公爵さまの家宝

カイリ

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 心臓が圧迫されて、きつく胸元を引き掴む。
 胸が苦しいっ。
 こんな、急に何で?
 立っていられなくて膝をついた。

「……やっぱり無理か」

 白っぽく靄がかってきた視界の先で、リフさんが手の平に目を落としてるのが見える。
 苦しくて、助けを求めるように伸ばした手が濃度を増した白に塗り潰された。

 ぽんっ

 コルク栓を開けた時みたいな音がすると、視界に立ち込めてた白い色が一気に消えていく。胸の痛みと一緒に。
 それまでの苦しさが嘘みたいになくなってる。
 今のは一体なんだったんだろ?
 はっ。
 強い視線を感じてそっちに目を向ければ、そこにはリフさんがいる。
 何か探すように動いてた目があたしの位置で止まり、不思議そうな顔が徐々に驚きに変わった。

 何でそんな驚いて……って、リフさん、前見て、前っ!

 半透明なアレが大きく爪を振りかぶって狙い定めてるっ。
 声を上げようとして、チカっと光るものに気づいた。
 黒味を帯びた紫の光。

 ――――額だ。

 そう思った瞬間、喉の奥がかっと熱くなった。
 内側から込み上げてくるそれが、あたしの口をこじ開ける。真っ赤に燃え盛る炎が噴き出して、凄まじい勢いでアレの頭部を直撃した。
 高い悲鳴が空気を震わせ、その姿が掻き消える。
 薄暗かった森の中に日差しが戻る中、唖然としてこっちを振り向く二人。
 けど、ぱかんと口を開けたまま、放心状態のあたしは反応できずにいた。

 今……口から何か出た?

 自問して、あり得ない答えを出そうとする自分に、待ったをかける。
 こういう時はすぐに答えを出しちゃ駄目。
 まずは落ち着いて。
 落ち着くためのおまじないをしようと震える手を持ち上げ、ぴたっと止まる。
 思わずそれを二度見した。

 ……毛深い。

 持ち上げた左手は、先が白い温かそうな毛、上に行くにつれ赤茶色の毛並みに覆われてる。
 目を擦ろうとして上げた右手も同じ。
 動物の前足みたい、っていうか、そのものだ。
 血の気が引いてふらついたのを最後に、ぷつんと意識が途切れた。


 ::::


「君、君、……ラズ嬢。聞こえている?」

 目の前でぱちぱちと指を鳴らされて、はっと我に返った。
 片膝をつき、あたしを覗き込んでるリフさんとその少し後ろに立つジェラールさんの姿。
 気付けば、石の床の上に座り込んでいた。

 こ、ここは……?

 辺りを見回すと、ランプの光に揺れる陰影を映す石の壁に囲まれた場所。公爵さまのお城の地下だった。
 森の中じゃない……。

「身体は大丈夫?」

 リフさんの問いかけに頷きかけて、要確認事項を思い出した。
 素早く身体のあちこちを見回す。
 手も足も、ちゃんと人間の手足だ。
 ほっとして身体から力が抜けた。

「よ、良かったぁ……。変な夢だったんだ」
「残念だけど、夢じゃないよ」

 思いがけず否定されて見返せば、リフさんは微苦笑した。

「君のおかげで、あの森から帰って来ることができた」
「あたしのって……」

 ま、まさか。
 顔を引き攣らせるあたしの手を引き、リフさんは立ち上がらせる。
 そのまま真顔でこう言った。

「君の資質は認められた。僕らに協力してほしい」

 それって、さっきみたいな事のお手伝い、だよね?

「む、無理!絶対無理」
「無理でも、聞いてもらわないとならない」

 何ですか、それは。
 是が非でもってやつですか!
 揺るがない眼差しを受けて、負けじと見返す。

「害を与えないって誓いましたよね?天地の神さまにっ」
「君に実害を与えるつもりはないよ」
「似たようなものでしょ?危ない目に遭わなきゃならないんだもん」
「協力をしてた方が君のためでもある」
「お、脅そうって言うんですか?」

 むむむ。この人、感じ良さそうに見えたのに、実は横暴?
 じりじり後退するけど、片方の手首を取られてるから逃げられない。

「いきなりあちら側へ跳んでいたり、解放者でもない君が宝玉の力を行使した。どう考えても、君の中の宝玉が妙な具合に作用してる。意志に関係なく一人であちら側に引っ張られるより、僕らといた方が安全だと思うよ?」
「どういう意味ですか?さっぱりわかんないですけど」
「公爵家の家宝は特別な宝玉なんだ。ただの貴石じゃない。それを飲み込んだ君は、石の力でいつまたあちら側へ飛ばされるかわからないって事」
「あちらって……でも、お城の地下に近づかなきゃいいんじゃ?」
「地下へ君を連れて行ったのは、万一、宝玉の力が暴走した場合に備えての事だよ。あそこが被害を最小限に抑えられる場所だから」
「じゃあ、何処にいてもあんな風にいきなり別の場所に移動しちゃうって事ですか?」
「そう。理解してもらえた?」

 理解はしても、納得はできないんですけど。
 協力するって事は、またあの炎吐いたり、動物(?)になんなきゃならないって事でしょう?
 しかも戦闘要員。
 素直に頷けというのが無理な話だよ。

「リファリス殿、承諾など得る必要があるのですか?元はと言えば、その娘が公爵家の家宝を飲み込んだ事がそもそもの元凶。為すべき大事に必要とあらば、当然公の意向に沿って然るべきでは?」

