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変わりゆく気持ちの行方
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そして次の日、璃湖と福永は熱狂渦巻くスタジアムで野球観戦をしていた。少し前に彼に現地観戦に行こうと誘われていたのだ。
福永のEDが完治した今、ふたりで出掛ける理由はない。だが、チケットが無駄になるのはもったいないので最後の思い出に出かけることにしたのだ。
しかし、そんなものは言い訳だ。本当は福永と最後に少しでも一緒の時間を過ごしたかった。それが璃湖の偽らざる本音である。
試合は点を取っては取られての乱打戦で、観客は大盛り上がり。福永も楽しそうだ。璃湖も面白い試合展開に興奮しつつ、気持ちは暗く沈み込んでいた。
開場する前、ふたりはとあるカップルに写真を頼まれた。そのときの女性に向けられた目が忘れられない。あれは侮蔑を含んだものだった。
なぜ、お前のみたいな地味で太った女が福永のような最上の男の隣にいるのか。そう言われている気がして、彼とのデートに浮かれていた気持ちが一気に現実に引き戻された。
福永と自分が釣り合っていないのなんて、璃湖が一番よく分かっている。福永といる時間があまりに楽しすぎて、福永のような人と恋人になれたらと。そんな叶いもしない妄想をしてしまったことが今となっては恥ずかしい。
心の底に、もしかしたらという気持ちがあったことは認めないといけないだろう。そんなことがあるはずもないのに。彼が射精できるようになったのだから、この関係は終わりだ。福永が璃湖に優しいのも、きっとこの特異な契約に負い目があったからに違いない。
それにまんまとハマってしまい、彼を好きになってしまった自分が情けない。気を抜くと泣いてしまいそうなのをこらえながら、璃湖は試合の行方をじっと見つめていた。
そして迎えた最終回。一点差で璃湖の贔屓のチームが負けている状況の中、最後の攻撃で始まる。ランナーがふたりいるチャンスでヒットになるかという当たりを相手の選手に捕られてしまい、球場が観客のため息に包まれる。
「あいつ……相変わらず上手いなぁ。あのショートのヤツ、俺の中学生のときの同級生なんだよね」
「え!? そうなんですか!?」
福永が指差した選手は、田村という敵チームの看板選手だ。璃湖の記憶では、昨年守備のタイトルも獲得している。
「今まで内緒にしてたけど、俺、中学まで野球やってたんだよ」
「福永さんが!? 坊主だったんですか!?」
驚く璃湖に福永は笑いながら頷いた。しかも全国常連の強豪チームらしい。意外すぎて、ユニフォーム姿が想像できない。彼ほどの美形ならどんな髪型でも似合うだろうが、その時代の写真が見たすぎる。
「俺、小学生の頃はチームで一番上手くてさ。今思えばかなり天狗になってたんだよね。だけど中学で田村に出会って……自分が井の中の蛙だということに気がついた」
当時の福永と田村は内野の花形ポジションであるショートを座を争っていたが、それに勝ったのは田村だった。
「それでセカンドに回ることになったんだけど、ショックだったな。思えばあれが人生最初にして最大の挫折だった。どんなに努力してもあいつには敵わなくて……才能の差を感じた。それまでは本気でプロになれるって思ってたんだけどさ、“本物”に出会ってそれがとんだ思い上がりだったことに気づいた」
しかし名門チームで一年生からレギュラーの座を掴むなんて、十分すごいことだ。璃湖がそれを伝えると、福永が苦笑いをした。
「ありがとう。俺もそう思ってた。でも、あいつと⋯⋯田村とコンビを組んでいると嫌でも分かるんだ。自分が凡人だってことが。同じレギュラーでも、あいつと俺には雲泥の差があった」
視線を田村に向けたまま、福永は小さくため息をついた。
