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変わりゆく気持ちの行方
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福永と最後に出かけた日から、二週間が経った。
あの夜は、最高で最悪の夜だった。何度もキスをして、舌を絡めあった。
福永への気持ちを完全に自覚したからなのか、より深い快感に酔いしれて訳が分からぬほど乱れてしまった。
挿入しないだけで、あれはほぼセックスだった。最後の最後にあんな濃厚な体験を刻みつけるなんて、本当に福永という人は罪な男だ。
あれから福永は、九州に出張に出かけた。先日戻ってきたようだが、璃湖はなるべく福永の存在を視界に入れないように細心の注意を払い過ごしている。
ちょうど繁忙期に入ったことも、今の彼女には幸いだった。忙しい方が、余計なことを考えずに済むからだ。
あの日、福永に出張から戻ったら話したいことがあると告げられた。彼からは毎日、誘いの連絡がきているが、璃湖は母が怪我をして実家に通わなければいけなくなったと断っている。
母が足を骨折してしまったのは事実だが、実家には週末顔を出したくらいで通ってはいない。実家で同居している兄夫婦がしっかりと面倒を見てくれている。
璃湖は福永の話を聞く気はなかった。面と向かって終わりを告げられたら泣いてしまう自信がある。早く諦めてほしいと思うが、今のところその気配がない。律儀なのもなかなか考えものである。
最寄りの駅から家までの道を歩きながら、はあっとため息をつく。ここも、何度も福永と一緒に歩いた。
同じ景色のはずなのに、なんだか色褪せて見えるのはどうしてなのだろうか。切なさが募り、泣きそうになってしまう。
だが、彼のEDの治療に協力したことは後悔していない。福永には幸せになってほしい。心の底からそう願っている。
彼が家族を持つという夢も、きっとそう遠くない未来に叶うだろう。ひとつだけわがままを言うなら、相手は社外で見つけてほしい。
社内で顔見知りの誰かと並び、幸せそうに微笑む福永の姿など見たくない。想像しただけで涙が出てきて、思わず璃湖は立ち止まった。
このまま彼と一緒に働いていくのは辛い。せっかく入社できた優良企業だが、転職を考えるべきかもしれない。
そこで璃湖はハッとした。そこまでしなくとも宝村ホールディングスには璃湖と福永が所属するメディカルヘルス部門の他に食品部門がある。
建屋も変わるし、顔を合わせる機会はまったくと言っていいほどなくなるだろう。そちらに異動を申し出ればいいのだ。今なら十月の人事異動にまだ間に合うだろう。
誰も知り合いのいない部署で一から人間関係を作らなければいけないのは勇気がいるが、今の苦しさを思えばそんなものはなんでもないことだ。
そうだ、ついでにもう愛するおもちゃたちで処女も喪失してしまおう。そうすれば初めては福永がいいなんて、そんな身の程知らずな願いを抱かずに済む。
よく漫画や小説で失恋の勢いで他の男と一夜を過ごすという話があるが、璃湖にそこまでする勇気はない。
そんなものがあったら恐らく彼女はすでに処女ではなかっただろう。エッチなことが好きな変態だという自覚はあるが、貞操観念はとんでもなくしっかりしているのが璃湖という人間だ。
それにやはり、彼以外の男に触れられるなんて考えられない。
そうと決まれば、さっさと家に帰ってやることをやってしまおう。そして明日、出社したらすぐに上司に異動の件を相談するのだ。
目に浮かんだ涙を拭って、璃湖は再び歩き出した。ズキズキと心が痛んでいることには、気づかないフリをして。
だが……。
「ああ! そうだった!」
帰宅後、荷物を置いてすぐにベッドサイドの引き出しを開けた璃湖は、おもちゃたちを福永に預けたままなことにようやく気がついた。そういえば使用するのを禁止されていた。
それならば、新しいものを頼めばいい。世の中には未知のおもちゃが溢れているはずだ。そう思うのに身体が動かない。
だって、福永以上のおもちゃなど永遠に見つかる気がしない。もう他ではダメなのだ。彼でないと……。
先ほどまで意気込んでいた気持ちが急速に萎んでいく。悲しくて情けなくて、璃湖はひとり涙をこぼした。
すると、突然インターフォンの音が鳴り響き、璃湖はビクリと身を震わせた。もしかして、福永だろうか。そう思って立ち上がり、モニターで確認するが彼ではない。
