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マッコイ編
96.戦乙女の旗
しおりを挟むフィオとクロエはマッコイの路地裏を急いでいた。ルイーズの手引きで、フィオは既に鎧を調達し身にまとっている。
「……ダンケルス」
「何だ?」
走りながら、クロエは不意にフィオに呼びかけた。
防具屋へ向かう途中、鎧を選ぶ間、ルイーズから情報を得て彼女と別れて今まで、両者の間に会話はなかった。
「お前は何を、考えている?」
「目的は話した通りだ。武闘僧隊にも協力を要請する」
あの巨大魔獣を相手にするには、冒険者たちだけでは手に余る。だが、フィオにはもう一つ考えがあった。
「あんな魔獣が出現したというのに、終わった後『何もしていませんでした』では、武闘僧たちも後々の身の振り方に困るだろう」
さっきもそう言ったはずだ、とフィオは続ける。
「とは言え、それをボクが訴えても彼らは耳を貸すまい。何せ、怨敵であるダンケルス家の人間だからな。武闘僧たちに言うことを聞かせるなら、神殿の大祭司代理であるお前の力が必要なんだ」
「そういうことを聞いているわけじゃない」
クロエは焦れたように言い、前を行くフィオに並んだ。
「わたしはお前を拷問していたのだぞ? 何なら、あのまま殺すつもりだった。お前の仲間も罠にかけ、謀殺するところだった。それなのに、どうしてそこまで考える? 何か恩を売ろうと言いつもりか?」
「お前が、地下でボクらを助けてくれたからさ」
クロエの方を振り返らず、フィオはそう応じた。
「ボクを回復させ、エッタを守り、ザゴスに強化魔法をかけた。お前がいなければ、デジールを退けることはできなかっただろう。理由なんて、それだけで十分だ」
「……甘いヤツだ」
クロエはフィオから顔を背ける。こちらを向いていないその顔をも、見られないと言うように。
「まるでわたしの姉のようだ。楽天的で、大げさで、純粋に女神を信じ、勇者を信じ、わたしを信じ……」
「さすがに、カタリナよりは捻くれているよ」
「変わらんさ。わたしからすればな……」
二人はマッコイの街の西、港よりに位置する「大海の鯨広場」へと足を急がせる。ルイーズの情報によれば、そこに大半の武闘僧隊が集結しているらしい。クロエによれば、有事の際「戦の神殿」が使えなかった場合の臨時の待機場所の一つだという。
入り組んだ路地の向こうに、鯨の石像のある広場が見えてくる。その手前で、クロエはふと足を止めた。
「どうした?」
石像の周りに見覚えのあるバケツ兜の一団がたむろしているのが見えた。行かないのか、と問いかけて、フィオはクロエが錬魔を始めていることに気付く。
「奥の手だ」
何の魔法だ、という問いにクロエはフィオの方を向かずに応じた。
「できれば、使いたくはなかったがな……」
◆ ◇ ◆
「大海の鯨広場」に集まった武闘僧たちは、およそ30名。街中で探索に出ていた者たちの、およそ半分であった。
残りの連中は逃げ出したか、と警邏隊を取りまとめる武闘僧のピートは歯噛みした。
ここに集まった武闘僧の中で、最も位が高いのがこのピートであった。それ故に、混乱する隊員たちの怒りや戸惑いといった感情を一手にぶつけられていた。
「だから、とっととあの魔獣を倒しに行きゃいいだろ!」
「いいや、ダメだ! 神殿からの指示を待った方がいい!」
「神殿の指示って、崩れたって聞くぞ! 中にいた連中なんて死んでんじゃねえのか?」
「死んだと言えば、パブロ副長は本当に殺られたのか?」
「オリヴァー班の連中は見当たらないし、死んだと考えた方が……」
「そんなわけがない! パブロ副長を誰が殺せるっていうのさ!?」
「だからダンケルスだろ! あの魔獣も、連中の差し金に違いない!」
「いや、実際魔獣なのかアレは? 女神の怒りなんじゃ……」
「はァ? 何にお怒りだって言うんだよ!?」
「それはわかんないけど……、神官とかに聞いた方が……」
「神官が何の役に立つんだよ! 全員とっくに逃げ出してるか、死んでるだろ!」
落ち着け、整列しろ! とピートは何度も訴えたが、誰も聞く耳を持たない。
こんな時に、パブロ副長やキケーロ隊長はどこへ行ってしまったのか。
死んでしまった、とはピートは考えていなかった。とにかく、隊長たちがやってくるまで、自分がここを押さえねば……。
にわかに、広場の中の武闘僧達に緊張が走る。ピートはそれに気づき、背後を振り向いた。
