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第二話 紅梅

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 ……興味。そのワードがひっかかった。なんだか、彼の言葉にはやけによく出てくる気がする。飴と果実をかみ砕きながら、彼の発言を思い出す。
 程将軍の相手としての興味。純愛に興味……。そこでふと、今朝の彼の言葉を思い出した。

「……『紅梅』は、君みたいな子だったのかもしれないな」

 紅梅といえばきっと男妓の名前だろう。兄さんたちの名前はもれなく花の名前だ。彼が興味があるもの、それは俺というより……俺を通して見た誰か。それは程将軍だったり、「紅梅」だったりするのではないだろうか。程将軍については、商売の関係なのかもしれない。では「紅梅」は?

「……紅梅って、誰ですか?」
 気付けば聞いていた。彼は驚いたように俺を見て、ふっと眉を下げた。それは今までに見たことのない表情で。妙に不安げな、寄る辺のない子どものような表情に思えた。
「……ああ、紅梅か。紅梅はね……私の父の、たぶん……想い人、だ」
「え……」
 ……父? 意外な答えに驚いた。しかし確かに、彼は「紅梅」には会ったことがなさそうな口調だった。
「お父さんの?」
 聞き返すと、うん、と頷く。
「父は、三ヶ月前に亡くなった。寒い冬の朝だった。その日は雪がひどくてね、荷馬車が道で立ち往生してしまった。父はどうしても積み荷の様子を見に行きたいといって家を出て…。そこで倒れた。もともと、心の臓がよくなかったから」
 苦しげに眉を寄せて語る。ヒートショックというやつだろうか。昨日俺が胸を押さえて苦しんだとき、彼は父のことを思い出したかもしれない。手元の茶碗を引き寄せて口元に運び、ため息をついて、彼は言った。
「駆け付けたときはもう息を引き取る間近で……。最後に呟いた言葉が『紅梅に』だった」
「紅梅、に」
 紅梅を、ならば、「見たい」かもしれない。けれど「に」ということであれば人かもしれない。
「うちは本拠地は西流だが、この街でも代々商売をしていた。20年前……あの出来事があるまでは」
 西流とは、この州の州都らしい。そして、あの出来事。真波さんが言っていた事件だろう。妓楼の人々が殺され、それに乗じて隣国から侵攻があったという。そのせいで、ここは壊滅的打撃を受けた。
「この町の商店のほとんどは、うちと取引がある。鶴汀楼とも懇意にしていたはずだ」
「なるほど……。だから、『紅梅』は鶴汀楼の男妓だと?」
「ああ。しかしどうも違うらしい」
 洸永遼は肩をすくめた。
「鶴兄さんに聞いたところ、紅梅という男妓は確かにいた。しかし150年前、鶴汀楼の創業時だという。いくら父が年だったとはいえ、150年前じゃ会うことはできない」
「そうですね……」
 創業時の男妓。今でも名前が残っているということは、きっと伝説的な存在なんだろう。
「でも、紅梅という名前の男妓は、その人だけってことはないでしょう?」
 すると洸永遼は首を横に振った。
「いや。その人だけなんだ。彼は鶴汀楼の栄華を築いた功労者でね。その功績を重んじて『紅梅』だけは今でも名乗ることができない名となっている。この街の妓楼は、どこも鶴汀楼から分派したものだから、『紅梅』はどこにもいないんだ」
 なるほど、永久欠番というわけか。そしてこの街の妓楼がすべて鶴汀楼の流れを汲むというのも初耳だ。
「そうなんですね……。でも、想い人だっていうのは、どこから」
 洸永遼は目を伏せて、茶碗を手で包み込む。そして低い声で続けた。
「父の遺品から、押し花が見つかった。紅梅のね」
「押し花……」
 ふう、とため息とともに続ける。
「それを見つけたとき。母は冷ややかに『捨てておしまいなさい、そんなもの』と言った。ちなみに母は、父の遺した言葉は聞いていない。だからこそ、なにか知っていると思うのは。……関連づけるのは、考えすぎかな」
 夫の遺品の押し花を捨ててしまえという妻。たしかにそれはおかしい気がする。けれどその理由を聞く訳にもいかないのだろう。
「もちろん、それだけじゃないよ。父は几帳面な質でね。……古い帳面を整理していたら、予定の中に『紅梅』の文字があった。結構な頻度で会っていたようだ」
 そして洸永遼は目を伏せた。長いまつげがわずかに揺れている。
「父は……堅い人間だった。程将軍のようにね。酒も女も賭け事にも、縁がなかった。だからこそ、気になるんだ。押し花の相手が」
 初対面の洸永遼の印象は決していいものではなかった。けれど今、目の前で父を思い、哀切な表情を浮かべる彼には好感が持てた。衝動的に、俺は言った。
「僕……探してみましょうか」
 そう言うと、彼は驚いたように目を見張った。
「って言っても、僕にできることなんて、限られていますけど」
 俺の言葉に、首を横に振って、ふわりと笑う。
「ありがとう、頼むよ。わからなくてもかまわないから」
 こんな俺でも、人の役に立てることができるなら。元気よく頷くと、彼も頷き返し、手元の飴を取って俺に差し出した。
「今度はもっと美味しいものをごちそうするから」
「これで十分です」
 そして俺は、甘酸っぱい山査子飴を堪能したのだった。
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