「それなら野球を続ける意味はあるのかなって。一流になれないなら、勉強を頑張った方がいいんじゃないかと思って、中学で野球は辞めたんだ」
肩を竦めて笑った福永が璃湖の顔を真っ直ぐ見つめる。
「細井さん、俺のこと完璧な男だと思ってるでしょ」
「えっ。えぇ⋯⋯それはもちろん。福永さんの優秀さはよく存じておりますし、優しくてお人柄も素晴らしいと思っております」
「あはは、ありがとう。でも、実際はそんなことないんだよ。たった一回の挫折で逃げ出してしまうような弱い男で、今だに林田へのコンプレックスを引きずってる。優しいっていうのも、ただの処世術。反感を買わないように振る舞ってるだけ。俺はずる賢い男なんだよ」
そうなのだろうか。それでも璃湖は福永を優しい人間だと思う。野球を辞めてから目にすることを徹底的に避けていたと聞いて、知らなかったとはいえテレビ観戦に付き合わせてしまっていたことを申し訳なく思う。
ルールの詳しかったのは、璃湖に合わせて勉強したからではなく、プレイヤーだったからだ。
「それなら、どうして今日試合を見に行こうと思ったんですか?」
「……細井さんと一緒に試合見たら、なにか変わるかと思ったから……かな。それがたまたま田村のいるチームだったのも運命な気がして。いや、それより……きっと俺のことをもっと知ってほしかった、かな」
福永の目に甘さが滲んでいる気がして、璃湖は視線を揺らした。それはどういう意味なのだろう。ひとり動揺していると、再びわあっという歓声が上がった。またも田村のファインプレーに得点を阻まれている。
「あいつ……チッ」
大歓声を浴びる田村を見て、福永が舌打ちをする。会社での彼からは想像もできない姿だ。そこに負けず嫌いだった野球少年時代の面影が見えて、璃湖はふふっと笑みをこぼした。
確かにまだまだ知らない一面が隠れているのかもしれない。それを知ることは、もうできないけれど。
そして、これであとひとり抑えられてしまったら試合終了である。次のバッターはチームの主砲を打つ猪瀬という選手だ。
璃湖は推しを持たないと決めているが、密かに一番応援している選手でもある。祈りながらバッターボックスに立つ大きな背中を見つめる。
一球目だった。目が覚めるような打球音が球場に響く。白球が漆黒の空に舞い上がりどこまでも飛んでゆく。
やがてそれは、たくさんのファンがいる観客席に吸い込まれた。地面が揺れていると錯覚するほどの歓声が沸き上がり、思わず立ち上がる。
「逆転スリーラン! すごい、すごすぎる! 福永さん、やりました!」
「うん、この場面で打つなんて凄い! さすが四番だ」
興奮した様子の福永に抱きしめられて、璃湖の心臓が早鐘を打つ。いつももっとすごいことをしているのに、こんなことで動揺するなんておかしいだろうか。
選手たちがホームベースを踏むのを見届けてから座るが、まだ胸がドキドキしている。
「やっぱり野球、面白いな。一緒に試合見てて思い出したんだよね。野球が大好きだった気持ち。それをもっと大切にすれば良かった。ひとりでやるスポーツじゃないのに⋯⋯大事なこと忘れてた。あいつの活躍を見るのは癪だけど、やっぱり来て正解だった。こんないいものを生で見られるなんて、最高だ。俺、猪瀬選手のファンになっちゃった」
「いいですよね、猪瀬選手。私も好きです」
「そうなの? ユニフォーム着てるの違う選手だから、てっきりその選手を推してるのかと思った」
「あ、これは今日の先発投手で、特別な推しは作らないことにしてるんです。以前、とても応援してる選手がいたんですが、五年前に引退してしまって。自分でもびっくりするぐらいショックを受けてしまったんです。一年くらい立ち直れなくて。とても苦しかったから、もう推しを作るのは辞めようと思って」
思えばあれが璃湖の初恋だった。その選手が素敵すぎて現実の男に興味を持てなくなった気がしないでもない。幼い頃はその憧れの選手のお嫁さんになる、なんていう夢を持っていた。