広場に通じる一番細い路地を抜けて、見覚えのある女がこちらに歩いてきていた。
「クロエ、大祭司代理……?」
時ならぬ教団の最高指導者の登場に、ピートは目を剥いて整列の号令をかける。だが、武闘僧のほとんどがそれに従わない。
「おいおい、今更何しに出てきやがったんだよ?」
「役に立たないお飾りの小娘が、こんなとこに何の用だ?」
「おい、やめな。大祭司代理だよ?」
「はいはい、大祭司代理様ね。でもな、あんな女が何してくれたってんだよ!」
武闘僧たちの、神官たちへの不信感は強い。
あれだけ持ち上げていたタクト・ジンノを「あれはニセ勇者だった」と即座に認めたことが、血気盛んな彼らには、簡単に屈してしまった臆病者のように見えているのだろう。
キケーロとパブロの両隊長が、その雰囲気を煽っていたのもそれに拍車をかけた。
(そもそも勇者が偽物に落ちたのは、クロエ大祭司代理の姉・カタリナが、その責を果たせず、勇者を導かなかったのが原因だ)
ここまで対立を煽るのには、何か別の意図があるのではないかとピートなどは勘繰っているのだが、多くの末端の構成員たちは煽られるがままに神官たちを批判し、バカにしていた。
とりわけ、両隊長に名指しされたクロエ大祭司代理への風当たりは強い。さすがに病床に伏すセシル聖を悪しざまに言うものはいなかったが、その分の批判の矛先が彼女へ向いているようだった。
その大祭司代理が、この混乱を極めた巷で自分たちの前に姿を現した。
危険だ。ピートは冷や汗をかく。これまで自分に向けられてきた鬱憤が、一気にクロエ大祭司代理に襲い掛かることになる。大きな津波のように、彼女を飲み込んでしまう。
その時は盾にならねば。ピートの棍を握る手に力が入る。
彼は見ていた、昨日キケーロ隊長が、クロエ大祭司代理を誤って棍で突いてしまった時の狼狽えようを。口では何と言おうと、やはり大恩あるセシル聖の娘、キケーロ隊長の内心は複雑なのだ。
武闘僧たちの間に募る不満を、クロエ大祭司代理もご存知なのだろう。だから、「不満はこちらにぶつけるように誘導してください」などと彼女は言ったのかもしれない。
そんな想像を裏打ちするかのように、自分に投げかけられる罵声も、すべて飲み込んでやるというような足取りで、クロエはこちらに近付いてくる。そのたゆまぬ様に、さすがの武闘僧達も声が小さくなってきた。
広場中央の鯨の像の前に立つと、クロエは両手を広げて居並ぶ武闘僧達を見渡した。
「みなさん、どうか静粛に」
風の魔法で増幅された声が、広場にこだまする。澄んだその声音が吹き抜けて、武闘僧たちは、完全にその口を閉じた。
「今、わたしがここに立っていることを、みなさんは不審に思っているかもしれません。けれど、それはみなさんにお伝えしなければならないこと、そして力を貸してほしいことがあるからなのです」
ひとりひとりの顔を覗きこむように、ゆっくりとクロエは武闘僧たちを見渡した。
「お伝えしなければならないのは、とても悲しいこと。キケーロ兄とパブロ兄のことです」
ここで「兄」という尊称をクロエが付けたことに、武闘僧たちの間にざわめきが走る。
兄弟姉妹という呼び方は、神官同士でなされるものであった。自分より目上や年かさの神官に対して「兄」や「姉」をつける。
武闘僧は、僧という呼び名からわかるように本来は神職であった。だが、現在の武闘僧隊の隊員のほとんどは俗人の一般信者である。人員の確保のために、数年前に基準が「戦の神殿」への帰依のみに緩められたためだ。
そんな状況であるが、さすがに隊を束ねるキケーロとパブロの両名だけは按手を受けて神官となっていた。一般信徒とは大して違わない末席であるが。
その二人を、現在「戦の神殿」で最高位にあるクロエが「兄」と呼んだ。これは、大祭司代理という立場をさておいて、年かさの二人を立てた呼び方であった。
「二人が殉教したこと、伝え聞いている方もいるかもしれません」
先ほどとは比にならない程の大きな波が、武闘僧たちの間で起こった。悲鳴混じりのどよめきに、クロエは悲しげに首を横に振った。
「事実です。キケーロ兄とパブロ兄は、最後まで『戦の神殿』のために力を尽くし、女神の兵として戦い、死んだのです。我らが女神の真なる敵、秘密結社『オドネルの民』と――」
涙ながらの、クロエの語りが始まった。
そもそも、あの勇者タクト・ジンノは、「オドネルの民」が「戦の神殿」を貶めるために用意した偽物であったこと。
