女批判の男 女として生きる~恋愛 結婚 出産 離婚~

不思議な爺さん

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女批判の男 女として生きる~恋愛

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その日、中山は休日で、昼はショッピングをして、夜はBARワンダーにいた。

店内には、いつもの顔ぶれ――爺さんと社長、そしてカウンターの中にマスター。

社長
「どないや、最近。女になって」

中山
「だいぶ慣れました。大変ですけどね」

爺さん
「ふぉっふぉっふぉっ、仕草もすっかり女性じゃのぅ」

マスター
「それに相変わらず――」

中山
「マスター」

マスター
「……はい、すいません」

店内に小さな笑いが起きる。

中山はグラスを持ったまま、少しだけ真面目な顔になった。

中山
「実は、戸籍とか……そのへん、そろそろちゃんと考えなあかんなって」

社長
「ほぉ……せやな」

社長は顎に手を当て、少し考える。

社長
「市役所の偉いさんとな、昔ちょっと縁があってな。あんたみたいに、薬で助けたことがある」

中山
「え、そんな人まで……」

社長
「まぁ、声かけといたるわ」

中山
「ほんまですか?助かります」

爺さん
「ふぉっふぉっふぉっ、社長に任せときゃええ」

中山
「最近、店でもナンバー上がってきてるんで……お礼は弾みますよ」

社長
「調子ええなぁ。ほな、明日にでも動いとくわ」

マスター
「うちにも、もうちょい貢献してくれよー」

中山
「マスターには……はい」
中山は胸元を寄せてマスターに見せた
「はい…ご馳走様です…動画か写真撮っていい?」
中山
「ダメに決まってるでしょ……それに…あの作品買ったんでしょ?」
マスター
「はい…お世話になっております」
爺さん
「ほんに、マスターはスケベまみれじゃのぅ」