あの喪失感をもう一度経験するのは嫌なのだが、それでもやはり特別な選手というのはできてしまうものだ。せめてもの抵抗で、グッズは買わないことにしている。
福永のEDが完治した今、ふたりで出掛ける理由はない。だが、チケットが無駄になるのはもったいないので最後の思い出に出かけることにしたのだ。
しかし、そんなものは言い訳だ。本当は福永と最後に少しでも一緒の時間を過ごしたかった。それが璃湖の偽らざる本音である。
試合は点を取っては取られての乱打戦で、観客は大盛り上がり。福永も楽しそうだ。璃湖も面白い試合展開に興奮しつつ、気持ちは暗く沈み込んでいた。
開場する前、ふたりはとあるカップルに写真を頼まれた。そのときの女性に向けられた目が忘れられない。あれは侮蔑を含んだものだった。
なぜ、お前のみたいな地味で太った女が福永のような最上の男の隣にいるのか。そう言われている気がして、彼とのデートに浮かれていた気持ちが一気に現実に引き戻された。
福永と自分が釣り合っていないのなんて、璃湖が一番よく分かっている。福永といる時間があまりに楽しすぎて、福永のような人と恋人になれたらと。そんな叶いもしない妄想をしてしまったことが今となっては恥ずかしい。
心の底に、もしかしたらという気持ちがあったことは認めないといけないだろう。そんなことがあるはずもないのに。彼が射精できるようになったのだから、この関係は終わりだ。福永が璃湖に優しいのも、きっとこの特異な契約に負い目があったからに違いない。
それにまんまとハマってしまい、彼を好きになってしまった自分が情けない。気を抜くと泣いてしまいそうなのをこらえながら、璃湖は試合の行方をじっと見つめていた。
そして迎えた最終回。一点差で璃湖の贔屓のチームが負けている状況の中、最後の攻撃で始まる。ランナーがふたりいるチャンスでヒットになるかという当たりを相手の選手に捕られてしまい、球場が観客のため息に包まれる。
「あいつ……相変わらず上手いなぁ。あのショートのヤツ、俺の中学生のときの同級生なんだよね」
「え!? そうなんですか!?」
福永が指差した選手は、田村という敵チームの看板選手だ。璃湖の記憶では、昨年守備のタイトルも獲得している。
「今まで内緒にしてたけど、俺、中学まで野球やってたんだよ」
「福永さんが!? 坊主だったんですか!?」
驚く璃湖に福永は笑いながら頷いた。しかも全国常連の強豪チームらしい。意外すぎて、ユニフォーム姿が想像できない。彼ほどの美形ならどんな髪型でも似合うだろうが、その時代の写真が見たすぎる。
「俺、小学生の頃はチームで一番上手くてさ。今思えばかなり天狗になってたんだよね。だけど中学で田村に出会って……自分が井の中の蛙だということに気がついた」
当時の福永と田村は内野の花形ポジションであるショートを座を争っていたが、それに勝ったのは田村だった。
「それでセカンドに回ることになったんだけど、ショックだったな。思えばあれが人生最初にして最大の挫折だった。どんなに努力してもあいつには敵わなくて……才能の差を感じた。それまでは本気でプロになれるって思ってたんだけどさ、“本物”に出会ってそれがとんだ思い上がりだったことに気づいた」
しかし名門チームで一年生からレギュラーの座を掴むなんて、十分すごいことだ。璃湖がそれを伝えると、福永が苦笑いをした。
「ありがとう。俺もそう思ってた。でも、あいつと⋯⋯田村とコンビを組んでいると嫌でも分かるんだ。自分が凡人だってことが。同じレギュラーでも、あいつと俺には雲泥の差があった」
視線を田村に向けたまま、福永は小さくため息をついた。
「それなら野球を続ける意味はあるのかなって。一流になれないなら、勉強を頑張った方がいいんじゃないかと思って、中学で野球は辞めたんだ」
肩を竦めて笑った福永が璃湖の顔を真っ直ぐ見つめる。
