2 / 7
結婚
女批判の男 女として生きる~結婚
しおりを挟む
翌日、貴子は市役所へ向かった。
少しだけ緊張しながら番号札を取る。
呼び出し表示を見つめながら、落ち着こうと深呼吸する。
「25番の方~」
呼ばれて、窓口へ向かう。
そこにいたのは――
ケンジだった。
ケンジ
「貴子、どうしたの?」
貴子は何も言わず、カバンからそっと封筒を取り出す。
貴子
「これ、お願いします」
ケンジは封筒を受け取り、中身を確認する。
一瞬、動きが止まる。
一瞬、驚いた顔になる。
ケンジ
「あ、これ……俺は受理できないや……」
少し困った表情のケンジ。
貴子
「え?」
ケンジはすぐに周囲を見渡し、
ケンジ
「山田さーん、これ、お願いします」
女性職員は、自分でやれば良いのになぁ、って感じで婚姻届を受け取り名前を確認、ニヤッとして
「そういうことね」
そして貴子に向かって、
「少々お待ちください、こちらの番号でお呼びしますので」
と番号札を渡される。
貴子は少し離れた椅子に座る。
心臓の音がやけに大きく感じる。
手のひらがじんわりと汗ばむ。
待つ時間が、やけに長い。
しばらくして――
「295番でお待ちの方」
呼ばれて立ち上がる。
女性職員
「書類に不備なく受理されました。本日は、おめでとうございます」
その瞬間、張りつめていたものがふっとほどける。
貴子はケンジを見る。
「ケンジ」
「貴子」
自然と手を取り合う二人。
女性職員
「佐々木くん、仕事中よ、でも、おめでとう」
市役所の静かな空気の中で、
確かにその瞬間、二人は夫婦になった。
貴子はゆっくりと手を離す。
「ケンジ……仕事頑張って、またね」
ほんの少しだけ照れた笑顔。
ケンジは小さくうなずく。
貴子は振り返らずに歩き出す。
市役所の自動ドアが静かに開き、外の光が差し込む。
妻になった。
でも――まだ、ガールズバーの貴子でもある。
胸の奥に、新しい覚悟が芽生えていた。
そして市役所から出る貴子だった。
その夜、貴子は気持ちが落ち着かず、店は休み、BARワンダーに来ていた。
社長
「そうかぁ。あの女批判してた兄ちゃんが姉ちゃんになって……いやぁ、それにしても、めでたい話やな」
爺さん
「ほんにのぅ。女なんかこりごりじゃ、戻してくれーって泣きついて来ると思っとったんじゃが」
マスター
「うーん……人妻って思って見るとなかなかいいな」
そう言って、腕を組んだまま、貴子の胸元をじっと眺める。
貴子
「マスターったら……でも、この店がなかったら、女になることも、ケンジさんに出会えたのも、なかったので。そこだけは感謝です」
マスター
「そこだけは余計だ。……でもな」
少しだけ、真面目な声になる。
マスター
「女になることを選んだのも、ケンジと結婚を決めたのも、貴子ちゃん自身だよ」
貴子
「マスター、たまに良いこと言う~」
マスター
「“たまに”は余計だ」
店内に、くすっとした笑いが広がった。
貴子はグラスを見つめながら、ゆっくりと言った。
貴子
「でも、男に戻らないって決めたのも私、女で生きるって決めたのも私、多分、たかし、のままで生きてたら、しがないサラリーマンのままだったと思います」
少しだけ静かになる店内。
社長は腕を組んで頷く。
社長
「せやろなぁ」
爺さんも目を細める。
爺さん
「そうじゃのぅ」
マスターはうんうんと頷きながら、
マスター
「うんうん、柔らかそうだし」
貴子はすぐに顔を上げる。
貴子
「マスター!!」
笑いが広がる、そのタイミングで――
店の扉が開いた。
ケンジが来店した。
マスター
「新婚さんいらっしゃい~」
社長はグラスを置きながら笑う。
社長
「旦那の登場やな」
爺さんも目を細める。
爺さん
「めでたいのぅ」
ケンジは少し照れながら頭を下げる。
ケンジ
「ありがとうございます」
そして貴子を見る。
