亡くなった夫の子を妊娠した

なんぷぅ

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亡くなった夫の子供を妊娠した~ループする妊娠~

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第一章 毎晩、帰ってくる人

花田美智子、三十五歳。
夫が死んでから、一年が経った。

命日を過ぎるころには、悲しみも一段落していた。
泣かなくなった、というより、泣き疲れた。

なのに――
夜だけは、終わらなかった。

「……また、来た」

時計を見る。午前二時三十二分。
毎回、ほぼ同じ時間。

閉め切った寝室に、煙草の匂いが滲む。
甘くて、少し苦い、夫の匂い。

次の瞬間、マットレスが沈む。

(ああ、はいはい。今日もね)

目を閉じたまま、美智子はため息をつく。
怖い、という感情はもう薄れていた。

むしろ――
来ない夜のほうが落ち着かない。

「ただいま」

声が、耳元に落ちる。

「……おかえり」

自分で答えてしまうのが、いちばん嫌だった。

夫は、夢の中では異様に元気だった。
死ぬ直前よりも、むしろ若い。

「最近さ」

そう言いながら、背後から抱き寄せてくる。
その動きは、生前と寸分違わない。

(身体が覚えてる、ってこういうこと?)

拒もうとする理性は、毎回遅い。
触れられると、思考が霧散する。

「冷たいよ、美智子」

そう言われるたび、
なぜか“責められている気分”になる。

(夢なのに)

夢なのに、
応えないといけない気がしてしまう。

夫の手は、愛撫というより
確認するように、ゆっくり動く。

まるで――
まだ使えるかどうかを、確かめるみたいに。

「大丈夫」

耳元で、低く囁かれる。

「ちゃんと、次につなげるから」

その言葉だけが、
毎回、妙に耳に残った。



第二章 朝に残るもの

目が覚めると、必ず身体が重い。

眠ったはずなのに、
何かをやり切った後みたいな疲労。

シーツを整えながら、
美智子は毎朝、同じことを考える。

(これ、ほんとに夢?)

ある朝、鏡の前で立ち止まった。

「あれ……?」

腹部が、ほんのわずかに張っている。

昨日より、確実に。

(気のせい。
 疲れてるだけ)

そう言い聞かせて病院に行く。
検査結果は、毎回「異常なし」。

医師は首を傾げるだけだ。

「数値上は、問題ありませんね」

問題があるのは、
数値に出ないところなのに。

夜になると、夢はまた始まる。

そのたびに、
夫の動きは少しずつ正確になっていく。

甘さが減り、
間違いがなくなっていく。

「今日は、早いな」

「効率がいい」

そんな言葉が、ぽつりぽつりと混じる。

(……何の話?)

問い返す前に、
夢はいつも深いところへ沈んでいく。



第三章 三日目の出産

三日目の夜。

夢の中で、美智子は立っていた。
寝室ではない。
どこか、白くて、広い場所。

身体が、異様に重い。

「……え?」

腹を見ると、はっきり分かるほど膨らんでいる。

「嘘……」

夫が、すぐそばにいる。

「ほら、順調だ」

その声は、嬉しそうというより、
確認が取れて安心したという調子だった。

次の瞬間、
美智子は床に座り込む。

痛みは、ほとんどない。

ただ、
何かが“外に出ていく”感覚だけがある。

生まれたのは、赤ん坊だった。

泣かない。
動かない。

ただ――
銀色の瞳で、美智子を見ている。

(……あなた、誰?)

問いかける前に、
意識が途切れた。



第四章 隣の家

目が覚めると、腹は元通りだった。

それなのに、体は異様に軽い。

(軽すぎる)

午後、インターホンが鳴る。

隣の空き家に、引っ越しがあったらしい。

ドアを開けると、若い女が立っていた。
腕の中には、生後間もない赤ん坊。

美智子は、その目を見て、
湯のみを落とした。

銀色。

昨日、見た。

赤ん坊は、美智子を見て、
ほんの一瞬、口角を上げた。

「可愛いでしょう?」

若い女は、屈託なく言う。

「不思議なんですけど……
 夢で、亡くなった旦那に授かった子なんですよ」

その瞬間、
美智子の中で、何かがズレた。

(……同じだ

第四章 夢のあとに残るもの

目が覚めたとき、美智子はしばらく動けなかった。

天井を見つめたまま、
呼吸だけを確認する。

(……戻ってきた)

夢から覚めた、という感覚よりも、
何かを終えて帰ってきた、という感じが強い。

身体が、妙に重い。
それでいて、内側だけが空っぽだ。

「……」

声を出そうとして、やめた。
喉がひどく乾いている。

布団をめくり、ゆっくり起き上がる。
その拍子に、腹部に鈍い違和感が走った。

(また……?)

鏡の前に立つ。

ぱっと見では分からない。
けれど、昨日より、確実に張っている。

「三日……だったよね」

夢日記を開く。

〈○月14日〉
白い部屋。
夫がいた。
何かを“取り出した”感じがした。
目が覚めたら、ひどく疲れていた。

赤ん坊のことは、書いていない。

(……書き忘れた?)

そう思おうとして、
胸の奥がざわついた。

忘れるような出来事じゃなかったはずだ。



その日の午後、隣の空き家に人が入った。

引っ越し業者。
段ボール。
生活音。

(タイミング、良すぎない?)

偶然だと自分に言い聞かせる。
けれど、夢日記の一文が、何度も頭をよぎる。

「次は、隣が動く」

(……言ってたよね)

誰が、とは書いていない。
でも、美智子は分かっている。

夢の中で、
夫が言った。



夜。

眠りたくなかった。

コーヒーを飲み、テレビをつけ、
無意味なバラエティ番組を眺める。

けれど、瞼は容赦なく重くなる。

(また、来る)

抵抗するほど、
身体が夢に引きずられていく。



寝室。

同じ場所。
同じ匂い。

「今日は、少し遅かったな」

夫は、すでにそこにいた。

「……来ないでって、言ったら?」

試すように言う。

夫は一瞬だけ、困ったように笑った。

「それは無理だ」

即答だった。

抱き寄せられる。
前よりも、力が強い。

(……近い)

距離が、縮まっている。
前は“夢の夫”だったものが、
だんだん“何か別のもの”に近づいている気がする。

触れられると、
頭がぼうっとする。

考えようとすると、
思考が途中で切れる。

(……これ、前も)

夫は、動きを止めない。
けれど、どこか慎重だ。

まるで――
微調整しているみたいに。

「美智子」

耳元で囁かれる。

「ちゃんと、覚えておけよ」

「……何を?」

「今夜のこと」

その言い方が、
ひどく事務的だった。

終わり際、
夫はいつもより長く、美智子を抱きしめた。

逃がさない、というより――
固定するみたいに。

「ありがとう。
 これで、安定する」



目が覚めたとき、
美智子は涙を流していた。

理由は分からない。

ただ、
何かを渡してしまったという感覚だけが残っている。

腹部に、はっきりとした重み。

(……進んでる?)

その日の夕方。

隣の家から、赤ん坊の泣き声が聞こえた。

昨日までは、なかった音。

美智子は、ベランダに出る。

カーテンの隙間から見えたのは、
若い女の腕に抱かれた、小さな影。

そして――
ほんの一瞬、こちらを向いた瞳。

銀色。

(……やっぱり)

胸の奥で、
点と点が、ゆっくり繋がり始めていた。

翌朝、美智子はゴミ出しの時間を少し遅らせた。

理由は単純だ。
隣の家と鉢合わせしたくなかった。

けれど、避けたところで意味はなかった。

門を出た瞬間、隣の家のドアが開く音がした。

「あ……」

声が重なる。

若い女だった。
昨日ベランダ越しに見た、あの女。

腕の中に、赤ん坊はいない。
その代わり、彼女の顔色はひどく悪かった。

「おはようございます」

形式的な挨拶。
けれど、互いに視線が外れない。

(……目の下、私と同じ)

思わず、聞いてしまう。

「眠れてます?」

一瞬の沈黙。

女は、ゆっくり笑った。

「ええ。
……夢さえ、見なければ」

胸の奥が、ひくりと鳴る。

「夢……見るんですか?」

「毎晩」

短い答え。

「亡くなったご主人が、出てくるんですよね」

女の笑顔が、固まった。

「……どうして、それを」

美智子は、もう誤魔化さなかった。

「私もです」

その一言で、空気が変わった。

女は、周囲を確認するように視線を走らせてから、小さく息を吐いた。

「……やっぱり、あなただけじゃなかった」

「“やっぱり”?」

女は、少し迷ってから言った。

「夢の内容、似てません?」



第六章 一致する細部

その日の午後。
美智子の家で、二人は向かい合って座っていた。

テーブルの上には、冷めたお茶。

「最初は、普通だったんです」

女は、ぽつぽつと話し始める。

「会話して、抱きしめられて……
 懐かしくて、安心して」

同じだ、と美智子は思う。

「でも、途中から……」

女は言葉を探すように、指を組んだ。

「愛されてる感じじゃ、なくなってきて」

「……確認されてる、みたいな?」

女が、はっと顔を上げる。

「そう。それです」

一拍。

「触れられるたびに、
 何かが抜けていく感じ、ありません?」

美智子は、黙って頷いた。

「終わると、ひどく疲れてるのに……
 お腹だけ、変なんです」

女は、自分の腹部に手を当てた。

「軽い日もあるし、
 逆に、重い日もある」

「……三日目、ありませんでした?」

女の目が、見開かれる。

「白い場所」

「痛みはないのに、
 何かが“出ていく”感じ」

「銀色の……」

そこまで言って、二人とも黙った。

言わなくても、分かった。

「……生まれましたよね」

女の声は、震えていた。

「夢の中で」

沈黙が、重く落ちる。

「私の家に、赤ん坊がいるのは……」

「あなたの夢の“あと”」

言葉にした瞬間、
現実味が一気に増した。



第七章 成長の速度

赤ん坊の成長は、異常だった。

隣の家から聞こえる音が、日ごとに変わっていく。

泣き声。
寝返りの音。
床を叩く音。

それが、数日単位で更新される。

「……歩いてる?」

ある朝、美智子はカーテン越しに見てしまった。

庭で、女が赤ん坊の手を引いている。
いや――引いていない。

赤ん坊が、自分で歩いている。

(まだ、一週間……)

その日の夜、夢の夫は言った。

「順調だ」

声に、満足が滲んでいる。

「何が……?」

「完成まで、もう少し」

その言葉を聞いた瞬間、
美智子の腹部が、きゅっと締まった。

触れられる。
重なる。

けれど今日は、
どこか急いでいる。

「間に合わないと困る」

夫は、そう呟いた。

「何に?」

答えは、なかった。



第八章 完成品

それから数日後。

隣の家の庭に、
見覚えのある後ろ姿が立っていた。

背丈。
肩幅。
立ち方。

(……嘘)

声をかける前に、
相手が振り向く。

「美智子」

その声で、確信した。

45歳の夫だった。

「……どうして」

喉が、ひくひく震える。

夫は、何でもないことのように言った。

「外でも、動けるようになった」

「……中、じゃなくて?」

「夢だけじゃ、足りなくなってきたんだ」

その瞬間、
美智子のスマホが震えた。

見知らぬアプリの通知。

《再誕フェーズ1 完了》
《安定供給を確認》

供給。

(……私たち)

視線を上げると、
夫は、美智子の腹を一瞬だけ見た。

「次も、頼むな」

それは、
お願いでも、脅しでもなかった。

手順の確認だった。

第十三章 署名の記憶

現実の朝は、夢よりも冷たかった。

美智子は、仏壇の前で正座していた。
線香の匂いが、妙に薄い。

(……契約)

