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7.カミ
しおりを挟むまた体育館に行くのか、と思っていたが舩橋が俺を連れてやってきたのは学校とは真逆の方向にある公園だった。
近くに幼稚園や保育園があるせいだろうか、割と広い公園だ。すべり台とかブランコとか、どう遊んでいいのか分からない動物の置物みたいなのとか、そういう定番の遊具に混じって、巨大な巻き貝みたいなオブジェが、公園の中心でドデンと存在感を放っている。
この巻き貝も、大概どう遊べばいいのか分からない物体だが、この公園の象徴的な感じなのだろう。ただ、やたらにスプレーで落書きされていて、黄色いテープが周囲に張られて立ち入りできないようになっている。
「次の悪魔はここにいる」
「いるの!?」
またケチャップで魔法陣でも描くのかと思っていたが、そうではないらしい。
「見て、テープで封印されてるでしょ?」
「いや、あれ多分立ち入り禁止のやつ」
「高等な上代の理論に基づいた術式が使われてるわね……」
公務員が条例に基づいて張ったテープだと思うけども。
「でも! わたしなら解ける!」
そうだな、倫理観を吹っ飛ばせば俺でも解けるわ。
ここにこれがあるし、と舩橋はポケットをまさぐりだした。こいつ、お通夜にハサミを持ち込んで……? 銃刀法違反やぞ、と思っていたら、取り出したのは意外やサインペンだった。
しかも茶色だ。多分、12本ぐらいセットで入ってるやつの一本だろう。
「本当は血を混ぜたインクと羽ペンが必要なんだけど、ないから」
また代用品かよ。血がトマトに変わったみたいに、変な風に悪魔目覚めないだろうな?
「血って時間経ったら茶色くなるし、イケるでしょ。それに茶色余ってるし」
そうだよなあ、茶色ってほぼ使うところないもんな。木の幹くらいか。それ以外の用途だと、うん……ここではよそう。
「じゃあ、これで封印を解くから、生贄は待機しておいて」
言い置いて、舩橋は巻き貝オブジェに向かっていった。
ザコだの生贄だのと言われても、しっかり待ってしまうのだから俺も人がいいというか、気が弱いというか。我ながら嫌になる。
そもそも、ここにいたら出てきた悪魔が牧口さんを殺した場合にも共犯になってしまうじゃないか。二人殺したら死刑だぞ……、いや未成年だから大丈夫か。全然大丈夫ではないが。
「なあ……」
地面に這いつくばるようにして、巻貝オブジェの下の方から、茶色いペンで何かミミズがのたくったみたいな模様を書き込んでいる舩橋に尋ねる。
「どんな悪魔が封印されてるんだ? 牧口さんも殺してもらうのか?」
「ここに封印されてんのはね……、コワコワース様っていう悪魔なの」
また変な名前だな。どうせあらゆるものを破壊する的なヤツなんだろう。
「よく分かってんじゃーん、せーかい!」
振り返って、舩橋はこちらに人差し指を向ける。悪魔をどうこうしようという時の舩橋はやたらにエキセントリックだ。いや、こっちが素なのかもしれんが。
「コワコワース様ってね、あらゆる人間の精神を恐怖で破壊するの」
「壊す」と「怖い」がかかってるんだな、なんて上手いネーミングだ、なんて思うか! 駄洒落かよ!
