【完結】黒猫と不完全クローバー

59.I love you

「節操なしの男だとお思いかもしれませんね。でも、貴女がはじめてなんですよ。僕が気を許したヒトは」

　いえ。スキンシップでは、片付けられません。

「お嬢さまや、六月むつきくんや、ナナくんのことは好きです。ただ貴女に対する〝好き〟は、それとは別物のようです」

　そっと、頬にふれられました。

（……ダメ）

　このままでは、深い深い碧眼に、吸い込まれてしまう……

「しも、さ……」
「――動かないで」

　ねだるように、彼は声をかすれさせました。
　視線ひとつでわたしを意のままにできるであろう、彼が。

「おねがいです……やり直し、させてください」

　それはおねがいというより、予告でした。

「I love you」

　壊れ物を扱うようにふれた腕が、わたしを引き寄せます。
　痺れるような熱視線に射抜かれた身体は、身じろぎひとつできず……ただ、重ねられた唇がやわらかくて、熱い以外は、なにもわかりませんでした。
　四紋しもんさんの唇が、わたしのそれにふれています。

「んっ……」
「……っ……！」

　しっとりと、包み込むように、慈愛にあふれた口付けが交わされます。

「ずっと、やり直したかったんです」
「っあ……」
「貴女とのはじめてが、貴女を殺めようとしていたなんて……思い返すと、自分に腹が立ってしまって」

　そんな。四紋さんのせいではないのに。

「だから……受け入れてもらえて、よかった」

　いつだって自然体な方だと思っていたけれど……あどけない少年のようにはにかんで、まるで甘えて。
　ときおり見せてくださるこの笑顔こそ、彼が本当に心を許している証なのだと、気づきました。

「いけませんね……」

　熱を帯びた声音は、もはや吐息。
　長いまつげを伏せた四紋さんは、両腕いっぱいにわたしを抱き寄せました。

「あのっ……？」
「気を抜くと、止められなくなってしまいそうだ。お嫌でしたら殴っていただいても結構です。ですので、もう少しだけ僕にお付き合いくださいませんか？　三葉さん……」

　やわらかな声音が、次第に緊張をほぐしていきます。
　彼にキスをされたから？
　いいえ。レンズ越しの碧眼には、どこを探しても細長い瞳孔はありません。
　彼だから、なのでしょう。

「殴ったり、しません……四紋さんがお優しいことは、知っていますから」
「……ありがとう」

　トン、と右肩にかかる重み。
　彼の表情は、残念ながらうかがえませんが、首筋にふれたブロンドは、先ほどふれた猫ちゃんと同じく、ふわふわでした。
　しばしの沈黙を経て、静かに言葉が紡がれます。

「僕は誰よりも、他者の死に際というものを目にしてきました」
「それは、治癒能力をお持ちだから……？」

　四紋さんは、ヒトでいうお医者さまのような方です。傷ついたひとを癒やすのがお仕事。

「それもありますね」

　くすりと、笑みがこぼれました。

（……それ〝も〟？）

　いつもと同じようで、どこか寂しげな笑みでした。

「これまでが、あまり褒められた生き様ではなかったので……せめて〝四紋〟はひとを救う存在でありたいと、心に決めていました。本当はね三葉さん、〝名取り〟を行うつもりはなかったんです」
「……！」

　意外なひと言でした。
　東雲さんに言われて、特に違和感もなく行動された彼ですから。

「六月くんのために死を決意した貴女は、とてもお強かった。そして、誰とも知れぬ〝はぐれ猫〟を想って、罪悪感に押しつぶされそうな貴女は、とても弱かった。意図して同調したわけではありません。けれど気づいたときには、貴女の波長を追いかけていたんです」

　四紋さんはあのとき……わたしと同調していた？
　わたしの心の動きを、いっしょに感じていたということなのでしょうか。
　まだ数えるほどしか会話していないわたしから、四紋さんはなにを感じ取ったのでしょう。