「細井さん、俺のこと完璧な男だと思ってるでしょ」
「えっ。えぇ⋯⋯それはもちろん。福永さんの優秀さはよく存じておりますし、優しくてお人柄も素晴らしいと思っております」
「あはは、ありがとう。でも、実際はそんなことないんだよ。たった一回の挫折で逃げ出してしまうような弱い男で、今だに林田へのコンプレックスを引きずってる。優しいっていうのも、ただの処世術。反感を買わないように振る舞ってるだけ。俺はずる賢い男なんだよ」
そうなのだろうか。それでも璃湖は福永を優しい人間だと思う。野球を辞めてから目にすることを徹底的に避けていたと聞いて、知らなかったとはいえテレビ観戦に付き合わせてしまっていたことを申し訳なく思う。
ルールの詳しかったのは、璃湖に合わせて勉強したからではなく、プレイヤーだったからだ。
「それなら、どうして今日試合を見に行こうと思ったんですか?」
「……細井さんと一緒に試合見たら、なにか変わるかと思ったから……かな。それがたまたま田村のいるチームだったのも運命な気がして。いや、それより……きっと俺のことをもっと知ってほしかった、かな」
福永の目に甘さが滲んでいる気がして、璃湖は視線を揺らした。それはどういう意味なのだろう。ひとり動揺していると、再びわあっという歓声が上がった。またも田村のファインプレーに得点を阻まれている。
「あいつ……チッ」
大歓声を浴びる田村を見て、福永が舌打ちをする。会社での彼からは想像もできない姿だ。そこに負けず嫌いだった野球少年時代の面影が見えて、璃湖はふふっと笑みをこぼした。
確かにまだまだ知らない一面が隠れているのかもしれない。それを知ることは、もうできないけれど。
そして、これであとひとり抑えられてしまったら試合終了である。次のバッターはチームの主砲を打つ猪瀬という選手だ。
璃湖は推しを持たないと決めているが、密かに一番応援している選手でもある。祈りながらバッターボックスに立つ大きな背中を見つめる。
一球目だった。目が覚めるような打球音が球場に響く。白球が漆黒の空に舞い上がりどこまでも飛んでゆく。
やがてそれは、たくさんのファンがいる観客席に吸い込まれた。地面が揺れていると錯覚するほどの歓声が沸き上がり、思わず立ち上がる。
「逆転スリーラン! すごい、すごすぎる! 福永さん、やりました!」
「うん、この場面で打つなんて凄い! さすが四番だ」
興奮した様子の福永に抱きしめられて、璃湖の心臓が早鐘を打つ。いつももっとすごいことをしているのに、こんなことで動揺するなんておかしいだろうか。
選手たちがホームベースを踏むのを見届けてから座るが、まだ胸がドキドキしている。
「やっぱり野球、面白いな。一緒に試合見てて思い出したんだよね。野球が大好きだった気持ち。それをもっと大切にすれば良かった。ひとりでやるスポーツじゃないのに⋯⋯大事なこと忘れてた。あいつの活躍を見るのは癪だけど、やっぱり来て正解だった。こんないいものを生で見られるなんて、最高だ。俺、猪瀬選手のファンになっちゃった」
「いいですよね、猪瀬選手。私も好きです」
「そうなの? ユニフォーム着てるの違う選手だから、てっきりその選手を推してるのかと思った」
「あ、これは今日の先発投手で、特別な推しは作らないことにしてるんです。以前、とても応援してる選手がいたんですが、五年前に引退してしまって。自分でもびっくりするぐらいショックを受けてしまったんです。一年くらい立ち直れなくて。とても苦しかったから、もう推しを作るのは辞めようと思って」
思えばあれが璃湖の初恋だった。その選手が素敵すぎて現実の男に興味を持てなくなった気がしないでもない。幼い頃はその憧れの選手のお嫁さんになる、なんていう夢を持っていた。
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