その時だった。

カラン、とドアベルが鳴り、BARワンダーの扉が開く。

マスター
「いらっしゃい」

店内の空気が、ほんの一瞬だけ変わる。

中山は、グラスを置き、入口の方をちらりと見た。

――また、誰かの“悩み”が、ここに迷い込んできた。

そんな予感がしていた。

マスター「いらっしゃい」

中山のひとつ隣に、ことりとコースターが置かれる。

マスター「何になさいますか?」

男性「スコッチ、ロックで」

マスター「あいよ」

グラスを用意する間、男性が中山に視線を向けた。

男性「こちらには、よく来られるんですか?」

中山「は、はい……一年前くらいから。休みの日に、たまに」

自分でも不思議なくらい、胸が少し高鳴る。
そのせいか、頬が熱くなるのを感じた。

――なんだろ、この感じ。

それに気づいたのか、社長がちらりと爺さんに目配せをする。

社長「マスター、おあいそ」

マスター「あいよ」

伝票を受け取り、社長は財布から代金を出した。

その横で、爺さんがふっと姿を薄くしかけた瞬間――

マスターががしっと腕を掴む。

マスター「これ、爺さんの伝票」

爺さん「……ちぇ」

しぶしぶ会計を済ませ、社長と並んで店を出ていった。

マスター「じゃ、あとは若い二人に任せて」

そう言って、自分も出ようとしたところで、

中山「マスター!!
 あなたが帰ってどうするんですか!」

マスター「え~?
 貴子ちゃん、ガールズバーで働いてるんだから、適当に作ってよ~」

中山「もう。今日は休みで、ただ飲みに来てるだけです」

マスター「ちぇっ、ケチだなぁ」

男性が、くすっと笑って口を開いた。

男性「なんだか、面白いお店ですね。
 ……というか、ガールズバーで働いてるんですか?」

中山「あ、はい……すぐそこの
 『ガールズバー不思議な子猫』です」

男性「そうなんですね。今度、行ってみます」

中山「は、はい。お待ちしております」

マスター「はい、紹介料」

そう言って、しれっと手を出す。

中山「払いません」

店内に、くすくすと笑い声が広がった。

そしてBARを出て、家に帰ってきた中山は、まっすぐバスルームへ向かった。
メイクを落とし、シャワーの準備をする。

化粧を落とした顔で鏡を見つめ、ふと考える。

中山
「……なんだったんだろ、あの胸の高鳴り」

答えは出ないまま、深く考えることもせず、服を脱いでシャワーを浴びた。

湯気の中で頭を空っぽにして、身体を温める。
その後、いつものナイトケアを済ませ、ベッドに横たわる。

すると、ふわりと脳裏に、あの男性の顔が浮かんだ。

中山
「……名前、聞かなかったな」

少し間を置いて、ぽつりと続ける。

中山
「お店、来てくれたら……いいな」

それだけ考えて、あとは何も追いかけない。
中山はそのまま、静かに眠りについた。

そして翌日の夕方、ガールズバーに出勤した中山。

ママ
「もう貴子ちゃん来てから1年ねぇ~。最初はどうなる事やら、って思ったけど、もうすぐ私を抜いてNo.1ね」

ノゾミ
「ほんとよ~。最初は酔っ払いに泣かされてたのに~、抜かされちゃったし~」

中山
「いえ、お二人の助けがあったからです」

ママ
「ちがうわ、この胸よ」
そう言って、軽くタッチをする。

中山
「ママ~、もう」

すると今度は、ノゾミも後ろから軽くタッチしてくる。

中山
「もう~、ノゾミちゃんも~」

女性同士でじゃれ合っていると、1人の男性が店に入ってきた。

ママ・ノゾミ・中山
「いらっしゃいませー」

中山は、その男性の顔を見て思わず声を上げた。

「あっ!」

ママ
「貴子ちゃんの知り合い?」

中山
「いえ、昨日偶然、いつも行くBARで会って」

ママ
「そうなの~。じゃあ、こちらに座って。貴子ちゃん、前に座って」

そう言われ、中山はその男性の前に着いた。

中山
「ほ、本当に来てくれたんですね」

男性
「はい。仕事終わって、近くを通ったので」

中山
「そうなんですね。何を飲まれますか?」

メニューを見せる。

男性
「そうだなぁ。このウイスキーボトル、キープで」

中山
「はい、ありがとうございます。準備しますね」

そう言って棚からウイスキーボトルを出し、男性の前に置く。

中山
「お名前、なんて書きます?」

マジックを手に取る。

男性
「ケンジで」

中山は書きながら、

中山
「ケンジさんですね。いい名前」

そう言ってボトルの蓋を開ける。

中山
「ロックで良いですか?」

ケンジ
「はい。貴子さんも、いただいてください」

まだ他にお客さんがいなかったので、

ノゾミ
「私は?」

ママ
「私は?」

ケンジ
「あ、はい、もちろん」

中山はまずケンジのロックを作り、
それから3人分の水割りを用意した。

中山
「はい、どうぞ」

グラスを渡す瞬間、ケンジの手と中山の手が触れた。

思わず中山は、
「あっ」
と小さく声を出してしまい、顔が赤くなる。

その様子に、ママとノゾミはすぐ気づいたようだった

その後、店内にはぽつぽつとお客さんが入り始め、
ママもノゾミも、それぞれ別のお客さんの席についた。

中山
「こういう店、初めてですか?」

ケンジ
「そうですね。昨日みたいに1人で普通のBARにはよく行きますが……でも、通おうかな、ここ」

その言葉に、中山の胸が小さく跳ねた。
酔いのせいか、それとも――昨日よりも、はっきりと。

中山
「私も、ケンジさん来てくれたら嬉しいな……」

そう言ってから、はっとしたように顔が赤くなり、俯く。
それは、営業トークではなかった。

ケンジ
「は、はい。絶対きます。貴子さん、素敵だし」

ふたりの間には、確かに心地よい空気が流れていた。

だが――。

ママ
「ケンジさん、今日は初めてなのに最後までありがとうね。伝票ね」

そう言って伝票を差し出すと、ケンジはカードを出し、

ケンジ
「これでお願いします」

処理を終えたママが笑顔で言う。

ママ
「ありがとうございました。貴子ちゃん可愛いでしょ~。また来てくださいね」

中山
「マ、ママ~」

少し照れくさそうに言う中山。

ケンジ
「はい。絶対きます」

そう言って、ケンジは店を後にした。

店内の照明が少し落とされ、最後のお客さんが帰ったあと。

