13 / 25
満足
しおりを挟む
店にこだわりはないようだったので、神社から近く、値段も安い、駅前のファミリーレストランで食事を摂ることにした。
道中、僕と『戦争の足音』は会話を交わさなかった。神社から店までは五分少々。取り上げるべき話題に迷っている間に終わった、という感じだった。
昼食には少し遅い時間だったので、順番は待たずに済んだ。案内されたのは、窓際のボックス席。
「何でも好きなだけ注文していいからね。遠慮しなくていいから」
声をかけたが、『戦争の足音』はメニューを眺めていて、特に反応を示さない。こちらも、彼女が見ているものは別のメニューを手に取る。一皿で満足できるという観点から候補を絞り込み、カレーピラフを注文することに決める。
「もう決まった?」
急かすようで悪いな、と思いながらも、現状確認のために言葉をかけると、
「じゃあ、わたしはミートドリアで」
『戦争の足音』はメニューを閉じ、水を一口飲んだ。
ベルを押して店員を呼び寄せたところで、はたと気がつく。ミートドリアは確か、メニューの中で最も料金が安い料理だったはずだ。
「遠慮しなくてもいいのに。ニートの僕にも昼食を奢る金くらいある」
「遠慮なんかしてない。好きだから注文しただけ」
「……それなら別にいいけど」
個人情報を訊き出そうとしたと見なされるのを回避するため、僕はもっぱら自分について話した。全財産が残り僅かなこと。右手の怪我は実質的な自傷行為によるものだということ。趣味、嗜好、幼少時代の思い出。遠藤寺桐について話すことは意識的に控えた。
『戦争の足音』は黙々とミートドリアを食べた。口を挟むことも、相槌を打つこともない。ただ、話はちゃんと聞いているらしく、勿体ぶって間を置いたり、強調するために声に力を込めたりするたびに、皿から顔を上げて僕の顔を正視した。
無愛想なりに誠意らしきものは感じられたが、やはり物足りない。
やがて話題が枯渇してきた。
僕は無学で、無趣味で、友人は皆無。金がなく、中学校を卒業してからはずっと引きこもりがちな生活を送っているので、楽しめるような話題は持ち合わせていない。遠藤寺桐とは同じ中学校に通っていたという共通点があったが、『戦争の足音』とは一昨日知り合ったばかりだから、語り合うほどの思い出もない。加えて、「個人情報は訊き出してはならない」という厳しい制約があるから、こうなるのも必然というべきか。
たかが暇潰し相手に過ぎなかった遠藤寺と、あれだけ会話が続いていたことを思うとこの結果は不満だが、無理にでも満足するしかないのだろう。
とりあえず、今日のところは。
やがてカレーピラフの皿が空になった。『戦争の足音』はまだ食べているが、あと二・三口という残り具合だ。食べるのは彼女の方が圧倒的に遅いが、僕の料理の方が量が多く、話をしながら食べたため、食べ終わるのがほぼ同時になったらしい。
「お手洗い、行くね」
自分の皿を空にすると、『戦争の足音』は紙ナプキンで口元を拭い、トイレに立った。途端に、テーブルの上とその周囲が空疎になった。こぼれそうになった溜息を押し留め、窓外に注目を移す。
雑踏の只中に、異様な身なりの人物がいた。狐の顔を象った面を被り、死装束じみた真っ白な着物を着ている。人間が狐の面を被り白装束を身にまとったというより、近隣の森から抜け出してきた狐が人間に化けたという印象だ。中腰の姿勢でファミリーレストランに正対し、右手を懐に差し入れて小さな黄色い球を掴み出しては、路上にばら撒いている。球は大きさも色合いも、熟した酢橘の実に似ている。
男は一度に五個ばかりの球を、幼児相手にゴムボールを投げてやるように、前方に向かってやんわりと放つ。球は遅い球足で、てんでばらばらの方向に転がる。一個たりとも通行人の体に接触しない。無生物に突き当たるか、自然に運動を停止するか、そのどちらかの形で動きを止めた。