スーツ姿の男が、じっとカメラを見つめている。なにかの営業だろうか。だが、どこかで見たことがある気がする。
「こんばんは。すみません、隣の者なんですが。ちょっとお伝えしたいことがあって。ご帰宅したのが見えたので⋯⋯」
そう言われて、ようやく来訪者が隣に住む男だと気づく。今まですれ違ったときに挨拶をする程度で、こんな風に訪ねてくるなんてことは一度もなかった。
一体、なんの話だろうかと思いながら、念の為チェーンをかけたまま扉を開ける。
「こんばんは。突然、すみません。⋯⋯これ、外してもらえませんかねぇ。話しにくいので」
「それは⋯⋯今まであまりお話したことがないですし。自衛のために、すみません。このままお話させていただければと思います」
璃湖がそう言うと、男の表情が一変した。チッと舌打ちした男が、ハサミのような工具をドアの隙間から忍び込ませてくる。それでチェーンを切ろうとしていることに気づいて、身体からサッと血の気が引いた。
「な、なにするつもりですか!?」
「大きい声出すなよ。あんあん、あんあん、いやらしい声聞かせやがって。おかげで、あんたの声を聞かないと抜けなくなったじゃねえか。どうしてくれるんだよ」
下卑た笑みを向けられて、ゾッとする。これは十中八九、福永との行為中の喘ぎ声のことを言っているのだろう。このアパートの壁はそう厚くないのだ。
気をつけていたつもりだったが、あまりの快楽に声が抑えられていないときも多々あった気がする。
「そ、それは⋯⋯申し訳なかったです。だけど、これは良くないですよ。犯罪です」
「うるせえなぁ。最近、あの男来てないから振られたんだろ? おたくには不釣り合いな極上の男だったもんな。どうせご無沙汰でそのエロい身体持て余してんだろ? あんたの声が聞こえなくってから抜けなくて、こっちは溜まりに溜まってるんだよ。俺が発散させてやるから、ここ開けろよ」
血走った目で見つめられて、璃湖は青ざめた。部屋に入られたら終わりだ。こんな男にいいようにされるなんて絶対にごめんである。
力一杯、ドアを閉めようとするが、差し込まれた工具が邪魔をしてそれを阻まれる。しばし攻防を続けていると、誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。幸運なことに、他の住人が帰宅してきたようだ。
「これ以上するなら、大声で叫びますよ! いいんですか? 社会的信用を失っても」
そう言うと、男が怯んだ。舌打ちともに、差し込まれていた工具が引き抜かれる。その隙に璃湖はドアを締めて、しっかりと施錠した。
「くそっ!」
悪態をついた男の気配が遠ざかっていくのを感じ、璃湖の身体から力が抜ける。ヘナヘナとその場に座り込んだ璃湖は乱れた息を整えようと深呼吸を繰り返す。だが、身体の震えは一向に止まってくれない。
確かにあられもない声を聞かせてしまったのは申し訳なかったが、これは立派な犯罪行為だ。部屋に押し入って強姦しようとするなんて、絶対に許されない。
しばし玄関に座り込んでいると、壁を殴る音が聞こえてビクリと身を震わせる。隣の男が腹いせに暴れているのだろう。とてつもない恐怖に襲われるが、こうしている場合ではないと力の入らない身体を叱咤して立ち上がる。
あんな男が隣にいる部屋にはいられない。工具でチェーンを切ろうとしてくるくらいだ。ベランダの窓を突き破って侵入してくるかもしれない。璃湖は物音をたてないように細心の注意を払いながら、大きめのバッグに数日分の着替えと日用品を詰め込んだ。
相変わらず壁を叩く音は聞こえているが、それは男がその場所に留まっているという安心材料になった。
準備を済ませ、璃湖は玄関に向かった。そして足音がしないようにスニーカーを履いて、そっと外に出る。男の壁を殴る音は廊下にまで響いていた。
これは他の住人にも迷惑だろう。申し訳なさを感じるが、今は一刻も早くこの場所から離れたい。
急いでアパートを出て、会社の近くのホテルに空きがあることを確認して予約をとる。ほっと息をついたところで、スマホが着信を知らせた。相手は福永だ。
その名前を見て、涙が出そうになるのを璃湖は必死にこらえた。このまま彼に縋ってしまえたら、どんなにいいだろう。
だけど、それはできない。彼はただの同僚なのだから、迷惑をかける訳にはいかないのだ。