それに気付いたフィオ・ダンケルスが、タクト・ジンノを打ち倒したこと。
「オドネルの民」はその報復のために、フィオ・ダンケルスを滞在していたバックストリアごと亡き者にしようと襲撃したこと。
襲撃を生き延びたフィオ・ダンケルスへの更なる攻撃として、「オドネルの民」は「戦の神殿」を利用しようとしたこと。すなわち、支援者であるゲンティアン・アラウンズを暗殺し、その罪をフィオに着せ、元々関係や対感情の良くなかった「戦の神殿」に、その始末をさせようとしたこと。
「しかし、その恐ろしい謀略に気付いてくれたものがいました。そう、それこそがキケーロ兄とパブロ兄なのです」
企みに気付いた両隊長は、捕らわれていたフィオ・ダンケルスの身柄を神殿の地下に密かに確保していたこと。
「オドネルの民」はそれを嗅ぎ付け刺客を放ち、両隊長は命に代えてそれを撃退したものの、敵の卑劣な策略により巨大な魔獣が呼び出され、「戦の神殿」は崩壊してしまった。
「なんと……」
ピートは言葉が出なかった。クロエ大祭司代理の言葉は、胸に染み入るように響き、その悲しみが直接心に傷をつけるかのようだった。
「我々は、騙されていたのです。それを正してくれたのが、キケーロ兄とパブロ兄の両隊長でした。そればかりでなく、その命を賭して……。なのに、わたしは――」
泣き崩れるクロエを、責めようという声は最早上がらなかった。
「クロエ様……! 顔を上げてください!」
「そうです、まだ我らがいます!」
「あの魔獣を倒すのですね? そうだと言ってください!」
「隊長たちには足りないけれど、あたしたちだってやれるんです!」
クロエ様、とピートは彼女の前に進み出る。
「自分は、警邏隊を取りまとめますピートと申します」
「……ええ、存じていますわピート。昨日は上級魔法に巻き込まれ、大変でしたわね」
覚えてくださっていた、とピートは頬を紅潮させる。
「是非、命じてください。我々に、あの魔獣を打倒し、このマッコイの街と『戦の女神』の名誉を命に代えても守れ、と……!」
クロエは涙をぬぐい、ピートの手を取って立ち上がった。
「ありがとう、ピート。そして、ここにいるみなさんも。あなた達こそが、女神の剣、悪しき者を打ち倒す力――。それを振るってくださいますね?」
棍を振り上げ、武闘僧たちは歓声をもってそれに応じた。
「では、行きましょう。みなさまに、『戦の女神』の加護がありますように」
大した手腕だな。
影から様子を見守っていたフィオは舌を巻く。
虚実織り交ぜたその事情説明――というか演説は、実際にその当事者であるフィオですら、本当はそうだったのかもしれないと錯覚させるほどであった。
「これが奥の手か?」
ピートを先頭に、「戦の神殿」方面へ武闘僧隊が突撃していったのを見届けてから、一人残ったクロエにフィオはそう声をかける。
「そうだ。戦乙女之旗という古代魔法だ」
魔王の出現よりも遥か昔、このフォサ大陸で戦乱が絶えなかった頃、兵士を戦場に送り込む際に使われていたものだという。
使用者の言葉を魔法で増幅し、戦いへと駆り立てる。かつては広く使われた魔法であったが、適切に言葉を選ばねば効果が発揮できないという点で使い勝手が悪く、また人を操るという点が「邪法」とされたために、現在では完全に廃れていた。
「恐ろしい魔法だな。そんなものがあるなら、信徒や武闘僧の不満など簡単に押さえ込めたんじゃないのか?」
「効果は一時的なものだ。すぐに我に返るし、勘の鋭いものは魔法を掛けられたという実感を得る。長期的な計画には向かん」
そうなった時、操られたという感覚は不信感にとって代わる。混乱の中でも残った武闘僧たちだ、そんな彼らが不信を抱けば、「戦の神殿」を今まで通り運営していくのは至難の業であろう。
「だが、その時には……」
ちらりとクロエはフィオを見やる。
「絞首台の上、か」
クロエを衛兵隊に突き出せば、彼女らの国家転覆の企みが明るみに出る。王家への反逆はもれなく死罪だ。
「我らカームベルト家の次に大祭司職を継ぐ家が、苦労するというだけの話だ」
平然とクロエは言ってのけたが、その瞳に若干の揺らぎをフィオは見てとった。
「先のことは先のこと、か」
「そうだ。ともかく、今はあの巨大魔獣だろう」
フィオとクロエも、武闘僧たちを追うように「大海の鯨広場」を後にした。
応援ありがとうございます!
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