「だからね、マキグソは殺すんじゃなくて、精神を破壊してやろうって。だって、あいつはわたしを殴ったり蹴ったりするんだもの」
クフフフ、と変わらぬ安心のキモさで笑ったが、俺が慣れたせいなのかもうあまり嫌悪感はなかった。
舩橋の作業は巻貝の下の方から、螺旋階段を上るようにどんどん場所を上の方に移している。それに伴って、舩橋の姿勢も這いつくばった状態から中腰を経て、今は立って描いている。
「こうやってペンで描いてるとさ、幼稚園の時を思い出すよね……」
背伸びして模様を描きながら舩橋はぽつりと言った。
「幼稚園の時だったらペンじゃなくてクレヨンだろ」
「わたしのとこはペンだったの」
舩橋はオブジェの中に入っていった。中には階段があって、頂点の方に上れるようだ。巻貝の中腹辺りからひょっこり顔を出して、舩橋は作業と話を続ける。
「あの頃はさ、よかったよね。こうやって落書きしてるだけで何とでもなったし」
幼稚園の頃に帰りたい、とでも思っているのだろうか。そう言えば、ここに来る前に幼稚園を見掛けたが、舩橋はあそこに通っていたのかもしれない。
「どんどん色んなことが複雑になって、ごちゃごちゃして、差がついて……。気がついたら、落書きと同じくらいに安っぽい世界の中にいて」
どうだよザコ二号、と舩橋はこちらを見下ろした。いや、俺のことかよ。安っぽい世界の中にいるのは。
「悪魔なんていらない高級な映画を生きてる連中がさ、踏みにじってくんの。笑いながらさ」
モブで、フナムシで、ベンジョムシで、凸凹で。それを均すようにグリグリと。二度と立ち上がって来ようが来れまいが、どっちでもいいと言うように。
「そんで歌ってんだよ。明日もきっといいことがある、って。生きていればいいことがあるって」
馬鹿にしてんの、と舩橋は吐き捨てた。
「そんなもん、お前らだけの幻想だろ。それをお前らが取り上げてんだろ――」
だ、か、ら。
舩橋はそう噛みしめるように言って、巻貝の上から飛び降りた。ふわりとスカートがめくれ上がったが、中身は見えない。見ずに済んだ。ありがとう、暗闇。ずっと夜でいいのに。
「そいつらを抹殺するためにも、悪魔を呼ぶわよー」
ひひひ、と舩橋は、耳まで裂けそうなくらいに大きな口をあけて笑った。闇の中で矯正器具の銀色が鈍く光っている。
思ったよりもしなやかな着地を見せたので、絵本の挿絵の猫を思い出した。それこそ幼稚園の頃に見た、ピンクの体の毒々しい猫だ。あれは、なんだったかな。
「ほら、生贄下がって下がって」
ここまで、と俺を脚で引いた線まで押しのけるように下がらせ、舩橋は前の体育館の時と同じように、低い声で何かを唱え始めた。
相変わらず呪文が似合う。この世のすべての陽キャに呪詛を唱えるために生まれてきたような声だ。
「……甦れ、悪魔コワコワース!」
深夜の公園に舩橋の声が響き渡るや否や、落雷のような音が辺りに鳴り響き、巻き貝のオブジェに描かれた紋様が輝き始めた。
稲妻が巻き貝の下から紋様をなぞるように走り、青白い光の束となって空へと噴き上がる。
そして光が晴れ、地鳴りと共にそれは姿を現した。
意外や、その姿は人間のようだった。それも、ギリシア彫刻のような整った顔立ちの。金色の長髪に均整のとれた筋肉質なプロポーション、それを惜しげもなく晒している。そんな、5メートルほどの大男だった。
「よ、蘇ったああぁああ!」
舩橋のテンションの上がりようがすごい。トマトマトの時とはちょっと質が違う。まあ、ハロウィンカボチャ(カボチャではない)よりも、イケメン巨人の方がぶち上がるよな。
そのイケメン巨人は、何やら白い椅子に座っている。背もたれはなく、金属の棒が左右から2本伸び、男の頭の上でL字に曲がっていて骨組みみたいになっていた。悪魔って変な椅子に座ってるもんだなあ。
腿の上に膝掛けのようなものを載せて腰の部分が隠れているが、膝から下が丸出しなので、きっとあの布の下も裸であろう。
『私の名は……』
お、名乗る。前回からしてここが問題なのだ。頼むぞ、コワコワースであってくれ。
『ハラコワース……』
ん? 何か違う。コワコワースよりもピンポイントで人体の一部狙いのような……。
『魔界で1000の便器を詰まらせし者、ハラコワース……』
やっぱり! てかハラコワースって、腹壊すってことか! それで、便器を!? すごい出すってこと!?