「店行ったら貴子休みって聞いて、ここかな?と思って」
社長はニヤリとする。
社長
「早速、旦那に内緒でお出かけかいな」
爺さん
「それはダメじゃのぅ」
マスターは両手を上げて芝居がかる。
マスター
「すまないケンジくん、貴子ちゃんがどうしても俺に会いたいって言うから……」
貴子は即座に立ち上がる。
貴子
「言ってません!!」
そのまま左手を上げる。
薬指の指輪がきらりと光る。
「ケンジの妻ですから」
そう言って、まっすぐケンジを見る。
ケンジは少し頬を赤くして、
ケンジ
「嬉しいけど……内緒にしないの!」
貴子は素直にうなずく。
貴子
「はーい、ごめんなさい」
社長が吹き出す。
社長
「早速夫婦喧嘩ないな」
爺さん
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」
マスターは胸を押さえて大げさに。
マスター
「すまんケンジくん、俺のせいで争わないでくれ」
その瞬間――
貴子 ケンジ
「マスター!!」
店内に笑いが広がる。
社長は思い出したように言う。
社長
「そういや、住む場所、どうするんや?」
ケンジは少し考えてから答える。
ケンジ
「いや、まだなんとも」
貴子も目を丸くする。
貴子
「あ、全然考えてなかった」
爺さんがゆっくり頷く。
爺さん
「重要な事じゃのに」
貴子は照れ笑いする。
貴子
「だって~結婚で頭いっぱいすぎて」
ケンジも苦笑い。
ケンジ
「僕もそんな感じで」
社長がにやりと笑う。
社長
「わし実はな不動産屋もやっとんねん」
爺さん
「なんでもやっておるの」
貴子は半分あきれ顔で。
貴子
「何もんですか社長は」
社長はポケットから折りたたんだ紙を取り出す。
社長
「何が1番儲かるか色々やってんねん、この物件とかどうかな?思て」
そう言い、物件紹介の紙を二人に見せる。
貴子の目が輝く。
貴子
「めっちゃ広いし、店にも近い」
ケンジも覗き込む。
ケンジ
「ね、2人で住むには充分だね」
貴子は現実に戻る。
貴子
「でも、家賃高そう」
社長は肩をすくめる。
社長
「まぁ、だいぶ高いんやけどな、わしからの結婚祝いや、10万にまけといたろ」
ケンジが思わず声を上げる。
ケンジ
「え?この広さで、この立地で?」
貴子はぱっと社長を見る。
貴子
「社長~ありがとうございます」
マスターがすかさず口を挟む。
マスター
「ケンジくんがいない時に会いに行こう」
ケンジが即反応。
ケンジ
「マスター!!」
マスターは大げさに身を引く。
マスター
「貴子ちゃんケンジくん怖い~」
貴子は呆れながら笑う。
貴子
「当たり前でしょ~」
店内はまた笑いに包まれた。
そして休日。
2人は社長の案内で新居候補の部屋に来ていた。
ドアを開けた瞬間、広いリビングが目に入る。
社長
「どや?月10万で、ここよりええとこないで」
貴子
「本当~ひろいし、きれいだし」
ケンジ
「駅も近いし、本当に立地もいいね」
社長
「まぁ、ほんまは30万以上の家賃いるからなぁ」
貴子はケンジの腕を軽く引く。
「ケンジ、ここにしよ」
ケンジは一度ぐるっと部屋を見渡してから、うなずく。
「うん、そうだね」
社長
「ほな、旦那さんに契約書渡すわ」
ケンジは少し緊張した顔で契約書に記入する。
「これでいいですか?」
社長は契約書を確認し、満足そうにうなずく。
「うん、間違いないわ。1週間後には住めるようになる思うわ」
貴子
「待ち遠しい~、引っ越し業者さーがそ」
ケンジ
「うん、1週間たったら本格的に夫婦だね」
まだどこかくすぐったい言い方に、貴子は少し照れて笑う。
そして3人は部屋を出た。
翌日。
ガールズバーに出勤しようと店の前まで来た貴子。
しかし、扉には――
『本日貸切』
の張り紙。
「団体予約でも?」と首をかしげながら扉を開ける。
その瞬間――
パンパンパーン!