グラスの氷が溶ける音だけが静かに響いている。

3人はそれぞれの持ち場を片付けながら、どこか柔らかい空気に包まれていた。

ママ
「ちょっと~貴子ちゃん、あなた、ケンジさんに一目惚れでしょ」

中山は、思わず手に持っていたグラスを置く。

中山
「あ、いや、違います」

ノゾミはニヤニヤしながら近づいてくる。

ノゾミ
「バレバレ、顔真っ赤でモジモジしてたし~」

中山は視線を逸らしながら、タオルでカウンターを拭く。

中山
「あ、いや、なんかまだわかりません」

ママが後ろから近づき、

ママ
「へぇー、宝の持ち腐れなのね~」

と軽くタッチするママ。

中山
「ちょっとママ~」

ノゾミも便乗して、

ノゾミ
「ほんと、結構うぶなのね」

と軽くタッチする。

中山
「もうーノゾミちゃんも~」

からかわれながらも、頬はほんのり赤いままだった。

ママは手を叩いて空気を締める。

ママ
「はいはい馬鹿やってないで片付け帰りましょ」

ノゾミ 中山
「はーい」

グラスを片付け、床を掃き、電気を落とす。

シャッターを下ろし、三人並んで店を出た。

夜風が少しだけ心地よく感じられた。

店を出てしばらく歩いた帰り道。

街灯の明かりがアスファルトに伸びている。

後ろから軽い足音が近づいた。

「貴子ちゃんじゃん店終わり?」

振り返ると、のぶがいた。

中山
「の、のぶさん…そうです」

のぶは酔っているのか、目が据わっている。

のぶ
「ちょっと、この後、付き合ってよ~」

そう言って中山の腕をつかむ。

中山
「やめてください、困ります」

振りほどこうとするが、力が強い。

その時――

「やめろよ、貴子さん嫌がってるだろ!」

低く、はっきりした声。

中山
「ケンジさん…」

ケンジが二人の間に割り込み、のぶの手を払った。

のぶ
「なんだよ、邪魔するなよ、こいつのせいで俺は出禁になったんだよ」

ケンジ
「そんなの知らないよ、酔っ払いは帰れ」

静かな怒りを込めた声だった。

のぶは舌打ちしながら、

「ちっ…」

とブツブツ言い、ふらつきながら去っていく。

緊張が一気にほどけ、中山は思わずケンジに抱きついてしまう。

中山
「ケンジさん…ありがとう、怖かった」

ケンジ
「あ、あの貴子さん」

腕に伝わる体温。

自分の膨らみがケンジの腕にあたっていると気づき、

中山
「あ、あ、ごめんなさい」

慌てて離れる。

ケンジは少し視線を逸らしながらも、

ケンジ
「夜道危ないし、送って行きます」

中山
「あ、大丈夫です」

ケンジ
「大丈夫じゃないよ、送らせて」

その言葉に、胸がきゅっと鳴る。

中山
「は、はい、お願いします」

二人は並んで歩き出す。

さっきまでの恐怖とは違う鼓動が、静かな夜道に響いていた。

そして家の近くまで来た。

「ここで大丈夫です」

「そう。ゆっくり休んでね。おやすみなさい」

「はい。わざわざありがとうございました。おやすみなさい」

そうして中山は家に帰った。

家に入ると、いつもならすぐにバスルームへ向かうのに、
その日はベッドに腰を下ろした。

胸の高鳴り。
のぶに腕をつかまれた時の、あの恐怖。

まったく違う感情が重なって、
少しだけ、心が疲れてしまったのだ。

「男なら、絶対に味わえなかった気持ちかも……」

そう呟いてから、深く息をつく。

「でも、自分で選んだ道だ。頑張ろ」

中山はそう心に決め、
バスルームへ向かい、シャワーを浴びた。

そして、そのまま眠りについた。

そして翌朝、中山のスマホが鳴った。
眠気まなこで「こんな朝から誰?」と思い画面を見ると、社長だった。

中山「はい、どうかしました?」

社長「あ~貴ちゃん、偉いさんに話しといたで。うまいこと進みそうや、その報告や」

中山「え?ありがとうございます。今度の月曜日、いつものBAR来てください。ちゃんとお礼します」

電話を切る。

これで、完全に女性として生きる準備が整った。

中山は、少しだけ心が軽くなった。

そして、本当なのか確認するため、市役所に向かった中山。

身支度を整え、少しだけ深呼吸をしてから家を出た。

市役所に着くと、手続き用の書類に記入し、窓口へ提出する。

しばらくして番号が呼ばれた。

「786番でお待ちの方~」

呼ばれてカウンターへ向かうと――

そこにいたのは、ケンジだった。

ケンジ「名前を見て、もしかしてと思ったら……やっぱり」

中山「ここで働いてたんですね……」

ケンジ「そうです……では、住民票と戸籍謄本、合わせて750円です」

一瞬だけ目が合う。

中山は、そっと財布からお金を出し、差し出した。

受け取った書類の重みが、妙に現実味を帯びている。

軽く会釈をして、市役所を出た。

外の空気が、少しだけ冷たかった。


家に帰ってきた中山。

ケンジに会った動揺で、ちゃんと書類を見られていなかったことに気づき、改めて封筒を開けた。

テーブルに広げ、ゆっくり目を通す。

名前――中山貴子。
性別――女性。

しっかりと、そう記載されていた。

中山は、しばらくその文字を見つめる。

これで銀行口座も作れる。
契約もできる。
“中山貴子”として、ちゃんと生きていける。

中山「……よかった」

胸の奥にあった小さな不安が、すっとほどける。

中山「安心したら眠くなってきたな。社長の電話で早起きしたし、ちょっと昼寝しよ」

そうつぶやき、ベッドに横になる。

ガールズバーの出勤前まで、少しだけ目を閉じることにした。


そしてガールズバーに出勤した中山。
しばらくすると、ケンジが来店した。

ママ ノゾミ 中山「いらっしゃいませー」

ママ「ケンジさんいらっしゃいませー、もちろん貴子ちゃんよね~」

中山「ちょっとママ~」

ノゾミ「はいはい、座って座って」

ノゾミがケンジの前の席に中山を座らせる。

中山「すみません、騒がしくして」

ケンジ「いえ、もちろん貴子さん目当てできたので」

ママ「ちょっと店内暑いわ~」

ノゾミ「この辺り特に~」

中山「ちょっと~」

抗議するが、顔は真っ赤だ。
ケンジは思わず吹き出す。

ケンジ「楽しい店ですね」

中山はケンジのボトルを用意する。