通行人は男や球には見向きもしない。男も通行人には全く注意を払わない。仮面によって顔が覆われ、視線の方向が定かではないため、何に注目しているのかは分からない。
『戦争の足音』が戻ってきた。僕は顔を彼女に、人差し指を窓外に向ける。
「あの狐の面を被った男、何をしているのかな?」
『戦争の足音』は外を見た。返答までには五秒ばかり間があった。
「誰のこと? お面を被った人なんてどこにもいないけど」
話し相手と同じ方向に顔を向けると、狐の仮面の男の姿は消えていた。それどころか、百も二百も散らばっていたはずの黄色い球さえ、一個残らず。
* * * * *
「じゃあ、わたしはこれで。食事、ご馳走様」
店を出てすぐ、『戦争の足音』は抑揚のない声で告げた。
『これからどうする? 行きたいところがあるなら、付き合うよ』
そう言葉をかけようとした矢先、僕の心中を読み取り、発言を制するかのようなタイミングでの発言だった。
まだまだ『戦争の足音』と一緒にいたいと考えていた僕は、当然の如く留意しようとした。しかし、彼女の瞳を見返した瞬間、よくも悪くも肩の力が抜けた。「わたしは意志を絶対に曲げません」と、太字でくっきりと明記されていたのだ。
「……分かった。食事には付き合ってもらったんだから、これ以上無理は言わないよ。また会えるかな」
「『エンブリオ』に来れば、恐らくは」
僕に背を向け、去っていく。
ああ、味気ない。一時間に満たない短時間とはいえ、いかにも仲睦まじくという感じではなかったとはいえ、仮にも楽しいひとときを過ごしたというのに、こんな別れ方は味気ない。味気なさすぎる。
呼び止めて、あまりにも味気ない別れに一波乱起こそうかとも思ったが、思い留まる。
『戦争の足音』は、『エンブリオ』に来れば会える可能性があると明言した。
絶対ではないが、可能性はある。
ならば、今はこれで満足するべきだ。
道中、僕と『戦争の足音』は会話を交わさなかった。神社から店までは五分少々。取り上げるべき話題に迷っている間に終わった、という感じだった。
昼食には少し遅い時間だったので、順番は待たずに済んだ。案内されたのは、窓際のボックス席。
「何でも好きなだけ注文していいからね。遠慮しなくていいから」
声をかけたが、『戦争の足音』はメニューを眺めていて、特に反応を示さない。こちらも、彼女が見ているものは別のメニューを手に取る。一皿で満足できるという観点から候補を絞り込み、カレーピラフを注文することに決める。
「もう決まった?」
急かすようで悪いな、と思いながらも、現状確認のために言葉をかけると、
「じゃあ、わたしはミートドリアで」
『戦争の足音』はメニューを閉じ、水を一口飲んだ。
ベルを押して店員を呼び寄せたところで、はたと気がつく。ミートドリアは確か、メニューの中で最も料金が安い料理だったはずだ。
「遠慮しなくてもいいのに。ニートの僕にも昼食を奢る金くらいある」
「遠慮なんかしてない。好きだから注文しただけ」
「……それなら別にいいけど」
個人情報を訊き出そうとしたと見なされるのを回避するため、僕はもっぱら自分について話した。全財産が残り僅かなこと。右手の怪我は実質的な自傷行為によるものだということ。趣味、嗜好、幼少時代の思い出。遠藤寺桐について話すことは意識的に控えた。
『戦争の足音』は黙々とミートドリアを食べた。口を挟むことも、相槌を打つこともない。ただ、話はちゃんと聞いているらしく、勿体ぶって間を置いたり、強調するために声に力を込めたりするたびに、皿から顔を上げて僕の顔を正視した。
無愛想なりに誠意らしきものは感じられたが、やはり物足りない。
やがて話題が枯渇してきた。
僕は無学で、無趣味で、友人は皆無。金がなく、中学校を卒業してからはずっと引きこもりがちな生活を送っているので、楽しめるような話題は持ち合わせていない。遠藤寺桐とは同じ中学校に通っていたという共通点があったが、『戦争の足音』とは一昨日知り合ったばかりだから、語り合うほどの思い出もない。加えて、「個人情報は訊き出してはならない」という厳しい制約があるから、こうなるのも必然というべきか。
たかが暇潰し相手に過ぎなかった遠藤寺と、あれだけ会話が続いていたことを思うとこの結果は不満だが、無理にでも満足するしかないのだろう。
とりあえず、今日のところは。
やがてカレーピラフの皿が空になった。『戦争の足音』はまだ食べているが、あと二・三口という残り具合だ。食べるのは彼女の方が圧倒的に遅いが、僕の料理の方が量が多く、話をしながら食べたため、食べ終わるのがほぼ同時になったらしい。
「お手洗い、行くね」
自分の皿を空にすると、『戦争の足音』は紙ナプキンで口元を拭い、トイレに立った。途端に、テーブルの上とその周囲が空疎になった。こぼれそうになった溜息を押し留め、窓外に注目を移す。
雑踏の只中に、異様な身なりの人物がいた。狐の顔を象った面を被り、死装束じみた真っ白な着物を着ている。人間が狐の面を被り白装束を身にまとったというより、近隣の森から抜け出してきた狐が人間に化けたという印象だ。中腰の姿勢でファミリーレストランに正対し、右手を懐に差し入れて小さな黄色い球を掴み出しては、路上にばら撒いている。球は大きさも色合いも、熟した酢橘の実に似ている。
男は一度に五個ばかりの球を、幼児相手にゴムボールを投げてやるように、前方に向かってやんわりと放つ。球は遅い球足で、てんでばらばらの方向に転がる。一個たりとも通行人の体に接触しない。無生物に突き当たるか、自然に運動を停止するか、そのどちらかの形で動きを止めた。
通行人は男や球には見向きもしない。男も通行人には全く注意を払わない。仮面によって顔が覆われ、視線の方向が定かではないため、何に注目しているのかは分からない。
『戦争の足音』が戻ってきた。僕は顔を彼女に、人差し指を窓外に向ける。
「あの狐の面を被った男、何をしているのかな?」
『戦争の足音』は外を見た。返答までには五秒ばかり間があった。
「誰のこと? お面を被った人なんてどこにもいないけど」
話し相手と同じ方向に顔を向けると、狐の仮面の男の姿は消えていた。それどころか、百も二百も散らばっていたはずの黄色い球さえ、一個残らず。
* * * * *
「じゃあ、わたしはこれで。食事、ご馳走様」
店を出てすぐ、『戦争の足音』は抑揚のない声で告げた。
『これからどうする? 行きたいところがあるなら、付き合うよ』
そう言葉をかけようとした矢先、僕の心中を読み取り、発言を制するかのようなタイミングでの発言だった。
まだまだ『戦争の足音』と一緒にいたいと考えていた僕は、当然の如く留意しようとした。しかし、彼女の瞳を見返した瞬間、よくも悪くも肩の力が抜けた。「わたしは意志を絶対に曲げません」と、太字でくっきりと明記されていたのだ。
「……分かった。食事には付き合ってもらったんだから、これ以上無理は言わないよ。また会えるかな」
「『エンブリオ』に来れば、恐らくは」
僕に背を向け、去っていく。
ああ、味気ない。一時間に満たない短時間とはいえ、いかにも仲睦まじくという感じではなかったとはいえ、仮にも楽しいひとときを過ごしたというのに、こんな別れ方は味気ない。味気なさすぎる。
呼び止めて、あまりにも味気ない別れに一波乱起こそうかとも思ったが、思い留まる。
『戦争の足音』は、『エンブリオ』に来れば会える可能性があると明言した。
絶対ではないが、可能性はある。
ならば、今はこれで満足するべきだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる