鏖の季節

阿波野治

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「おまたせ。多めに揚げたから時間かかっちゃった」
 揚げたてのから揚げが盛りつけられた大皿を手に、母親の麻子がダイニングまでやってきた。本日のメインディッシュがのった皿をテーブルの中央に置き、夫の隣の椅子に座る。

 靖彦はトングを使って次から次へとからあげを取り皿へと移しながら、職場での愚痴を言いはじめた。一か月が経ち、ようやく新しい環境にも慣れたが、同僚の馴れ馴れしさが鼻につくようになってきた、という趣旨の愚痴だ。
 しゃべる内容が他者への非難となったことで、靖彦の咀嚼音はいっそう汚らしさを増した感がある。麻子が食べながらしゃべることにクレームをつけずに、自分の皿におかずを淡々と取り分けているのも、その印象を高めるのに一役買っている。

 真理愛の記憶が正しいなら、靖彦は数日前、今語っているのとは正反対の話をしていた。工場長の弟だからということで、同僚たちが自分に変に気をつかうのが居心地悪い、と文句を垂れていたのだ。
 父は日替わりで現状を非難している。この調子では、当分のあいだ、真の意味で同僚との関係に満足することはあるまい。この人はあと何日、家族で食卓を囲むたびに、くちゃくちゃと音を立てて食べながら彼らに物申し続けるのだろう。

 一方の麻子は、少し前まではパート先の同僚に対する不満を愚痴ってばかりいたが、今ではなにも言わなくなった。
 真理愛は詳しい事情は知らないが、経験論からも一般論からも、人間関係にまつわる問題がそう簡単に解消されるとは思えない。おそらく、麻子は解決を放棄したのだ。

 凡庸な中年の兼業主婦らしからぬ達観した態度は、真理愛をいら立たせた。その感情は、クラスメイトからいじめられている現状があるこそのものに他ならない。
 この人はきっと、わたしが勇気を振り絞って被害を訴えても、力になってくれない。ひょっとすると、慰めの言葉一つかけてくれないかもしれない。
 そう思うと、怒りは見る見る萎み、泣きたい気持ちになる。

 絵に描いたような田舎ではないが、以前住んでいた県庁所在地と比べればうんと鄙びたK町に引っ越して以来、真理愛は閉塞感を覚えている。
 人生を一変させるような大きな不幸に見舞われたわけではない。しかし、全体的に悪い。そしてその悪い要素は、どれもが日に日に悪化している。

 川真田樹音を中心とする女子グループからのいじめがその筆頭だ。最初は軽いからかいの言葉をかけてくるだけだったが、今や暗黒のごっこ遊びに巻き込んでくる段階に入った。
 彼女たちの行為は今後ますますエスカレートするだろう。あまり考えたくないが、暴力、金銭の強要、オンラインでのいじめ――そういった悪質で、損害を大きくこうむる類のいじめも覚悟しなければいけないかもしれない。

 真理愛の思案はそこで途切れた。暗いな、とふと思ったのだ。彼女の心の中もそうだが、部屋自体もそうで、テーブルの上の料理が色あせているように見える。
 天井を見上げると、LED電球の光は明らかに陰っていた。

 そういえば、そろそろダイニングの電球を替えたほうがいいんじゃないか、という話が食事中に出た記憶がある。たしか、もう何日も前に。
 それにもかかわらず、いまだに誰も着手していない。
 おそらく、理由は単純だ。
 手間がかかるから。面倒くさいから。同じ型の電球を買いに行き、古い電球を取り外し、新しいものを取りつける。以上の作業を完了させるのは手間がかかり、面倒くさい。だから、誰一人として取り組もうとしない。

 指を鳴らせば新しい電球にぱっと切り替わる――そんな魔法が使えたらいいのに。
 両親の毒にも薬にもならない会話を聞き流しながら、そんな子どもじみた願いを心の中で唱えた。
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