中山「今日もロックで良いですか?」

ケンジ「はい、皆さんも飲んでくださいね」

中山 ノゾミ ママ「ありがとうございます」

中山はケンジのロックを作り、続けて3人分の水割りを作る。

中山「はい、どうぞ」

3人も「いただきます」と言って口をつけた。

その後、ぽつぽつとお客さんが入り始め、それぞれの席に着いていく。

そして――

1人の男性が来た。
1年前に中山を酔い潰したターさんだ。

ターさん「貴子ちゃん指名で~」

ママ「貴子ちゃん、ターさんの席お願い」

中山「はい…」

離れたくなかったが、仕事と割り切る。

中山「ケンジさん、すぐ戻りますね」

そう言ってターさんの席へ向かう。

ノゾミ「かわりに私が失礼します」

ノゾミがケンジの席に入る。

ターさんの席に着いた中山。

中山「ターさん、お久しぶりです」

ターさん「ちょっと出張とか仕事が忙しくて。でも貴子ちゃんに会いたかったんだよ~」

そう言って中山の手をつかむ。

その様子を、ケンジは心配そうに見ている。

ノゾミ「好きな人があんな事されてると心配だよねー」

ケンジ「い、いや、あの…」

ノゾミはくすっと笑う。

ノゾミ「なんか、お似合いだね、ケンジさんと貴子ちゃん」

ケンジ「い、いや、貴子さん美人だし、僕なんか…」

ノゾミ「案外、見た目と違ってケンジさん、うぶなんだ」

その時――

ターさん「ママ~テキーラ観覧車~」

と、勝手に注文するターさん。

中山は一瞬びくっとする。

中山「え?ターさん、ちゃんと飲んでくださいよ」

ターさん「飲む飲む」

ママは少し心配そうな顔をしながらも準備し、運んでくる。

ママ「はーい、ターさん、ありがとう」

中山「あ、ありがとうございます」

そう言って、2人はそれぞれグラスを手に取り、飲み始めた。

ターさん「ただ2人で飲むだけだと楽しくないし~、ジャンケンで勝った方が飲もう~」

と、ターさんが言い出した。

ジャンケンなら、さすがに勝ち続けることはないだろう。
そう思い、

中山「いいですよ」

と了承する。

ターさん「ジャンケン」

ターさん 中山「ほいっ」

ターさん グー。
中山 パー。

中山「まぁまぁ最初はね」

そう言いながら、2杯目を飲む。

――しかし。

その後もなぜか中山がほとんど勝ってしまった。

グラスを持つ手が少し震える。
頭がふわっと重い。

フラフラだ。

それでもターさんも4杯ほど飲んだせいか、だんだん目がとろんとしてくる。

ターさん「ママ~タクシー呼んで~」

そう一言言うと、そのままテーブルに突っ伏して寝てしまった。

中山は大きく息をつく。

中山「……はぁ」

どうにか立ち上がり、ふらつきながらケンジの席へ戻った。

中山「た、ただいま……」

フラフラで、ケンジの姿が何重にも見える。

ケンジ「大丈夫? お水飲んで」

中山「ありがとう……その前に、ちょっと失礼……」

そう言ってトイレへ向かおうとする中山。

だが、ケンジの横を通った瞬間、視界がぐらりと揺れる。

中山「……っ」

足元がもつれ、倒れそうになる。

ケンジ「あぶない!」

とっさに腕を伸ばし、ケンジが支える。

中山の体が、ケンジの胸に軽くぶつかった。

ケンジ「無理しすぎだよ……トイレの入口まで肩貸す」

そう言って、そっと肩を貸すケンジ。

中山はその肩に体重を預けながら、ゆっくりとトイレへ向かった。

そして、なんとか入口まで辿り着く。

中山「……ありがとう」

小さくそう言って、中山はトイレの中へ入った。

トイレから出てきた中山。

ケンジは、トイレの近くで待っていた。

ケンジ「大丈夫?」

中山「うん、ちょっと落ち着いた」

そう言って、どうにか席に戻る。

その時――

ママ「ターさん、タクシー来たよ、起きて」

ターさん「貴子ちゃんは~?」

指名客ということもあり、中山はまだ少しフラつきながらも、ターさんのそばへ向かった。

すると――
ターさんの手が、いきなり中山の膨らみを両手で思いきり掴んだ。

中山「きゃっ……!」

それを見ていたケンジは、思わず立ち上がって駆け寄ろうとする。

だが、ノゾミがそっと腕を伸ばして止めた。

ノゾミ「大丈夫だから」

中山は一瞬息をのむが、すぐに気持ちを切り替える。

中山「もう、ターさん。次来た時はセクハラ代として、一番高いシャンパンね」

そう言って軽くあしらい、そのままタクシーまで見送った。

ノゾミ「この子ね、1年前は……ああいう事されたら泣いてたんだよ。
まぁ、その時の客は出禁になったけど」

ケンジ「1年前……出禁……あの男か」

ノゾミ「知ってるの?」

ケンジ「あ、いや……」

そんな会話をしていると、中山が戻ってきた。

中山「あ~、ケンジさんとノゾミさん、ヒソヒソ話してる~」

ノゾミ「ちがうわよ~。それに、こんなボインちゃんには敵わないわ」

そう言って、軽く中山の胸にタッチする。

中山「ちょっと~!」

ケンジ「……確かに」

思わず視線を向けてしまうケンジ。

中山「ケンジさん、セクハラ代、請求しますよ?」

その一言に、店内はふっと笑いに包まれた。

ママ「ケンジさん、二日連続ありがとうね。はい、伝票」

ケンジはカードを差し出す。
ママはそれを受け取り、慣れた手つきで処理を済ませた。

ケンジは軽く会釈をして、席を立つ。

貴子も立ち上がり、店の外まで見送った。

扉が閉まる。

ケンジ「大丈夫?……心配だから、待ってるね」

中山「大丈夫ですよ」

ケンジ「待ってるから」

中山は少しだけ困ったように笑う。

中山「わかりました。じゃあ、なるべく早く片付けます」

そう言って、店内へ戻っていった。

ママ「貴子ちゃん、今日はたくさん飲んだでしょ。もう帰っていいわよ」

ノゾミ「うん、ママと2人で片付けておくから」

中山「あ、でも……」

帰ろうとしない貴子を、2人は半ば強引に店の外へ押し出す。

扉を開けると――ケンジが立っていた。

ママ「ケンジさん、おいたはダメだからね」

ノゾミ「送り狼もダメだよ~」

ケンジ「大丈夫です。ちゃんと送ります」

中山「もう、2人とも~」

困ったように笑う貴子。

ケンジ「帰ろ、貴子さん」

中山「はい……」

そう言って、2人は並んで夜道を歩き出した。