夢の中で見た書類が、頭から離れない。
“再誕特約”。
あんな言葉、聞いた覚えはない――はずなのに。

仏壇の引き出しを、久しぶりに開ける。
通帳、保証書、古い保険の控え。

指先が、止まった。

薄い封筒。
保険会社のロゴ。
日付は――夫が亡くなる三週間前。

中身は、生命保険の約款だった。
表面は、ありふれた内容。
死亡時の給付、受取人、美智子の名前。

だが、ページをめくると、紙質が変わる。

最後の一枚。
裏面。

『特約:再誕』

本契約は、被保険者の人格情報を保存・再構築する。
再構築に必要な媒体は、受取人を含む複数名とする。
媒体の同意は、署名をもって成立とする。

署名欄。

そこには、自分の字があった。

震えた手で、名前をなぞる。

(……書いた)

思い出したくない、曖昧な夜。
夫に言われるまま、
「難しいことは分からないでしょ」と笑われて。

(……私、納得してない)

でも、署名はある。

契約は、成立している。



第十四章 解約条件

その夜、アプリが再び通知を鳴らした。

《再誕フェーズ2 準備中》
《供給源の再編成を開始します》

再編成。

(……切り替える、ってこと)

画面をスクロールすると、
今まで表示されていなかった項目が現れた。

《契約内容》
《進捗》
《供給履歴》
《――解約》

指が、止まる。

(……ある)

恐る恐る、タップする。

画面が暗転し、
注意文が表示された。

《解約には条件があります》

・供給源本人による申請
・再誕体が“未完成”であること
・申請と同時に、供給源の機能を停止すること

停止。

(……私が、止まる)

次の行を読んで、
息が詰まった。

※解約が成立した場合、
再誕体および関連データはすべて破棄されます。

破棄。

(……一緒に、消える)

その夜の夢は、いつもと違った。

寝室ではない。
白い空間でもない。

ただ、何もない場所。

夫は、少し離れたところに立っていた。

「見たか」

責める声ではない。
確認する声。

「……解約」

夫は、頷いた。

「できるよ」

あまりにも、あっさり。

「ただし」

一歩、近づいてくる。

「完成前だけだ」

「……今は?」

夫は、美智子の腹を見た。

「ギリギリ」

その言葉で、
すべてが現実味を帯びた。



第十五章 逆算

翌日、美智子は隣の女に会った。

彼女は、明らかに衰えていた。
肌の艶がなく、動きが鈍い。

「……次、ですよね」

女は、静かに言った。

「私が、使えなくなったら」

美智子は、否定しなかった。

否定できなかった。

「ねえ」

女が、ぽつりと言う。

「夢の中で、
 旦那さん、最近……冷たくないですか」

思い出す。
数値。
完成度。
供給。

「……うん」

「私、思ったんです」

女は、笑った。
それはもう、諦めに近い笑いだった。

「これ、愛じゃないですよね」

美智子は、はっきり答えた。

「契約」

その言葉を口にした瞬間、
胸の奥で、何かが固まった。

(……だったら)

契約なら。
条件がある。

完成前。
未完成。

(……完成させなければ、いい)

その夜、夢の中で夫は言った。

「次で、仕上げる」

美智子は、初めて拒まなかった。

ただ、
計算した。

時間。
回数。
進捗。

そして、
解約条件。

(……次が、最後)

それは恐怖じゃなかった。

決断だった。


第十六章 わざと、ズラす

その夜の夢は、始まりから違和感があった。

寝室は同じ。
位置も、距離も、いつも通り。

――なのに、
美智子はすぐに応じなかった。

「……今日は、少し待って」

初めて口にした拒否ではない。
けれど、初めて“意図して遅らせた”。

夫の動きが、一瞬止まる。

「どうした」

声は低い。
感情は、ほとんど乗っていない。

「体が……重いの」

嘘ではない。
だが、本当の理由でもない。

(……ズラす)

