【1】胃の中の君彦【完結】

羊夜千尋

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困惑

第二十二話 困惑4

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 そのあと、この建物の地下一階にある喫茶店「ハマグチ」へ強制的に連れていかれた。学校の中の施設だというのに学生はおらず、先生や職員と思われる男女が静かに各々の時間を過ごしている。
「わたしはチーズケーキとアイスティーにしようっと」
「ここはケーキがあるのか」
「喫茶店だからね。ケーキも種類いろいろあるなぁ、どれにしよう……。あっ、神楽小路くん、ちゃんと食べるんだよ」
「わかっている。俺はライスグラタンにする」
「それって、前に注文諦めたメニューじゃない?」

 以前、二人は学食調査をしている際にこのハマグチに何度か足を運んでいる。しかし、「ライスグラタンは注文受けてから焼くから二十分はかかる」と店員から言われた。二限目の教室からハマグチに到着するのにすでに十五分かかっており、食べ終えて次の授業が行われる教室に向かうにはまた十五分かかることを考慮し、諦めたのだった。

「時間に余裕があるからな」
「それにしても、ご飯食べ忘れるって何かあったの?」
 あの現場を目撃して混乱したと言うことは出来ず、
「……まぁ、そういう日もある」
 と、言葉を濁す。
「そうなの? 確かにたまにそういうこと言う友達いるけど、ご飯って忘れちゃうものなのかなぁ……」
 これ以上、この話題を掘られたくないと神楽小路が思っていると、タイミングよく、チーズケーキとアイスティーがやってきた。一瞬で佐野の視線はそちらへ注がれる。
「学校でケーキなんて不思議な感覚だなぁ。お先にいただきまーす」
 上部にほんのりと焼き目の入っているスフレチーズケーキにフォークを沈め、口に運ぶ。そのあと、アイスティーを一口。刺さっているストローを回すと、グラスの中で氷がカランと涼し気な音を立てて躍る。
「はぁ~! おいしい! 口に含めばすぐ溶けていくのにしっかりとクリームチーズの味を残して……! すっきりとしたアイスティーとの相性もぴったり」
 食べ進めながら佐野は続ける。
「明日からは夏休みだね」
「そうだな」
「神楽小路くんは夏休み何するの? どこかに遊びに行くの?」
「いつも通り、家で本を読んで小説を書く」
「そっかぁ。わたしも遊ぶ予定あんまりなくて、バイトばっかりかも。ずーっとトングで注文されたケーキを取って、トレイに乗せて、紙箱に入れて」
「佐野真綾のバイト先はケーキ屋なのか」
「あれ? 言ってなかったっけ。ケーキ屋さんでアルバイトしてるよ」
「知らなかった。食べることが好きなお前には合ってるんじゃないか」
「退勤前に廃棄処分のケーキつまんでもいいからね。最高だよ。でもね、トングでケーキ掴むのって難しいんだよ。力が強かったらつぶれちゃうし、弱いと滑り落ちちゃって。最初は何個もダメにしちゃって怒られまくったなぁ」

 そう笑いながら、いろんな話題で話し続ける佐野を神楽小路はじっと見つめる。
(佐野真綾がいるだけで場が明るくなる。嬉しそうに食事する姿も、好奇心に満ち溢れた目で俺を見て話す姿も。ああ、そうだ。この感覚だ)

 神楽小路がそう思った時、佐野が突然話すのをやめて、「えへへ」と声を出して笑った。
「なんだ?」
「神楽小路くんが笑顔で話し聞いてくれてるなぁって」
「笑ってないが」
「今笑ってたよ?」
「俺が笑うことがあると思うか」
「初めて見たから驚いたし、嬉しかったんだけど」
「幻覚だ、幻覚」
「笑ってるって思ったんだけどなぁ」
 神楽小路はそれ以上何も言えず、髪をかき上げながら視線を逸らした。

 食べ終わり、外へと出る。暑い日差しが二人に降り注ぐ。
「涼しい喫茶店からの落差がひどい……」
「うむ……」
「こんなに暑いのに、神楽小路くんはご飯も食べずに授業受けようとしてたんだよ? ほんと危ないよ」
「……悪かった」
「夏休みもちゃんと三食食べて、水分補給も忘れないように気をつけてね。あと、ちゃんと寝ることも大切だからね」
 母親よりも母親みたいなことを言う佐野に神楽小路はただただ黙って頷いた。
「わたしはこのままバス乗り場行くよ」
「ああ」
 簡単に返事をして、神楽小路は芸坂の方へ歩きだす。すると、
「神楽小路くん!」
 振り向くと、佐野は両手を口に添えると、
「九月からもよろしくね!」
 そう叫ぶと、走っていってバスに飛び乗った。彼女が乗ると、すぐにバスは動き出し、立ち尽くしている神楽小路の前を通り過ぎていく。佐野が窓越しに小さく手を振っているのがほんの数秒見えた。神楽小路は自分でも気づかないうちに小さく手を挙げていた。
(やはり佐野真綾といると調子を狂わされる。俺が俺じゃなくなってしまいそうになるのを、必死にこらえている。心の半分以上、いや俺のすべてをあいつに持っていかれそうだ)
 ゆっくり下ろした手を見つめる。
(しかし、佐野真綾になら持っていかれてもいい。この感情はいったい何なんだ)
 理解できない感情に戸惑いながら、大学一回生の前期日程が終わった。
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