店内に戻りながら――

ママ「なかなか良いわね、あの2人」

ノゾミ「いいなぁ、あんな恋してみたい」

ママ「さ、片付けましょうか」

ノゾミ「そうだね」

そう言って、2人は静かな店内で後片付けを始めた。


そして、何事もなく家の近くまで着いた。

中山「……ありがとう。送ってくれて」

そう言った、その瞬間だった。
家が近づいたことで張りつめていた気がふっと緩み、酔いも手伝って、貴子の身体が前に傾く。

気づけば、ケンジの胸元に抱きついていた。

ケンジ「大丈夫?」

中山「……うん、大丈夫」

そう答えて顔を上げた、その時。
ケンジの顔が、静かに近づいてくる。

唇が、そっと重なった。

中山「ん……っ、ケ、ケンジさん……」

ケンジ「……ごめん。可愛くて、つい」

頭では「何が起きてるのか分からない」と思っているのに、
なぜか貴子は、目を閉じてしまっていた。

もう一度、唇が重なる。

さっきより、ほんの少しだけ長く。

やがて、ゆっくりと顔が離れた。

中山「……おやすみ。またね」

ケンジ「うん……おやすみ」

そう言って、貴子は家の中へと戻っていった。

翌日。
休日の中山は、昼過ぎまでゆっくり眠っていた。

目が覚めると、眠気覚ましにシャワーを浴び、またベッドに戻ってゴロゴロする。

すると、昨夜のことが自然と頭に浮かんだ。

――一年も女として生活していると、心まで女になるのだろうか。
――なんだかんだ言っても、女になってからの“初めてのキス”だった。

そんなことを考えていると、胸の奥がきゅっと高鳴る。

この感覚……。
まだ、男に恋をすることをどこかで拒んでいる自分がいるんだな、と中山は思った。

中山
「BARの開店時間まで、まだ時間あるし……」

少しだけ残る酒の気配もあって、

「……もう少し寝よ」

そう呟いて、再び眠りについた。

「ふわぁ……ぼちぼち動くかぁ」

そう呟いて、中山は顔を洗い、服を着替え、メイクを整える。
そしてBARワンダーへ向かった。

店に入ると、すでに社長と爺さんがカウンターに座っていた。

マスター
「いらっしゃい」

中山は空いている席に腰を下ろす。

マスター
「何飲む?」

中山
「昨日飲みすぎたから、烏龍茶で」

マスター
「あいよ」

差し出された烏龍茶を一口飲み、中山は社長に向き直った。

中山
「あ、社長。この前はありがとうございました。これ」

分厚い封筒を差し出す。
社長は中身を確認して、目を丸くした。

社長
「こんなにええんかいな」

中山
「はい。大変でしたけど、頑張って稼いだお金です」

爺さん
「ふぉっふぉっふぉっ。楽じゃなく、頑張ったか」

その言葉に、中山はふっと表情を曇らせ、ため息をついた。

社長
「なんや、まだ悩みか?」

爺さん
「……うーん、恋じゃの」

中山
「え? あ……はい」

マスター
「うれしいなぁ、貴子ちゃん」

中山
「マスターじゃないんで。ご心配なくです」

マスター
「ちぇっ」

そのとき、店のドアが開いた。

中山
「……ケンジさん」

思わず顔が熱くなり、視線を落とす。

社長
「ほっほぅ」

爺さん
「わかりやすいのぅ」

マスター
「いらっしゃい」

そう言って、貴子の隣にコースターを置く。

マスター
「何飲みます?」

ケンジ
「ウイスキー、ロックで」

マスター
「あいよ」

ケンジ
「貴子さん、ここにいるかなって思って……」

マスターはロックを差し出しながら、ニヤリと笑う。

マスター
「しかし、俺の女に何の用や?」

ケンジ
「え?」

中山
「ちょっとマスター!」

マスター
「そんなに胸ぷるぷるさせて怒るなって」

中山
「マースーター!」

マスター
「ひぃっ、冗談冗談」

社長
「爺さん、ぼちぼち帰ろか」

爺さん
「そうじゃの」

二人は会計を済ませて店を出ていった。

マスター
「じゃ、俺も」

中山
「こらー!」

マスター
「ごめんごめん。彼氏も一緒に謝って」

ケンジ
「えっ? か、彼氏じゃないです」

マスター
「え? まだ触ってないの?」

中山の胸に視線を落とす。

中山
「マスター!!」

ケンジ
「まだ……キスしか……あっ」

中山
「ちょ、ケ、ケンジさん……!」

マスター
「ふーん、キスしか、ねぇ……」

店内に、少し気まずくて、でもどこか甘い空気が流れた。

マスター「キスしたイコール、それは彼氏だよ、ケンジくん。さっきは違うって言ったけど?」

中山「マスター!ちょっと…」

マスター「キスされて嫌だったのか?」

中山「そ、それは……」

マスター「ケンジくんも好きだからキスをした。違うかい?」

ケンジ「そうです……好きだからです」

中山「ケ、ケンジさん……」

マスター「じゃあ、カップル成立」

「しかし貴子ちゃん、僕という彼氏がいながら」

中山「マスター!」

マスター「はいはい、彼氏の前でそんな怖い顔しない」

ケンジ「改めて貴子さん。僕の彼女になってください」

中山「は、はい……私で良ければ」

マスター「うんうん、それでいい」

ケンジ「貴子さん、こんな時間だし送っていくよ。マスター、チェックで。2人分」

ケンジはカードを渡し、マスターはそれを受け取って処理する。

中山「え、ありがとうございます……」

そして2人は店を出た。

夜道を歩く2人。

中山は“元男”だという事は言えない。だから、慎重に言葉を選ぶ。

「ケンジさん、あのね……私、自分が女っていうのが嫌で、恋ってちゃんとしてこなかったの。だから今のこの気持ち……正直、よくわからなくて……」

ケンジは少しだけ歩幅を緩めた。

「焦らなくていいよ。僕も、貴子さんにゆっくりわかってもらえるようにするから」

中山は小さく息を吸う。

「ケンジさん……」

ケンジは優しく笑う。

「ケンジでいいよ、貴子」

呼び捨てにされた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

「……ケンジ」

「貴子」

名前を呼び合うだけで、距離が一気に近づいた気がした。

人目のつかない場所で、そっと抱き合う。

ケンジのぬくもりが伝わった瞬間、

中山は思う。

――ああ、これが恋なんだ。