クラッカーが一斉に鳴り響く。
ママ ノゾミ 社長 爺さん マスター
「結婚おめでとう~」
呆然と立ち尽くす貴子。
ママ
「はい、新婦さん、ここで待ってなさい」
背中をくるっと押される。
すると奥からケンジが現れ、ゆっくりと貴子の横へ。
自然に腕を組む。
まだ状況が飲み込めないまま、2人は神父の格好をしたマスターの前へ。
マスター
「病める時も健やかなる時もマスターを愛すと誓いますか?」
一瞬の沈黙。
貴子 ケンジ
「誓いません」
店内大爆笑。
貴子
「ケンジを愛すと誓います」
ケンジ
「貴子を愛すと誓います」
その瞬間、
「キス!キス!キス!」
キスコールが起きる。
2人は顔を見合わせ、照れながらそっと唇を重ねる。
拍手と歓声に包まれる店内。
カウンターがバージンロードになった夜だった。
そして、ママ、社長、ケンジの同僚の山田さんなどから祝福の言葉が続き、簡単な余興も終わったあと――
ノゾミがマイクを手に取った。
ノゾミ
「貴子ちゃん、ケンジさん、おめでとうございます。
貴子ちゃんは、ケンジさんが初めて店にきた時、顔を真っ赤にしてモジモジしてて、
この2人、付き合うんだろうなって思ってたけど、まさか結婚までするとは思わなかったです」
店内に、くすっと笑いが起きる。
ノゾミ
「貴子ちゃんが初めてきた時は、限度を知らずにお酒を飲んだり、
ちょっと胸を触られただけで泣いたりする子でした」
貴子は、少しだけ気恥ずかしそうに笑う。
ノゾミ
「でも、今は違います。
セクハラされようが、貴子ちゃんはそれをかわして、立派に成長しました。
今をちゃんと楽しんでるんだと思います」
そう言って、ノゾミは貴子の背後に回り――
「この胸でケンジさんを喜ばせてください」
と、貴子の胸を鷲掴みにする。
貴子
「もう~、ちょっと感動した気持ち返してよ~」
マスター
「俺もいい?」
ケンジ
「ダメです、旦那の特権ですから」
貴子
「もう~恥ずかしいよ、ケンジ」
笑いが起きたあと、今度は爺さんがゆっくりとマイクを持つ。
爺さん
「性別関係なく、楽だ苦だ、そんなもんは存在せん。
楽があるから苦があり、苦があるから楽がある。
女が楽だ、男が楽だ、そんな事を言っとるうちは、一生“楽”など来ない」
店内が、しんと静まる。
爺さん
「言い訳をせず、今を生きる。
今と向き合う。
それが大切じゃ」
一瞬の沈黙のあと――
大きな拍手が店内を包んだ。
そしてガールズバーでの式が終わり、社長や爺さんたちは先に帰っていった。
ケンジ
「ママ、ありがとうございました」
貴子
「ケンジ、なんでサプライズにしたのよ~」
ケンジ
「貴子が内緒で、あのBARに行った日に、ママとノゾミさんと計画したんだよ。これで、おあいこ」
貴子
「うん、もうお互い内緒なしね」
ケンジ
「もうすぐ一緒に住むし、内緒なんてできないよ」
貴子
「それもそうか」
ママ
「ケンジくん、貴子、大事にしてあげてね。この子、突っ走ってしまうとこあるから、ケンジさんがブレーキ役になるのよ」
ケンジ
「はい、わかりました」
ノゾミ
「酔いつぶれたりしないように監視しておくね」
ケンジ
「はい、本当に、それが心配で」
貴子
「はい、気をつけます」
ママ
「それに宝の持ち腐れだったけど」
ノゾミ
「だったけど~」
二人は、じりじりと貴子に近づき――
ママ
「活躍できそうね」
そう言って、貴子の胸をぷにぷにする。
貴子
「もう~」
ケンジ
「はい、活躍させます」
貴子
「こら!ケンジ」
笑い声が店内に残り、
そうして小さな結婚式は終わった。
そしていよいよ、同居スタートの日。
引っ越し業者が新居に次々と荷物を運び込んでいく。
新たに買った家具や家電も届き、部屋はあっという間にダンボールで埋まった。
引っ越し業者
「これで全てとなります。ありがとうございました」
扉が閉まり、静かになる。
新居にはダンボールがいっぱい、である。
貴子
「うーん、結構な量だね」
ケンジ
「とりあえず必要なものだけ出して、ゆっくりやろう」
貴子
「そうだね」
そう言って2人は、ゆっくり片付けだした。
食器、衣類、洗面道具。
生活の匂いが少しずつ部屋に広がっていく。
しばらくして――
貴子
「ちょっと休憩~」
押し入れから布団を引っ張り出し、そのままごろんと横になる。
ケンジ
「俺は、もうちょい頑張るから、ゆっくりしな」
貴子は、ここ最近いろんな事が目まぐるしく起きたせいか、
体の力がふっと抜け、そのまま眠ってしまった。
ダンボールに囲まれた新しい部屋。
夫婦としての、最初の午後だった。
そして貴子は目を覚ました。
いつの間にか、ケンジが組み立てたベッドの上に移されていた。
貴子
「うわぁ~、このベッドひろーい」
体を伸ばして、ふかふかのマットに顔をうずめる。
ケンジ
「起きた?よっぽど疲れてたんだね」
貴子
「ごめーん、片付け1人でさせちゃって」
ケンジは少し笑いながら首を振る。
「いいよ。2人の新しい生活の為だからね」
まだ段ボールは残っているけれど、
ベッドだけはちゃんと整っている。
夫婦としての、最初の夜が始まろうとしていた。
そしてその夜。
二人ともシャワーを浴び、ベッドに入っていた。
ケンジ
「そろそろ寝ようか」
貴子
「うん」
ケンジ
「おやすみ」
貴子
「おやすみ」
灯りを落とし、静けさが戻る。
その直後、貴子がそっとケンジに抱きついた。
ケンジ
「どうしたの?」
貴子
「あ、あの……していいよ」
ケンジ
「……ん?」
貴子
「最後まで……」
ケンジは一瞬、貴子の顔をのぞき込む。
ケンジ
「いいの? 怖くない?」
貴子は小さく息を吸い、
「……うん」
と、うなずいた。
ケンジ
「わかった」
そう言って、そっと唇を重ねる。
ゆっくりと、確かめるように、二人は愛し合い始めた。
そして、その夜。
貴子のパジャマをゆっくり脱がせ、ケンジも自分のパジャマを脱ぐ。
肌と肌が触れ合い、静かな部屋に互いの息づかいだけが響く。
お互い求め合い、ひとつになる手前まできた。
ケンジ
「いい?」
貴子は小さく頷く。
そして、ケンジはゆっくりと腰をしずめた。
貴子
「うっ……痛っ」
ケンジ
「大丈夫?」
動きを止め、貴子の様子を確かめる。
貴子は少し息を整えながら、もう一度頷く。
ケンジは貴子を気づかいながら、無理をさせないようにゆっくり動いた。
お互いの愛が混ざり合い、静かな部屋に吐息が重なっていく。
肌と肌が離れないまま、熱だけが確かに伝わっていた。
ケンジ
「貴子……」
ケンジの息は次第に荒くなり、反射的に腰をひこうとする。
その小さな動きを、貴子は逃がさなかった。
貴子
「……そのまま」
そう言って、ケンジをきつく抱きしめる。
離さないという意思が、腕にこもっていた。
そして――
ひとつになったまま、ケンジの動きが、静かに止まった。
行為のあと、ベッドの上で並んで横になる二人。
ケンジ
「大丈夫だった?」
貴子
「最初は痛かったけど……良かった」
ケンジ
「何が良かった?」
貴子
「もう……いじわる」
そう言って、ぷくっと頬をふくらませる。
ケンジ
「可愛い」
軽く唇を重ねる。
貴子
「ちょっと緊張もしたから……疲れた……」
ケンジ
「そっか。じゃあ、今度こそ寝よっか」
貴子
「うん」
そうして二人は目を閉じた。
初めてひとつになり、新しい家で迎えた、同居生活一日目の夜が静かに終わった。
少しだけ緊張しながら番号札を取る。
呼び出し表示を見つめながら、落ち着こうと深呼吸する。