目尻に浮かんだ涙を拭って、璃湖は駅への道をひとり歩き出した。
あの夜は、最高で最悪の夜だった。何度もキスをして、舌を絡めあった。
福永への気持ちを完全に自覚したからなのか、より深い快感に酔いしれて訳が分からぬほど乱れてしまった。
挿入しないだけで、あれはほぼセックスだった。最後の最後にあんな濃厚な体験を刻みつけるなんて、本当に福永という人は罪な男だ。
あれから福永は、九州に出張に出かけた。先日戻ってきたようだが、璃湖はなるべく福永の存在を視界に入れないように細心の注意を払い過ごしている。
ちょうど繁忙期に入ったことも、今の彼女には幸いだった。忙しい方が、余計なことを考えずに済むからだ。
あの日、福永に出張から戻ったら話したいことがあると告げられた。彼からは毎日、誘いの連絡がきているが、璃湖は母が怪我をして実家に通わなければいけなくなったと断っている。
母が足を骨折してしまったのは事実だが、実家には週末顔を出したくらいで通ってはいない。実家で同居している兄夫婦がしっかりと面倒を見てくれている。
璃湖は福永の話を聞く気はなかった。面と向かって終わりを告げられたら泣いてしまう自信がある。早く諦めてほしいと思うが、今のところその気配がない。律儀なのもなかなか考えものである。
最寄りの駅から家までの道を歩きながら、はあっとため息をつく。ここも、何度も福永と一緒に歩いた。
同じ景色のはずなのに、なんだか色褪せて見えるのはどうしてなのだろうか。切なさが募り、泣きそうになってしまう。
だが、彼のEDの治療に協力したことは後悔していない。福永には幸せになってほしい。心の底からそう願っている。
彼が家族を持つという夢も、きっとそう遠くない未来に叶うだろう。ひとつだけわがままを言うなら、相手は社外で見つけてほしい。
社内で顔見知りの誰かと並び、幸せそうに微笑む福永の姿など見たくない。想像しただけで涙が出てきて、思わず璃湖は立ち止まった。
このまま彼と一緒に働いていくのは辛い。せっかく入社できた優良企業だが、転職を考えるべきかもしれない。
そこで璃湖はハッとした。そこまでしなくとも宝村ホールディングスには璃湖と福永が所属するメディカルヘルス部門の他に食品部門がある。
建屋も変わるし、顔を合わせる機会はまったくと言っていいほどなくなるだろう。そちらに異動を申し出ればいいのだ。今なら十月の人事異動にまだ間に合うだろう。
誰も知り合いのいない部署で一から人間関係を作らなければいけないのは勇気がいるが、今の苦しさを思えばそんなものはなんでもないことだ。
そうだ、ついでにもう愛するおもちゃたちで処女も喪失してしまおう。そうすれば初めては福永がいいなんて、そんな身の程知らずな願いを抱かずに済む。
よく漫画や小説で失恋の勢いで他の男と一夜を過ごすという話があるが、璃湖にそこまでする勇気はない。
そんなものがあったら恐らく彼女はすでに処女ではなかっただろう。エッチなことが好きな変態だという自覚はあるが、貞操観念はとんでもなくしっかりしているのが璃湖という人間だ。
それにやはり、彼以外の男に触れられるなんて考えられない。
そうと決まれば、さっさと家に帰ってやることをやってしまおう。そして明日、出社したらすぐに上司に異動の件を相談するのだ。
目に浮かんだ涙を拭って、璃湖は再び歩き出した。ズキズキと心が痛んでいることには、気づかないフリをして。
だが……。
「ああ! そうだった!」
帰宅後、荷物を置いてすぐにベッドサイドの引き出しを開けた璃湖は、おもちゃたちを福永に預けたままなことにようやく気がついた。そういえば使用するのを禁止されていた。
それならば、新しいものを頼めばいい。世の中には未知のおもちゃが溢れているはずだ。そう思うのに身体が動かない。
だって、福永以上のおもちゃなど永遠に見つかる気がしない。もう他ではダメなのだ。彼でないと……。
先ほどまで意気込んでいた気持ちが急速に萎んでいく。悲しくて情けなくて、璃湖はひとり涙をこぼした。
すると、突然インターフォンの音が鳴り響き、璃湖はビクリと身を震わせた。もしかして、福永だろうか。そう思って立ち上がり、モニターで確認するが彼ではない。
スーツ姿の男が、じっとカメラを見つめている。なにかの営業だろうか。だが、どこかで見たことがある気がする。