そう、確信するのだった。

そして貴子の家の近くまで来た2人。

貴子「ケンジといると時間たつの早いね…」

ケンジ「そうだね」

貴子の胸がどんどん高鳴る。

貴子「ケンジ……あ、あの」

ケンジ「ん?どうしたの?貴子」

貴子は一瞬うつむき、小さく息を吸う。

貴子「だ、大好き……」

その言葉が出た時、心の中にいた男の時の「たかし」は、どこか遠くへ静かに消えていた。

ケンジは少し驚いた顔をして、それから優しく笑う。

ケンジ「俺も大好きだ」

あまりにもドキドキして、恥ずかしくて、胸がいっぱいになる。

貴子「……おやすみなさい」

そう言って家へ向かう。

ケンジは、その後ろ姿を見つめながら

「おやすみ」

と静かに言い、帰っていった。

家に帰った貴子。
シャワーを浴び、寝る準備をして、ベッドに入った。

貴子
「言っちゃった~……ついに言っちゃった~……」

「大好き……って」
「どうしよう……恥ずかしすぎる……」

そう思うのに、胸のドキドキは全然おさまらない。

「でも……この気持ち、嫌じゃない……」

布団の中でごろりと転がり、天井を見つめる。

貴子
「……頑張れ、私」

もう迷わない。
好きなものは、好きなんだ。

そう自分に言い聞かせて、
貴子はそのまま、静かに眠りについた。

そして、幾度かのデートを重ねた二人。
その日は休日で、連れ立って BARワンダー に来ていた。
店内には、いつもの顔ぶれ――爺さんと社長もいる。

マスターが、ケンジのそばで何やらコソコソ話している。

マスター
「で、ケンジくん……あの胸の感触、どうなの?」

ケンジは一気に顔を赤くする。

ケンジ
「や、ま……まだです……」

貴子
「マースーター、聞こえてますよ」

マスター
「ひぃっ、地獄耳~っ!」

爺さん
「ほんに情けない。いっそ BARスケベ親父 に改名すればええ」

社長
「いや BARセクハラ でもええな」

マスター
「勘弁してよ~!」

店内は、どっと笑いに包まれた。

ケンジ
「そろそろ帰ろっか。送ってくよ。マスターチェックで……貴子さんの分も」

そう言ってカードを出そうとするが、

貴子
「待って。いつも出してもらってるし……今日は私が払う」

そう言って、マスターに会計をする。

男だった頃なら、
「女は奢られて得だ」なんて言っていたはずなのに――
貴子は、もう変わっていた。

ケンジ
「ありがとう。……じゃあ、行こ」

二人は並んで店を出た。

マスター
「これで、ケンジくんも誘いやすくなるだろ」

爺さん
「それを狙っとったのか、マスター」

社長
「なかなか、やりよるな」

マスター
「スケベなのは演技、演技」

爺さん
「それは違うな」

社長
「ほんまやな」

マスター
「ちょっと~!」

そんな馬鹿なやり取りを、三人はいつまでも続けていた。

そして店を出た二人は、並んで夜道を歩いていた。
しばらくして、ケンジがふと立ち止まる。

貴子
「どうしたの? ケンジ」

ケンジは貴子の両肩にそっと手を置き、向き合うように体を引き寄せた。

貴子
「……ケンジ?」

ケンジ
「俺……貴子のこと、もっと知りたい」

貴子
「私を……知りたい?」

その言葉の意味が、すぐには飲み込めず、首をかしげる。

ケンジ
「……愛し合いたい」

そう言って、ケンジは貴子を強く抱きしめた。

その瞬間、ようやく意味が胸に落ちる。

貴子
「……いいよ……でも……」

ケンジ
「でも?」

貴子
「明日、朝から仕事でしょ?」

ケンジ
「……うん」

貴子
「うちに来て……ベッド、狭いけど……」

ケンジ
「……うん」

短い返事だけで、十分だった。

二人は何も言わず、寄り添うように歩き出し、貴子の家へ向かった。

そして、2人は貴子の家についた。

貴子「ちょっと狭いけど……ベッドで待ってて。シャワー浴びてくるね」

そう言ってバスルームに向かった。

ケンジ「うん」

ケンジはベッドに腰をかけ、落ち着かない様子で部屋を見回す。

しばらくして、バスタオルで体を隠した貴子が出てくる。

貴子「お待たせ。ケンジさんもシャワー浴びてきて」

ケンジ「うん……シャワー借りるね」

そう言ってケンジはバスルームへ向かった。

貴子はベッドに入り、布団に潜り込む。

「どうしよう……どうしよう……」
「今まで以上にドキドキする……」

そんなことを考えているうちに、

シャワーを終えたケンジが、貴子の待つベッドへ静かに近づいてきた。

ケンジ「貴子、寝ちゃった?」

そう声をかけながら、ゆっくり布団をめくる。

貴子「ちょっと恥ずかしくて……隠れてた……」

ケンジは静かに布団に入り、貴子に寄り添った。

ケンジ「綺麗だよ」

そう言って、そっとキスをする。
二人はそのまま離れられなくなり、互いの体を確かめ合うように、ゆっくりと求め合った。

しばらくして――

ケンジ「……いい?」

貴子に覆いかぶさったまま、ケンジはそう問いかけ、
身体を寄せ、そのまま貴子のそれに、そっとあてがった。

その瞬間、貴子ははっとして、ケンジの胸に手を当て、軽く押し返す。

貴子「……待って……」

ケンジ「どうしたの?」

貴子「あ、あの……私……実は……初めてで……急に怖くなっちゃって……」

ケンジはすぐに体を離し、貴子の横に並ぶ。
そして、優しく頭を撫でながら言った。

ケンジ「そっか……大丈夫。待つよ。無理しなくていい」

貴子「ケンジ……ありがとう……大好き」

ケンジ「うん……俺も大好きだよ」

そうして二人は、静かに抱き合い、もう一度だけ、ゆっくりとキスをした。

そして、しばらくして。

ケンジ「そろそろ帰るね」

貴子「ごめんね……最後までできなくて……」

少し悲しそうに、うつむく貴子。

ケンジ「大丈夫だよ」

貴子「で、でも……」

ケンジ「あ、そうだ。マスターに、貴子のあの感触、教えとこ」

貴子はパッと顔を上げ、

「ダメ~!!」

と、ぷくっと頬を膨らませる。

ケンジはそれを見て、くすっと微笑んだ。

「元気出た? じゃ、帰るね」

そう言って、ケンジは部屋を後にした。

翌日、貴子は少し早めにガールズバーへ出勤した。

ママ「あれ?貴子ちゃん、まだだいぶ早いけど、どうしたの?」