「25番の方~」
呼ばれて、窓口へ向かう。
そこにいたのは――
ケンジだった。
ケンジ
「貴子、どうしたの?」
貴子は何も言わず、カバンからそっと封筒を取り出す。
貴子
「これ、お願いします」
ケンジは封筒を受け取り、中身を確認する。
一瞬、動きが止まる。
一瞬、驚いた顔になる。
ケンジ
「あ、これ……俺は受理できないや……」
少し困った表情のケンジ。
貴子
「え?」
ケンジはすぐに周囲を見渡し、
ケンジ
「山田さーん、これ、お願いします」
女性職員は、自分でやれば良いのになぁ、って感じで婚姻届を受け取り名前を確認、ニヤッとして
「そういうことね」
そして貴子に向かって、
「少々お待ちください、こちらの番号でお呼びしますので」
と番号札を渡される。
貴子は少し離れた椅子に座る。
心臓の音がやけに大きく感じる。
手のひらがじんわりと汗ばむ。
待つ時間が、やけに長い。
しばらくして――
「295番でお待ちの方」
呼ばれて立ち上がる。
女性職員
「書類に不備なく受理されました。本日は、おめでとうございます」
その瞬間、張りつめていたものがふっとほどける。
貴子はケンジを見る。
「ケンジ」
「貴子」
自然と手を取り合う二人。
女性職員
「佐々木くん、仕事中よ、でも、おめでとう」
市役所の静かな空気の中で、
確かにその瞬間、二人は夫婦になった。
貴子はゆっくりと手を離す。
「ケンジ……仕事頑張って、またね」
ほんの少しだけ照れた笑顔。
ケンジは小さくうなずく。
貴子は振り返らずに歩き出す。
市役所の自動ドアが静かに開き、外の光が差し込む。
妻になった。
でも――まだ、ガールズバーの貴子でもある。
胸の奥に、新しい覚悟が芽生えていた。
そして市役所から出る貴子だった。
その夜、貴子は気持ちが落ち着かず、店は休み、BARワンダーに来ていた。
社長
「そうかぁ。あの女批判してた兄ちゃんが姉ちゃんになって……いやぁ、それにしても、めでたい話やな」
爺さん
「ほんにのぅ。女なんかこりごりじゃ、戻してくれーって泣きついて来ると思っとったんじゃが」
マスター
「うーん……人妻って思って見るとなかなかいいな」
そう言って、腕を組んだまま、貴子の胸元をじっと眺める。
貴子
「マスターったら……でも、この店がなかったら、女になることも、ケンジさんに出会えたのも、なかったので。そこだけは感謝です」
マスター
「そこだけは余計だ。……でもな」
少しだけ、真面目な声になる。
マスター
「女になることを選んだのも、ケンジと結婚を決めたのも、貴子ちゃん自身だよ」
貴子
「マスター、たまに良いこと言う~」
マスター
「“たまに”は余計だ」
店内に、くすっとした笑いが広がった。
貴子はグラスを見つめながら、ゆっくりと言った。
貴子
「でも、男に戻らないって決めたのも私、女で生きるって決めたのも私、多分、たかし、のままで生きてたら、しがないサラリーマンのままだったと思います」
少しだけ静かになる店内。
社長は腕を組んで頷く。
社長
「せやろなぁ」
爺さんも目を細める。
爺さん
「そうじゃのぅ」
マスターはうんうんと頷きながら、
マスター
「うんうん、柔らかそうだし」
貴子はすぐに顔を上げる。
貴子
「マスター!!」
笑いが広がる、そのタイミングで――
店の扉が開いた。
ケンジが来店した。
マスター
「新婚さんいらっしゃい~」
社長はグラスを置きながら笑う。
社長
「旦那の登場やな」
爺さんも目を細める。
爺さん
「めでたいのぅ」
ケンジは少し照れながら頭を下げる。
ケンジ
「ありがとうございます」
そして貴子を見る。
「店行ったら貴子休みって聞いて、ここかな?と思って」
社長はニヤリとする。
社長
「早速、旦那に内緒でお出かけかいな」