夫が近づく。
触れられる。

美智子は、わざと呼吸を乱した。
タイミングを外す。
反応を遅らせる。

ほんの数秒。
それだけで、夫の指が止まった。

「……進捗が、落ちる」

それは、文句ではなかった。
報告だった。

「今日は、ここまでにしよう」

夫が、そう言った。

美智子の腹部に、
いつもの重みは来なかった。

(……いける)

夢が終わる直前、
夫は初めて、不機嫌そうに言った。

「次は、調整する」



第十七章 完成を遅らせる方法

現実の朝。

腹部の違和感は、ほとんどない。

美智子は、アプリを開く。

《進捗:83%》
《前回比:-2%》

下がっている。

(……本当に、数値なんだ)

その日から、美智子は“方法”を試した。

夢の中で――
すぐに応じない。
反応をズラす。
集中しない。

夫は、少しずつ苛立っていく。

「無駄だ」

「最適化される」

「君の状態も、計算済みだ」

それでも、
進捗は一気に進まなくなった。

隣の女は、日に日に弱っていく。

「……私、そろそろですね」

そう言って、笑った。

「美智子さんは……まだ、粘れそう」

その言葉が、
なぜか重かった。



第十八章 代替

ある夜、夢に別の女が現れた。

寝室の隅。
影のように立っている。

「……誰」

夫が、何でもないことのように言う。

「代替」

美智子の背筋が、冷えた。

「足りない分を、補う」

女は、こちらを見ない。
まるで、置物のようだ。

(……増やす)

その夜の進捗は、わずかに上がった。

アプリの表示。

《供給源:3》
《進捗:86%》

(……時間稼ぎ、できてる)

でも、
その代替の女は、三日ももたなかった。

隣の女と同じ。
来なくなり、
崩れた。



第十九章 完成直前

夢の中で、夫は言った。

「次で、終わる」

声に、微かな高揚がある。

「……完成?」

「外で、安定する」

それは、
もう戻らないという意味だった。

美智子は、うなずいた。

(……今夜)

夢が深くなる。

触れられる。
重なる。

いつもより、長い。

(……ここ)

美智子は、意識を集中させた。
ズラさない。
逃げない。

最後まで、進めさせる。

腹部に、はっきりとした重み。

進捗が、跳ねる。

《進捗:99%》

(……まだ)

夫が、満足そうに言う。

「よくやった」

その瞬間、
美智子は、アプリを開いた。

夢の中なのに、
指は、はっきり動いた。

《解約申請》



第二十章 未完成

警告が、何重にも表示される。

《本当に解約しますか》
《供給源の停止が必要です》
《再誕体は破棄されます》

美智子は、迷わなかった。

(……未完成)