貴子「あ、あの……相談があって……」

ママ「お金貸して以外なら相談のるわよ」

貴子「あ、あの……ケンジさんと付き合ってるんです」

ママ「そんな事?わかるわよ~あなた達みてたら~」

貴子「それで……この仕事、続けるべきかどうか悩んでて」

ママ「懐かしいわねぇ……私も、そんな時あったわ」

貴子「えっ?ママも?」

ママ「私もね……大好きな人がいてね。
やっぱり、こういう店って、セクハラされたり、好きでもないのに“好き”って言ったりするでしょ?
だから私も、すごく悩んだの」

貴子「まさしく、それです……。
そういうの見て、ケンジさんが嫌いにならないかな……とか考えてしまって」

ママ「あのね、それくらいで嫌いになるなら、そこまでの男ってことよ。
私たちのやってる事は仕事でしょ?」

貴子「……はい、仕事です」

ママ「でしょ?
だったら、仕事を頑張ってる貴子ちゃんを見て嫌いになるような男なら、こっちから願い下げよ」

貴子「……はい」

ママ「それに、悩んでるって事は、この仕事、好きなんでしょ?」

貴子「はい……大好きです」

ママ「はい、じゃあ、笑顔。ほら」

貴子「ありがとうございます……スッキリしました」

ちょうどその時、ノゾミが出勤してきた。

ノゾミ「あれ?貴子ちゃん、早いね?」

ママ「実はね~貴子ちゃんね~」

貴子「ちょっとママ~!」

さっきまでの重たい空気が、ふっと軽くなった瞬間だった。


そしてお店の開店時間になり、しばらくしてケンジが入店した。

ママ ノゾミ 貴子
「いらっしゃいませ~」

ママ「はい、指名は貴子ちゃんね」

そう言って、貴子は半ば当然のようにケンジの前へ座らされる。

貴子「毎日のように来て大丈夫?お金……」

ケンジ「特に趣味とかないからね。今は貴子ちゃんが趣味かな」

ママ「“趣味~”じゃなくて、“好き”じゃないの?」

貴子「ちょっとママ~」
貴子の頬がふわっと赤くなる。

ケンジ「ま、まぁ……そうですけど……」

ノゾミ「ママ~、ちょっと暖房効きすぎじゃない?暑いわぁ」

ママ「そうね~、冷房にしようかしら」

貴子「ちょっと、2人とも~」

ケンジはクスクスと笑う。

「貴子ちゃんも好きだけど、こういうやりとりが大好きですね」

店内に、柔らかくて楽しい空気が流れる。

やがてお客さんがぽつぽつと入り始める。
今日は、貴子指名の客もちらほらと来ていた。

何人かのお客さんの席につき、ようやくケンジのもとへ戻ってきた貴子。

ケンジ「おかえり。大丈夫?僕のところでは、お酒飲まなくていいからね」

貴子「ありがとう。あんまり席つけなくて、ごめんね」

ケンジ「大丈夫だよ」

その時――

ママ「貴子ちゃん、藤堂さんとこお願い」

貴子「はーい」

小さく息をつき、ケンジを見る。

貴子「また行かなきゃ」

ケンジ「いいよ。行ってらっしゃい」



貴子は藤堂の席へ向かう。

貴子「藤堂さん、いらっしゃい」

藤堂「やっぱり、この店で1番だね~」

貴子「ありがとうございます」

藤堂「あのさぁ、この1番高いの頼んだらさぁ、アフターしてくれる?」

一瞬、ケンジの方をチラッと見る貴子。

――でも、仕事だ。

貴子「いいですよ」

藤堂「本当?じゃあ頼むよ」

貴子「ありがとうございます~」

棚からボトルを取り出し、丁寧に準備をする。
グラスを2つ用意して、ゆっくりと注いだ。

藤堂「素敵なアフターになるといいね。乾杯」

貴子「乾杯」

グラスが軽く触れ合う。

少し離れた席から、ケンジが心配そうに見ている。

ママはそっとケンジに声をかけた。

ママ「あの子なら大丈夫。信じてあげてね」

ケンジ「はい……やっぱりちょっと心配ですけど……頑張ってるんだなぁって、伝わります」

そのまま時間は過ぎ、やがて閉店時間を迎えた。

そして会計を済ませ、次々とお客さんは帰っていく。

藤堂「貴子ちゃん、行こうか」

貴子「はい」

ママ「藤堂さん、おいたはダメよ」

藤堂「わかってるよ、ママ」

軽く手を振りながら、2人は店を出た。

少し間をおいて――

ケンジ「僕も、帰ります」

ママ「いつもありがとうね」

ノゾミ「また、お待ちしてます、貴子ちゃんが」

ママ「そう、貴子ちゃんがね」

2人が意味ありげに顔を見合わせる。

ケンジはクスクスと笑う。

ケンジ「この店が好きですよ。では」

そう言って、ケンジも店を後にした。

そして貴子は、藤堂とのアフターを終え、タクシーで家の近くまで帰ってきた。
タクシーを降りた貴子は、かなり酔っていて、足取りもおぼつかない。

ふと前を見ると、そこにケンジが立っていた。

とろんとした目でケンジを見つけた貴子は、

「ケーンジ……」

そう言って、そのまま抱きついた。

ケンジ「もう、飲みすぎだよ」

貴子「だって~……だって~……飲め飲めって飲まされたんだもん」

ぷくっと膨れる貴子に、ケンジは苦笑して頭を撫でる。

ケンジ「そっかそっか。頑張ったね」

貴子「ホテルにも誘われたけど……ケンジが大好きだし~、断った……えらい?」

ケンジ「えらいよ。でも、体壊したらダメだから。無理しすぎないで」

貴子は目をうるうるさせながら、

「わかったよ~……」

そう言ったかと思うと、そのままケンジの胸に顔をうずめ、眠ってしまった。

ケンジ「……貴子?」

しばらく様子を見てから、静かに息を吐く。

ケンジ「……ほんと、頑張ったんだな」

そう呟き、ケンジは貴子をそっと背負って、家まで送っていった。

そしてケンジは、そっと貴子のカバンから鍵を取り出し、部屋に入った。

貴子をベッドに寝かせる。

ケンジ「貴子……大丈夫?」

肩を軽く揺らしてみるが、貴子はすやすやと気持ちよさそうに眠っている。

ケンジは小さく息をつき、
着ていた上着を脱がせ、しわにならないようにたたむ。

近くに置いてあったパジャマに気づき、
ゆっくりと貴子に着替えさせた。

ケンジはその様子を見て、ようやく安心したように微笑む。

自分もワイシャツを脱ぎ、ベッドに入り、
貴子の隣にそっと添い寝した。


そして朝方、喉の渇きで目を覚ました貴子。
ぼんやりと体を起こし、ふと横を見る。

男がいることに気づき、

「きゃっ!」

思わず声を上げてしまう。