爺さん
「それはダメじゃのぅ」
マスターは両手を上げて芝居がかる。
マスター
「すまないケンジくん、貴子ちゃんがどうしても俺に会いたいって言うから……」
貴子は即座に立ち上がる。
貴子
「言ってません!!」
そのまま左手を上げる。
薬指の指輪がきらりと光る。
「ケンジの妻ですから」
そう言って、まっすぐケンジを見る。
ケンジは少し頬を赤くして、
ケンジ
「嬉しいけど……内緒にしないの!」
貴子は素直にうなずく。
貴子
「はーい、ごめんなさい」
社長が吹き出す。
社長
「早速夫婦喧嘩ないな」
爺さん
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」
マスターは胸を押さえて大げさに。
マスター
「すまんケンジくん、俺のせいで争わないでくれ」
その瞬間――
貴子 ケンジ
「マスター!!」
店内に笑いが広がる。
社長は思い出したように言う。
社長
「そういや、住む場所、どうするんや?」
ケンジは少し考えてから答える。
ケンジ
「いや、まだなんとも」
貴子も目を丸くする。
貴子
「あ、全然考えてなかった」
爺さんがゆっくり頷く。
爺さん
「重要な事じゃのに」
貴子は照れ笑いする。
貴子
「だって~結婚で頭いっぱいすぎて」
ケンジも苦笑い。
ケンジ
「僕もそんな感じで」
社長がにやりと笑う。
社長
「わし実はな不動産屋もやっとんねん」
爺さん
「なんでもやっておるの」
貴子は半分あきれ顔で。
貴子
「何もんですか社長は」
社長はポケットから折りたたんだ紙を取り出す。
社長
「何が1番儲かるか色々やってんねん、この物件とかどうかな?思て」
そう言い、物件紹介の紙を二人に見せる。
貴子の目が輝く。
貴子
「めっちゃ広いし、店にも近い」
ケンジも覗き込む。
ケンジ
「ね、2人で住むには充分だね」
貴子は現実に戻る。
貴子
「でも、家賃高そう」
社長は肩をすくめる。
社長
「まぁ、だいぶ高いんやけどな、わしからの結婚祝いや、10万にまけといたろ」
ケンジが思わず声を上げる。
ケンジ
「え?この広さで、この立地で?」
貴子はぱっと社長を見る。
貴子
「社長~ありがとうございます」
マスターがすかさず口を挟む。
マスター
「ケンジくんがいない時に会いに行こう」
ケンジが即反応。
ケンジ
「マスター!!」
マスターは大げさに身を引く。
マスター
「貴子ちゃんケンジくん怖い~」
貴子は呆れながら笑う。
貴子
「当たり前でしょ~」
店内はまた笑いに包まれた。
そして休日。
2人は社長の案内で新居候補の部屋に来ていた。
ドアを開けた瞬間、広いリビングが目に入る。
社長
「どや?月10万で、ここよりええとこないで」
貴子
「本当~ひろいし、きれいだし」
ケンジ
「駅も近いし、本当に立地もいいね」
社長
「まぁ、ほんまは30万以上の家賃いるからなぁ」
貴子はケンジの腕を軽く引く。
「ケンジ、ここにしよ」
ケンジは一度ぐるっと部屋を見渡してから、うなずく。
「うん、そうだね」
社長
「ほな、旦那さんに契約書渡すわ」
ケンジは少し緊張した顔で契約書に記入する。
「これでいいですか?」
社長は契約書を確認し、満足そうにうなずく。
「うん、間違いないわ。1週間後には住めるようになる思うわ」
貴子
「待ち遠しい~、引っ越し業者さーがそ」
ケンジ
「うん、1週間たったら本格的に夫婦だね」
まだどこかくすぐったい言い方に、貴子は少し照れて笑う。
そして3人は部屋を出た。
翌日。
ガールズバーに出勤しようと店の前まで来た貴子。
しかし、扉には――
『本日貸切』
の張り紙。
「団体予約でも?」と首をかしげながら扉を開ける。
その瞬間――
パンパンパーン!