そこで、グルルルル、と獣の唸り声のような音が響いた。何だ? と思っていたらハラコワースがお腹を押さえた。
『うう……、お腹痛い……』
大丈夫かこいつ!? 俺はチラッと舩橋の様子をうかがう。トマト頭を最後までブラブラッドと誤認していたこいつでも、いくら何でもこんな情けない……。
「流石はコワコワース様! 魔界でそんなに沢山の便器を壊して、封印されてしまったのね!」
勘違いしてる! やっぱりな! むしろ安心感あるわ! というか、便器ばっかり壊してる悪魔、ただの迷惑だろ!
「あら? 便器を壊すことで他の悪魔に精神的な恐怖を与えるコワコワース様の深謀! ザコ二号には分からないようね!」
どんだけ都合のいい解釈をするんだよ。小学生の時の同級生の水野は、いつだったか「都合のいい女ばかりが男に好かれる」と言っていたが、舩橋に関してはその都合の良さが怖い。
『うう、少し失礼しますね……』
目の前のコワコワースではない腹痛悪魔は、その美しい顔に似合わない凄まじい破裂音を立てながら大きい方を垂れている。深謀は知らんが、辛抱はできてないな。コワコワースじゃなくハラコワースだから仕方ない、ってか?
『紙、紙……』
そう呟きながらハラコワースは頭の上に手を伸ばす。L字に曲がった金属の棒のところで何度も手を動かしている。
『あ、あれ……? もしかして、紙切れ……?』
あ、もしかして普段はあの金属の棒の間にトイレットペーパーを挟んでるのか。封印されている間に使い切ったのか?
『おお、何ということでしょう……。紙がないと、お尻が拭けません……』
両手で顔面を覆って、ハラコワースは絶望的な声を上げる。いや、マジ弱々しいな!
「あんた、ちょっとコワコワース様のトイペになりなさいよ?」
「無茶苦茶言うな! お前がなれよ!」
舩橋の無茶振りに、流石に俺は言い返した。何が悲しくて悪魔の肛門に突っ込まれないといけないんだ。
というか、こいつはコワコワース様が公衆の面前で脱糞した上に紙がなくて泣いちゃうような悪魔でいいのか。
「ちょっと抜けてるぐらいが可愛いのよ! あんただってどうせドジっ子とか好きなんでしょ?」
「好きだけど、このギャップは無しだろ!」
美少女でも大きい方は無理だ。小さいのなら、まあ……。
「グダグダ言ってないで、生贄としての務めを果たしなさいよ!」
「何でだよ! つーか紙だろ? 紙ぐらいお前が渡せよ! 持ってるだろ、ティッシュぐらい!」
「は? 女子が全員ティッシュ持ってると思わないでくれる?」
開き直んな! 持っとけよ! 清潔感がないからいじめの標的になるんじゃないのか!
俺は奇跡的に持っていた。いつもハンカチは持っているのだが、ティッシュは稀だ。ポケットに入れたまま洗濯すると悲劇が訪れるので持たないようにしている。今日だけは、もしものためにと母親が持たしてくれたのだ。
まあ、母親が想定した「もしも」は多分、息子がクラスメイトのお通夜で泣いちゃった時のためだろう。まかり間違っても、悪魔の尻を拭くためではない。
「あ、あのハラコワース、様?」
俺はポケットからティッシュを取り出して、恐る恐る話しかけた。コワコワースよ、と舩橋がにらんできたが無視する。
『あ、ああ、人間の人……。放置して申し訳ありません。どうしましたか?』
ハラコワースは目尻を拭って気さくに応対してくれた。人(?)のいい悪魔だ。
「よかったらこれ……。小さいですけど……」
俺の差し出したティッシュを見ると、ハラコワースの表情がパッと明るくなる。
『おお、カミよ! 感謝します!』
悪魔らしからぬことを言ってハラコワースはその大きな指で俺の差し出したティッシュをつまみ上げた。どういう理屈か、ポケットティッシュはグングン大きくなって、巨人の尻をふけるサイズにまでなった。
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