鏖の季節

阿波野治

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「……いや」
 浅いとはいえない。丸一日前にトモノリを殺している。相手は無抵抗だったとはいえ、殺人を経験しているのは事実。
 当時は特に疲れを感じなかったが、初めて人を殺した興奮と、明日悲願の鏖を果たせる興奮により、無自覚だっただけなのだろう。あの日トモノリを殺した疲労が今になって足を鈍らせ、結果、真理愛は樹音を逃す危機に瀕しているのかもしれない。

 呪いだ、と思う。
 わたしはトモノリに呪われている。トモノリは殺すべきではなかった。あの人は死ぬべき人間ではなかった。

 トモノリとともに過ごした過去が思い出される。
 彼は人と口頭でコミュニケーションをとるのが嫌いで、不得手だと自己申告した。しかし、真理愛とは普通に話せていた。真理愛は幼少時から友だちとは無縁、人と話すのはそう得意ではないにもかかわらず。言葉を交わしてみた限りでは、人と話すのが嫌い、という印象は抱かなかった。
 広い意味で似た者同士だからこそ上手くやれていた、という側面はあるかもしれない。しかし、それを差し引いても、トモノリは正常からは大きく逸脱していないように感じた。声にも顔にも感情が表れにくいという異常を抱えてはいたが、真理愛自身は、会話を交わしているうちに違和感を抱かなくなった。慣れれば無視できる程度の異常に過ぎなかった。

 トモノリは人嫌いだった。その原因は、人と口頭でコミュニケーションをとるのが嫌いだし、不得手だから。
 しかし、嫌いなのも不得手なのも思い込みだった。人さえ選べば、トモノリは問題なく他者とコミュニケーションがとれる。

 嫌いだ、苦手だと思っていたのは、実は思い違いだったと本人が自覚すれば、他者に対する彼の態度には変化が現れただろう。条件によっては普通に話せるくらいだから、トレーニングさえ積めば、誰とでも普通に話せるようになる可能性は高かったはずだ。長年社会に出ていないことによる弊害も多いだろうが、他者からのサポートも受けられる。
 トモノリは三十歳。十四歳の真理愛は、三十歳と聞いて「歳を食っている」と感じたが、冷静に考えるとまだ平均寿命の半分も消化していない。手先が器用という、なんらかの形で社会の役に立ちそうな長所を持っていることを考え合わせれば、まっとうな生活を送るチャンスは充分にあった。

 トモノリには未来があった。可能性があった。もっともっと生きていける人だった。
 それなのに、真理愛は彼を殺した。命を、可能性を、未来を、永遠に、不可逆的に奪った。
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