クラッカーが一斉に鳴り響く。
ママ ノゾミ 社長 爺さん マスター
「結婚おめでとう~」
呆然と立ち尽くす貴子。
ママ
「はい、新婦さん、ここで待ってなさい」
背中をくるっと押される。
すると奥からケンジが現れ、ゆっくりと貴子の横へ。
自然に腕を組む。
まだ状況が飲み込めないまま、2人は神父の格好をしたマスターの前へ。
マスター
「病める時も健やかなる時もマスターを愛すと誓いますか?」
一瞬の沈黙。
貴子 ケンジ
「誓いません」
店内大爆笑。
貴子
「ケンジを愛すと誓います」
ケンジ
「貴子を愛すと誓います」
その瞬間、
「キス!キス!キス!」
キスコールが起きる。
2人は顔を見合わせ、照れながらそっと唇を重ねる。
拍手と歓声に包まれる店内。
カウンターがバージンロードになった夜だった。
そして、ママ、社長、ケンジの同僚の山田さんなどから祝福の言葉が続き、簡単な余興も終わったあと――
ノゾミがマイクを手に取った。
ノゾミ
「貴子ちゃん、ケンジさん、おめでとうございます。
貴子ちゃんは、ケンジさんが初めて店にきた時、顔を真っ赤にしてモジモジしてて、
この2人、付き合うんだろうなって思ってたけど、まさか結婚までするとは思わなかったです」
店内に、くすっと笑いが起きる。
ノゾミ
「貴子ちゃんが初めてきた時は、限度を知らずにお酒を飲んだり、
ちょっと胸を触られただけで泣いたりする子でした」
貴子は、少しだけ気恥ずかしそうに笑う。
ノゾミ
「でも、今は違います。
セクハラされようが、貴子ちゃんはそれをかわして、立派に成長しました。
今をちゃんと楽しんでるんだと思います」
そう言って、ノゾミは貴子の背後に回り――
「この胸でケンジさんを喜ばせてください」
と、貴子の胸を鷲掴みにする。
貴子
「もう~、ちょっと感動した気持ち返してよ~」
マスター
「俺もいい?」
ケンジ
「ダメです、旦那の特権ですから」
貴子
「もう~恥ずかしいよ、ケンジ」
笑いが起きたあと、今度は爺さんがゆっくりとマイクを持つ。
爺さん
「性別関係なく、楽だ苦だ、そんなもんは存在せん。
楽があるから苦があり、苦があるから楽がある。
女が楽だ、男が楽だ、そんな事を言っとるうちは、一生“楽”など来ない」
店内が、しんと静まる。
爺さん
「言い訳をせず、今を生きる。
今と向き合う。
それが大切じゃ」
一瞬の沈黙のあと――
大きな拍手が店内を包んだ。
そしてガールズバーでの式が終わり、社長や爺さんたちは先に帰っていった。
ケンジ
「ママ、ありがとうございました」
貴子
「ケンジ、なんでサプライズにしたのよ~」
ケンジ
「貴子が内緒で、あのBARに行った日に、ママとノゾミさんと計画したんだよ。これで、おあいこ」
貴子
「うん、もうお互い内緒なしね」
ケンジ
「もうすぐ一緒に住むし、内緒なんてできないよ」
貴子
「それもそうか」
ママ
「ケンジくん、貴子、大事にしてあげてね。この子、突っ走ってしまうとこあるから、ケンジさんがブレーキ役になるのよ」
ケンジ
「はい、わかりました」
ノゾミ
「酔いつぶれたりしないように監視しておくね」
ケンジ
「はい、本当に、それが心配で」
貴子
「はい、気をつけます」
ママ
「それに宝の持ち腐れだったけど」
ノゾミ
「だったけど~」
二人は、じりじりと貴子に近づき――
ママ
「活躍できそうね」
そう言って、貴子の胸をぷにぷにする。
貴子
「もう~」
ケンジ
「はい、活躍させます」
貴子
「こら!ケンジ」
笑い声が店内に残り、
そうして小さな結婚式は終わった。
そしていよいよ、同居スタートの日。
引っ越し業者が新居に次々と荷物を運び込んでいく。
新たに買った家具や家電も届き、部屋はあっという間にダンボールで埋まった。
引っ越し業者
「これで全てとなります。ありがとうございました」
扉が閉まり、静かになる。
新居にはダンボールがいっぱい、である。
貴子
「うーん、結構な量だね」
ケンジ