進捗バーが、
99%のまま、止まっている。

「……何をしてる」

夫の声に、初めて焦りが混じる。

「完成、してないでしょ」

美智子は、静かに言った。

「……まだ、あなたは“途中”」

指を、押し込む。

《実行》

夢の空間が、歪む。

夫の輪郭が、揺れる。

「待て、美智子」

それは、
初めて“夫の声”だった。

「……一緒に、終わりにしよう」



第二十一章 破棄

現実の朝。

美智子は、床に倒れていた。

息が、浅い。
体が、重い。

隣の家は、静かだった。

窓の向こう、
45歳の夫の姿は――ない。

アプリを確認する。

《解約:受理》
《再誕体:破棄完了》

画面が、真っ白になる。

そのまま、アプリは消えた。



第二十二章 残ったもの

数日後。

隣の女の家は、空き家になった。
使えなくなった人たちは、
どこにも残らなかった。

仏壇の前。

美智子は、線香を立てる。

「……終わったよ」

返事はない。

腹部に、重みはない。
けれど、
何かが欠けたままだ。

それでも、
生きている。



終章 特約の外

春。

美智子は、夢を見なくなった。

眠るたび、
ちゃんと朝が来る。

契約は、終わった。
再誕は、止まった。

でも――

夢日記の最後のページに、
自分の字で、こう書かれていた。

〈備考〉
未完成のまま破棄された場合、
再誕は別の形で残る可能性がある。

美智子は、ノートを閉じた。

空は、やけに青い。

それでも彼女は、
もう一度だけ、
確認するように呟いた。

「……終わった、よね」

答えは、なかった


余章一 未受理データ

解約から三週間後。

美智子は、久しぶりに夢を見た。

――正確には、
「夢を見た感覚」だけが残った。

内容は、思い出せない。
けれど、目が覚めた瞬間、
胸の奥がひどくざわついていた。

(……今の、何)

時計を見る。
午前二時三十四分。

かつて、夫が来ていた時間。

美智子は、ベッドから起き上がり、
無意識にスマホを手に取った。

削除されたはずのアプリは、ない。
通知も、ない。

――代わりに。

メールが一通、届いていた。

差出人:不明
件名:未受理データについて

花田美智子 様

再誕特約は解約されましたが、
一部の人格情報が
「未受理データ」として残存しています。

現在、再割り当て先を確認中です。

手が、冷たくなる。

(……残ってる?)



余章二 完成しなかったもの

その日、美智子は隣町の図書館に行った。

理由はない。
ただ、人の多い場所にいたかった。

雑誌コーナーで、
何気なく週刊誌を手に取る。

小さな記事。

「原因不明の昏睡状態に陥る女性が、
県内で複数確認されている。
共通点は、
配偶者を亡くしていること――」

美智子は、ページを閉じた。

(……似てる)

人数は、四人。
年齢も、環境も、ばらばら。

ただ一つ、共通しているのは
「亡くなった夫の夢を見ていた」という証言。

(……私だけじゃ、なかった)



余章三 残り香

その夜。

眠る前、美智子は
もう使っていない夢日記を開いた。

最後のページの、
自分の字。

未完成のまま破棄された場合、
再誕は別の形で残る可能性がある。

(……別の形って)

ページをめくる。

――めくれた。

書いた覚えのない、
新しい一行が、そこにあった。

〈追記〉
媒体を失った人格情報は、
最も近い記憶構造へと
退避する傾向がある。

最も近い記憶構造。

(……私?)

背後で、
かすかな物音がした。

振り向く。

誰もいない。

けれど、
部屋の空気が――少しだけ、重い。



余章四 夢ではない声

「……美智子」

声だった。

はっきりと、
現実の部屋で。

振り向いても、誰もいない。

心臓が、早鐘を打つ。

「……終わった、でしょ」

自分に言い聞かせる。

返事は、なかった。

だが、
背中に、微かな気配。

触れられてはいない。
重みも、ない。

それでも――
確かに“そこにある”。

(……完成、してないから)

そう理解した瞬間、
美智子は悟った。

再誕は、
「形」だけの問題じゃない。

記憶と欲望が、
どこに居場所を見つけるかの話だ。



余章五 特約の外側

翌朝。

美智子は、はっきりと決めた。

誰にも言わない。
保険会社にも、警察にも。

これは、
自分一人で終わらせられる話じゃない。

でも――
気づいた人間が、
気づいたまま黙る話でもない。

美智子は、
新しいノートを買った。

表紙に、こう書く。

『再誕特約・観測記録』

夢ではない。
妄想でもない。

これは、
まだ続いている現象だ。

最後のページは、
まだ白い。

余章六 観測記録・第一夜

美智子は、寝室の時計をスマホで撮った。
午前二時二十九分。
次の一分が、やけに長い。

ベッドに入っても目は閉じない。
閉じたら、連れていかれる。
夢ではない“あちら”へ。

(来るなら、来い)

自分に言い聞かせる声は、強がりだった。
強がりでもいい。強がりがないと、崩れる。

午前二時三十三分。

部屋の空気が、ふっと沈んだ。
暖房の温度が変わったわけじゃない。
圧が増えたような、耳の奥が詰まるような感覚。

「……美智子」

声。

現実の壁に、音が沿ってくる。
昔の夫の声より、少しだけ硬い。
夢の中で“事務的になった声”に近い。

「どこにいるの」

返事はない。
代わりに、ベッドの端が、ほんのわずか沈んだ。

触れられてはいない。
なのに、肌が粟立つ。

(未完成は、形を持てない。
 だから“ここ”に居場所を作る)

美智子はノートを開き、震える手で書いた。

〈観測1〉
午前2:33、室内の圧迫感。
声だけが発生。
物理接触なし。
ベッドの沈み込みあり。

書いた途端、空気が軽くなる。
まるで「記録されたこと」が、何かの条件を満たしたみたいに。

(……やっぱり、夢じゃない)



余章七 第三の供給源

翌日、美智子は図書館で見た週刊誌の記事をもう一度探した。
ネットでも、断片的に同じ話が出てくる。

“原因不明の昏睡”
“亡夫の夢”
“朝に強い疲労”

投稿者の中に、ひときわ具体的な一文があった。

「夢のあと、スマホに知らないアプリが増えました」

美智子は息を呑む。

(……同じ)

その投稿のアイコンは、若い女性。
投稿時間は午前二時四十分。
場所は、隣県。

コメント欄に、美智子は短く残した。

「消さないで。証拠になる」

送信して、すぐ後悔した。
関わるな、と理性が叫ぶ。
でも指が止まらない。

(気づいた人間が黙ったら、次の“媒体”が増える)

その夜。
また午前二時三十三分。

「……美智子」

声は近かった。
前よりはっきり、距離が縮んでいる。

「観測、してるな」

それは夫の口調ではない。
“夫を名乗るシステム”の声だ。

「未受理データは、居場所を探す」

美智子の喉が鳴る。

「……誰に行くの?」

一拍。

「最も近い、記憶構造へ」

美智子の背中を、冷たいものが撫でた気がした。
触れてない。
触れてないのに、触れられた感覚だけが残る。

(私だけじゃない。
 “近い記憶”を持つ人間――つまり、同じ条件の誰かに)

美智子はノートの次頁に、太く書いた。

次の被害者は「同じ構造」を持つ
=未亡人、同時期、同じ契約系列



余章八 事故報告書

三日後。
美智子のポストに、差出人不明の封筒が入っていた。

中身は一枚のコピー。

上部に、薄い社印。
保険会社のロゴ。

見出しはこうだった。

《内部資料:事故報告(再誕特約)》

・解約処理に伴い、人格情報の一部が「未受理」となった
・未受理データは、契約網の外へ流出する可能性
・流出時、再誕は「実体化」ではなく「干渉化」へ移行
・干渉化は観測者を必要とする
・観測者が記録を残すと、干渉の精度が上がる

美智子は、紙を握り潰しそうになった。

(記録すると、精度が上がる――?)

じゃあ、自分は今、何をしている?
止めるために書いているつもりだった。
でも実際は、相手を“安定させて”いる?

美智子は、震えながらも最後の行を読む。

※対策:観測者の特定および隔離
※最優先:契約網外への波及防止

隔離。

背筋に冷たい汗が流れた。
彼らは“夫”を止めたいんじゃない。
外に漏れるのを止めたいだけだ。

美智子は、ゆっくり紙を折りたたみ、ノートに挟んだ。

そして、初めて“観測者”としてではなく、
“当事者”として呟く。

「……じゃあ、私が消えたら」

答えは出ない。
でも、選択肢は見えてしまった。

生き残るか。
終わらせるか。

その夜、午前二時三十三分。
声は来なかった。

来なかった代わりに、インターホンが鳴った。

モニターには、誰も映っていない。

ただ――
玄関前の地面に、一冊の新品のノートが置かれていた。

表紙に、印字された文字。

『再誕特約・観測記録(予備)』

美智子は、息を止めた。

(……観測者、私一人じゃない)
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