 うっ。
 そこを突きますか。
 ジェラールさん容赦ないです。
 けどリフさんは頭を振った。

「本来なら何の関係もないお嬢さんを巻き込んでるんだ。理解を得た上で協力してもらうべきだよ。あまり高圧的な物言いはしないように」
「……はい」

 渋々といった感じでジェラールさんが返事をした。
 けど、この人、理解あるような事言っても、あたしに協力させるつもりなのは同じなんだよね。
 物腰柔らかいからつい油断しちゃうけど、警戒心忘れたら駄目だ。
 改めて自分に言い聞かせた時だった。

 ぐきゅるるる

 緊張感を欠く音が響いて、その場が静まり返った。
 空腹を訴えたのは、あたしのお腹だ。
 そ、そういえば、そろそろお昼……。
 すると小さく噴き出すのが聞こえた。
 見ればリフさんが笑ってる。

「そろそろ昼食時間だね。ここで話していても何だし、食事にしようか」

 わ、笑われた。
 いつも正確な腹時計が今は少し恨めしい。


 ::::


 与えられてる部屋に届けられた昼食は、新鮮野菜のサラダ、温かいスープ、鶏肉の香草焼き、焼き立てのふかふかパン。
 ああ、満たされる……。
 状況も忘れて至福に浸ってると、くすっと笑い声がした。
 監視の為か、ただ単に食事時間が一緒だからなのか、向かいの席で食事を取ってるリフさんがこっちを見て笑ってる。

「……な、何ですか?」
「いや、美味しそうに食べるなぁと思って」
「凄く美味しいです」

 このお城に滞在して何が一番慰められたって、食事のおいしさだ。
 とんでも体験の後だって、それは変わんない。

「特に、パンが絶品ですっ。香ばしくて、ふわふわで、外側の皮はぱりっとしてて」

 一度料理人さんにお会いしたいくらい、初めて食べた時は感動ものだった。
 フォンに伝わるパンはどっしりしてて硬いパンが多いんだ。
 ポンターギュの王都にも柔らかいパンもあったけど、ここのは全然違う。

「イルファレナ産の小麦を使用してるパンだよ。料理人はパンに拘ってるから、そう聞けばきっと喜ぶよ」
「そこってサージェス国内ですか?」
「ディザレード領の隣り、ここよりも西にある場所だよ。そこの特産品なんだ」
「そうなんですか」

 料理人さんの腕もあるだろうけど、その小麦がこの絶品パンを生み出してるんだろうな。
 は~、美味しかった。
 ごちそうさまでした。
 綺麗に食事を平らげて、はっと我に返った。
 至福の時間で気が緩んで、うっかり和んでる場合じゃない。
 先に食事を終えていたリフさんは、あたしが食べ終わるのを見ると、改めて口を開いた。

「誤解がないように話しておきたいんだ。当初の予定では、君に求める役どころは、宝玉の媒介だった」
「媒介、ですか?」
「そう。本来ならそれはディザレード公爵夫人が務めるものだけど、現在、公に夫人はいないから」

 うぅ、あたしが飲み込んだからだよね、それ。

「……じゃあ、宝玉の媒介ってどんなことをするんですか?」
「仲介役、というのが正しいかな。宝玉の主になれるのは、女性。だけど、その内に秘められた力を扱えるのは特定の条件を満たす者だとされてる。」
「特定の、条件?」 
「魔力を帯びてることは勿論、他にも数点の条件がある。本当なら公ご自身が宝玉から力を解放するところだけど、まだお身体が本調子ではなくてね。公の指示に従うよう命を受けた僕に、その役目が託されたんだ」
「……リフさんは、公爵さまにお仕えしてるんじゃ?」

 首を捻って聞き返すと、リフさんは微苦笑して首を横に振る。

「僕は、とある方の命を受けて公に従ってる。宝玉を受け継いだ女性の協力を得て任務を果たす為に。……問題のある点はきっちり調査するつもりだし、君の事は僕らが責任をもって守る。だから、どうか力を貸して欲しい。君が必要なんだ、ラズ嬢」

 誠意のある言葉の最後に、ん?と首を捻る。

「あ、あの。あたし、ラズじゃありません」
「え」

 リフさんは軽く目を見張る。

「でも、アリーシャ嬢にはラズと呼ばれていたよね?」
「そ、それには事情があって」
「名前を聞いた時、ティコ・クルル・シー・ラ・ラズって答えなかった?」

 え、何それ。 
 中途半端に間違ってる。
 何でそんな微妙にラズの名前が混じって――――はっ!
 そ、そうだ。
 名乗る時、口滑らせてから、ラズの名前言ったんだっけ。あの時はまだラズとして振る舞ってたから。
 ……そういえば、この人に名前訂正してなかったかも。

「え、えっと」
「……まさか、偽名使っていたの?」

 僅かに眉を顰め、リフさんが聞き返してくる。
 あ、何だかまずい雰囲気だ。

「偽名っていうか、そのう……姉の名前で」
「どういう流れでお姉さんの名前を名乗る事になるのか、説明してもらっていいかな?」

 柔らかいながらも有無を言わせない促しで、事の次第を話すことになった。
 話し終わった後の沈黙が、怖い。
 深いため息の後、リフさんは難しい顔で言った。

「不測の事態の要因の一つは、名前が違ったことにもあるよ、ティコ嬢」

 責任の一端は、こっちにもあるっぽい。 

 
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