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「どうされました?」
呼びかけられて、大地は我に返った。遥が小首を傾げて顔を覗き込んできたので、軽く狼狽えてしまう。
「急に黙られましたけど。私、変なことを言いました?」
「いえ、違うんです。昨日からちょっと引っかかっていたから、触れさせてください」
「……なにかな?」
「声。時田さんの声についてです」
一瞬にして空気が張りつめた。ガラス越しにうっすらと聞こえていた人声と物音がミュートされ、この世界には自分と遥の二人しか存在しない、という感覚が、恐るべきリアリティを伴って胸に迫った。
取り上げようとしている話題が話題だから、様々な意味で懸念はある。しかし、もう後戻りはできない。口腔の唾を飲み下し、大地は話し始めた。
遥は声にコンプレックスを持っているのではないか。先ほどの「羨ましい」発言がそのなによりの証拠なのではないか。昨日今日の大地の307への賞賛を聞いて、内心傷ついたのではないか。もしそうなら、謝りたい。
話し終えると、遥は肩越しに後方を振り返った。その視線の先には、隣のエリアへと通じる出入り口がある。
「座って話をしましょうか。そう長くはならないだろうけど、立ち話をするには長くなりそうだから」
馴染みのエリアに隣接するエリアには、様々な楽器が展示されている。観覧者は片手で数えられるほどしかいない。壁際に設置された三人掛けの木製ベンチの左端に遥が、右端に大地が腰を下ろす。
「緊張してます? リラックス、リラックス。展示物にいたずらをしたのが見つかって、別室に連れてこられたわけじゃないんだから」
遥は体を大地へと斜めに向け、刺のない笑いを含んだ声を送った。彼は意識的に表情を緩めることで返答とした。それが口火を切る合図になった。
「私ね、今の仕事は私の伯父に紹介されたの。今からちょうど二年前。私は今三十一だから、ぎりぎり二十代のときね」
遥の話しぶりは普段どおり滑らかだ。表情や仕草なども含めて、話しにくそうにはしていない。
「声や音にスポットライトを当てた美術館だという情報は、もちろん最初から伝えられていた。私、そのころからすでにこういう声だったんだけど、叔父は、私が自分の声を気に病んでいるとは微塵も思っていなかったみたいで。表向きは平然と振る舞っていたからね。自分の声が人とは違う、個性的なものだということはちゃんと自覚していますよ。でも、どうにもならないことなので気にしないように生きているし、これからも気にせずに生きていくつもりですよ。そんなスタンスだと思っていたみたい」
大地は緊張が緩んでいくのを自覚する。「微塵も思っていなかったみたいで」と言ったあと、遥はいささか芝居がかった挙動で軽く肩を竦めてみせた。それが転換点だったのかと思ったが、すぐに誤りだと気づく。
「ボックスの中での会話で、あなたはコンプレックスという言葉を何回か使ったけど、私が自分の声にコンプレックスを抱いているのは事実だと思う。たとえば、声を聞いた通りすがりの人に『なにあれ?』みたいな顔をされたとしても、『まあ、変な声が急に聞こえてきたら驚くよね、悪気がなくてもそういう反応になるよね』って割り切れる。でも、しっかりと気にしているし、しっかりと傷ついている。実際、『声と音の美術館で働かないか』って伯父から提案されたときなんて、蕁麻疹が出るみたいに嫌悪感が湧いたし」
――遥は敬語を使わなくなったのだ。
呼びかけられて、大地は我に返った。遥が小首を傾げて顔を覗き込んできたので、軽く狼狽えてしまう。
「急に黙られましたけど。私、変なことを言いました?」
「いえ、違うんです。昨日からちょっと引っかかっていたから、触れさせてください」
「……なにかな?」
「声。時田さんの声についてです」
一瞬にして空気が張りつめた。ガラス越しにうっすらと聞こえていた人声と物音がミュートされ、この世界には自分と遥の二人しか存在しない、という感覚が、恐るべきリアリティを伴って胸に迫った。
取り上げようとしている話題が話題だから、様々な意味で懸念はある。しかし、もう後戻りはできない。口腔の唾を飲み下し、大地は話し始めた。
遥は声にコンプレックスを持っているのではないか。先ほどの「羨ましい」発言がそのなによりの証拠なのではないか。昨日今日の大地の307への賞賛を聞いて、内心傷ついたのではないか。もしそうなら、謝りたい。
話し終えると、遥は肩越しに後方を振り返った。その視線の先には、隣のエリアへと通じる出入り口がある。
「座って話をしましょうか。そう長くはならないだろうけど、立ち話をするには長くなりそうだから」
馴染みのエリアに隣接するエリアには、様々な楽器が展示されている。観覧者は片手で数えられるほどしかいない。壁際に設置された三人掛けの木製ベンチの左端に遥が、右端に大地が腰を下ろす。
「緊張してます? リラックス、リラックス。展示物にいたずらをしたのが見つかって、別室に連れてこられたわけじゃないんだから」
遥は体を大地へと斜めに向け、刺のない笑いを含んだ声を送った。彼は意識的に表情を緩めることで返答とした。それが口火を切る合図になった。
「私ね、今の仕事は私の伯父に紹介されたの。今からちょうど二年前。私は今三十一だから、ぎりぎり二十代のときね」
遥の話しぶりは普段どおり滑らかだ。表情や仕草なども含めて、話しにくそうにはしていない。
「声や音にスポットライトを当てた美術館だという情報は、もちろん最初から伝えられていた。私、そのころからすでにこういう声だったんだけど、叔父は、私が自分の声を気に病んでいるとは微塵も思っていなかったみたいで。表向きは平然と振る舞っていたからね。自分の声が人とは違う、個性的なものだということはちゃんと自覚していますよ。でも、どうにもならないことなので気にしないように生きているし、これからも気にせずに生きていくつもりですよ。そんなスタンスだと思っていたみたい」
大地は緊張が緩んでいくのを自覚する。「微塵も思っていなかったみたいで」と言ったあと、遥はいささか芝居がかった挙動で軽く肩を竦めてみせた。それが転換点だったのかと思ったが、すぐに誤りだと気づく。
「ボックスの中での会話で、あなたはコンプレックスという言葉を何回か使ったけど、私が自分の声にコンプレックスを抱いているのは事実だと思う。たとえば、声を聞いた通りすがりの人に『なにあれ?』みたいな顔をされたとしても、『まあ、変な声が急に聞こえてきたら驚くよね、悪気がなくてもそういう反応になるよね』って割り切れる。でも、しっかりと気にしているし、しっかりと傷ついている。実際、『声と音の美術館で働かないか』って伯父から提案されたときなんて、蕁麻疹が出るみたいに嫌悪感が湧いたし」
――遥は敬語を使わなくなったのだ。
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