「こんばんは。すみません、隣の者なんですが。ちょっとお伝えしたいことがあって。ご帰宅したのが見えたので⋯⋯」
そう言われて、ようやく来訪者が隣に住む男だと気づく。今まですれ違ったときに挨拶をする程度で、こんな風に訪ねてくるなんてことは一度もなかった。
一体、なんの話だろうかと思いながら、念の為チェーンをかけたまま扉を開ける。
「こんばんは。突然、すみません。⋯⋯これ、外してもらえませんかねぇ。話しにくいので」
「それは⋯⋯今まであまりお話したことがないですし。自衛のために、すみません。このままお話させていただければと思います」
璃湖がそう言うと、男の表情が一変した。チッと舌打ちした男が、ハサミのような工具をドアの隙間から忍び込ませてくる。それでチェーンを切ろうとしていることに気づいて、身体からサッと血の気が引いた。
「な、なにするつもりですか!?」
「大きい声出すなよ。あんあん、あんあん、いやらしい声聞かせやがって。おかげで、あんたの声を聞かないと抜けなくなったじゃねえか。どうしてくれるんだよ」
下卑た笑みを向けられて、ゾッとする。これは十中八九、福永との行為中の喘ぎ声のことを言っているのだろう。このアパートの壁はそう厚くないのだ。
気をつけていたつもりだったが、あまりの快楽に声が抑えられていないときも多々あった気がする。
「そ、それは⋯⋯申し訳なかったです。だけど、これは良くないですよ。犯罪です」
「うるせえなぁ。最近、あの男来てないから振られたんだろ? おたくには不釣り合いな極上の男だったもんな。どうせご無沙汰でそのエロい身体持て余してんだろ? あんたの声が聞こえなくってから抜けなくて、こっちは溜まりに溜まってるんだよ。俺が発散させてやるから、ここ開けろよ」
血走った目で見つめられて、璃湖は青ざめた。部屋に入られたら終わりだ。こんな男にいいようにされるなんて絶対にごめんである。
力一杯、ドアを閉めようとするが、差し込まれた工具が邪魔をしてそれを阻まれる。しばし攻防を続けていると、誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。幸運なことに、他の住人が帰宅してきたようだ。
「これ以上するなら、大声で叫びますよ! いいんですか? 社会的信用を失っても」
そう言うと、男が怯んだ。舌打ちともに、差し込まれていた工具が引き抜かれる。その隙に璃湖はドアを締めて、しっかりと施錠した。
「くそっ!」
悪態をついた男の気配が遠ざかっていくのを感じ、璃湖の身体から力が抜ける。ヘナヘナとその場に座り込んだ璃湖は乱れた息を整えようと深呼吸を繰り返す。だが、身体の震えは一向に止まってくれない。
確かにあられもない声を聞かせてしまったのは申し訳なかったが、これは立派な犯罪行為だ。部屋に押し入って強姦しようとするなんて、絶対に許されない。
しばし玄関に座り込んでいると、壁を殴る音が聞こえてビクリと身を震わせる。隣の男が腹いせに暴れているのだろう。とてつもない恐怖に襲われるが、こうしている場合ではないと力の入らない身体を叱咤して立ち上がる。
あんな男が隣にいる部屋にはいられない。工具でチェーンを切ろうとしてくるくらいだ。ベランダの窓を突き破って侵入してくるかもしれない。璃湖は物音をたてないように細心の注意を払いながら、大きめのバッグに数日分の着替えと日用品を詰め込んだ。
相変わらず壁を叩く音は聞こえているが、それは男がその場所に留まっているという安心材料になった。
準備を済ませ、璃湖は玄関に向かった。そして足音がしないようにスニーカーを履いて、そっと外に出る。男の壁を殴る音は廊下にまで響いていた。
これは他の住人にも迷惑だろう。申し訳なさを感じるが、今は一刻も早くこの場所から離れたい。
急いでアパートを出て、会社の近くのホテルに空きがあることを確認して予約をとる。ほっと息をついたところで、スマホが着信を知らせた。相手は福永だ。
その名前を見て、涙が出そうになるのを璃湖は必死にこらえた。このまま彼に縋ってしまえたら、どんなにいいだろう。
だけど、それはできない。彼はただの同僚なのだから、迷惑をかける訳にはいかないのだ。
目尻に浮かんだ涙を拭って、璃湖は駅への道をひとり歩き出した。
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