「とりあえず必要なものだけ出して、ゆっくりやろう」
貴子
「そうだね」
そう言って2人は、ゆっくり片付けだした。
食器、衣類、洗面道具。
生活の匂いが少しずつ部屋に広がっていく。
しばらくして――
貴子
「ちょっと休憩~」
押し入れから布団を引っ張り出し、そのままごろんと横になる。
ケンジ
「俺は、もうちょい頑張るから、ゆっくりしな」
貴子は、ここ最近いろんな事が目まぐるしく起きたせいか、
体の力がふっと抜け、そのまま眠ってしまった。
ダンボールに囲まれた新しい部屋。
夫婦としての、最初の午後だった。
そして貴子は目を覚ました。
いつの間にか、ケンジが組み立てたベッドの上に移されていた。
貴子
「うわぁ~、このベッドひろーい」
体を伸ばして、ふかふかのマットに顔をうずめる。
ケンジ
「起きた?よっぽど疲れてたんだね」
貴子
「ごめーん、片付け1人でさせちゃって」
ケンジは少し笑いながら首を振る。
「いいよ。2人の新しい生活の為だからね」
まだ段ボールは残っているけれど、
ベッドだけはちゃんと整っている。
夫婦としての、最初の夜が始まろうとしていた。
そしてその夜。
二人ともシャワーを浴び、ベッドに入っていた。
ケンジ
「そろそろ寝ようか」
貴子
「うん」
ケンジ
「おやすみ」
貴子
「おやすみ」
灯りを落とし、静けさが戻る。
その直後、貴子がそっとケンジに抱きついた。
ケンジ
「どうしたの?」
貴子
「あ、あの……していいよ」
ケンジ
「……ん?」
貴子
「最後まで……」
ケンジは一瞬、貴子の顔をのぞき込む。
ケンジ
「いいの? 怖くない?」
貴子は小さく息を吸い、
「……うん」
と、うなずいた。
ケンジ
「わかった」
そう言って、そっと唇を重ねる。
ゆっくりと、確かめるように、二人は愛し合い始めた。
そして、その夜。
貴子のパジャマをゆっくり脱がせ、ケンジも自分のパジャマを脱ぐ。
肌と肌が触れ合い、静かな部屋に互いの息づかいだけが響く。
お互い求め合い、ひとつになる手前まできた。
ケンジ
「いい?」
貴子は小さく頷く。
そして、ケンジはゆっくりと腰をしずめた。
貴子
「うっ……痛っ」
ケンジ
「大丈夫?」
動きを止め、貴子の様子を確かめる。
貴子は少し息を整えながら、もう一度頷く。
ケンジは貴子を気づかいながら、無理をさせないようにゆっくり動いた。
お互いの愛が混ざり合い、静かな部屋に吐息が重なっていく。
肌と肌が離れないまま、熱だけが確かに伝わっていた。
ケンジ
「貴子……」
ケンジの息は次第に荒くなり、反射的に腰をひこうとする。
その小さな動きを、貴子は逃がさなかった。
貴子
「……そのまま」
そう言って、ケンジをきつく抱きしめる。
離さないという意思が、腕にこもっていた。
そして――
ひとつになったまま、ケンジの動きが、静かに止まった。
行為のあと、ベッドの上で並んで横になる二人。
ケンジ
「大丈夫だった?」
貴子
「最初は痛かったけど……良かった」
ケンジ
「何が良かった?」
貴子
「もう……いじわる」
そう言って、ぷくっと頬をふくらませる。
ケンジ
「可愛い」
軽く唇を重ねる。
貴子
「ちょっと緊張もしたから……疲れた……」
ケンジ
「そっか。じゃあ、今度こそ寝よっか」
貴子
「うん」
そうして二人は目を閉じた。
初めてひとつになり、新しい家で迎えた、同居生活一日目の夜が静かに終わった。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~
双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。
なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。
※小説家になろうでも掲載中。
※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる