
「はい。言いましたわ」
エレノアは穏やかに頷いた。
「……悪いのだけれど、私には理解できない。どうして、他の女を愛している男を愛せるの?」
そういえば、リジーも言っていた。王女を想っているエリオットを見て愛したのだと。
「……そうですね。王女様にも他のどなたにも理解できないでしょう。これは、私だけの想いですもの」
いつも控えめなエレノアにしては意外なほど強い口調だった。
理解など、されなくてもいい。
自分だけの想いなのだ、と。
エレノアの瞳は、そう語っていた。
「……そうね。他人が理解できなくても、その想いは、その人だけのものだわ」
弟が自分を復讐の道具にしたあの女を愛するのも。
エレノアとリジーが他の女を愛している男を愛するのも。
理解できないからといって否定する権利など誰にもない。
その想いは、その人だけのものなのだから――。
「……弟の愛など、あなたは最初から望んでなどいないのね」
むしろ、弟が心変わりした瞬間、エレノアの恋は終わるのだろう。
なぜなら、あの女を愛しているアルバートをこそ彼女は愛しているのだから――。
「愛はなくても互いに尊重できるいい夫婦になろうと思いますわ」
王家が決めた婚約である以上、白紙には戻せない。
それならば、せめて円満な家庭を築きたいのだと。
エレノアは言外にそう言っている。
「……私はアーサーを王配にしたいの。そのために女王になると決めたの」
私の先程の話題の転換には穏やかに応じたエレノアだが、今度は王女が何を言いたいのか理解不能なのだろう。首を傾げている。
「あなたが王妃になる事を望んでいるのなら悪いのだけれど」
「そんな大それた事、望んでなどいませんわ」
エレノアは本当にそう思っているのだろう。何とも落ちついた口調だった。
「それに、父も私もアーサー様が王配になるほうがいいと思っています。王子様は充分王に相応しく聡明な方ですが、アーサー様と比べると、その」
自分の婚約者で今目の前にいる王女の弟だ。悪し様に言うのは気が引けるのだろう。エレノアは言いよどんでいる。
「……ええ。私も姉の欲目を抜きにしても、あの子は私よりは王に相応しいと思うわ。それでも、アーサーと比べるとね」
それはアルバート自身も分かっているようだった。
自分が王になりたくないからというだけでなくアーサーが王配になるほうがいいと思っているから姉を女王にと望んでいるのだ。
「あなたのアルバートへの想いが、そういうものなら却っていいのかもしれないわ」
ただ純粋にアルバートを想っているのなら彼が他の女性愛しているのはつらいだろうが、エレノアは「妾妃を想っているアルバート」をこそ愛しているのだ。
弟を愛している女性だからエレノアを弟の妻にと望んだ。
それは、報われない恋をしている弟の慰めになるだろうが、エレノアには酷な事だと思っていたのだ。他の女性を愛している男の妻にしようというのだから。
けれど、エレノアは、言葉は悪いが純粋な意味でアルバートを愛していたわけではなかった。
だから、アルバートの婚約者が彼女になったのは、却ってよかったのかもしれない。
エレノアは弟の元婚約者とは比べものにならないくらい素晴らしい女性だ。
王子妃としても、アルバート個人の妻としても、彼女ほど相応しい人はいないだろう。
応援ありがとうございます!
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