鏖の季節

阿波野治

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 真理愛が転校して間もないころ、まだいじめられっ子の立場が確立される以前に、クラスメイトの女子が怪談でも語るように解説してくれたことがある。

『その男の名前はトモノリっていうの。本名なのかあだ名なのかは知らないけど。風の噂によると、トモノリは街に住んでいたころに大きな罪を犯して、はるばるこの町まで逃げてきたんだって。詳細は不明だけど、とにかく重い罪だそうだから、殺人とか強盗とかじゃない? とにかく危険な男みたいだから、湯田さんもみだりに近づかないほうがいいよ』

 樹音に目をつけられなかった世界線では、友だちだったかもしれないその女子の忠告を、真理愛は真に受けなかった。「知らない」「わからない」ばかりで、噂話に尾ひれがついたとしか思えなかったからだ。

 初めてその道を通るときは、脚が震えそうになるくらい怖かったし、緊張もした。しかし、自転車で駆け抜けてしまえばあっという間だった。古くも新しくもない木造の小屋は、謎の人物の根城感は全くなく、単なる物寂しい田舎の風景の一部でしかなかった。
 通りの雰囲気が快いものではないのは事実なので、無条件で気軽には利用できていない。しかし今朝のように、急いでいるときはためらいなく通っている。





 真理愛は自転車を押しながら、問題の近道に入った。
 漕いでいるときと比べると移動速度は格段に遅いので、この道特有の暗鬱とした雰囲気を長く味わわなければならない。
 パンクさせられた怒りを忘れていられるから、ちょうどいいや。
 心の中でそううそぶいてみたものの、どう足掻いても気持ちが安定してくれないこの感じ――やはり不快だし、苦痛だ。
 引き返そう、引き返そうと思いながらも、一人と一台は道を直進し続ける。

 道のりの半分ほどを消化したころ、思いがけない光景を目にして真理愛の歩みは止まる。
 小屋のすぐ外の地面に、一人の男が座り込んでいるのだ。
 彼女の全身は氷漬けになった。うらはらに体温は上昇し、鼓動はテンポを速める。風が強まったわけではないのに、木々が揺れる音がやけに耳につく。
 とてもではないが歩き出せそうにない。引き返す方向にも、進む方向にも。

 双眸を見開き、約十五メートル先にいる男の動きを観察する。

 男は上下がひと続きになった鼠色の作業着を着ている。中背で、細身。目の前の地面には、何枚かの大きなベニヤ板が広げられていて、男は巨大な金属製の定規と鉛筆を使って板に線を引いている。素人目には慣れた手つきに見える。漂う雰囲気はどこか物憂げで、そこはかとなく物悲しい。
 たとえるなら、捨て犬を見かけたときの憂愁であり、哀愁だ。目頭が熱くなるわけでも、嘆かずにはいられなくなるわけでもない。しかし、立ち去りがたい。つい見つめてしまう。彼が背負っている運命に想像を巡らせずにはいられない。

 あの男が、クラスの女子が言っていたトモノリらしい。
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