早まった犯行

阿波野治

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相談

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 公園は今日も無人だ。
 ブランコに腰かけた菜摘は、指のささくれを気にしたり、たまに漕いだりしながら、三橋さんの到着を待った。
 五分ほどして、三橋さんが公園にやって来た。立ち上がって手招きすると、菜摘のもとへ駆け寄ってくる。

「どうしたの、菜摘ちゃん。今日はなんだか積極的だね」

 隣のブランコに腰を下ろし、にやにやしながら喋りかけてくる。

「なにかいいことでもあったの? 彼氏ができたとか?」

 時折こういったつまらない冗談を恥ずかしげもなく口にするのが、三橋さんの欠点の一つだと菜摘は思っているが、今は苦言を呈している場合ではない。再びブランコに座り、膨れ面を彼へと向ける。

「聞いてよ、三橋さん。今日ね、学校で嫌なことがあった」
「嫌なこと? 友達? 先生?」
「先生! ボクね、ランドセルってださくて大嫌いだから、トートバッグで学校に行くことにしたの。そうしたら、担任の濱田が物凄くむかつく言い方で、それはダメだって言うんだ。かけられるうちはランドセルで学校に来い、それが校則だからって」

 聞き手は、時折小さく頷きながら話に耳を傾けている。

「ほんとバカだよね、大人って。三橋さんはどう思う?」
「分かるよ、ランドセルが嫌いっていう菜摘ちゃんの気持ち。僕も菜摘ちゃんくらいの時はそうだったから」

 菜摘は、ランドセルを背負った小学生の三橋さんを脳裏に思い描こうとしたが、上手くいかなかった。

「菜摘ちゃんの担任みたいな先生って、六年間で一回は受け持ちになるんだよね。融通が利かなくて妙に規則に厳しい、児童からあまり好かれないタイプの先生」
「濱田は人気あるよ。口は悪いけど、若い女の先生だから」
「あ、そうなんだ。濱田先生って美人?」

「若い女」という情報が出た途端、三橋さんは話題に対する関心を深めたらしく、黒縁眼鏡の奥の瞳が活き活きと輝き始めた。その反応が気に食わなかったし、濱田結衣の美醜よりも優先して伝えておきたいことがあったので、質問は無視する。

「そのランドセルだけど、二度と使わなくても済むように、カッターでズタズタに切り裂いてやったんだ。ほら、見て」

 ジーパンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見せる。三橋さんはいささか大げさに眉をひそめたが、すぐに微笑んだ。苦笑に近い微笑だ。

「うわあ、酷い。これを背負って学校に来いとは、いくら規則に厳しい先生でも言わないだろうね。上手くやったね、菜摘ちゃん」

 咎めるような言い方ではなかったので、菜摘は胸を撫で下ろした。三橋さんに話を聞いてもらって正解だった。やっぱり他の大人とは違う。

 ランドセルは使い物にならなくなったし、報告は済ませた。菜摘としては、この話題はこれで終わりにするつもりだったのだが、三橋さんは濱田結衣について根掘り葉掘り尋ねてくる。
 話を聞いてもらった礼のつもりで、質問に一つ一つ答えたが、濱田結衣の人となりについて説明しているうちに、叱られた当時の不愉快な気持ちが甦ってきて、苛々してきた。

 この三か月間、あの女には嫌というほど嫌な思いを味わわされた。それこそ、よくぞ耐えてこられたものだと、我ながら感心してしまうくらいに。
 しかし、我慢ももう限界だ。
 やられっぱなしでは腹の虫が収まらない。復讐したい。濱田結衣を痛い目に遭わせたい。

 菜摘は攻撃的で好戦的な性格だ。例えば悪口を言ってきた同級生に対して、負けじと言い返したり、相手を軽く叩いたり蹴ったりして反撃する、といった対応を取ることがよくある。
 しかし、殴り合いの喧嘩に発展しそうな気配を感じ取ると、それ以上相手を刺激するような真似は控えた。
 菜摘は体が小さく、体力と腕力に乏しい。掴み合いの喧嘩をしても負けるだけだと分かっているから、不本意ながらもそうするしかなかった。
 でも、今は。

「どうしたの、菜摘ちゃん。そんな怖い顔して」

 異変を察したらしく、三橋さんが心配そうな顔で声をかけてきた。
 菜摘はもとより、三橋さんは信頼できる大人だと認識している。従って、こう願い出ることに、いささかの躊躇いも持たなかった。

「三橋さん、濱田に復讐したいから、手伝ってよ。ボク、やられっぱなしじゃ気が済まない」
「復讐?」

 小さく首を傾げ、顔をまじまじと見つめてくる。菜摘は面倒くさそうに、それでいて深々と頷く。

「復讐の方法を考えるのも含めて、三橋さんの力を借りたいんだ。ボク、とにかく濱田のことがむかつくから、あのブスのババアを痛い目に遭わせてやりたいの。三橋さん、なにかいい案はない?」
「嫌いな先生を痛い目に遭わせる方法、ねえ。黒板消しを教室のドアに挟んで、先生が入ってきたら黒板消しが落ちてチョークの粉まみれ、みたいな?」
「そんなちっちゃいイタズラ、ボク一人でもできるよ。そうじゃなくて、もっと大がかりなこと。大人の男の人の力を借りて初めてできるような復讐だよ」
「大人の男でないとできない復讐、か」

 三橋さんの口元に意味ありげな笑みが滲む。

「例えば、そうだなぁ。先生が夜道を歩いているところを襲う、とか?」

 あけすけな表現は避けていたが、要するに強姦のことを言っているのだ、と菜摘は瞬時に理解した。
 目から鱗が落ちた思いだった。その手があったか、と思った。濱田結衣に精神的なダメージを与えるという意味では、それ以上の方法はない。
 唐突に微笑んだ菜摘に、三橋さんは怪訝そうに眉根を寄せる。その鼻先に向かって、人差し指を力強く突きつける。

「じゃあ、それでいこう。三橋さんが濱田を強姦する。それで決定ね」

 三橋さんは、出し抜けに心臓を殴りつけられたような顔をした。怯えたような目で公園の出入口を窺う。公園内を見回す。視線を菜摘に戻したときには、ぎこちない笑顔に変わっている。

「……菜摘ちゃん。菜摘ちゃんは冗談のつもりかもしれないけど、冗談でもそういうことは言っちゃダメなんじゃないかな」
「冗談じゃないってば。いいでしょ、強姦くらい」

 あからさまに唇を尖らせる。そうかと思うと、一転、子供っぽい無邪気な笑みを満面に湛え、軽やかに説得の言葉を並べる。

「なにびびってるの、三橋さん。大丈夫だって。絶対に上手くいくって。やろうよ。濱田を強姦しようよ。強姦は、女のボクには逆立ちしてもできない。三橋さんの力がどうしても必要なの。協力してよ。ねえ、いいでしょ?」

 三橋さんは明らかに濱田結衣に少なからず関心を持っている。男が女に関心を持ったということは、即ち、性交をしてみたいと思ったということだ。絶対に首を縦に振る。警察に捕まることへの怖れや、罪の意識といったものに惑わされて、決断に時間を要したとしても。

 三橋さんは俯いてしまった。菜摘が初めて見る深刻な顔つきで、押し黙って考え込んでいる。
 菜摘は唇を閉ざして返答を待った。承諾を得られると確信していたので、泰然自若として待っていられた。

 不意に三橋さんが苦笑を漏らした。その顔を菜摘に向け、人差し指でこめかみを掻く。

「今の段階では返事のしようがないよ。まだ濱田先生の顔も知らないのに」

 菜摘は思わず顔をしかめた。
 まずいことになった。三橋さんは、ターゲットが強姦するに値する女なのか疑問に思っているに違いない。菜摘が濱田結衣について説明する際に、「ブス」や「ババア」といったネガティブな表現を連発したせいで。

「菜摘ちゃん、もう遅いし、今日はこのへんにしておこう」

 腕時計を見て三橋さんは言う。菜摘は危機感を抱いた。強姦計画を提案した事実をなかったことにされるのではないか、という危機感を。
 三橋さんがブランコから腰を上げた。別れの挨拶をするべく向けられた顔に向かって、菜摘は真顔で言った。

「今日はもう帰ってもいいけど、その代わり、明日もちゃんと公園に来てね。ボク、濱田の顔写真を撮ってくるから。三橋さんはその写真を見て、濱田を強姦するかしないか決めて。約束だよ」
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