ケンジ「ん?……貴子、どうしたの?」

貴子「ケンジかぁ……びっくりしたぁ……」

胸を押さえながら深呼吸し、
気持ちを落ち着かせるために、貴子は冷蔵庫から水を取り出して飲む。

貴子「……ふぅ~」

ケンジ「昨日のこと、覚えてないの?」

貴子「えっと……アフター行って、いっぱい飲んで……それから……」

言葉を探す貴子を見て、ケンジは静かに話し出す。

ケンジ「貴子があの店で頑張ってるのは、ちゃんと伝わってるよ。
……正直、少し心配にはなるけど、仕事なんだって思ってる」

貴子「ケンジ……」

ケンジ「辞めろとは言わない。ただ、ひとつだけ約束してほしい」

貴子「……何?」

ケンジ「記憶がなくなるまで、飲まないで」

貴子「……うん。ごめんなさい。約束する」

ケンジは、ほっとしたように微笑む。

ケンジ「わかったなら、よろしい」

そう言って、ケンジは貴子をやさしく抱きしめた。

そして、数ヶ月たったある日の夜。
2人はBARワンダーに来ていた。

いつも通り、店内には社長と爺さんがいる。

マスターはケンジにコソコソ話す。

マスター「でさぁ、あの感触どうなの?」

貴子「マスター!!」

マスター「あ、地獄耳なの忘れてた」

ケンジ「えっと~……すごくやわらかくて~」

貴子「こらー!ケンジ!」

ケンジ「ごめんて~」

爺さん「そうか……ケンジくんはマスター寄りの男だったか」

社長「ほんま、人は見かけによらんな」

ケンジ「違います~!マスターと違って、僕は貴子の全部好きです」

マスター「俺の名前出して、サラッと惚気るな!」

いつも通りの、馬鹿なやり取りが店内に広がる。

その時――
何やらケンジとマスターが耳打ちをしていた。

マスターは奥へ消え、しばらくして戻ってくる。

そして、静かに貴子の前に立った。

マスター「あちらのお客様からです」

そう言って差し出されたのは――
小さな指輪の箱と、ケンジの名前がすでに記入された婚姻届だった。

貴子「えっ……あ、え?」

突然すぎて、言葉が出ない。

爺さん「貴子ちゃん、おめでとうさん」

社長「ほんま、めでたいな」

ケンジは真っ直ぐに貴子を見る。

ケンジ「……ダメかな?」

マスター「ダメだ!お前に大事な娘はやらん!」

貴子「ちょっとマスター!!」

笑いと祝福に包まれながら、
ようやく落ち着いた貴子は、ゆっくりと息を吸う。

「……はい。私で良ければ」

ケンジは指輪を取り、
そっと貴子の薬指にはめた。

そっと貴子は立ち上がる。

貴子
「マスターチェックで」

そう言って、指輪の箱と婚姻届をカバンにしまう。

ケンジ
「じゃあ、一緒に……」

貴子は小さく笑って、

貴子
「ううん。ちょっとだけ、1人で整理したいだけ。ちゃんと帰るから」

ケンジ
「……うん」

貴子は会計を済ませ、
静かにBARを出た。

店を出て、夜道を一人歩く貴子。

貴子
「結婚かぁ……」

嬉しくてOKした。
でも――

証人、誰にしよう……

両親には海外転勤になったって言ってから会ってない。
というか、会えない。
女性に変身できる薬で変身したなんて、信じてもらえるはずもない。

そんなことを考えながら歩いていると――

「みーつけた、貴子ちゃん」

低い声。

振り向くと、のぶが立っていた。

貴子
「の、のぶさん……」

のぶ
「今日こそ行こうよ。今度埋め合わせするって言ってから一年だろ?」

そう言って腕をつかみ、強引に引っ張る。

貴子
「嫌です……やめてください」

のぶ
「いいから来い」

その瞬間――

ケンジ
「俺の女に何してるんだ」

掴まれていた腕が離れる。
ケンジはのぶの腕をひねり上げた。

のぶ
「いてててっ!」

ケンジは腕を離し、低い声で言う。

「次、貴子に何かしたら……この程度じゃ済まないからな」

のぶは何も言えず、逃げるように去っていった。

貴子は震えながら、ケンジに抱きつく。

「ケンジ……怖かった……」

涙がこぼれる。

ケンジは優しく抱きしめる。

「心配だったから、すぐ追いかけてきたんだ」

―――回想。

BARワンダー店内。

マスター
「ケンジ、お代はいいから、すぐ貴子ちゃん追いかけろ」

ケンジ
「えっ?」

マスター
「ちょっと嫌な予感がする。俺が行けって言ったなんて言うなよ。男の株、上げてこい」

社長
「マスターの勘はよう当たるさかい、はよ行き」

爺さん
「わしも保証する」

ケンジ
「……わかりました」

そう言って店を飛び出した。

―――回想終わり。

マスター、ただのおちゃらけじゃなかったんだ……

貴子
「ケンジ……どうしたの?」

ケンジは少しだけ笑う。

「なんでもない。送っていく。帰ろ」

貴子
「うん」

二人はそっと手をつなぎ、家へ向かった。

翌日、ガールズバーに出勤した貴子。
既にノゾミも出勤していた。

貴子
「ママ…ちょっと相談があって……」

ママ
「何?言ってみて」

ノゾミ
「私で力になれるなら貸すよ」

貴子は少しだけ間をあけて言った。

「ケンジさんに昨日プロポーズされて」

ママはすぐに笑う。

「良かったじゃない」

ノゾミ
「相談って言うなの惚気?」

貴子
「違います……私……ちょっと事情あって両親と会えなくて……証人どうしようか悩んでて…」

少しうつむく貴子。

ママはあっさりと言う。

「そんな事?私書いてあげるわよ」

貴子
「本当ですか?」

ママ
「一応、あなたをNo.1に育てたママよ」

ノゾミ
「ママ、それはちがうわ、これのおかげよ」

そう言って貴子の胸をぷにッと触る。

貴子
「もぅ~ノゾミちゃんたら~」

ママは軽く笑ってから続けた。

「冗談はさておき、そんな感じなら式もできないだろうし、この店貸切でやってあげる。私からの結婚祝い」

貴子の目がじんわり潤む。

「ママ……」

ノゾミは明るく言う。

「じゃあ、私はスピーチしよ、貴子はケンジさんが店に来たら顔を真っ赤にさせて~」

貴子
「ちょっと~やめてよ~」

三人の笑い声が、まだ静かな店内に広がる。

開店前の空気が、明るくなった瞬間だった。
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